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胡貴妃との親交
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「……凶作の年のことを思い出すと、私だけ贅沢していいのかって思っちゃうし」
小月の故郷では村の農作物に頼った生活をしている。日照りや長雨、蝗害や河川の氾濫、常に暮らしは不安定だ。ささやかな稼ぎの中から税も納めなければならない。
今、自分が味わっている食事は、とても美味しいが、きわめて重いものだ。
「小月の家族も皇都に呼び寄せよう」
「そういう意味じゃなくて」慌てて手を振った。
「では仮に考えてみてくれ。私が皇帝ではなく、村の一青年のままだったとしたら、小月、きみは嫁に来てくれただろう?」
ふっと体が浮いた気がした。頭の半分は前に傾き、残りの半分は後ろに傾いた。そんな不思議な感覚だった。不安定なまま、答えた。
「……おそらくは」
「同じことだよ。たまたま今は皇帝というだけで。私自身は変わっていない」
そんなことはない。と思ったが小月は口をかたく結んだ。上手く説明できる気がしなかったからだ。何を言っても秀英を否定してしまいそうだ。言葉知らずで自分が情けない。歯がゆい。
秀英は小月が黙ったことを好意的に解釈したようだった。
「また明日の昼を一緒に食べよう。公務があるので私はもう失礼するよ」
秀英が去ると、小月は頭を抱えて卓に突っ伏した。
「……まるで嵐のよう」
「この国で一番忙しいのは皇帝陛下です。国中からの報告書に目を通されていますからね」
心を掻き乱すさまを嵐に例えたのだが、黄太監は皇帝の多忙さととったようだった。黄太監の声音には秀英に対する慈しみが感じられた。
「秀英は立派な皇帝ですか?」
「はい。私の命にかけて、疑いありません」
「……そう、秀英は対価を払っているのね」
もし秀英が皇帝ではなく故郷の一青年だとしたら、自分は求婚を受け入れていただろうか。
受け入れていただろう、迷うことなく。
「小月様、陛下は帰られました?」
「胡貴妃。残念ですがついさきほど……」突然の胡貴妃の訪問に、小月は恐縮して迎えた。
「いいのです。陛下がお帰りになる頃合を見計らいました」
胡貴妃ははにかむような笑顔を見せた。
「お近づきのしるしに、私の愛読書をお持ちしましたの。どうぞ、遠慮なくご覧になって」
胡貴妃の侍女が盆に山積みした本を差し出した。受け取っていいか、安梅が小月の指示を待っている
「……私、字が読めないので……」
「なので、図絵や絵物語を選びましたの。動物や植物を写生したもの、絵物語は絵だけ見ていても楽しいものです。これは少し珍しい、市井の風俗を描写したもの、異国の文様集」
「まあ」
小月はたちまち虜になった。微細な筆遣いで生き生きと描かれた動物はまるで生きているよう。花は香りを振りまくよう。絵物語は字が読めなくてもあらすじが理解できた。男女の悲恋を描いたもののようだ。
「とても面白いです。絵を描いている人は全部同じ人ですね。なんて上手いのでしょう」
「うふふ。実は私が描いたのよ」
「え? 胡貴妃が?」
「うふふ」恥ずかしそうに笑う。
「市井の風俗も胡貴妃が? 皇都の城内で実際に見て描いたのですか?」
夢中でめくっていると猿回しが目に飛び込んだ。藩貴妃に山猿呼ばわりされたことが蘇った。内心苦笑して次の頁をめくる。熱湯の中に手を突っ込んでいる女性の絵。
「怖い絵ですね」
「それは奇術です。餃子女という見世物でしたが、不思議なものでした」
「餃子女? 火傷しなかったのですか?」
「ええ。まず鉄の大鍋に満たした水に、熱した鉄剣を入れて、水を一瞬で沸騰させたんです。同じ鉄剣をもう一度熱してる間に、ゆであがった餃子を観客にふるまってましたわ。ある程度冷めた湯に今度は女の子が片腕を捲り上げて腕を突っ込んだんです。そして鉄剣を再度、じゅわっと。沸騰して湯気がもわっと。あーら不思議。女の子は火傷ひとつしていない。水餃子のようにつるんとした肌でした」
「まあ。本物を見てみたいものです」
胡貴妃の話は小月の胸を躍らせた。望楼から城内街区と広場が見えた。ああいう広場で大道芸人が日銭稼ぎをしているのだろう。直に見聞した胡貴妃が羨ましい。
「仕掛けがあるんでしょうね。私には見抜けませんでしたけど」
胡貴妃は少しだけ悔しそうな顔をした。彼女は博識で絵の才能がある。植物の絵を見ると葉脈の一本一本まで丁寧に描き込まれている。細かいところをよく観察している。彼女が見抜けなかったのなら、私には到底無理に違いない。
「他にもたくさん描いていますのよ。よかったら今度私の宮に遊びにいらしてね。真方宮におりますから。一緒に絵を描いたり、お話を作ったりいたしましょう」
小月は心中で胡貴妃に手を合わせた。菩薩顔は伊達ではない。藩貴妃とは対照的な性格のようだ。小月が後宮に馴染めるように優しく接してくれる。
「私などに心を砕いていただき、感謝いたします」
「卑下なさらないで。あなたは陛下の大切な方なのだから。自分を貶める発言は陛下に返っていきます」
「……はい」
胡貴妃から借りた絵図はしばらくの間、小月の慰めになった。
小月の故郷では村の農作物に頼った生活をしている。日照りや長雨、蝗害や河川の氾濫、常に暮らしは不安定だ。ささやかな稼ぎの中から税も納めなければならない。
今、自分が味わっている食事は、とても美味しいが、きわめて重いものだ。
「小月の家族も皇都に呼び寄せよう」
「そういう意味じゃなくて」慌てて手を振った。
「では仮に考えてみてくれ。私が皇帝ではなく、村の一青年のままだったとしたら、小月、きみは嫁に来てくれただろう?」
ふっと体が浮いた気がした。頭の半分は前に傾き、残りの半分は後ろに傾いた。そんな不思議な感覚だった。不安定なまま、答えた。
「……おそらくは」
「同じことだよ。たまたま今は皇帝というだけで。私自身は変わっていない」
そんなことはない。と思ったが小月は口をかたく結んだ。上手く説明できる気がしなかったからだ。何を言っても秀英を否定してしまいそうだ。言葉知らずで自分が情けない。歯がゆい。
秀英は小月が黙ったことを好意的に解釈したようだった。
「また明日の昼を一緒に食べよう。公務があるので私はもう失礼するよ」
秀英が去ると、小月は頭を抱えて卓に突っ伏した。
「……まるで嵐のよう」
「この国で一番忙しいのは皇帝陛下です。国中からの報告書に目を通されていますからね」
心を掻き乱すさまを嵐に例えたのだが、黄太監は皇帝の多忙さととったようだった。黄太監の声音には秀英に対する慈しみが感じられた。
「秀英は立派な皇帝ですか?」
「はい。私の命にかけて、疑いありません」
「……そう、秀英は対価を払っているのね」
もし秀英が皇帝ではなく故郷の一青年だとしたら、自分は求婚を受け入れていただろうか。
受け入れていただろう、迷うことなく。
「小月様、陛下は帰られました?」
「胡貴妃。残念ですがついさきほど……」突然の胡貴妃の訪問に、小月は恐縮して迎えた。
「いいのです。陛下がお帰りになる頃合を見計らいました」
胡貴妃ははにかむような笑顔を見せた。
「お近づきのしるしに、私の愛読書をお持ちしましたの。どうぞ、遠慮なくご覧になって」
胡貴妃の侍女が盆に山積みした本を差し出した。受け取っていいか、安梅が小月の指示を待っている
「……私、字が読めないので……」
「なので、図絵や絵物語を選びましたの。動物や植物を写生したもの、絵物語は絵だけ見ていても楽しいものです。これは少し珍しい、市井の風俗を描写したもの、異国の文様集」
「まあ」
小月はたちまち虜になった。微細な筆遣いで生き生きと描かれた動物はまるで生きているよう。花は香りを振りまくよう。絵物語は字が読めなくてもあらすじが理解できた。男女の悲恋を描いたもののようだ。
「とても面白いです。絵を描いている人は全部同じ人ですね。なんて上手いのでしょう」
「うふふ。実は私が描いたのよ」
「え? 胡貴妃が?」
「うふふ」恥ずかしそうに笑う。
「市井の風俗も胡貴妃が? 皇都の城内で実際に見て描いたのですか?」
夢中でめくっていると猿回しが目に飛び込んだ。藩貴妃に山猿呼ばわりされたことが蘇った。内心苦笑して次の頁をめくる。熱湯の中に手を突っ込んでいる女性の絵。
「怖い絵ですね」
「それは奇術です。餃子女という見世物でしたが、不思議なものでした」
「餃子女? 火傷しなかったのですか?」
「ええ。まず鉄の大鍋に満たした水に、熱した鉄剣を入れて、水を一瞬で沸騰させたんです。同じ鉄剣をもう一度熱してる間に、ゆであがった餃子を観客にふるまってましたわ。ある程度冷めた湯に今度は女の子が片腕を捲り上げて腕を突っ込んだんです。そして鉄剣を再度、じゅわっと。沸騰して湯気がもわっと。あーら不思議。女の子は火傷ひとつしていない。水餃子のようにつるんとした肌でした」
「まあ。本物を見てみたいものです」
胡貴妃の話は小月の胸を躍らせた。望楼から城内街区と広場が見えた。ああいう広場で大道芸人が日銭稼ぎをしているのだろう。直に見聞した胡貴妃が羨ましい。
「仕掛けがあるんでしょうね。私には見抜けませんでしたけど」
胡貴妃は少しだけ悔しそうな顔をした。彼女は博識で絵の才能がある。植物の絵を見ると葉脈の一本一本まで丁寧に描き込まれている。細かいところをよく観察している。彼女が見抜けなかったのなら、私には到底無理に違いない。
「他にもたくさん描いていますのよ。よかったら今度私の宮に遊びにいらしてね。真方宮におりますから。一緒に絵を描いたり、お話を作ったりいたしましょう」
小月は心中で胡貴妃に手を合わせた。菩薩顔は伊達ではない。藩貴妃とは対照的な性格のようだ。小月が後宮に馴染めるように優しく接してくれる。
「私などに心を砕いていただき、感謝いたします」
「卑下なさらないで。あなたは陛下の大切な方なのだから。自分を貶める発言は陛下に返っていきます」
「……はい」
胡貴妃から借りた絵図はしばらくの間、小月の慰めになった。
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