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「おれを乗せろ!」
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「野田が犯人ですかって訊いたんだよ。そしたら否定しなかった。まだ捜査中ですって言ってたけど目の奥がぎらって光ったんでピンときたよ。なんでも、探偵がきみのことを不審に思ってるけど警察は慎重に丹念に捜査してるから、まだ黙っててくださいってさ。あ、言っちゃった。てへへ。探偵ってさっきの人だろ」
「……まさか」
「危ない!」
ぼくは慌てて急ブレーキをかけた。ギリギリのところで飛び出してきた自転車を避ける。野球帽を被った自転車の少年は、会釈をして横切っていった。
「ふう……」
「反応速度遅くない? 今日はアタシが運転しようか。その代わり、野田くんは走ってね」
「…………はい」
打ちのめされた気分で、ぼくは先輩にハンドルを譲った。ストーカーとぼくのスマホ、刑事のセリフ、丹野が何を考えているのか、頭の中でぐるぐると渦を巻いている。気になりすぎて眩暈がした。寝不足もあって足がもつれる。
営業所に戻って遅めの昼食をとった。日比野の姿は見えず、ぼくのスマホを囮にした作戦が上手くいったのかはわからない。丹野に電話しようかと思ったが電話番号はスマホの連絡帳を開かないとわからない。荒川からも連絡はない。
果報は寝て待て。昼飯でエネルギーを補給して休憩室のテーブルに突っ伏した。5分間でいい、睡眠を取ろう。
「ねえ、野田くん。このコ、可愛いでしょ」
ゆさゆさと肩を揺すられる。渋々、顔を上げたところに猫のアップが迫った。
「また猫の画像コレクションですか。……可愛いですけど。猫の魅力ってなんですか?」
「語るとしたら休憩時間だけじゃ足りないよ。ねえ、見てこのコは目つきがいいんだよ。ふてくされてる感じが」
「あー、なんとなくわかりますけど」お願い寝かせて。
「こっちはお腹出して無防備に寝てるでしょ。で、こっちはシャーって叫んでるとこ。うふふ」
「思いっきり警戒されてるじゃないですか」
猫の話をしているときの下村先輩は楽しそうだ。
純粋な猫好き。純粋さはずるい。どうしても、憎めない。
下村のスマホを横目で流し見ながら、しばらくつきあうことにした。
「ほら見てみて」
「このハチワレいい面構えですねえ」
「でしょう。野良だけど毛艶もいいのよう」
「ん?」
ハチワレのすぐ後ろにシルバーグレーのセダンがぼんやりと写っていた。
「あれ、この車どこかで……。気のせいかな」
シルバーグレーのセダンなんて世の中にはたくさん存在する。ぼくが配達担当している地域だけでも一日に数台は見ている。だから見覚えがあるのは当然といえば当然。
「ああ、その車ね」
下村が大きな溜息をつく。いわくがありそうだ。
「猫バンバンしてってお願いしたら、うるせえってどなり返してきやがったんだよ、オヤジが。オヤジって言っても、ま、おそらく、アタシのが年上だけどね、ははは。しかも猫を追い払うとき、しっしって、イヤそうな顔してさ。あれは悪人だね、きっと」
「ああ、昨日言っていた、『ブチきれた人』ですか」
下村は他人の車を勝手に猫バンバンして、ブチ切れられた話をしはじめた。後輩として耳を傾けなければならないのが辛い。
「アタシにもしっしって言いやがってさ。いささかむかついちゃったんだよね。あそこら辺は野良が多いから、油断してると猫ちゃんが悲惨なことになっちゃうからさ。建物の角に隠れて見張ってたんだ。猫ちゃんが潜り込まないように」
「まさか仕事中じゃないですよね」
「仕事のストレス発散だから仕事中に決まってるじゃん。それはもう先々週のことかなあ。昨日じゃないよ、やだなあ、だから、そんな怖い顔しないでよ。でさ、オヤジはどっか行っちゃたからさ。ちょうどそんとき、マジック持ってたんで、描いちゃったんだ。猫の絵」
「え? どこに?」
「ボンネット開けてね。裏側に」
「人の車、勝手に開けたんですか?」
「猫がいないのを確かめたかったもん」
「他人の所有物に悪戯書きしたんですか。器物損壊ですよ」
「はっは。大袈裟に言うなって。20分くらいでオヤジが戻ってきたから、見つからないようにすぐ逃げたけどね。アタシ、逃げ足は早いのよ。悪戯書きされたなんて気づいちゃいないよオヤジは。ざまあみろ」
人生の先輩が紡ぐありがたい金言は含蓄がありすぎて、睡眠不足の思考能力は完全に奪われた。
「先輩、ちょっとお願いがあるんですが」ぼくは荒川の担当区域を回ってほしいと頼んだ。ダミー伝票の住所付近に丹野がいるに違いない。
「いいけど、サボるのはよくないよ」
「そうですよねー、さぼるのはよくないですよねー」そのとき、視界の隅の汚いコート姿の男に目が吸い寄せられた。「あ、停めて、車停めてください!」下村先輩の足の上からブレーキを踏んだ。
丹野だ。視線が合うや、ぼくのいる助手席に駆け寄り、ドアを叩く。
「いいところに来たな! ストーカーが逃げた! この車で奴を追いかけて、体当たりしてくれ!」
「できるか!」
「うひゃ、面白いね~」と目を輝かせる下村。
前方を見ると、上下スウェットの男が走り去っていく。あれがストーカーか。
「おれを乗せろ!」
丹野は助手席に頭をぐいぐい突っ込んでくる。ただでさえ狭い助手席が男二人でぎちぎちだ。「無理無理、無理だって」ドアは半開きのままだ。
危険など考慮しない下村は、そのままアクセルを踏んだ。「いくよー」
みるみる距離が縮まる。ストーカーは神社に逃げ込んだ。
「……まさか」
「危ない!」
ぼくは慌てて急ブレーキをかけた。ギリギリのところで飛び出してきた自転車を避ける。野球帽を被った自転車の少年は、会釈をして横切っていった。
「ふう……」
「反応速度遅くない? 今日はアタシが運転しようか。その代わり、野田くんは走ってね」
「…………はい」
打ちのめされた気分で、ぼくは先輩にハンドルを譲った。ストーカーとぼくのスマホ、刑事のセリフ、丹野が何を考えているのか、頭の中でぐるぐると渦を巻いている。気になりすぎて眩暈がした。寝不足もあって足がもつれる。
営業所に戻って遅めの昼食をとった。日比野の姿は見えず、ぼくのスマホを囮にした作戦が上手くいったのかはわからない。丹野に電話しようかと思ったが電話番号はスマホの連絡帳を開かないとわからない。荒川からも連絡はない。
果報は寝て待て。昼飯でエネルギーを補給して休憩室のテーブルに突っ伏した。5分間でいい、睡眠を取ろう。
「ねえ、野田くん。このコ、可愛いでしょ」
ゆさゆさと肩を揺すられる。渋々、顔を上げたところに猫のアップが迫った。
「また猫の画像コレクションですか。……可愛いですけど。猫の魅力ってなんですか?」
「語るとしたら休憩時間だけじゃ足りないよ。ねえ、見てこのコは目つきがいいんだよ。ふてくされてる感じが」
「あー、なんとなくわかりますけど」お願い寝かせて。
「こっちはお腹出して無防備に寝てるでしょ。で、こっちはシャーって叫んでるとこ。うふふ」
「思いっきり警戒されてるじゃないですか」
猫の話をしているときの下村先輩は楽しそうだ。
純粋な猫好き。純粋さはずるい。どうしても、憎めない。
下村のスマホを横目で流し見ながら、しばらくつきあうことにした。
「ほら見てみて」
「このハチワレいい面構えですねえ」
「でしょう。野良だけど毛艶もいいのよう」
「ん?」
ハチワレのすぐ後ろにシルバーグレーのセダンがぼんやりと写っていた。
「あれ、この車どこかで……。気のせいかな」
シルバーグレーのセダンなんて世の中にはたくさん存在する。ぼくが配達担当している地域だけでも一日に数台は見ている。だから見覚えがあるのは当然といえば当然。
「ああ、その車ね」
下村が大きな溜息をつく。いわくがありそうだ。
「猫バンバンしてってお願いしたら、うるせえってどなり返してきやがったんだよ、オヤジが。オヤジって言っても、ま、おそらく、アタシのが年上だけどね、ははは。しかも猫を追い払うとき、しっしって、イヤそうな顔してさ。あれは悪人だね、きっと」
「ああ、昨日言っていた、『ブチきれた人』ですか」
下村は他人の車を勝手に猫バンバンして、ブチ切れられた話をしはじめた。後輩として耳を傾けなければならないのが辛い。
「アタシにもしっしって言いやがってさ。いささかむかついちゃったんだよね。あそこら辺は野良が多いから、油断してると猫ちゃんが悲惨なことになっちゃうからさ。建物の角に隠れて見張ってたんだ。猫ちゃんが潜り込まないように」
「まさか仕事中じゃないですよね」
「仕事のストレス発散だから仕事中に決まってるじゃん。それはもう先々週のことかなあ。昨日じゃないよ、やだなあ、だから、そんな怖い顔しないでよ。でさ、オヤジはどっか行っちゃたからさ。ちょうどそんとき、マジック持ってたんで、描いちゃったんだ。猫の絵」
「え? どこに?」
「ボンネット開けてね。裏側に」
「人の車、勝手に開けたんですか?」
「猫がいないのを確かめたかったもん」
「他人の所有物に悪戯書きしたんですか。器物損壊ですよ」
「はっは。大袈裟に言うなって。20分くらいでオヤジが戻ってきたから、見つからないようにすぐ逃げたけどね。アタシ、逃げ足は早いのよ。悪戯書きされたなんて気づいちゃいないよオヤジは。ざまあみろ」
人生の先輩が紡ぐありがたい金言は含蓄がありすぎて、睡眠不足の思考能力は完全に奪われた。
「先輩、ちょっとお願いがあるんですが」ぼくは荒川の担当区域を回ってほしいと頼んだ。ダミー伝票の住所付近に丹野がいるに違いない。
「いいけど、サボるのはよくないよ」
「そうですよねー、さぼるのはよくないですよねー」そのとき、視界の隅の汚いコート姿の男に目が吸い寄せられた。「あ、停めて、車停めてください!」下村先輩の足の上からブレーキを踏んだ。
丹野だ。視線が合うや、ぼくのいる助手席に駆け寄り、ドアを叩く。
「いいところに来たな! ストーカーが逃げた! この車で奴を追いかけて、体当たりしてくれ!」
「できるか!」
「うひゃ、面白いね~」と目を輝かせる下村。
前方を見ると、上下スウェットの男が走り去っていく。あれがストーカーか。
「おれを乗せろ!」
丹野は助手席に頭をぐいぐい突っ込んでくる。ただでさえ狭い助手席が男二人でぎちぎちだ。「無理無理、無理だって」ドアは半開きのままだ。
危険など考慮しない下村は、そのままアクセルを踏んだ。「いくよー」
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