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♯96 あの時の作戦会議
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【コラード・ノース視点】
救護室で手首の怪我を確認された後、学園に戻り、僕とルミナーレさんはそれぞれ別々の部屋に呼ばれ、2名の教師から当時の状況についてさまざまな質問を受けた。
おそらく、ルミナーレさんも別室で同じように質問されたのだろうと思う。
僕は心苦しく感じながらも、ルミナーレさんとの打ち合わせ通り、彼女にすべての責任があるかのように報告を行った。
教師たちは複雑そうな表情で聞いていたが、僕の話を否定せず、ただ無難に相槌を打っていた。
質問が一通り終わると、「今日はこのまま寮に戻り、学園からの連絡を待つように」と告げられ、僕はそのまま学園を後にした。
つい数時間前までは、僕は彼女に対する憎悪や嫌悪感に満ちていて、彼女の本性を暴き、その偽りの地位から引きずり下ろすことばかり考えていた。
本当の彼女を知らなかったあの時点でこの状況に直面していたら、僕は間違いなく嬉々として彼女を貶めるような報告を教師たちにしていただろう。
だからこそ、この今の状況は、僕にとっても…父にとっても…そして『あの人たち』にとっても望んでいたはずの結末だった。
それなのに。
喉の奥に苦い感覚が広がり、えずきそうになった。
僕は寝転がっていた自室のベッドから体を起こし、サイドテーブルに置かれていた水の入ったコップを手に取ると、一気に飲み干した。
彼女を完全に信じているかと言えば、そうではない。
まだ、彼女を疑うべきだという気持ちも2割ほどは残っている。
もしかしたら、この混乱した感情を引き起こしているのも、彼女の作戦の一環かもしれない、とも思っている。
だけど。
それでも、今振り返ってみると、彼女が嘘をついているとはどうしても思えない自分がいる。
なぜなら、僕が目の前で見た彼女は、『噂よりも親しみやすい人』で驚きはしたけど、『女神のように慈悲深い人』だというのは噂通りだと思ってしまったからだ。
結局のところ、僕は彼女に完全に絆されてしまっているのだろう。
◇◇◇
「君はいったい…ルミナーレ家の…北の領地に…毎月何をしに行ってるんだ?」
手首の傷を治療してもらい、彼女から重大な秘密を打ち明けられた後。
正直に言うと、この質問をした時点では僕はまだ彼女を完全に信じてはいなかった。
信じることに対して揺らぎがあったのだ。
流石に僕もバカではない。
あれほど多くの民衆の支持を得ている人物だ。
僕の気持ちを掌握することぐらい、彼女にとっては容易いことかもしれない。
だからこそ、僕は彼女を信じるそぶりを見せつつ、彼女を安心させ、さりげなく質問を重ねていた。
それでもし彼女が嘘をついたり、矛盾のある発言をしたならば、彼女を信じるふりをしながら彼女を追い詰める作戦を練ろうと言う気持ちも残っていたからだ。
僕の質問に、彼女はしばらく黙っていたが、やがて渋い顔をして口を開いた。
「母が…」
「母…?」
予想もしなかった言葉に、僕は思わず聞き返した。
彼女は少し迷うような表情を見せたが、最終的にしぶしぶ口を開いた。
「私の『実の母親』が、そこで…眠っているんです。」
実の母…
そういえば、今のルミナーレ公爵夫人が彼女の実の母親では無いことは、この国の誰もが知っているくらい有名な話だった。
しかし、彼女の実の母親に関しては、あの『最悪の事件』以降、ルミナーレ家が公表した『療養中』との情報だけで、その後どこで何をしているのか、全く世間に情報が出回ることはなかった。
なので、世間では『実は亡くなっているのではないか』とか、『延命措置をされ、形ばかり生きている状態なのではないか』という噂が絶えない。
なぜそんな噂が広まるのかというと。
それは、ルミナーレ家の特殊な家督継承のルールとあの身内にも無情と言われる『鋼の冷静公爵』に理由があるのだが…
僕自身はゴシップにそれほど興味を持つタイプではなかったが、ノース家の領地問題もあり、現ルミナーレ公爵に対しては不信感を抱いていた。
だからこそ、彼女の口から『母』という言葉が出た瞬間、真実を知りたいという気持ちが強くなり、思わず唾を飲み込んだ。
「それは…詳しく聞いても…?」
僕が促すと、彼女は少しまた渋い表情を浮かべたが、やがて話し始めた。
「世間がご存知の通り、私の実の母親は、私が生まれてすぐに『私のせい』で悪魔の襲撃に遭いました。その時、母はおそらく悪魔に『眠りの呪い』をかけられてしまったようで、それ以来ずっと眠り続けています。国中の医者も魔術師も呼びましたが、皆、呪いを解くことができずに匙を投げました。あの『国家直属魔術特別顧問』ですらもです。でも、それでも父は諦めず、母が幼少期を過ごしていた土地に移して療養させることにしました。世間では色々な噂が立っていますが、父も私も、母が一日でも早く目を覚ますことを願っているのです。あそこは空気も良く、穏やかな土地ですから。」
彼女がそう語るのを聞いて、僕は噂の真相がどうなのかと興味を持っていることを見透かされたようでなんとなく後ろめたい気持ちになった。
恐る恐る彼女の顔を伺うと、彼女は何かに思いを馳せるように少し遠い目をしていた。
その様子から、噂など結局は無責任な憶測に過ぎないのだろうと思えてきた。
「なので、私は毎月、母の様子を見に…というより、母の呪いを解く方法が何かないか試しているんです。」
「そう…だったのか。それは…話しづらいことを聞いてしまって、すまなかった…」
想像を遥かに超える重い理由に、僕は返す言葉を見つけられずに詰まってしまった。
「いえ、別に隠しているわけではありませんし。で…私があそこに行くことに何か問題でもあるんですか?」
彼女が僕の顔を覗き込んできた。
その姿勢に、どうやってこの話を切り出そうか迷ったが、ここまで来たら迂遠な方法ではなく、正面から真相をぶつけるべきだと決心した。
もしそれで、彼女が本当に黒幕で、僕を欺こうとしているのなら、何か誤魔化すような態度を取るかもしれない。
もしくは驚くフリをするかもしれない。
でも、もし彼女が本当に無実なら、この話を打ち明ければ、きっとまたとんでもなく普段の品のある彼女のイメージからかけ離れた反応をするんだろうなと思った。
僕は彼女をまっすぐ見つめ、意を決して口を開いた。
「君があそこに訪れるタイミングで、必ずノース家の領地に魔物が攻め込んでくるんだよ。」
「えっ?!」
「もうかれこれ5年以上だ。毎月、必ずね。」
「はっ…?!」
「その理由は君が何か良からぬことを暗躍しているからだと、『預言者』が言ったんだ。」
「んっ?!」
「もちろん、最初はうちもその話を信じていなかった。だけど、魔物がノース家を攻めるたび、君の領地が利益を得ているのは事実だったからね。」
「へ?!いや、ちょ、ちょちょちょっとまってください?!何が一体どうしてそんなことになるんですか?!」
僕の話に逐一、混乱した様子で目を白黒させ変な声をあげる彼女に、僕は思わず笑いそうになったが、何とか咳払いをして笑いを押し殺した。
これは演技なのだろうか。
もしそうだとしたら、やはりあまりにも彼女の普段の印象にくらべて品のかけらもなさすぎて違和感しかない。
もし彼女が本当に普段のような完璧な淑女なら、驚く演技だとしても、こんなに砕けた様子を見せる必要はないはずだろう。
彼女はやはり全く何も知らなかったと思っていいのかもしれない。
そう思った瞬間、僕の中に渦巻いていた黒く重い感情が、少し薄れていくのを感じた。
すると彼女はハッと何かに気づいたような顔をして、僕に向き直った。
「いや、というかそもそも、そんな重大な事件、どうして国に報告が上がっていないんですか?!」
「ああ、それはうちが隠蔽しているからだ。」
「いやなんで?!それに『うち』が利益を得てるって何の話ですか?!というかそれより何より『預言者』って何です?!いやどう考えてもそいつ怪しいでしょ?!いやツッコミどころ多過ぎてどこから掘り下げればいいんだ?!」
「ぷはっ…」
あまりにも頭を抱えてテンパる彼女の姿が喜劇的で、僕は思わず我慢の限界を超えて吹き出してしまった。
いや、でも彼女の言うことは至極もっともだ。
僕だって…父だって、最初は我が領地に突如現れた怪しい『預言者』の言葉なんて、馬鹿馬鹿しくてまるで信じていなかった。
もともと、ルミナーレ公爵家にだって『恩』もあったし、疑うことすらしていなかった。
けれど、僕たちは気がつけば、そう思わざるを得ない状況に追い詰められてしまっていたのだ。
「いや、何がおかしいんですか?!今あなたご自身でとんでもない事をおっしゃってるってわかってます?もしかしてジョークですか?そんなブラックジョーク、黒色がどす黒すぎて微塵もジョークになってないですけど?!」
「あははっ!」
彼女は僕の反応に顔に冷や汗をうかべてあわあわとしながら僕ににじりよるので、僕はまた声を上げて笑ってしまった。
ああ、もうだめだ。
彼女のイメージがどんどん崩れていくのがおかしいというのもあるけれど。
うちの領地が5年も苦しんで耐えてきた深刻な話をしてるのにもかかわらず、どうしようもなくこんなにも笑顔になってしまうのは、彼女という人間を知っていくにつれ、彼女がそんな非道を犯していなかったかもしれないという事実が僕は心から嬉しいのかもしれないなとぼんやりと思った。
数時間前までは彼女を憎んで、殺意を抱いていたのに、我ながら現金なやつだなと、思わずため息を漏らした。
僕は目尻に浮かんだ笑い涙を指で拭いながら、彼女に向き直る。
笑い泣きなんて、何年ぶりだろうか。
「僕も父も、追い詰められて盲目的になりすぎていたのかもしれない…もし本当に君が嘘をついていないのだとしたら…僕はとんでもない過ちを犯してしまったことになる…」
そうだ。
もし彼女が潔白だというならば。
あの時僕がもし運悪く手を失っておらず…
彼女が僕に必死の説得を試みていなかったとしたら…
僕は取り返しのつかないことをしてしまっていたことになる。
いや、もう言い訳できないほどの仕打ちを、すでに彼女にしてしまったのだけれども。
もちろん、まだ彼女に対する疑惑が完全に晴れたわけではない。
でも、もし本当に僕が間違っていたのだとしたら、その時は僕は今日の責任をしっかりと取らなければならない。
「あー…だからそうじゃないですってば。待ってください。それは違います。顔を上げてください。」
僕が黙り込んでいると、彼女が突然肩に両手を置いてきたので、どきりと心臓が跳ね、僕は驚いて顔を上げた。
すると、怒ったように僕を睨みつけてくる彼女と目が合った。
「今、責任を取らなきゃとか考えてました?」
「な…んで…」
まだ何も言っていないのに、自分の心をぴたりと見透かされて、僕は言葉を失ってしまった。
「いや、だって、顔にそう書いてありますもん。本当にあなた、人を陥れたりするのには向いてないですよ。真面目な性格なのはよくわかりましたけど。そうじゃないです。よく考えてください。あなたと私は、どちらも被害者です。攻めるべき相手は私でもあなたでもないんです。わかりますね?そこを間違えちゃダメです。それに、今日はあなたは『何もしていない』し、私は『何もされていない』です。だから、あなたが取る責任なんてどこにもありません。」
まるで僕の心のモヤモヤを見透かした上に、それを全て晴らしてくれるような言葉に、思わずなんでか涙が溢れそうになった。
僕はそんな情けない姿を晒すまいと、唇を噛んでグッと涙を堪えた。
僕は涙脆い方ではないし、物心ついてから人前で泣いたことなんて一度もなかった。
この辛い5年間だって、泣き言も言わずに耐えてきたというのに、なぜ今こんなにも泣きたくなるのかわからない。
もしかしたら、今日一日、いや、この5年間ずっと張り詰めていた緊張の糸が、彼女の言葉でほぐれたのかもしれない。
けれど、ここで彼女の気持ちに甘えるのは違う。
僕が犯した罪は、それほどに重いものだ。
「でも僕はすでに君に、とんでもないことをしてしまった。それは事実だ…この責任は」
「あーはいはい。」
僕が食い下がろうとすると、彼女は呆れたようにため息をついた。
「それともなんですか?この世界最強を自負してる私が、なすすべなくあっけなく秒で制圧されたという汚点の傷口に塩を塗りたくった挙句、その事実を世間に晒し上げたいんですか??あなた、そんな優しそうな糸目してるくせに、とんでもないサディストなんですか??あー…そういえば糸目キャラって、結構ドSキャラが多いですよね。そういうことですか?」
「んえっ?!は?!なんだそれっ?!どうしてそうなる?!」
彼女の突然の飛躍したうえに理解不能な単語を含む発言に、僕は思わず思考が追いつかず、目を丸くして彼女を見つめた。
すると彼女はフッと鼻で笑って、さらに言葉を続けた。
「だってそうでしょ?責任を取るって?今日のことを公にするってことですよね?つまり、私が無様に地べたを這いつくばった事実も晒されなきゃいけないんですよ?そんな情けない事を晒される私の身にもなってくださいよ。私のプライドがズタズタじゃないですか。ああ…それとも、私を負かしたという事実が欲しいんですか?なら再戦しましょう。こんなの私も気を抜いてたから無効試合です。私は負けず嫌いなんで。いつでも受けて立ちますよ。でも次は絶対に負けませんから。あなたがしてくれたように、今度は私が顔面踏みつけてやりますよ?」
「ははっ…あはは…何だそれ…君はやっぱり変だ。」
思わず笑いがこぼれ、僕は俯いた。
今の僕の顔は、いろんな感情が入り混じって情けない顔をしているだろう。
そんな顔を彼女に見られたくなかった。
彼女はやっぱりすごい人だ。
周りが『女神』だの『聖人君子』だのともてはやす理由がよくわかる。
僕が何も言わなくても、僕が気にしていることを全部理解して、それをまるでなんでもないことのように軽々と救ってくれる。
もちろん、彼女が言っていることは、僕を気にさせないための屁理屈だということもわかっている。
でも、同時に彼女の言葉はその通りでもあると思ってしまう。
きっと彼女は、すべてを理解し、考慮して、僕がそれを受け入れざるを得ない優しい一択だけを残してくれているんだろう。
僕が黙り込んでいるのを見て、彼女はゆっくりと口を開いた。
「まぁ、なのでこれ以上話をややこしくするのはやめましょう。とりあえず、私たちが今一番解決しなければならない問題を明らかにしましょう。おそらく、もう時間もあまりありません。」
「え…?」
“時間がない”という言葉に引っかかり、僕は顔を上げた。
彼女は少し難しい顔をしながら、何か考えたあと、再び口を開いた。
「先ほど、私は『断片的で限られた情報ではありますが、未来に起こる可能性のある事柄をいくつか知っています』と話しましたよね?」
彼女が促すような視線を送ってきたので、僕はごくりと唾を飲み込み、うなずいた。
「もし、私の『知識』が正しいのだとしたら、おそらくもうすぐここに、私の妹たちが来るはずです。」
「えっ?!」
衝撃で言葉を失った。
確かに彼女は、僕に打ち明けてくれた秘密の一つに、『未来に起こり得ることを知っている』と言っていた。
だから、魔物が現れることも予測していたのだと。
けれど、僕はそれを聞いた時は半信半疑だった。
他の彼女の秘密については、この目で見て確認できたから信じざるを得なかったが、これに関しては話が違う。
だってそれは、もはや『予言』ではないか。
うちの領地に現れた『預言者』を信じてしまった僕が言えたことではないけど、あれですら信じるに至るまでには時間がかかったし、信じるには明確な理由があった。
僕だって、そんな非現実的なことを簡単に信じるタイプではない。
僕が訝しげな顔をしていると、彼女は再び口を開いた。
「まぁ、今は信じてもらわなくてもいいです。ただ、いずれにせよ、こんな場所で長く話し込むのは得策ではありません。手短にこれからの話をしましょう。」
「そうだな…」
彼女の言葉はもっともだったので、僕もとりあえず同意することにした。
「つまるところ、その『自称預言者』が『リグ・ルミナーレが魔物を使役しているから、領地を救うためには潰すべきだ』と示唆した、という認識で間違いないですか?」
「あぁ…まぁ、大筋ではそういうことになるかな。」
僕が同意すると、彼女は少し考え込んだ後、眉を寄せた。
「んー…でも、それだけだとここまでのことをするにはあなたのリスクが大きすぎますよね?もしかして、他に何か脅されでもしてるんですか?」
「いや…脅しというわけではないんだが…魔物を討伐するための有力な人員派遣や資金援助を受けていて…彼らには…相当な恩があるんだ。」
「ん…え?もしかして、『リグ・ルミナーレを貶めなきゃ支援を打ち切るぞ』とでも言われたんですか?」
「まぁ…そう言ってしまえば…確かにそうなるのかもしれないけど…」
確かに彼女の言う通りに要約すると、そういう形になる。
ただ、そこに至るまでは決してそんな単純な話ではなかった。
僕だって、葛藤に葛藤を重ねた結果、もうこれ以外の道はないとおもってしまったのだ。
僕が煮え切らない返事をすると、彼女は眉を吊り上げて怒ったように言った。
「いや、それって脅しじゃないですか?!要するに、領地の民を人質に取られてるも同然ですよね?ヤリ口エグくないですか??なんで隣のうちに一言も相談してくれなかっ…」
そこまで言って、彼女は途中でハッと表情を暗くした。
「いや…すみません。この話は違いますね。そうならざるを得なかった理由があったんですもんね…仕方ないです。あなたを責めるのはお門違いでした。それに、あなたの話ぶり的に、うちがあなた方を孤立させた原因を作ってたかもしれないってことですもんね…。はぁ…なるほど、です。」
項垂れる彼女の姿を見て、僕は複雑な気持ちになった。
自分を殺そうとした僕なんかの言葉をこんなに親身に聞いて信じてくれる上に、僕に文句を言う権利のあるはずの彼女は、文句を言うどころか僕の気持ちを常に理解しようと努めてくれている。
もし僕が彼女の立場だったら、果たして同じような態度を取れるだろうか。
いや、無理だ。
彼女を見ていると、僕は…僕たちは結局自分のことしか考えられていなかったんだと痛感させられる。
僕はため息をつき、再び口を開いた。
「直接脅されたかというと…それは少し違うんだ…状況は少し複雑で…。簡単に説明すると、もともとは彼らの目的が『自分たちを窮地に追い込んだ君の陰謀を暴き、ルミナーレ公爵家を失墜させること』だったんだ。それを知っていたら、僕らもあんな簡単に彼らを領地に招き入れたりはしなかっただろうけど…今となっては、それもただの言い訳にしかならない…」
彼女は僕の言葉を神妙な面持ちで聞いていたが、今度は彼女の方が大きなため息をついて口を開いた。
「あなたは本当に真面目な方なんですね。そんな状況でも、自分が被害者だと訴えず、自責の念に駆られるんですね。真面目なのは立派な長所ですが…もう少しご自分を大切になさった方がいいと思いますけどね…?人って意外とみんな、もっと都合よく、自分勝手に生きているものですよ?」
「いや?!それを言うなら、どう考えても君の方がその典型じゃないか?」
僕は思わず、それを君が言うのか??と思って間髪入れずに突っ込んでしまった。
彼女の方がよっぽど自己犠牲で生きているはずだ。だからこそ、僕はこんなにも自分の至らなさに情けなく感じているのに。
ところが、彼女はまるで未知の生命体を見るかのような目で僕をじっと見つめた。
「え??まさか?!私が??私は常に自分の目的のことしか考えてませんよ??」
「はぁ…?」
僕は納得がいかず、歯切れの悪い返事を返した。
まさか、彼女は無自覚でそういうことをしているのだろうか。
もしそうなら、彼女はあまりにも危険すぎる。
そんなの周りに良いように利用されてしまうではないか。
まさに今僕が、彼女の優しさに甘えて、自分の罪をなかったことにしようとしているように…
いや、でも、こんなにも知恵の回る彼女が、そんな無防備な生き方をしているはずがない。
もし本当にそうなら、ルミナーレ公爵家はとっくに没落していたに違いない。
現ルミナーレ公爵が敏腕なのは事実だが、あの家が数多の事件を乗り越え、あそこまで立ち直れたのは、間違いなく彼女の手腕によるものだ。
今の彼女の発言も、きっと僕を気遣ってのことなのだろう。
彼女はそうやって周りの人の心を魅了していくのかもしれない。
「まぁ…彼らが言っていることは、うちとしては全く身に覚えがありませんが…うちみたいな家は、恨みを買うことなんて日常茶飯事ですし…とりあえずその話は今置いておきましょう。要約すると、その怪しい彼らはズカズカとノース男爵家の領地にやってきて、『怪しい予言』を告げた挙句、恩を押し付けて、後出しで『お礼に協力しろ』と言い出したってことですよね?ほんとに図々しい人たちですね。」
僕が考えに耽っていると、彼女が話を元に戻したので、僕も頷いて続けた。
「協力しろと言われたというか…僕としてももう他に選択肢が浮かばなかったんだ…本当にもう、うちもどうすることもできないくらい追い詰められていたんだ…魔物が定期的に侵入してくるせいで土地は荒らされ、領民たちは不安と不満を募らせて、次々に領地を離れていった…税収も激減し、魔物から領地を守るための蓄えもできなくなっていった…自分たちの生活を切り詰めて何とかしようとしたが、それも限界があって…そんな時、彼らが親身になって助けてくれたんだ。今、うちが何とかやっていけているのも、彼らの資金援助があってこそだ。でも、もちろん彼らの資源も有限なわけで…先日ついに『支援を続けるのは難しくなってきた』と宣告されて…今、彼らが領地を去れば、うちは間違いなく没落する…だから…!」
突然、彼女が僕の手に触れたので、僕はドキッとして顔を上げた。
彼女は僕の握られた拳を見つめながら、僕の指先にそっと触れた。
僕はその瞬間、自分が想像以上に強く拳を握りしめていたことに気づいて、慌てて力を緩めた。
知らず知らずに爪が食い込んでしまっていた手のひらにじんわりと血液が戻ってくる感覚がして、徐々にジンジンとした痛みが広がった。
「あの…あまりご自分を責めすぎるのはよくないかなと。何というか…無責任なことを言いますけど…あなたは真面目すぎるのでもう少し誰かを頼った方がいいと思います…事情があってうちに相談できなかったのは、うちにも責任があるので…それは近くに居ながら何も気づいてさしあげられなくて申し訳ありませんでした…」
「いや…それは…」
彼女がどこか辛そうな表情を浮かべていたので、僕は戸惑いながら彼女を見つめた。
「ですが、やはり、なんというか…事情が事情なので誰かに相談できなかったとしても…せめて『心の依存先』はいくつかあった方がいいと思うんですよね。」
「心の依存先…?」
彼女の意外な言葉に、僕は思わず聞き返した。
すると彼女は少し考えたあと、ゆっくりと口を開いた。
「私事で恐縮ですけど…私もかつて、視野が狭すぎたせいで、人をあやめようとしたことがありましてね…?さらに言えば、自分の命を断とうとしたこともありまして…」
「え…」
僕は、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
救護室で手首の怪我を確認された後、学園に戻り、僕とルミナーレさんはそれぞれ別々の部屋に呼ばれ、2名の教師から当時の状況についてさまざまな質問を受けた。
おそらく、ルミナーレさんも別室で同じように質問されたのだろうと思う。
僕は心苦しく感じながらも、ルミナーレさんとの打ち合わせ通り、彼女にすべての責任があるかのように報告を行った。
教師たちは複雑そうな表情で聞いていたが、僕の話を否定せず、ただ無難に相槌を打っていた。
質問が一通り終わると、「今日はこのまま寮に戻り、学園からの連絡を待つように」と告げられ、僕はそのまま学園を後にした。
つい数時間前までは、僕は彼女に対する憎悪や嫌悪感に満ちていて、彼女の本性を暴き、その偽りの地位から引きずり下ろすことばかり考えていた。
本当の彼女を知らなかったあの時点でこの状況に直面していたら、僕は間違いなく嬉々として彼女を貶めるような報告を教師たちにしていただろう。
だからこそ、この今の状況は、僕にとっても…父にとっても…そして『あの人たち』にとっても望んでいたはずの結末だった。
それなのに。
喉の奥に苦い感覚が広がり、えずきそうになった。
僕は寝転がっていた自室のベッドから体を起こし、サイドテーブルに置かれていた水の入ったコップを手に取ると、一気に飲み干した。
彼女を完全に信じているかと言えば、そうではない。
まだ、彼女を疑うべきだという気持ちも2割ほどは残っている。
もしかしたら、この混乱した感情を引き起こしているのも、彼女の作戦の一環かもしれない、とも思っている。
だけど。
それでも、今振り返ってみると、彼女が嘘をついているとはどうしても思えない自分がいる。
なぜなら、僕が目の前で見た彼女は、『噂よりも親しみやすい人』で驚きはしたけど、『女神のように慈悲深い人』だというのは噂通りだと思ってしまったからだ。
結局のところ、僕は彼女に完全に絆されてしまっているのだろう。
◇◇◇
「君はいったい…ルミナーレ家の…北の領地に…毎月何をしに行ってるんだ?」
手首の傷を治療してもらい、彼女から重大な秘密を打ち明けられた後。
正直に言うと、この質問をした時点では僕はまだ彼女を完全に信じてはいなかった。
信じることに対して揺らぎがあったのだ。
流石に僕もバカではない。
あれほど多くの民衆の支持を得ている人物だ。
僕の気持ちを掌握することぐらい、彼女にとっては容易いことかもしれない。
だからこそ、僕は彼女を信じるそぶりを見せつつ、彼女を安心させ、さりげなく質問を重ねていた。
それでもし彼女が嘘をついたり、矛盾のある発言をしたならば、彼女を信じるふりをしながら彼女を追い詰める作戦を練ろうと言う気持ちも残っていたからだ。
僕の質問に、彼女はしばらく黙っていたが、やがて渋い顔をして口を開いた。
「母が…」
「母…?」
予想もしなかった言葉に、僕は思わず聞き返した。
彼女は少し迷うような表情を見せたが、最終的にしぶしぶ口を開いた。
「私の『実の母親』が、そこで…眠っているんです。」
実の母…
そういえば、今のルミナーレ公爵夫人が彼女の実の母親では無いことは、この国の誰もが知っているくらい有名な話だった。
しかし、彼女の実の母親に関しては、あの『最悪の事件』以降、ルミナーレ家が公表した『療養中』との情報だけで、その後どこで何をしているのか、全く世間に情報が出回ることはなかった。
なので、世間では『実は亡くなっているのではないか』とか、『延命措置をされ、形ばかり生きている状態なのではないか』という噂が絶えない。
なぜそんな噂が広まるのかというと。
それは、ルミナーレ家の特殊な家督継承のルールとあの身内にも無情と言われる『鋼の冷静公爵』に理由があるのだが…
僕自身はゴシップにそれほど興味を持つタイプではなかったが、ノース家の領地問題もあり、現ルミナーレ公爵に対しては不信感を抱いていた。
だからこそ、彼女の口から『母』という言葉が出た瞬間、真実を知りたいという気持ちが強くなり、思わず唾を飲み込んだ。
「それは…詳しく聞いても…?」
僕が促すと、彼女は少しまた渋い表情を浮かべたが、やがて話し始めた。
「世間がご存知の通り、私の実の母親は、私が生まれてすぐに『私のせい』で悪魔の襲撃に遭いました。その時、母はおそらく悪魔に『眠りの呪い』をかけられてしまったようで、それ以来ずっと眠り続けています。国中の医者も魔術師も呼びましたが、皆、呪いを解くことができずに匙を投げました。あの『国家直属魔術特別顧問』ですらもです。でも、それでも父は諦めず、母が幼少期を過ごしていた土地に移して療養させることにしました。世間では色々な噂が立っていますが、父も私も、母が一日でも早く目を覚ますことを願っているのです。あそこは空気も良く、穏やかな土地ですから。」
彼女がそう語るのを聞いて、僕は噂の真相がどうなのかと興味を持っていることを見透かされたようでなんとなく後ろめたい気持ちになった。
恐る恐る彼女の顔を伺うと、彼女は何かに思いを馳せるように少し遠い目をしていた。
その様子から、噂など結局は無責任な憶測に過ぎないのだろうと思えてきた。
「なので、私は毎月、母の様子を見に…というより、母の呪いを解く方法が何かないか試しているんです。」
「そう…だったのか。それは…話しづらいことを聞いてしまって、すまなかった…」
想像を遥かに超える重い理由に、僕は返す言葉を見つけられずに詰まってしまった。
「いえ、別に隠しているわけではありませんし。で…私があそこに行くことに何か問題でもあるんですか?」
彼女が僕の顔を覗き込んできた。
その姿勢に、どうやってこの話を切り出そうか迷ったが、ここまで来たら迂遠な方法ではなく、正面から真相をぶつけるべきだと決心した。
もしそれで、彼女が本当に黒幕で、僕を欺こうとしているのなら、何か誤魔化すような態度を取るかもしれない。
もしくは驚くフリをするかもしれない。
でも、もし彼女が本当に無実なら、この話を打ち明ければ、きっとまたとんでもなく普段の品のある彼女のイメージからかけ離れた反応をするんだろうなと思った。
僕は彼女をまっすぐ見つめ、意を決して口を開いた。
「君があそこに訪れるタイミングで、必ずノース家の領地に魔物が攻め込んでくるんだよ。」
「えっ?!」
「もうかれこれ5年以上だ。毎月、必ずね。」
「はっ…?!」
「その理由は君が何か良からぬことを暗躍しているからだと、『預言者』が言ったんだ。」
「んっ?!」
「もちろん、最初はうちもその話を信じていなかった。だけど、魔物がノース家を攻めるたび、君の領地が利益を得ているのは事実だったからね。」
「へ?!いや、ちょ、ちょちょちょっとまってください?!何が一体どうしてそんなことになるんですか?!」
僕の話に逐一、混乱した様子で目を白黒させ変な声をあげる彼女に、僕は思わず笑いそうになったが、何とか咳払いをして笑いを押し殺した。
これは演技なのだろうか。
もしそうだとしたら、やはりあまりにも彼女の普段の印象にくらべて品のかけらもなさすぎて違和感しかない。
もし彼女が本当に普段のような完璧な淑女なら、驚く演技だとしても、こんなに砕けた様子を見せる必要はないはずだろう。
彼女はやはり全く何も知らなかったと思っていいのかもしれない。
そう思った瞬間、僕の中に渦巻いていた黒く重い感情が、少し薄れていくのを感じた。
すると彼女はハッと何かに気づいたような顔をして、僕に向き直った。
「いや、というかそもそも、そんな重大な事件、どうして国に報告が上がっていないんですか?!」
「ああ、それはうちが隠蔽しているからだ。」
「いやなんで?!それに『うち』が利益を得てるって何の話ですか?!というかそれより何より『預言者』って何です?!いやどう考えてもそいつ怪しいでしょ?!いやツッコミどころ多過ぎてどこから掘り下げればいいんだ?!」
「ぷはっ…」
あまりにも頭を抱えてテンパる彼女の姿が喜劇的で、僕は思わず我慢の限界を超えて吹き出してしまった。
いや、でも彼女の言うことは至極もっともだ。
僕だって…父だって、最初は我が領地に突如現れた怪しい『預言者』の言葉なんて、馬鹿馬鹿しくてまるで信じていなかった。
もともと、ルミナーレ公爵家にだって『恩』もあったし、疑うことすらしていなかった。
けれど、僕たちは気がつけば、そう思わざるを得ない状況に追い詰められてしまっていたのだ。
「いや、何がおかしいんですか?!今あなたご自身でとんでもない事をおっしゃってるってわかってます?もしかしてジョークですか?そんなブラックジョーク、黒色がどす黒すぎて微塵もジョークになってないですけど?!」
「あははっ!」
彼女は僕の反応に顔に冷や汗をうかべてあわあわとしながら僕ににじりよるので、僕はまた声を上げて笑ってしまった。
ああ、もうだめだ。
彼女のイメージがどんどん崩れていくのがおかしいというのもあるけれど。
うちの領地が5年も苦しんで耐えてきた深刻な話をしてるのにもかかわらず、どうしようもなくこんなにも笑顔になってしまうのは、彼女という人間を知っていくにつれ、彼女がそんな非道を犯していなかったかもしれないという事実が僕は心から嬉しいのかもしれないなとぼんやりと思った。
数時間前までは彼女を憎んで、殺意を抱いていたのに、我ながら現金なやつだなと、思わずため息を漏らした。
僕は目尻に浮かんだ笑い涙を指で拭いながら、彼女に向き直る。
笑い泣きなんて、何年ぶりだろうか。
「僕も父も、追い詰められて盲目的になりすぎていたのかもしれない…もし本当に君が嘘をついていないのだとしたら…僕はとんでもない過ちを犯してしまったことになる…」
そうだ。
もし彼女が潔白だというならば。
あの時僕がもし運悪く手を失っておらず…
彼女が僕に必死の説得を試みていなかったとしたら…
僕は取り返しのつかないことをしてしまっていたことになる。
いや、もう言い訳できないほどの仕打ちを、すでに彼女にしてしまったのだけれども。
もちろん、まだ彼女に対する疑惑が完全に晴れたわけではない。
でも、もし本当に僕が間違っていたのだとしたら、その時は僕は今日の責任をしっかりと取らなければならない。
「あー…だからそうじゃないですってば。待ってください。それは違います。顔を上げてください。」
僕が黙り込んでいると、彼女が突然肩に両手を置いてきたので、どきりと心臓が跳ね、僕は驚いて顔を上げた。
すると、怒ったように僕を睨みつけてくる彼女と目が合った。
「今、責任を取らなきゃとか考えてました?」
「な…んで…」
まだ何も言っていないのに、自分の心をぴたりと見透かされて、僕は言葉を失ってしまった。
「いや、だって、顔にそう書いてありますもん。本当にあなた、人を陥れたりするのには向いてないですよ。真面目な性格なのはよくわかりましたけど。そうじゃないです。よく考えてください。あなたと私は、どちらも被害者です。攻めるべき相手は私でもあなたでもないんです。わかりますね?そこを間違えちゃダメです。それに、今日はあなたは『何もしていない』し、私は『何もされていない』です。だから、あなたが取る責任なんてどこにもありません。」
まるで僕の心のモヤモヤを見透かした上に、それを全て晴らしてくれるような言葉に、思わずなんでか涙が溢れそうになった。
僕はそんな情けない姿を晒すまいと、唇を噛んでグッと涙を堪えた。
僕は涙脆い方ではないし、物心ついてから人前で泣いたことなんて一度もなかった。
この辛い5年間だって、泣き言も言わずに耐えてきたというのに、なぜ今こんなにも泣きたくなるのかわからない。
もしかしたら、今日一日、いや、この5年間ずっと張り詰めていた緊張の糸が、彼女の言葉でほぐれたのかもしれない。
けれど、ここで彼女の気持ちに甘えるのは違う。
僕が犯した罪は、それほどに重いものだ。
「でも僕はすでに君に、とんでもないことをしてしまった。それは事実だ…この責任は」
「あーはいはい。」
僕が食い下がろうとすると、彼女は呆れたようにため息をついた。
「それともなんですか?この世界最強を自負してる私が、なすすべなくあっけなく秒で制圧されたという汚点の傷口に塩を塗りたくった挙句、その事実を世間に晒し上げたいんですか??あなた、そんな優しそうな糸目してるくせに、とんでもないサディストなんですか??あー…そういえば糸目キャラって、結構ドSキャラが多いですよね。そういうことですか?」
「んえっ?!は?!なんだそれっ?!どうしてそうなる?!」
彼女の突然の飛躍したうえに理解不能な単語を含む発言に、僕は思わず思考が追いつかず、目を丸くして彼女を見つめた。
すると彼女はフッと鼻で笑って、さらに言葉を続けた。
「だってそうでしょ?責任を取るって?今日のことを公にするってことですよね?つまり、私が無様に地べたを這いつくばった事実も晒されなきゃいけないんですよ?そんな情けない事を晒される私の身にもなってくださいよ。私のプライドがズタズタじゃないですか。ああ…それとも、私を負かしたという事実が欲しいんですか?なら再戦しましょう。こんなの私も気を抜いてたから無効試合です。私は負けず嫌いなんで。いつでも受けて立ちますよ。でも次は絶対に負けませんから。あなたがしてくれたように、今度は私が顔面踏みつけてやりますよ?」
「ははっ…あはは…何だそれ…君はやっぱり変だ。」
思わず笑いがこぼれ、僕は俯いた。
今の僕の顔は、いろんな感情が入り混じって情けない顔をしているだろう。
そんな顔を彼女に見られたくなかった。
彼女はやっぱりすごい人だ。
周りが『女神』だの『聖人君子』だのともてはやす理由がよくわかる。
僕が何も言わなくても、僕が気にしていることを全部理解して、それをまるでなんでもないことのように軽々と救ってくれる。
もちろん、彼女が言っていることは、僕を気にさせないための屁理屈だということもわかっている。
でも、同時に彼女の言葉はその通りでもあると思ってしまう。
きっと彼女は、すべてを理解し、考慮して、僕がそれを受け入れざるを得ない優しい一択だけを残してくれているんだろう。
僕が黙り込んでいるのを見て、彼女はゆっくりと口を開いた。
「まぁ、なのでこれ以上話をややこしくするのはやめましょう。とりあえず、私たちが今一番解決しなければならない問題を明らかにしましょう。おそらく、もう時間もあまりありません。」
「え…?」
“時間がない”という言葉に引っかかり、僕は顔を上げた。
彼女は少し難しい顔をしながら、何か考えたあと、再び口を開いた。
「先ほど、私は『断片的で限られた情報ではありますが、未来に起こる可能性のある事柄をいくつか知っています』と話しましたよね?」
彼女が促すような視線を送ってきたので、僕はごくりと唾を飲み込み、うなずいた。
「もし、私の『知識』が正しいのだとしたら、おそらくもうすぐここに、私の妹たちが来るはずです。」
「えっ?!」
衝撃で言葉を失った。
確かに彼女は、僕に打ち明けてくれた秘密の一つに、『未来に起こり得ることを知っている』と言っていた。
だから、魔物が現れることも予測していたのだと。
けれど、僕はそれを聞いた時は半信半疑だった。
他の彼女の秘密については、この目で見て確認できたから信じざるを得なかったが、これに関しては話が違う。
だってそれは、もはや『予言』ではないか。
うちの領地に現れた『預言者』を信じてしまった僕が言えたことではないけど、あれですら信じるに至るまでには時間がかかったし、信じるには明確な理由があった。
僕だって、そんな非現実的なことを簡単に信じるタイプではない。
僕が訝しげな顔をしていると、彼女は再び口を開いた。
「まぁ、今は信じてもらわなくてもいいです。ただ、いずれにせよ、こんな場所で長く話し込むのは得策ではありません。手短にこれからの話をしましょう。」
「そうだな…」
彼女の言葉はもっともだったので、僕もとりあえず同意することにした。
「つまるところ、その『自称預言者』が『リグ・ルミナーレが魔物を使役しているから、領地を救うためには潰すべきだ』と示唆した、という認識で間違いないですか?」
「あぁ…まぁ、大筋ではそういうことになるかな。」
僕が同意すると、彼女は少し考え込んだ後、眉を寄せた。
「んー…でも、それだけだとここまでのことをするにはあなたのリスクが大きすぎますよね?もしかして、他に何か脅されでもしてるんですか?」
「いや…脅しというわけではないんだが…魔物を討伐するための有力な人員派遣や資金援助を受けていて…彼らには…相当な恩があるんだ。」
「ん…え?もしかして、『リグ・ルミナーレを貶めなきゃ支援を打ち切るぞ』とでも言われたんですか?」
「まぁ…そう言ってしまえば…確かにそうなるのかもしれないけど…」
確かに彼女の言う通りに要約すると、そういう形になる。
ただ、そこに至るまでは決してそんな単純な話ではなかった。
僕だって、葛藤に葛藤を重ねた結果、もうこれ以外の道はないとおもってしまったのだ。
僕が煮え切らない返事をすると、彼女は眉を吊り上げて怒ったように言った。
「いや、それって脅しじゃないですか?!要するに、領地の民を人質に取られてるも同然ですよね?ヤリ口エグくないですか??なんで隣のうちに一言も相談してくれなかっ…」
そこまで言って、彼女は途中でハッと表情を暗くした。
「いや…すみません。この話は違いますね。そうならざるを得なかった理由があったんですもんね…仕方ないです。あなたを責めるのはお門違いでした。それに、あなたの話ぶり的に、うちがあなた方を孤立させた原因を作ってたかもしれないってことですもんね…。はぁ…なるほど、です。」
項垂れる彼女の姿を見て、僕は複雑な気持ちになった。
自分を殺そうとした僕なんかの言葉をこんなに親身に聞いて信じてくれる上に、僕に文句を言う権利のあるはずの彼女は、文句を言うどころか僕の気持ちを常に理解しようと努めてくれている。
もし僕が彼女の立場だったら、果たして同じような態度を取れるだろうか。
いや、無理だ。
彼女を見ていると、僕は…僕たちは結局自分のことしか考えられていなかったんだと痛感させられる。
僕はため息をつき、再び口を開いた。
「直接脅されたかというと…それは少し違うんだ…状況は少し複雑で…。簡単に説明すると、もともとは彼らの目的が『自分たちを窮地に追い込んだ君の陰謀を暴き、ルミナーレ公爵家を失墜させること』だったんだ。それを知っていたら、僕らもあんな簡単に彼らを領地に招き入れたりはしなかっただろうけど…今となっては、それもただの言い訳にしかならない…」
彼女は僕の言葉を神妙な面持ちで聞いていたが、今度は彼女の方が大きなため息をついて口を開いた。
「あなたは本当に真面目な方なんですね。そんな状況でも、自分が被害者だと訴えず、自責の念に駆られるんですね。真面目なのは立派な長所ですが…もう少しご自分を大切になさった方がいいと思いますけどね…?人って意外とみんな、もっと都合よく、自分勝手に生きているものですよ?」
「いや?!それを言うなら、どう考えても君の方がその典型じゃないか?」
僕は思わず、それを君が言うのか??と思って間髪入れずに突っ込んでしまった。
彼女の方がよっぽど自己犠牲で生きているはずだ。だからこそ、僕はこんなにも自分の至らなさに情けなく感じているのに。
ところが、彼女はまるで未知の生命体を見るかのような目で僕をじっと見つめた。
「え??まさか?!私が??私は常に自分の目的のことしか考えてませんよ??」
「はぁ…?」
僕は納得がいかず、歯切れの悪い返事を返した。
まさか、彼女は無自覚でそういうことをしているのだろうか。
もしそうなら、彼女はあまりにも危険すぎる。
そんなの周りに良いように利用されてしまうではないか。
まさに今僕が、彼女の優しさに甘えて、自分の罪をなかったことにしようとしているように…
いや、でも、こんなにも知恵の回る彼女が、そんな無防備な生き方をしているはずがない。
もし本当にそうなら、ルミナーレ公爵家はとっくに没落していたに違いない。
現ルミナーレ公爵が敏腕なのは事実だが、あの家が数多の事件を乗り越え、あそこまで立ち直れたのは、間違いなく彼女の手腕によるものだ。
今の彼女の発言も、きっと僕を気遣ってのことなのだろう。
彼女はそうやって周りの人の心を魅了していくのかもしれない。
「まぁ…彼らが言っていることは、うちとしては全く身に覚えがありませんが…うちみたいな家は、恨みを買うことなんて日常茶飯事ですし…とりあえずその話は今置いておきましょう。要約すると、その怪しい彼らはズカズカとノース男爵家の領地にやってきて、『怪しい予言』を告げた挙句、恩を押し付けて、後出しで『お礼に協力しろ』と言い出したってことですよね?ほんとに図々しい人たちですね。」
僕が考えに耽っていると、彼女が話を元に戻したので、僕も頷いて続けた。
「協力しろと言われたというか…僕としてももう他に選択肢が浮かばなかったんだ…本当にもう、うちもどうすることもできないくらい追い詰められていたんだ…魔物が定期的に侵入してくるせいで土地は荒らされ、領民たちは不安と不満を募らせて、次々に領地を離れていった…税収も激減し、魔物から領地を守るための蓄えもできなくなっていった…自分たちの生活を切り詰めて何とかしようとしたが、それも限界があって…そんな時、彼らが親身になって助けてくれたんだ。今、うちが何とかやっていけているのも、彼らの資金援助があってこそだ。でも、もちろん彼らの資源も有限なわけで…先日ついに『支援を続けるのは難しくなってきた』と宣告されて…今、彼らが領地を去れば、うちは間違いなく没落する…だから…!」
突然、彼女が僕の手に触れたので、僕はドキッとして顔を上げた。
彼女は僕の握られた拳を見つめながら、僕の指先にそっと触れた。
僕はその瞬間、自分が想像以上に強く拳を握りしめていたことに気づいて、慌てて力を緩めた。
知らず知らずに爪が食い込んでしまっていた手のひらにじんわりと血液が戻ってくる感覚がして、徐々にジンジンとした痛みが広がった。
「あの…あまりご自分を責めすぎるのはよくないかなと。何というか…無責任なことを言いますけど…あなたは真面目すぎるのでもう少し誰かを頼った方がいいと思います…事情があってうちに相談できなかったのは、うちにも責任があるので…それは近くに居ながら何も気づいてさしあげられなくて申し訳ありませんでした…」
「いや…それは…」
彼女がどこか辛そうな表情を浮かべていたので、僕は戸惑いながら彼女を見つめた。
「ですが、やはり、なんというか…事情が事情なので誰かに相談できなかったとしても…せめて『心の依存先』はいくつかあった方がいいと思うんですよね。」
「心の依存先…?」
彼女の意外な言葉に、僕は思わず聞き返した。
すると彼女は少し考えたあと、ゆっくりと口を開いた。
「私事で恐縮ですけど…私もかつて、視野が狭すぎたせいで、人をあやめようとしたことがありましてね…?さらに言えば、自分の命を断とうとしたこともありまして…」
「え…」
僕は、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
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