鬼狩り

笹野にゃん吉

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 空は鈍色に閉ざされていた。お天道様が顔を覗かせる気配は一向になく、絶えず小雨が続いている。板壁の向こうで、ぴちゃぴちゃと泥を跳ねる足音が遠くなってゆく。

 囲炉裏の間にはナギ、タツゴ、ミヨ、サノの四人が座していた。囲炉裏から燃ゆる火は小さく、まるで外の気配に怯えて身を縮ませているようだ。

「お三方に、話しておかねばならねぇことがございます」

 サノは居住まいを正して言った。
 ようやく覚悟が決まった。すべて打ち明けるときが、懺悔の時がやって来たと。

「話さなくちゃいけねぇこと?」

 最初に口を開いたのはナギだった。彼は今や容易く口を利ける兄のような存在であり、剣の師でもあった。

「なにか隠し事でもあるってのか?」

「ええ。本来ならば、ここへ来る際に……いや、来る前に申し上げておくべきことでした」

 サノは三人の眼差しを見渡した。不穏を感じている目だった。サノはその眼差しから逃れたかったが、決して目を逸らそうとはしなかった。

 それが罪から逃れようとしてきた己への、せめてものけじめだ。

「オレは饅頭を盗んだ罪で、ここへ来ました。ですが——」

 サノは都にいた頃のことをすべて話した。

 盗賊団〈スミ〉で育ち親をもたないこと。〈スミ〉の一員として働いてきたこと。そこまではタツゴに打ち明けていたが、捕まった女を見捨てたこと。それを告発しなかったことについては初めて口にした。

 語り出すと言葉は淀みなく溢れ出た。こんなにも彼らに話していなかったことがあったのか、と自分でも驚き呆れるほどだった。

 すべてを吐き出すと、途端に恐ろしくなった。彼らの決断次第では、繋がった首が今度こそ斬りおとされることになるかもしれないのだ。

 そしてなにより、彼らから与えられた愛を、二度と甘受することのできない未来が待っているかもしれなかった。

 サノはそれでも三人の眼差しを受け止め続けた。そうすることしかできなかった。

 ナギは感情の読めない目でこちらを見つめていた。ミヨは静かに俯いていた。タツゴは鼻にしわを寄せていた。

 やがて囲炉裏の炎が爆ぜ、ピシっと音をたてた時、タツゴが口を開いた。

「それだけか?」

 タツゴの言葉には、はっきりとサノを糺す響きがあった。薄く開いた唇の隙間から炎がちろちろと覗いているように見えてくる。

「はい」
「それで我々にどうしろというのだ?」
「え……」

 サノは息を呑んだ。
 すべてを白状することで、彼らが自分の処遇を決めてくれるものと考えていた。
 しかしタツゴは、そんな他力本願な考え方を認めるほど甘い男ではなかった。

「我々は都の法務官ではない。故にお前を裁く権利などない。お前を裁くのは、我々ではなくお前自身ではないのか」

 それは初めてこの家に来た際に言われた言葉と通ずるところがある。真っ当に生きることこそが償いであり、己への裁きなのだ。

 今こうして彼らにすべてを吐露したのは、サノ自身が自分を許せないからだと考えていた。しかし、それは彼らに糾弾されることで、己を満たそうとする甘えでしかなかった。

 真の裁きを受けるのであれば、真実を打ち明けるべき場所はここではない。都ですべてを白状し、その上で世の裁きを受けるべきなのだ。

 サノはたとえ彼らが自分の罪を許さなかったとしても、彼らがサノの死を望まない優しい人たちであることを知っていた。卑怯な手段を用いて、サノは己を許し、卑しい生を歩もうとしたのだ。

 なにも変わっていない。饅頭を盗んだあのときと。
 サノは今度こそ覚悟を決めることにした。

 ところがその時だ。
 眉根に深いしわを作ったタツゴが口を開いたのは。

「言っておくが、死ぬことは許さぬぞ」

 囲炉裏の間が一瞬にして凍り付いた。それほどまでに厳しい口調だった。
 沈黙が落ちる。囲炉裏の火が、苦しげに震え、屋根を叩く雨音だけが鼓膜を揺らした。
 やがて、タツゴの眉間からしわが失われると、沈黙が弾けた。

「お前はナギのもとで剣を習っているようだな。それは〈鬼狩り〉になるためだとも言ったそうではないか」

「……はい」

 声音に怒気が混じっている。タツゴが穏和な人間でないことは承知していたつもりだったが、実際に怒りを向けられるのは恐ろしく身が縮こまった。

 ところが、同時に湧きだしてくるのは、喜びにも似た温かな感情だった。
 自分を叱ってくれる人間など、これまでにいただろうか。

「お前は命を、あるいは心を見捨てた。それは許されぬことだ。見捨てられた者は、お前を一生恨むだろう。お前の死さえ望むこともあるだろう。だが、〈鬼狩り〉は生きねばならん。そしてお前がその罪を自覚するなら、なおお前は、生きることを選ばねばならん。見捨てられる命が出ぬように。お前は剣を振るわねばならん」

 サノは胸を押さえた。そこにある痛みは、犯した罪そのものだ。蘇ってくる悲鳴もまた。
 だからこそ自分は、この痛みを、声を忘れてはならない。死して忘れる甘えなど許されない。己を恥じ、正しく生きることで、そして、これから剣を握る者となることで、守られる命があるのだから。

 あの日、ナギが駆けつけるまでの間、命を繋ぐことができたように。非力だと思っていた自分にも、信じれば進める道がある。

「守る側の人間が死んじゃあ元も子もねぇよな」

 ナギが言葉を継いだ。その目もまた厳しい光を湛えている。稽古のときに向けられるものとは、また違った強い眼差しだった。

「生きねば、私も許しませんよ」

 ミヨもまたいつになく厳めしい表情をしていた。

 いつかミヨが言ってくれたことを思い出す。愛しているからこそ、心配が生まれるのだと。

 三人は自分を心配してくれている。今ある厳しさは、自分が愛されている証だ。だから打ち明けたのではないか。こんな卑怯な心があったのではないか。最初から進むべき道など定まっていたのだ。

 サノはしょっぱい唾液を嚥下した。

「オレは、己を裁き続けます……!」

 そして、おもむろに頭を下げた。

「よい〈鬼狩り〉となれ」

 タツゴの声が聞こえた。サノは反射的に頭を上げていた。

 けれど、もうそこにタツゴの姿はなかった。ちょうど寝室の戸が閉まったところだった。きっとすぐに寝入ってしまうのだろう。

 ミヨに視線を移すと、彼女は柔和な笑みを浮かべ頷いた。
 傍らにナギが立つ。

「俺たちは役に立つ人間になる。そうだよな?」
「……もちろん」

 誓いは果たさなければならない。罪は償い続けなければならない。頷きに力がこもった。忘れてはならない日が増えた。

 欄間のあいだから、糸のような光が垂れてくる。それが首筋に纏わりついて、ほんのりとした温もりを与えてくれる。

 死の予感はもうない。

 生きている。
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