47 / 55
張左丞相
しおりを挟む
「食事が届きました。でももう時間がありませんね。あとにしましょうか?」
「行儀が悪いけど……お腹にたまるものを、お願い」
安梅に分けてもらった皿を見て、小月は涙ぐみそうになった。滋養のある食事など数日ぶりだ。卓に並べられたさまざまな料理。南街区に今すぐ持って行きたい。
だがそれは叶わない。ゆえに、しっかりと咀嚼した。美味しくて、今度は本当に泣けてきた。全て吸収しておのれの血肉にして、戦わなければならない。
「さあ、出来ました。鏡をご覧ください」
鏡の中には、煌びやかな小月が映っていた。安梅と韓桜はようやく安堵の息をつく。
「では今度は私達から伺います。今までどうやって過ごしていたんですか」
心配したんですよ、と言葉は続く。『不埒な男に誘拐されたか弱い小月』という発想は、最初から侍女の頭にはなかったようだ。
「心配をかけてごめんなさい、実は」
南街区に入り込んで李医師と一緒に病人を診ていたと答えると、二人は顔を曇らせた。
「小月様らしいですね。病のまっただ中にいて病を撥ね除けるとは、頑健ですわ」
「蓋をする、で思い出したけれど、蚊に刺されないように気をつけてね」
「蚊……?」
仮説だけど、と断りをいれたうえで、蚊媒介説を手短に説明した。
「おお! 小月様が美しい蝶になられた。陛下もお喜びくださるだろう。陛下はただいま 殿においでです。さあ、向かいましょうか」
呼びに来た黄太監が甲高い声をあげた。
小月は、彼の声を、初めて耳障りだと感じた。安梅と韓桜の笑顔も作りもののように見える。
「ふう」
大きく息を吐いた。緊張しているのだ。戦う相手はここにはいないのに。
黄太監に先導され、女官を引き連れて、小月は正悟殿に赴いた。
「今しばらく待て。評議中だ」
正悟殿の階の上から、後ろ手に組んだ張包が見下ろしている。
またこの男が行く手を遮るのか。小月は階を登りながら内心で吐息を漏らした。
「張包さん。李医師をいますぐ牢から出してください」
「なぜ」
「優秀な医者だからです。流行り病の治療のために彼がどれだけ尽力してきたのか、私はつぶさに見てきました。南街区の中では今も苦しんでいる人が大勢います。李医師を必要としている人がいるのよ」
「それは理解している。だが、黄太監から聞かされているはずでしょう。李高有一人が犠牲になれば丸く収まるのです」
「それで良いと思ってるの?」
「……私の意見はどうでもいいでしょう」張包は小月から目をそむけた。
ガツン。
「うお!」張包は臑を抱えて蹲った。
「小月様、お鎮まりください!」黄太監が色を変える。
「不作法でごめんなさい。わざとじゃないのよ」
押し退けて進もうと思ったら、張包の体躯がびくともしなかったのだ。足に絡まる長裙に苛立って跳ね上げたら偶発的に張包の臑を蹴ってしまったのだが、故意だと思われてもかまやしない、と小月は扉に手をかけた。だが扉は小月には重たすぎる。左右に控えていた衛士は瞠目して突っ立ったままだ。
「ちょっと手伝ってください」
「あ……いや……」
「評議が終わるまで中で待たせてちょうだい」
衛士は怯えた様子で、そろそろと扉を開いた。
秀英はどこだろう。正悟殿の政堂はがらんとしている。
耳を澄ますと、声が聞こえた。以前、張包と秀英が流行り病の対策を議論していた一室からだ。狭い控室だった記憶がある。
「小月様、お控えください」
追いかけて来た黄太監と侍女が小月の無礼を止めようとしたが、構わずに一直線に向かった。控室の入口は衛士が塞いでいる。
ちょうどその時、手前の房から蓋椀を三つ載せた盆を掲げて、宦官がしずしずと歩いてきた。
「陛下の喉を潤すためのお茶でしょうか」
「そうです」
「では、私が運びます」
小月は困惑する宦官の手から盆を奪った。衛士の顔が一瞬曇ったが、小月の後ろに黄太監を見つけて、しぶしぶ小月だけを通した。
「失礼いたします」
部屋は窮屈だった。あの夜も狭いと思っていたが、今日は秀英の他に壮年の男性二人、卓を挟んで座っているうえに、壁際には宦官と衛士が一人控えている。
窮屈に感じるのは人数ではなく、壮年男性の存在感のせいだと小月は悟った。
秀英はすぐに小月に気づいて目を見開いた。
茶を卓に置こうとしたが、卓の上は散らかっている。
秀英は立ち上がると「少し休憩にしよう」と言って、小月の盆から椀を取った。壮年の男性二人も順に椀をとって、蓋をずらして茶を飲み始めた。本当に喉が渇いていたようだ。
「む、お前か」
壮年の一人が小月をねめつけた。
小月は軽く頭を下げて、挨拶をした。頭の飾りが重くて、少しふらつく。床面すれすれの長い裙を踏みそうになった。
「陛下の趣向は変わっておられる」
壮年男性の一人は藩右丞相。片方の口端を歪めて笑った。
藩貴妃の宮で不快な出会いをしたことを、小月はよく覚えている。
もう一人は初めて見る顔だった。藩右丞相と同じくらいの年齢に見える。片方の眉を吊り上げて、
「藩右丞相から聞いていた、生意気な小娘とはお前か。……皇帝陛下が皇后に望んでいた明小月という娘だな。わしは張武光。張包の父だ」
小月はふらつきながら張左丞相に会釈をした。
藩右丞相とともに皇帝を支える左丞相だ。目つきの厳つさが張包にそっくりだった。
「行儀が悪いけど……お腹にたまるものを、お願い」
安梅に分けてもらった皿を見て、小月は涙ぐみそうになった。滋養のある食事など数日ぶりだ。卓に並べられたさまざまな料理。南街区に今すぐ持って行きたい。
だがそれは叶わない。ゆえに、しっかりと咀嚼した。美味しくて、今度は本当に泣けてきた。全て吸収しておのれの血肉にして、戦わなければならない。
「さあ、出来ました。鏡をご覧ください」
鏡の中には、煌びやかな小月が映っていた。安梅と韓桜はようやく安堵の息をつく。
「では今度は私達から伺います。今までどうやって過ごしていたんですか」
心配したんですよ、と言葉は続く。『不埒な男に誘拐されたか弱い小月』という発想は、最初から侍女の頭にはなかったようだ。
「心配をかけてごめんなさい、実は」
南街区に入り込んで李医師と一緒に病人を診ていたと答えると、二人は顔を曇らせた。
「小月様らしいですね。病のまっただ中にいて病を撥ね除けるとは、頑健ですわ」
「蓋をする、で思い出したけれど、蚊に刺されないように気をつけてね」
「蚊……?」
仮説だけど、と断りをいれたうえで、蚊媒介説を手短に説明した。
「おお! 小月様が美しい蝶になられた。陛下もお喜びくださるだろう。陛下はただいま 殿においでです。さあ、向かいましょうか」
呼びに来た黄太監が甲高い声をあげた。
小月は、彼の声を、初めて耳障りだと感じた。安梅と韓桜の笑顔も作りもののように見える。
「ふう」
大きく息を吐いた。緊張しているのだ。戦う相手はここにはいないのに。
黄太監に先導され、女官を引き連れて、小月は正悟殿に赴いた。
「今しばらく待て。評議中だ」
正悟殿の階の上から、後ろ手に組んだ張包が見下ろしている。
またこの男が行く手を遮るのか。小月は階を登りながら内心で吐息を漏らした。
「張包さん。李医師をいますぐ牢から出してください」
「なぜ」
「優秀な医者だからです。流行り病の治療のために彼がどれだけ尽力してきたのか、私はつぶさに見てきました。南街区の中では今も苦しんでいる人が大勢います。李医師を必要としている人がいるのよ」
「それは理解している。だが、黄太監から聞かされているはずでしょう。李高有一人が犠牲になれば丸く収まるのです」
「それで良いと思ってるの?」
「……私の意見はどうでもいいでしょう」張包は小月から目をそむけた。
ガツン。
「うお!」張包は臑を抱えて蹲った。
「小月様、お鎮まりください!」黄太監が色を変える。
「不作法でごめんなさい。わざとじゃないのよ」
押し退けて進もうと思ったら、張包の体躯がびくともしなかったのだ。足に絡まる長裙に苛立って跳ね上げたら偶発的に張包の臑を蹴ってしまったのだが、故意だと思われてもかまやしない、と小月は扉に手をかけた。だが扉は小月には重たすぎる。左右に控えていた衛士は瞠目して突っ立ったままだ。
「ちょっと手伝ってください」
「あ……いや……」
「評議が終わるまで中で待たせてちょうだい」
衛士は怯えた様子で、そろそろと扉を開いた。
秀英はどこだろう。正悟殿の政堂はがらんとしている。
耳を澄ますと、声が聞こえた。以前、張包と秀英が流行り病の対策を議論していた一室からだ。狭い控室だった記憶がある。
「小月様、お控えください」
追いかけて来た黄太監と侍女が小月の無礼を止めようとしたが、構わずに一直線に向かった。控室の入口は衛士が塞いでいる。
ちょうどその時、手前の房から蓋椀を三つ載せた盆を掲げて、宦官がしずしずと歩いてきた。
「陛下の喉を潤すためのお茶でしょうか」
「そうです」
「では、私が運びます」
小月は困惑する宦官の手から盆を奪った。衛士の顔が一瞬曇ったが、小月の後ろに黄太監を見つけて、しぶしぶ小月だけを通した。
「失礼いたします」
部屋は窮屈だった。あの夜も狭いと思っていたが、今日は秀英の他に壮年の男性二人、卓を挟んで座っているうえに、壁際には宦官と衛士が一人控えている。
窮屈に感じるのは人数ではなく、壮年男性の存在感のせいだと小月は悟った。
秀英はすぐに小月に気づいて目を見開いた。
茶を卓に置こうとしたが、卓の上は散らかっている。
秀英は立ち上がると「少し休憩にしよう」と言って、小月の盆から椀を取った。壮年の男性二人も順に椀をとって、蓋をずらして茶を飲み始めた。本当に喉が渇いていたようだ。
「む、お前か」
壮年の一人が小月をねめつけた。
小月は軽く頭を下げて、挨拶をした。頭の飾りが重くて、少しふらつく。床面すれすれの長い裙を踏みそうになった。
「陛下の趣向は変わっておられる」
壮年男性の一人は藩右丞相。片方の口端を歪めて笑った。
藩貴妃の宮で不快な出会いをしたことを、小月はよく覚えている。
もう一人は初めて見る顔だった。藩右丞相と同じくらいの年齢に見える。片方の眉を吊り上げて、
「藩右丞相から聞いていた、生意気な小娘とはお前か。……皇帝陛下が皇后に望んでいた明小月という娘だな。わしは張武光。張包の父だ」
小月はふらつきながら張左丞相に会釈をした。
藩右丞相とともに皇帝を支える左丞相だ。目つきの厳つさが張包にそっくりだった。
0
あなたにおすすめの小説
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます
ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。
前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。
社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。
けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。
家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士――
五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。
遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。
異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。
女性希少世界で、自分の幸せを選べるようになるまでの逆ハーレム恋愛ファンタジー。
なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた
いに。
恋愛
"佐久良 麗"
これが私の名前。
名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。
両親は他界
好きなものも特にない
将来の夢なんてない
好きな人なんてもっといない
本当になにも持っていない。
0(れい)な人間。
これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」
「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」
えっと……?
なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう?
※ただ主人公が愛でられる物語です
※シリアスたまにあり
※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です
※ど素人作品です、温かい目で見てください
どうぞよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる