社畜は今日もアニソンに酔う〜路地裏に生きる歌姫たちと俺の人生再生譚〜

ただの酒呑み

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1.ある日、馬喰町の路地裏で

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 会社を出たのは、また終電間際だった。
 東京駅にある某商社に勤めて4年目。26歳独身。名前は佐藤圭介。
 地方公立大学を出て、漠然と憧れた商社業界に飛び込んだが、それからの日々は散々だ。多大な業務量を抱えつつ、客先や上司に叱責されるのは日常事。今日も仕入先の納期遅延をかぶり、社内では「君の調整不足だ」で片づけられた。確かに否定はし切れないが。何かが心に燻る。そんな毎日をずっと、ずっと送っている。

 家の最寄りである総武線/馬喰町駅を出る。梅雨入り前の夜風は、湿気を含み、重たい。
 コンビニに寄って缶ビールを買い、部屋でひとり飲んで寝る——そんないつものコースへ足が向きかけたとき。何故か今日は遠回りして帰りたくなった。3ヶ月前に引っ越してきた馬喰町。立地だけで選んだ街の路地裏を、当てもなく彷徨ってみる。するとふと視界の端に、青と赤のネオンが瞬いた。

 “Anison Bar Rhapsody”
 ガラス扉の隙間から、やけに懐かしいシンセのイントロが漏れ出ている。アニソンバーに行った事はないけど、実は学生時代にアニメオタクをしていた俺。社会人になってからは時々の飲み会とゴルフ(勿論客先や上司の接待は除く)が娯楽となり、暫く遠のいていた世界だ。胸の奥で、何かがざわめき出す。
 数秒後、気づけば扉を開けていた。

 カランコロン、と鈴。十数席のカウンター、壁際に小さなテーブルが三つ。モニターには『ハレ晴レユカイ』(2006/平野綾・茅原実里・後藤邑子/涼宮ハルヒの憂鬱ED)のテロップ。思わず笑ってしまう。文化祭の空気が、夜の路地にまで流れ込んでくるみたいだ。

「いらっしゃい!」

 弾む声。ピンク髪のミディアムボブが目に入る。
 制服風ベスト、耳元で揺れるマイク型のチャーム。笑顔がまぶしすぎて、反射的に視線を落とした。

「初めてのお客さんですか? よかったら、ここどうぞ!」

 彼女は音羽リオと名乗った。押しつけがましくない明るさに、思わず椅子へ吸い込まれる。手元のメニューを開けば、アニソンから着想を得たオリジナルカクテルが並び、どれも遊び心がある。

「兄さん、えらい疲れとるなあ」

 柔らかな関西弁。振り向くと黒髪ポニーテール、虎柄アクセがちらり。東堂アヤメという。
「蛍光灯みたいな顔色やで? 仕事帰りやろ」
「……まあ、はい」
「ここやったら、肩の荷ちょっと下ろしてええ。ほな、最初の一杯は——」

「“ハレ晴レトニック”いきます!」と先程のピンク髪が割り込む。
「今日のオリジナル、さっきの曲をモチーフにしてるんだ。柑橘でテンション上げて、最後にちょっとだけ甘い勇気」

 やってきたグラスは、淡いレモン色に小さな飴色の雫が沈んでいる。ひと口で、喉にワクワクが走った。
「……うまい」
「でしょ!」
ピンク髪…もとい、音羽リオが胸を張る。

「“ハレ晴レユカイ”、懐かしそうに聴いてましたね」

 顔を向けたのは神楽セリカ。銀髪ロングに眼鏡が特徴的だ。声は静かだが、言葉に確かな熱があった。
「2006年。踊ってみた文化の拡散点。番組の外に参加の場を作った主題歌、という意味で象徴的です」
 淡々とした解説が、なんだか心地いい。自分の“好き”が、ちゃんと意味のあるものとして扱われる感覚。

「ケイスケ!」
 名前を呼ばれて驚く。金髪ツインテールの月島ルナが、碧い瞳で覗き込んでいた。欧米系のハーフのようだ。
「社員証かけたまんま!サトウケイスケ!今日はいっしょにカンパイね」
 無邪気で、境界線を怖れない笑顔。不思議と腹が立たないのは、彼女の声が透き通っているからだろう。

 グラスが一斉に触れ合う。軽い音。
 カウンターの奥では、年配の男性が静かにグラスを磨いていた。——この店のマスターだろうか。
その姿は、賑やかなスタッフたちの陰に隠れて、ほとんど目立たない。

 気づけば、俺は仕事の愚痴を少しだけ洩らしていた。「納期が」「上司が」「数字が」。
 リオは「あるある!」と笑い、アヤメは「そらしんどいな」と眉を寄せ、セリカは「交渉職は肯定感が削られやすい」と短く言い、ルナは「ケイスケ、今日は笑う練習しよ」と頷く。

「もう一杯いこか。“Get Wild Sour”。帰り道の背中を押すやつ」

 アヤメが置いたグラスは琥珀色。鼻先で柑橘、奥でハーブがひそむ。都会の夜をそのまま液体にしたみたいだ。すっと体に染み渡る。
「“Get Wild”(1987/TM NETWORK/シティーハンターED)。エンディングってのは、今日を抱きしめる歌やねん」
 その言葉が、妙に腑に落ちた。終わらせるためでなく、持ち帰るための歌。

 モニターの曲が変わる。
「“only my railgun”(2009/fripSide/とある科学の超電磁砲OP)、いきます」とリオ。
「なつかしい……」思わず声が漏れる。
「ゼロ年代末の強いサビです」とセリカ。
「よし、ケイスケも一緒に口ずさみな?」ルナがマイクを少し俺側に向ける。
「……じゃあ、サビだけ」

 音程は完璧じゃない。でも、声が出る。胸から、ちゃんと外へ。
 歌い終えると、小さな拍手が起きる。客のひとりが親指を立て、別の客が「いい声」と笑った。知らない人に褒められるなんて、いつ以来だ。

 ふと、カウンターの端でセリカが小さく頷いたのが見えた。「今日は、良く眠れるはずです」と。
 意味を尋ねる前に、リオが細長いカードを差し出す。

「常連カード。今日からスタート」
「え、いや、俺まだ——」
「分かってる。でもまた来てほしいから。……ね?」
 カードの端には、手書きで〈また一緒に歌おう〉。

 胸の奥が、じんわり温かくなる。
 アヤメがトングで氷をひとつ落として言った。「ここはな、毎日をちょっとだけ好きになれる場所や」
 ルナは「ケイスケ、笑った顔がいちばん似合う!」と無邪気に褒めてくれた。

 僅か30分間。会計を済ませ、扉を押す。路地の空気は湿っぽく、体の芯は熱い。
 家に向かう途中、思う。
 ——俺は、きっとまたこの店に来る。



▷ 本日のオリジナルカクテル
・ハレ晴レトニック
「ハレ晴レユカイ」着想。明るい柑橘に、最後だけほんのり甘さ。気持ちを“晴れ”に切り替える一杯。
・Get Wild Sour
「Get Wild」着想。都会の夜を持ち帰る、ビターな酸味とハーブの余韻。
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