54 / 55
鈴鈴
しおりを挟む
「胡貴妃はどう思われますの?」
「私はてっきり……小月殿は李医師と恋仲なのだと思ってました。苦境を共にすると深い絆で結ばれるというではありませんか。元より浅からぬ縁があったかもしれませんね」
胡貴妃はなんと李医師を勧めてきた。秀英の眉間にみるみる皺が寄った。予期せぬ展開に小月は逃げを打った。
「月も雲間に隠れたようです。陛下と丞相は、明日は朝早くから儀式に臨まれますよね。そろそろお休みになられたほうがよろしいかと。さて、私も磨き終わったものを水瓶に入れてこようと思──」
「ただいま帰参いたしました」
凜とした声が政堂に響く。大股で入ってきたのは禁軍の兵服を着た短髪の女性。切れ長の瞳が涼しげだ。
「禁軍総統、劉玉虫。陛下にご報告に上がりました。……何をしておいでなのですか。ははあ。鍍金を剥がしている。では私も加えてください」
劉玉虫は床にどっかとあぐらをかいた。
秀英は小月に目配せで合図を送った。これがさっき噂をしていた女傑だと。
唐突な出現に、政堂の全員が注視する。だがとうの玉虫は気にする素振りもない。
「まずは報告せよ」
「はい。陛下が懸念されていた食糧の件ですが、国境付近で取引が増えていたのは彼の地では珍しい長雨があり不作が見込まれるためのようです。我が大毅国が弱さを見せなければ西国が攻め込んでくる余力は少なくとも今年いっぱいはないでしょう」
「ふむ。今年いっぱいはな」
「詳しい報告書は明日にでも提出いたします。ただ国境付近でも流行り病の噂は流れておりました。陛下に対する不敬な言説の流布も。戦を交える好機ととらえる輩もいたことでしょう。帰路の途上、遠目には、皇都が燃えているように見えて、私も焦りましたし」
蚊を燻すための煙のことだろう。
「ご苦労だった。明日の警固に備え、劉統領は早めに休むように」
「陛下が磨いているのですから、私も磨きます」
「わかった。では、今夜はここまでだ。左丞相と右丞相も明日に備えよ。残った鍍金剥がしは宦官と女官にまかせよう」
秀英は立ち上がりざま、小月に向き直った。
「祝い事は、やるべきことをやってからだな」
秀英は小月の返答を待たずに退室し、藩右丞相と張左丞相も何か言いたげな表情のまま、あとに続いた。
「陛下の纏う気が柔和になった気がするな」玉虫は張包に向き直る。「ところで張包。私が留守の間、禁軍の統括、ご苦労だったな」
「……いえ、私の務めですから。髪を切られたのですか。なぜ」
「西国の商人に扮して情報収集をしていたのだ」
「まるで少年だな」
「張包はしばらく見ぬうちに老けたな」
「……むむ!」
張包をやりこめた玉虫は小月に視線を転じて微笑んだ。
「そちらの女人が明小月殿か。同性が抜擢されたことは喜ばしいことだ。必ず結果を残してくれ。よろしく頼む」
身に余るというより、はるかに重い期待だ。胃のあたりが少し痛むが、それさえも今は心地よい。金属を磨く手に力を込めた。
型通りにぎこちない挨拶を終えた小月が最後に質問をすると、玉虫は相好を崩した。
「張包と上手くやるコツねえ。小月殿はきっと私と似ている。張包は型破りな人間に慣れていないのだ。頭が固すぎる。どう接していいのかわからなくて、内心、困っている。そうだろう、張包」
「そんなことは……」張包の反発は後が続かず、不発となった。
「もっと困らせてやればいい。張包だけではない。丞相らも陛下も。世の男どもは、どうにも女を小さなか弱き者にしておきたいようだからな」
玉虫は右の拳を握って左の掌に打ちつけた。その姿を人気役者に憧れる少女のように、胡貴妃と藩貴妃がうっとりと眺めていた。
立つ場所が違えば見えてくる風景も違ってくる。小月は宮城の望見台から夜闇に沈む皇都を眺めおろしていた。官吏の家、貴族の屋敷、寺院や廟、庶民の住む街区、その外側には田畑や牧草地、さらにずっと先に小月が生まれ育った村がある。
この望見台で、秀英と手を取り合ってから、まだひと月足らず。あの時に見た風景と、今、小月の目に映る風景は異なっていた。秀英が見ている風景とは果たしてどれだけ重なっているだろうか。
護摩祈願は盛大に行われた。儀式に参加する皇帝や高位高官をよそに、小月は町に出て巡察に回った。供は張包だ。南街区にも寄った。対策の効果がいち早く現れた南街区は活気を取り戻していて、李医師と小月が抜けた穴を、皆が協力し合うことで見事に埋めていた。特命長官として再会した小月を歓迎してくれた彼らはみな顔や手足に泥を塗っていた。張包と小月の顔にも泥はついている。除虫草の代わりである。なりふりかまってなどいられない。皇都は戦場だった。
三日三晩の祈願が終わった。その翌日に宮廷に荷馬車が急着した。皇帝の命令により、馬を交換しながら昼夜走らせてきたという。荷台から人影が飛び降りて小月に走り寄る。
「お姉ちゃん!」
妹の鈴鈴だった。遠く離れた田舎にいるはずなのに。
「どうして?」
「秀英兄……じゃなくて陛下から県吏に勅命があって、草を持って来いって」
荷台には大量の除虫草が積まれていた。地面ごと切り取ってきたのか鮮度が良く艶々としている。すぐに鈴鈴と小月は政堂に呼び出された。
「ご苦労だったな、鈴鈴」
秀英は遠路はるばるやってきた鈴鈴を見て目を細めた。
「私はてっきり……小月殿は李医師と恋仲なのだと思ってました。苦境を共にすると深い絆で結ばれるというではありませんか。元より浅からぬ縁があったかもしれませんね」
胡貴妃はなんと李医師を勧めてきた。秀英の眉間にみるみる皺が寄った。予期せぬ展開に小月は逃げを打った。
「月も雲間に隠れたようです。陛下と丞相は、明日は朝早くから儀式に臨まれますよね。そろそろお休みになられたほうがよろしいかと。さて、私も磨き終わったものを水瓶に入れてこようと思──」
「ただいま帰参いたしました」
凜とした声が政堂に響く。大股で入ってきたのは禁軍の兵服を着た短髪の女性。切れ長の瞳が涼しげだ。
「禁軍総統、劉玉虫。陛下にご報告に上がりました。……何をしておいでなのですか。ははあ。鍍金を剥がしている。では私も加えてください」
劉玉虫は床にどっかとあぐらをかいた。
秀英は小月に目配せで合図を送った。これがさっき噂をしていた女傑だと。
唐突な出現に、政堂の全員が注視する。だがとうの玉虫は気にする素振りもない。
「まずは報告せよ」
「はい。陛下が懸念されていた食糧の件ですが、国境付近で取引が増えていたのは彼の地では珍しい長雨があり不作が見込まれるためのようです。我が大毅国が弱さを見せなければ西国が攻め込んでくる余力は少なくとも今年いっぱいはないでしょう」
「ふむ。今年いっぱいはな」
「詳しい報告書は明日にでも提出いたします。ただ国境付近でも流行り病の噂は流れておりました。陛下に対する不敬な言説の流布も。戦を交える好機ととらえる輩もいたことでしょう。帰路の途上、遠目には、皇都が燃えているように見えて、私も焦りましたし」
蚊を燻すための煙のことだろう。
「ご苦労だった。明日の警固に備え、劉統領は早めに休むように」
「陛下が磨いているのですから、私も磨きます」
「わかった。では、今夜はここまでだ。左丞相と右丞相も明日に備えよ。残った鍍金剥がしは宦官と女官にまかせよう」
秀英は立ち上がりざま、小月に向き直った。
「祝い事は、やるべきことをやってからだな」
秀英は小月の返答を待たずに退室し、藩右丞相と張左丞相も何か言いたげな表情のまま、あとに続いた。
「陛下の纏う気が柔和になった気がするな」玉虫は張包に向き直る。「ところで張包。私が留守の間、禁軍の統括、ご苦労だったな」
「……いえ、私の務めですから。髪を切られたのですか。なぜ」
「西国の商人に扮して情報収集をしていたのだ」
「まるで少年だな」
「張包はしばらく見ぬうちに老けたな」
「……むむ!」
張包をやりこめた玉虫は小月に視線を転じて微笑んだ。
「そちらの女人が明小月殿か。同性が抜擢されたことは喜ばしいことだ。必ず結果を残してくれ。よろしく頼む」
身に余るというより、はるかに重い期待だ。胃のあたりが少し痛むが、それさえも今は心地よい。金属を磨く手に力を込めた。
型通りにぎこちない挨拶を終えた小月が最後に質問をすると、玉虫は相好を崩した。
「張包と上手くやるコツねえ。小月殿はきっと私と似ている。張包は型破りな人間に慣れていないのだ。頭が固すぎる。どう接していいのかわからなくて、内心、困っている。そうだろう、張包」
「そんなことは……」張包の反発は後が続かず、不発となった。
「もっと困らせてやればいい。張包だけではない。丞相らも陛下も。世の男どもは、どうにも女を小さなか弱き者にしておきたいようだからな」
玉虫は右の拳を握って左の掌に打ちつけた。その姿を人気役者に憧れる少女のように、胡貴妃と藩貴妃がうっとりと眺めていた。
立つ場所が違えば見えてくる風景も違ってくる。小月は宮城の望見台から夜闇に沈む皇都を眺めおろしていた。官吏の家、貴族の屋敷、寺院や廟、庶民の住む街区、その外側には田畑や牧草地、さらにずっと先に小月が生まれ育った村がある。
この望見台で、秀英と手を取り合ってから、まだひと月足らず。あの時に見た風景と、今、小月の目に映る風景は異なっていた。秀英が見ている風景とは果たしてどれだけ重なっているだろうか。
護摩祈願は盛大に行われた。儀式に参加する皇帝や高位高官をよそに、小月は町に出て巡察に回った。供は張包だ。南街区にも寄った。対策の効果がいち早く現れた南街区は活気を取り戻していて、李医師と小月が抜けた穴を、皆が協力し合うことで見事に埋めていた。特命長官として再会した小月を歓迎してくれた彼らはみな顔や手足に泥を塗っていた。張包と小月の顔にも泥はついている。除虫草の代わりである。なりふりかまってなどいられない。皇都は戦場だった。
三日三晩の祈願が終わった。その翌日に宮廷に荷馬車が急着した。皇帝の命令により、馬を交換しながら昼夜走らせてきたという。荷台から人影が飛び降りて小月に走り寄る。
「お姉ちゃん!」
妹の鈴鈴だった。遠く離れた田舎にいるはずなのに。
「どうして?」
「秀英兄……じゃなくて陛下から県吏に勅命があって、草を持って来いって」
荷台には大量の除虫草が積まれていた。地面ごと切り取ってきたのか鮮度が良く艶々としている。すぐに鈴鈴と小月は政堂に呼び出された。
「ご苦労だったな、鈴鈴」
秀英は遠路はるばるやってきた鈴鈴を見て目を細めた。
0
あなたにおすすめの小説
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます
ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。
前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。
社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。
けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。
家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士――
五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。
遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。
異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。
女性希少世界で、自分の幸せを選べるようになるまでの逆ハーレム恋愛ファンタジー。
なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた
いに。
恋愛
"佐久良 麗"
これが私の名前。
名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。
両親は他界
好きなものも特にない
将来の夢なんてない
好きな人なんてもっといない
本当になにも持っていない。
0(れい)な人間。
これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」
「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」
えっと……?
なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう?
※ただ主人公が愛でられる物語です
※シリアスたまにあり
※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です
※ど素人作品です、温かい目で見てください
どうぞよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる