32 / 45
「警察にマークされてるんだってね」
しおりを挟む
運転が荒れないようにゆったりとハンドルを握る。顔はあくまで笑顔。心の中だけで 違うだろー!と叫ぶ。
能力には個人差がある。それは了解している。出来ない人に「やれ」というのはおかしいと思う。でも下村先輩は、出来ないふりをして、さぼっている。歩合はいらないよ、と謙虚なふりして、遊んでいる。配達区域を越境して猫の写真を撮りまくっている。
おまけに「それにね、早きゃいいってもんじゃない。丁寧な仕事、これが一番大事」と先輩面を振りかざす。
休憩のために一度営業所に戻り、コンビニ弁当を腹に詰める。これさえも機械的な作業の一部に感じる。味わう余裕がない。時計を見るとすでに午後の配達指定時間に差し掛かっている。疲れる。みんなが下村先輩と組みたくないという意味がよくわかった。
下村は満面の笑みを野田に向け、無邪気に問いかけた。
「なあ、野田ってさあ、警察にマークされてるんだってね」
唐揚げが野田の箸から転がりおちた。
「た、たまたま被害者の方と面識があったというだけですよ。マークされてなんていません」
先輩はスマホを弄りながらダルそうに相槌を打つ。
「ふうん、そお? 今日はドキドキだよ。もしかしたら隣にいるのが犯人かも、なんてさ。アタシも廃工場に捨てられたらどうしようって」
「じょうだんキツイですよぅ」
無神経なセリフを口にしているわりには、興味のなさそうな下村の態度。その視線は手元のスマホの中、猫画像に釘付けになっている。反論するのはやめた。きわどい冗談をあえて口にして、後輩と打ち解けようとしているのかもしれない。いいほうに極振りして考えたならば、だが。
「でも、あそこ、猫いっぱいいるから、ご希望なら捨ててあげますよ」
「おお、こわ。でも、ほんとあそこは癒されるよねえ」
「ほんとはいつも素通りですからよくわかんないんですよね。その写真は、先輩が撮ったんですか?」
下村のスマホを覗く。猫の接写画像、背景には廃工場がピンぼけで写っている。
「うん、こういうの、集めるのが好きでね。野田はサバトラ派? ミケ派?」
「ええっと……。配達中に写真撮ってるってほんとですか」
「うん、まあ、ヒマなときだけね」
「廃工場の写真ってことは、下村先輩は以前、拓真町を担当してたときがあったんですか。今は主に真池町回ってますもんね」
野田が拓真町を担当しているのはここ3年間ほど。それ以前に下村先輩が担当していたのだとしたら納得がいく。
今現在、下村が担当している真池町は車で片道15分ほど離れている。少し距離があるのだ。
「ああこれ、さっき撮った写真」
「さっき? ……まさか、第一倉庫に納品したとき『トイレに行ってくる』といってなかなか帰ってこなかったのは……嘘でしょ」
「嘘なんか言わないよう。配達で疲れたときにエネルギーもらいによく行ってるんだよ。今日はとくにクタクタでね。あそこはいいんだわ。パラダイスよ」
「……よく、行ってる?」
「そうそう。猫からしか得られない栄養があるんだよね。ストレスがたまったら野田だって解消するでしょ。風俗で抜いたりとかさ、がっはは」
「いや、風俗は行きませんけど」
「えー若いのに。今度一緒に行こうよ。親睦を深めに。後輩のきみに奢らせてあげるからさあ」
先輩はバンバンと肩を叩いた。冗談のつもりか、脱臼しそうな勢いで。そんなに力が余っているなら、午後はとことん走らせてやるからな、と心に誓う。
「ここからはまじな話。あそこらへんで車両とめたときは気をつけてね。エンジンをかける前に必ず猫バンバンしてね。絶対だよ」
「猫バンバン……」
猫バンバンとは──自動車のエンジンルームなどに入り込んだ猫を、エンジンを動かす前にボンネットを叩いて驚かし、外に逃がす行為である。ほどよく温まったボンネットの中は猫にとっては居心地がよいらしく、また、狭いところを好む性質から、こっそり忍び込んでしまうことがある。今や運転するものの常識と言っていい。
「ボンネットだけじゃなくてね、タイヤとボディの隙間とかリアサスペンションも気をつけないと。音におびえて出てこない子猫もいるから、叩くだけじゃなくて、視認も必要だよ。猫ちゃんの命を救うために、やんなきゃダメだよ」
「は、はい」
「アタシは正義感が強くてね、お客さんとか通行人とかにもよく注意しちゃう。でもさあ、なかにはブチ切れる人もいるんだ。パラダイスの近くは猫バンバン強化地帯だから重点的に声かけするんだけど、注意を無視する人いるんだよね。だからアタシが代わりにバンバンしてやったことあってさ。怒鳴られたことあるよ」
「他人の車を勝手にバンバンしたら、そりゃ怒鳴られるでしょうね」
先輩の仕事はなんでしたっけ、と問いたい気持ちをぐっと抑え込む。
猫を愛する熱量はたいしたものだ。呆れたことに、ぼくは感銘を受けていた。ここまで自分を信じて突っ走れるなんて、ちょっと羨ましいと思える。
「ところで、これ、指定無視されて不在だったよ」下村はひとつのダンボールを持ち戻りのパレットにぽいっと放った。
能力には個人差がある。それは了解している。出来ない人に「やれ」というのはおかしいと思う。でも下村先輩は、出来ないふりをして、さぼっている。歩合はいらないよ、と謙虚なふりして、遊んでいる。配達区域を越境して猫の写真を撮りまくっている。
おまけに「それにね、早きゃいいってもんじゃない。丁寧な仕事、これが一番大事」と先輩面を振りかざす。
休憩のために一度営業所に戻り、コンビニ弁当を腹に詰める。これさえも機械的な作業の一部に感じる。味わう余裕がない。時計を見るとすでに午後の配達指定時間に差し掛かっている。疲れる。みんなが下村先輩と組みたくないという意味がよくわかった。
下村は満面の笑みを野田に向け、無邪気に問いかけた。
「なあ、野田ってさあ、警察にマークされてるんだってね」
唐揚げが野田の箸から転がりおちた。
「た、たまたま被害者の方と面識があったというだけですよ。マークされてなんていません」
先輩はスマホを弄りながらダルそうに相槌を打つ。
「ふうん、そお? 今日はドキドキだよ。もしかしたら隣にいるのが犯人かも、なんてさ。アタシも廃工場に捨てられたらどうしようって」
「じょうだんキツイですよぅ」
無神経なセリフを口にしているわりには、興味のなさそうな下村の態度。その視線は手元のスマホの中、猫画像に釘付けになっている。反論するのはやめた。きわどい冗談をあえて口にして、後輩と打ち解けようとしているのかもしれない。いいほうに極振りして考えたならば、だが。
「でも、あそこ、猫いっぱいいるから、ご希望なら捨ててあげますよ」
「おお、こわ。でも、ほんとあそこは癒されるよねえ」
「ほんとはいつも素通りですからよくわかんないんですよね。その写真は、先輩が撮ったんですか?」
下村のスマホを覗く。猫の接写画像、背景には廃工場がピンぼけで写っている。
「うん、こういうの、集めるのが好きでね。野田はサバトラ派? ミケ派?」
「ええっと……。配達中に写真撮ってるってほんとですか」
「うん、まあ、ヒマなときだけね」
「廃工場の写真ってことは、下村先輩は以前、拓真町を担当してたときがあったんですか。今は主に真池町回ってますもんね」
野田が拓真町を担当しているのはここ3年間ほど。それ以前に下村先輩が担当していたのだとしたら納得がいく。
今現在、下村が担当している真池町は車で片道15分ほど離れている。少し距離があるのだ。
「ああこれ、さっき撮った写真」
「さっき? ……まさか、第一倉庫に納品したとき『トイレに行ってくる』といってなかなか帰ってこなかったのは……嘘でしょ」
「嘘なんか言わないよう。配達で疲れたときにエネルギーもらいによく行ってるんだよ。今日はとくにクタクタでね。あそこはいいんだわ。パラダイスよ」
「……よく、行ってる?」
「そうそう。猫からしか得られない栄養があるんだよね。ストレスがたまったら野田だって解消するでしょ。風俗で抜いたりとかさ、がっはは」
「いや、風俗は行きませんけど」
「えー若いのに。今度一緒に行こうよ。親睦を深めに。後輩のきみに奢らせてあげるからさあ」
先輩はバンバンと肩を叩いた。冗談のつもりか、脱臼しそうな勢いで。そんなに力が余っているなら、午後はとことん走らせてやるからな、と心に誓う。
「ここからはまじな話。あそこらへんで車両とめたときは気をつけてね。エンジンをかける前に必ず猫バンバンしてね。絶対だよ」
「猫バンバン……」
猫バンバンとは──自動車のエンジンルームなどに入り込んだ猫を、エンジンを動かす前にボンネットを叩いて驚かし、外に逃がす行為である。ほどよく温まったボンネットの中は猫にとっては居心地がよいらしく、また、狭いところを好む性質から、こっそり忍び込んでしまうことがある。今や運転するものの常識と言っていい。
「ボンネットだけじゃなくてね、タイヤとボディの隙間とかリアサスペンションも気をつけないと。音におびえて出てこない子猫もいるから、叩くだけじゃなくて、視認も必要だよ。猫ちゃんの命を救うために、やんなきゃダメだよ」
「は、はい」
「アタシは正義感が強くてね、お客さんとか通行人とかにもよく注意しちゃう。でもさあ、なかにはブチ切れる人もいるんだ。パラダイスの近くは猫バンバン強化地帯だから重点的に声かけするんだけど、注意を無視する人いるんだよね。だからアタシが代わりにバンバンしてやったことあってさ。怒鳴られたことあるよ」
「他人の車を勝手にバンバンしたら、そりゃ怒鳴られるでしょうね」
先輩の仕事はなんでしたっけ、と問いたい気持ちをぐっと抑え込む。
猫を愛する熱量はたいしたものだ。呆れたことに、ぼくは感銘を受けていた。ここまで自分を信じて突っ走れるなんて、ちょっと羨ましいと思える。
「ところで、これ、指定無視されて不在だったよ」下村はひとつのダンボールを持ち戻りのパレットにぽいっと放った。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜
南 鈴紀
キャラ文芸
妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。
しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。
掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。
五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。
妖×家族の心温まる和風ファンタジー。
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる