41 / 55
護符を配る
しおりを挟む
李医師の両腕にはいつの間にか赤い小花がいくつも咲いていた。
「李医師!」
「虫除け汁は服についていたからな。ま、こうなるさ。それより、ちゃんと飯は食ったか。病人に食わせて、お前はろくに食べてないんだろう」
「私は元気だから」
「食っとけ。俺が倒れたらお前に看病してもらうんだから」
「あ、うん……」
「もうじき日没だ。半刻経ったら封鎖柵のところに行こう。衛士が食糧を持ってくる。謝礼はここに入っている半分を渡す」李医師は巾着を小月に見せた。李医師の全財産だという。「他に必要なものがあればその時に頼むつもりだ。何か思いつく物はあるか」
とっさには思い浮かばず、首を左右に振った。
診療所に収容されている者は男女合わせて百人を優に超える。小月達が南街区に入ってから三刻近くが経過していた。その間に死んだのは手遅れだった三人。新たに発症した者が二人、柵の外から投げ込まれた者が五人。
病人は増えるばかりだ。
だが希望はある。李医師の手順を見よう見まねで覚えた小月の看護を、やはり見よう見まねで覚えた幾人かが手伝ってくれている。
そのうちの一人などは『何をしたらいいのかわからなかった時にはどうせ死ぬのだからと自暴自棄になったけれど、小月さんを手伝うことで目の前が明るくなった』と言ってくれた。自分のような小娘でも人に希望を与えられるのだと教えられて、小月は涙ぐみそうにさえなった。
それもこれも嘘の上に築かれた信頼ではあるけれど。
「小月、時間だ」
李医師が迎えに来た。
餃子屋の二徹と連れだって封鎖柵に向かうと、柵の向こう側から潜めた声が聞こえた。
「おい、今から投げ込むぞ。受け取れ」
麻袋に入った穀物が三つ、どさりどさりと地面を揺らす。続けて漏斗が降ってくる。その後に、紐を括りつけた瓶がそろりそろりと降ろされる。
「中身は油だ」
「油?」
「今にも雨が降りそうだろ」空を見あげたが暗くてもう見えない。ただごろごろと不気味な音が聞こえてくる。「火葬用に使えと隊長からの差し入れだ。上等な油だぞ。ありがたく使え。それとこれも」
柵の上に放物線を描いて紐で結んだ紙束が投げ入れられた。
「これは?」
文字とも文様とも図柄ともわからない何かが描きこまれた紙片が数十枚。
「疫病退散の護符だ。名のある祈祷師のものだそうだ。各家に配ってやれ」
日中に見たお札とは異なっている。いったいどれほどの祈祷師や呪術師が商売をしているのだろうか。
「……隊長に感謝をお伝えください」
「それから耳寄りな情報を教えてやる。近いうちに皇帝陛下が疫病除けの護摩祈願を催行されるらしい。名だたる高僧や術師が呼ばれて国の威信をかけて盛大に執り行われるそうだ」
「護摩祈願?」
「民草を想う陛下の聖恩だ。ありがたいと思え」
「……ご聖恩に感謝いたします」
衛士の口ぶりからは護摩祈願さえ行われれば流行り病はすぐに収まるとでも考えているようだ。
皇帝が行う祈願。怪しい呪術師が蔓延る市井の状況は、民衆が抱いている不安や恐怖の現れだ。国の威信をかけて行われる祈願に誰もが期待するだろう。
だがもし期待した効果がなかったら。疫病がさらなる猛威をふるったとしたら。
皇帝の権威は失墜するだろう。期待が大きければ大きいだけ民衆の不満は膨らむだろう。
「しっかりしろ、小月。疲れたのなら休め」
李医師に呼びかけられて小月ははっと顔をあげた。
「すいません、李医師。この護符を配りたいので早速行ってきます!」
「え、ああ、無理すんな」
南街区に閉じ込められた住人のうち、小月達に協力的なのは半数ほどである。残りの半数は自宅の戸を閉め切って引きこもっている。餃子屋の二徹によれば、食べ物を隠し持っている家が多いらしい。災厄が過ぎ去るのをただ祈って待っているのだろう。もし疫病を広げている犯人が蚊だとしたら、隙間だらけの粗末な家では防ぐことは出来ない。
なんとか説得して、せめて虫除けの汁とぼうふら対策を講じたい。
「帰っておくれ。うちは協力する気はないから」
「はい、強制はできません。でもちょっとだけ戸を開けてもらえませんか。疫病封じに特効がある護符を配っています」
「……ちょっとだけだよ」
わずかに開いた戸の隙間から、小月は護符と共に除虫草の一束を差し入れる。
「この草の絞り汁を体にまとうと、てきめんの効果があるんです。有名な術師から伝授されました。あ、待ってください。ここが重要です。疫病は蚊の背中に乗ってやってくるんだそうです。だから……」
効果的な『まじない』の方法を一軒一軒教えて歩く。嘘をつくことは心苦しい。詐欺師になった気分だ。
「李医師!」
「虫除け汁は服についていたからな。ま、こうなるさ。それより、ちゃんと飯は食ったか。病人に食わせて、お前はろくに食べてないんだろう」
「私は元気だから」
「食っとけ。俺が倒れたらお前に看病してもらうんだから」
「あ、うん……」
「もうじき日没だ。半刻経ったら封鎖柵のところに行こう。衛士が食糧を持ってくる。謝礼はここに入っている半分を渡す」李医師は巾着を小月に見せた。李医師の全財産だという。「他に必要なものがあればその時に頼むつもりだ。何か思いつく物はあるか」
とっさには思い浮かばず、首を左右に振った。
診療所に収容されている者は男女合わせて百人を優に超える。小月達が南街区に入ってから三刻近くが経過していた。その間に死んだのは手遅れだった三人。新たに発症した者が二人、柵の外から投げ込まれた者が五人。
病人は増えるばかりだ。
だが希望はある。李医師の手順を見よう見まねで覚えた小月の看護を、やはり見よう見まねで覚えた幾人かが手伝ってくれている。
そのうちの一人などは『何をしたらいいのかわからなかった時にはどうせ死ぬのだからと自暴自棄になったけれど、小月さんを手伝うことで目の前が明るくなった』と言ってくれた。自分のような小娘でも人に希望を与えられるのだと教えられて、小月は涙ぐみそうにさえなった。
それもこれも嘘の上に築かれた信頼ではあるけれど。
「小月、時間だ」
李医師が迎えに来た。
餃子屋の二徹と連れだって封鎖柵に向かうと、柵の向こう側から潜めた声が聞こえた。
「おい、今から投げ込むぞ。受け取れ」
麻袋に入った穀物が三つ、どさりどさりと地面を揺らす。続けて漏斗が降ってくる。その後に、紐を括りつけた瓶がそろりそろりと降ろされる。
「中身は油だ」
「油?」
「今にも雨が降りそうだろ」空を見あげたが暗くてもう見えない。ただごろごろと不気味な音が聞こえてくる。「火葬用に使えと隊長からの差し入れだ。上等な油だぞ。ありがたく使え。それとこれも」
柵の上に放物線を描いて紐で結んだ紙束が投げ入れられた。
「これは?」
文字とも文様とも図柄ともわからない何かが描きこまれた紙片が数十枚。
「疫病退散の護符だ。名のある祈祷師のものだそうだ。各家に配ってやれ」
日中に見たお札とは異なっている。いったいどれほどの祈祷師や呪術師が商売をしているのだろうか。
「……隊長に感謝をお伝えください」
「それから耳寄りな情報を教えてやる。近いうちに皇帝陛下が疫病除けの護摩祈願を催行されるらしい。名だたる高僧や術師が呼ばれて国の威信をかけて盛大に執り行われるそうだ」
「護摩祈願?」
「民草を想う陛下の聖恩だ。ありがたいと思え」
「……ご聖恩に感謝いたします」
衛士の口ぶりからは護摩祈願さえ行われれば流行り病はすぐに収まるとでも考えているようだ。
皇帝が行う祈願。怪しい呪術師が蔓延る市井の状況は、民衆が抱いている不安や恐怖の現れだ。国の威信をかけて行われる祈願に誰もが期待するだろう。
だがもし期待した効果がなかったら。疫病がさらなる猛威をふるったとしたら。
皇帝の権威は失墜するだろう。期待が大きければ大きいだけ民衆の不満は膨らむだろう。
「しっかりしろ、小月。疲れたのなら休め」
李医師に呼びかけられて小月ははっと顔をあげた。
「すいません、李医師。この護符を配りたいので早速行ってきます!」
「え、ああ、無理すんな」
南街区に閉じ込められた住人のうち、小月達に協力的なのは半数ほどである。残りの半数は自宅の戸を閉め切って引きこもっている。餃子屋の二徹によれば、食べ物を隠し持っている家が多いらしい。災厄が過ぎ去るのをただ祈って待っているのだろう。もし疫病を広げている犯人が蚊だとしたら、隙間だらけの粗末な家では防ぐことは出来ない。
なんとか説得して、せめて虫除けの汁とぼうふら対策を講じたい。
「帰っておくれ。うちは協力する気はないから」
「はい、強制はできません。でもちょっとだけ戸を開けてもらえませんか。疫病封じに特効がある護符を配っています」
「……ちょっとだけだよ」
わずかに開いた戸の隙間から、小月は護符と共に除虫草の一束を差し入れる。
「この草の絞り汁を体にまとうと、てきめんの効果があるんです。有名な術師から伝授されました。あ、待ってください。ここが重要です。疫病は蚊の背中に乗ってやってくるんだそうです。だから……」
効果的な『まじない』の方法を一軒一軒教えて歩く。嘘をつくことは心苦しい。詐欺師になった気分だ。
0
あなたにおすすめの小説
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます
ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。
前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。
社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。
けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。
家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士――
五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。
遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。
異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。
女性希少世界で、自分の幸せを選べるようになるまでの逆ハーレム恋愛ファンタジー。
なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた
いに。
恋愛
"佐久良 麗"
これが私の名前。
名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。
両親は他界
好きなものも特にない
将来の夢なんてない
好きな人なんてもっといない
本当になにも持っていない。
0(れい)な人間。
これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」
「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」
えっと……?
なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう?
※ただ主人公が愛でられる物語です
※シリアスたまにあり
※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です
※ど素人作品です、温かい目で見てください
どうぞよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる