後宮の虫籠で月は微睡む ~幼馴染みは皇帝陛下~

あかいかかぽ

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鈴鈴

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「胡貴妃はどう思われますの?」

「私はてっきり……小月殿は李医師と恋仲なのだと思ってました。苦境を共にすると深い絆で結ばれるというではありませんか。元より浅からぬ縁があったかもしれませんね」

 胡貴妃はなんと李医師を勧めてきた。秀英の眉間にみるみる皺が寄った。予期せぬ展開に小月は逃げを打った。

「月も雲間に隠れたようです。陛下と丞相は、明日は朝早くから儀式に臨まれますよね。そろそろお休みになられたほうがよろしいかと。さて、私も磨き終わったものを水瓶に入れてこようと思──」

「ただいま帰参いたしました」

 凜とした声が政堂に響く。大股で入ってきたのは禁軍の兵服を着た短髪の女性。切れ長の瞳が涼しげだ。

「禁軍総統、劉玉虫。陛下にご報告に上がりました。……何をしておいでなのですか。ははあ。鍍金を剥がしている。では私も加えてください」

 劉玉虫は床にどっかとあぐらをかいた。
 秀英は小月に目配せで合図を送った。これがさっき噂をしていた女傑だと。
 唐突な出現に、政堂の全員が注視する。だがとうの玉虫は気にする素振りもない。

「まずは報告せよ」

「はい。陛下が懸念されていた食糧の件ですが、国境付近で取引が増えていたのは彼の地では珍しい長雨があり不作が見込まれるためのようです。我が大毅国が弱さを見せなければ西国が攻め込んでくる余力は少なくとも今年いっぱいはないでしょう」

「ふむ。今年いっぱいはな」

「詳しい報告書は明日にでも提出いたします。ただ国境付近でも流行り病の噂は流れておりました。陛下に対する不敬な言説の流布も。戦を交える好機ととらえる輩もいたことでしょう。帰路の途上、遠目には、皇都が燃えているように見えて、私も焦りましたし」

 蚊を燻すための煙のことだろう。

「ご苦労だった。明日の警固に備え、劉統領は早めに休むように」

「陛下が磨いているのですから、私も磨きます」

「わかった。では、今夜はここまでだ。左丞相と右丞相も明日に備えよ。残った鍍金剥がしは宦官と女官にまかせよう」

 秀英は立ち上がりざま、小月に向き直った。

「祝い事は、やるべきことをやってからだな」

 秀英は小月の返答を待たずに退室し、藩右丞相と張左丞相も何か言いたげな表情のまま、あとに続いた。

「陛下の纏う気が柔和になった気がするな」玉虫は張包に向き直る。「ところで張包。私が留守の間、禁軍の統括、ご苦労だったな」

「……いえ、私の務めですから。髪を切られたのですか。なぜ」

「西国の商人に扮して情報収集をしていたのだ」

「まるで少年だな」

「張包はしばらく見ぬうちに老けたな」

「……むむ!」

 張包をやりこめた玉虫は小月に視線を転じて微笑んだ。

「そちらの女人が明小月殿か。同性が抜擢されたことは喜ばしいことだ。必ず結果を残してくれ。よろしく頼む」

 身に余るというより、はるかに重い期待だ。胃のあたりが少し痛むが、それさえも今は心地よい。金属を磨く手に力を込めた。
 型通りにぎこちない挨拶を終えた小月が最後に質問をすると、玉虫は相好を崩した。

「張包と上手くやるコツねえ。小月殿はきっと私と似ている。張包は型破りな人間に慣れていないのだ。頭が固すぎる。どう接していいのかわからなくて、内心、困っている。そうだろう、張包」

「そんなことは……」張包の反発は後が続かず、不発となった。

「もっと困らせてやればいい。張包だけではない。丞相らも陛下も。世の男どもは、どうにも女を小さなか弱き者にしておきたいようだからな」

 玉虫は右の拳を握って左の掌に打ちつけた。その姿を人気役者に憧れる少女のように、胡貴妃と藩貴妃がうっとりと眺めていた。


 立つ場所が違えば見えてくる風景も違ってくる。小月は宮城の望見台から夜闇に沈む皇都を眺めおろしていた。官吏の家、貴族の屋敷、寺院や廟、庶民の住む街区、その外側には田畑や牧草地、さらにずっと先に小月が生まれ育った村がある。

 この望見台で、秀英と手を取り合ってから、まだひと月足らず。あの時に見た風景と、今、小月の目に映る風景は異なっていた。秀英が見ている風景とは果たしてどれだけ重なっているだろうか。


 護摩祈願は盛大に行われた。儀式に参加する皇帝や高位高官をよそに、小月は町に出て巡察に回った。供は張包だ。南街区にも寄った。対策の効果がいち早く現れた南街区は活気を取り戻していて、李医師と小月が抜けた穴を、皆が協力し合うことで見事に埋めていた。特命長官として再会した小月を歓迎してくれた彼らはみな顔や手足に泥を塗っていた。張包と小月の顔にも泥はついている。除虫草の代わりである。なりふりかまってなどいられない。皇都は戦場だった。

 三日三晩の祈願が終わった。その翌日に宮廷に荷馬車が急着した。皇帝の命令により、馬を交換しながら昼夜走らせてきたという。荷台から人影が飛び降りて小月に走り寄る。

「お姉ちゃん!」

 妹の鈴鈴だった。遠く離れた田舎にいるはずなのに。

「どうして?」

「秀英兄……じゃなくて陛下から県吏に勅命があって、草を持って来いって」

 荷台には大量の除虫草が積まれていた。地面ごと切り取ってきたのか鮮度が良く艶々としている。すぐに鈴鈴と小月は政堂に呼び出された。

「ご苦労だったな、鈴鈴」

 秀英は遠路はるばるやってきた鈴鈴を見て目を細めた。
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