欠落の探偵とまつろわぬ助手

あかいかかぽ

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「フルネームは必須だな、宣伝だし」

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 ぱちりと目が開いた。眠れない。神経が興奮しているのか、まったく眠くならない。明日は仕事だ。睡眠不足で車の運転をするのはまずいのに。
 スマホを手繰り寄せる。なにか難しい文章を見れば脳が拒否して眠くなるかもしれない。ツイッターが目に入り、何気なく『丹野令士』を検索する。

 何度見ても腹が立つプロフィールだ。
 丹野の能力や優秀さがまったく伝わってこない。怪しいダミーアカウントのようにそっけない。これを見て雇いたいと思う物好きがいるだろうか。なんとも、もどかしい気持ちになる。
 自身がツイートした丹野アゲの呟きはフォロワーからはスルーされている。それも当然だろう。
 丹野サゲの新しいツイートが目につく。例のアカウントだ。悪徳探偵・丹野令士を糾弾する会代表。

『丹野は自分を名探偵だとうそぶく誇大妄想狂だ』『やつはクライアントにセクハラをするから絶対に近づいてはいけない』

「ああ、くっそ……!!」

 猛烈に腹が立ってきた。リプしてみようか、なんで嘘をつくのかと。

『丹野令士って探偵は世の中に何人かいるのかな。ぼくの知ってる丹野令士はすごく優秀だけど?』

 そこまで書いて、消した。
 誹謗中傷。営業妨害。このアカウントは間違いなく丹野を攻撃する意図を持っている。だが丹野を誹謗しようと賞賛しようと、本当に助けを求めている依頼者予備軍に上手く伝わるとは思えない。ツイッターはしょせんは言いたい放題のツールだ。毀誉褒貶はもとよりデマはつきものだ。
 140字では足りない。請け負った事件を、彼がどのように華麗に解決に導いたか、具体的かつ詳細に、かつ読み物として面白く仕立てたら宣伝になるのではないか。

 ブログを書いてみようか。
 依頼者の身バレ防止のためにフェイクを入れる必要があるな。探偵には守秘義務もあるだろう。フィクションに仕上げてもいい。実在の名探偵をモデルにしましたって一文を添える。
 そうすれば丹野令士に依頼してみようという人が増えるかもしれない。三か月で目標金額をクリアできる可能性が高まる。ぼくは詐欺師にならなくてすむ。

「タイトルは『丹野令士の事件簿』ってとこか。フルネームは必須だな、宣伝だし。今日の盗難事件の場合、出だしは、うーん……ハードボイルドタッチにするか、いっそフィクションにして、仮の助手が記録した体にして、助手は、巨乳の女の子、にするかなあ……すやあ」


 構想に酔ったまま野田は睡魔に捕らわれていった。


 野田は夢を見た。夢の中で事件を解決する名探偵は、彼自身だった。

 交通の途絶えた雪山の豪邸で密室殺人事件が起こり、登場人物全員が食堂に勢ぞろいして、名探偵の謎解きを待っている。静かな雪の晩、暖炉の薪が爆ぜる音しか聞こえない。固唾を飲んで、ぼくが語りだすのをみなが待っている。ぼくは全員の顔をゆっくりと見渡してみるが、なぜかモザイクに隠されてぼんやりとしか顔が見えない。イメージがあやふやだがかまわない。こほんと咳をする。セリフは決まっている。

「犯人はこの中にいます」
 
 ざわめきが波紋のように広がる。ぼくの指は座の中心人物をピタリとさす。「あなたです」モザイク顔が歪む。「あなたの手首にあるタトゥと無くしたカフスボタンが証拠です」なんかそれっぽい。明快な論旨と鮮やかな手腕で犯人を指摘できたら、最高に気持ちがいいだろうな。

「でしゃばるな、助手」食堂の扉が開いて大柄な女が現れた。全員が気圧される。「きみはただの助手だ。探偵はおれだ」

 女装した丹野だ。思わず後ずさりながら、ぼくは反論を試みる。

「ぼくはきみの助手じゃない」

「ああ、そうだ、助手ではない」丹野は真っ赤な唇で言い放った。「犯人はきみだ、野田透和。きみは助手ではなく、犯人だ!」

「うわ」

 悪夢にうなされ、跳ね起きると、すでに朝の6時だった。いつもより早いが二度寝する時間はない。
 まだ寝ているようすの丹野には声をかけず、出勤の準備をして、そっとマンションを出る。あとでメールでも送っておけば大丈夫だろう。念のためスペアキーをテーブルの上に置いておく。

 頭を振って悪夢の残滓を払い落す。
 どうせ寝不足になるなら、もっとかっこいい夢が見たかった。

「いや、かっこよくなくてもいい」

 明快な論旨や鮮やかな手腕や華麗なアクションがなくても、顧客に満足してもらえれば探偵としては充分報われるはずだ。

「アクセサリー盗難事件だって、丹野にとっては痴話げんかで終結したつまらない事件だったとしても、よく考えれば、肝心の依頼人は、丹野の暴いた真相に満足していたんじゃないかな……?」

 電車に揺られながら、野田は一駅分じっくりと考えた末にこくんと頷いた。
 依頼人のオーナーは満足げだった。なぜ満足げだったのか。従業員が悪意で窃盗したのではないとわかったからだ。悪意どころか正反対の感情に起因していた。それがわかったから、最後は満面の笑みで感謝の言葉とダーツセットをくれたのだ。
 だが依頼主が何に満足するかは、丹野にとってはどうでもいいのだ。彼はただ謎を解くだけ。顧客の満足と丹野の満足が一致すればいいのに、と野田はあくびをかみ殺しながら思った。
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