この恋は始まらない

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第二十九話・魔法少女になりたい。池袋デートそのいち。

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「コミケでコスプレしたい」
「は?」
彼女は口を開き、そう言い放った。
何でもない昼休みの漫研の部室。
修学旅行が終わり、ハロウィンのイベントを終え、冬コミに向けて死ぬ気で作業している人間にそんなことを言ってくるのか。
隣で狂ったように頑張っているの見ていたよな?
人の心とかないんか?
今後の予定を話した際に、吐血するくらいに忙しいって言っていたよな。
呪霊になって呪ってやろうか。
まあ、一旦落ち着こう。
子育て本には、子供の意見をちゃんと聞いてあげてからゆっくり話しましょうって書いてあるので、まずは小日向の話を聞く。
「小日向は、何のコスプレがしたいんだ?」
「えっとね、魔法少女ジェムプリンセスのルビィちゃん」
懐かしいタイトルだな。
結構前の女児アニメだっけ。
たしか、プリ○ュアみたいに戦う女の子をイメージしていて、宝石でドレスアップして強くなるタイプの魔法少女だ。
昔の流れ的に魔法少女なのに人が死なない作品だったので、それだけで一定以上の人気があった。
ほのぼの系パートと、戦闘パートを上手く表現していたため、小さい子向けではあったが大人も楽しめる名作だ。
約四年間の大作である。

その中のキャラであるルビィちゃんは主人公の一人で、赤色の服装が可愛い人気キャラだ。
小日向が画像を見せてくるが、ドレスと称すように魔法少女の衣裳はヒラヒラしたものであり、コスプレ衣裳の準備するのは難しそうだった。
胸元のルビーの装飾が綺麗だな。
「コスプレするのはいいと思うが、衣裳どうするんだ?」
「みんなコスプレする時の衣裳ってどうしているの?」
「どうしているって言われても……」
俺が聞きたいわ。
何も知らずにやりたいとか言い出したのか。
あ、この表情。
俺に聞けば教えてくれそうだと思っているな。
まあ、小日向は調べるの苦手そうだし、俺が軽く調べてみる。
スマホを使いながら探す。
コスプレ衣裳を調達するのは幾つか方法があり、大きく分けると、ネットで既製品の衣裳を買う。生地から仕入れて自分だけで自作する。コスプレ衣裳を作ってくれるサークルに外注するの三通りだ。
十一月の中盤からコスプレ衣裳を自作したり外注するのは難しいので、ネットやコスプレショップで既製品を買うべきだろうか。
ジェムプリは人気作品なので、池袋や秋葉原ならコスプレ衣裳は置いてありそうだな。
「中古の衣裳でもいいなら、池袋でも行ってみるか? コスプレショップ多いみたいだし」
アニメイトやケーブックス。らしんばんなどのアニメ専門店が出しているコスプレ店舗を見てみるのが良さそうだった。
「へー、コスプレに中古とかあるんだ。古着みたいだね」
「……アニメも移り変わりが激しいからな。衣裳をタンスの肥やしにするくらいなら、着てくれる誰かの手に渡した方がいいんだろうさ」
スマホでジェムプリの参考資料を探す。
ツイッターでジェムプリのコスプレ画像を漁るが、少し古い作品だけあってか古参レイヤーさんばかりがヒットする。
アニメが終了した後も、何度か劇場版やタイアップショップが出ているので、長い間愛されていて二十代の女性が好きな作品って位置付けみたいだな。
「コスプレするのは構わないが、衣裳やウィッグとか揃えたら数万円かかるみたいだけど大丈夫か?」
「うん。稼いでいるから大丈夫だよ」
そうだったな。
最近は毎日仕事しているし、俺より金持ちだもんな。
ずっと仕事ばかりでお金を使う暇もなく、貯金だけが貯まっていく状態らしい。
趣味のウィンドウショッピングも出来ないわけだ。
「金があるなら、じゃあ問題ないか。ジェムプリに詳しいフォロワーさんがいたはずだから、コスプレのこと聞いてみるわ」
ジェムプリのルビィちゃんのコスプレしたことある人を中心に、発信してみる。
数秒後、いいね!の通知が連打されまくる。
スマホの画面の通知がキモいことになっていた。
白鷺に至っては、教室から最速でツイッターに反応するな。
メイドリストの人達は、社会人なのに平日の昼間からツイッターするなよ。
みんな昼休みを満喫し過ぎだった。
ツイッターなどやらずに、ちゃんと休んでお昼ご飯を食べてくれ。
「へー、ツイッターってそうやって使うんだね」
「小日向の方が使いこなしているだろ?」
「いつもは写真とかいっぱい載せているけど、誰かに質問して聞いたりすることは少ないから」
「そうか? 俺は色々聞いたりするけど……」
ツイッターでも周りは大人ばかりなので、分からないことは聞いたりするし、それで縁が出来て仲良くなった人もいる。
俺が絵を描き続け、絵が好きになったきっかけをくれたのも、それまで名前も顔も知らない人だったからな。
マシュマロをやっている同人作家も多い。
SNSは危ない場合もあるが、ちゃんと使ってあげれば便利だ。

『私、ルビィちゃんのコスプレしてますよ』

「お、返信が来ているぞ」
「見せて見せて~」
「どれどれ、初見の人だと反応に困るんだが……」
メイドリスト。
めちゃくちゃ身内だったわ。
有難い。
知り合いとはいえど、社会人としての丁寧な口調で、やり取りをする。
ジェムプリのルビィちゃんのコスプレ衣裳を自作しているらしく、いろんなことを教えてくれる約束をした。
衣裳やウィッグ。専用の装飾品など。
長くなるとアレなので、DMへの誘導もしてくれた。
向こうも丁度休憩時間らしく、二十分の間に話をして、盛り上がる。
せっかくならばと、使ってないルビィちゃんの衣裳を無償で譲ってくれると言っていたが、流石に申し訳ないので買い取るかたちにした。
小日向は、特に問題なく支払えるそうだったので会話はスムーズに進む。
コスプレ衣裳の手渡しでのやり取り含め、土曜日お昼から、オタクの街である池袋で待ち合わせすることになった。
大人のレイヤーさんは、場数を踏んでいるだけあり、対応がスムーズである。
めっちゃ助かる。
その時に色々教えてくれる約束になった。
「知っている人?」
「文化祭の時に来ていた人だよ。撮影の列の整備してくれていた人」
アマネさんっていう、二十代半ばの落ち着いた雰囲気の人である。
挨拶回りでいつも顔合わせをするものの、サークルでは白鷺と絡みがあるだけで、俺が直接会話することは少なかった。
まあ、ツイッターではよくコメントもくれるので、あまり話したことがなくても問題ないかな?
小日向は唸っていた。
「え~、思い出せないなぁ」
「グレンチェックのスカートの人」
アマネさんは、身長が高く、スラッとしたロングスカートが似合う大人のOLだった。
「あーね! 思い出したよ! すっごく綺麗な大人の女性の人」
顔までは覚えてないけど、コスプレ写真も綺麗な女性キャラが滅茶苦茶似合う人だ。
ジェムプリのルビィちゃんとはイメージが大分離れているが、アマネさんは可愛い女の子キャラが好きらしく、アカウントに上がる写真の数々は、本当に好きなキャラのコスプレばかりしているのがよく分かってしまう。
コスプレは、キャラ愛が重要な世界だしな。
「詳しくは学校が終わってから連絡するとして。……土曜日一日、予定組んじゃっていいのか?」
「大丈夫だよ。その日は丸々休みだから」
「了解。せっかく池袋に行くわけだし、クリスマスグッズも見に行くか」
十一月からクリスマスのファッションや限定グッズは出回っている。
池袋には百貨店も多いので、可愛いものもいっぱいありそうだ。
午前中に百貨店を回り、午後からアマネさんと話をする方向性で進める。
「池袋デートだねっ!」
あかん。
これ絶対に大変になるやつだわ。


土曜日。
小日向とは地元が一緒なので、朝の電車から一緒に乗って行動することになった。
駅前で集合すればいいものを、わざわざ俺の家まで来るくらいにコスプレするのが楽しみなのか。
小日向は、俺の母親にお世話になっているお礼だからと、京都のお土産を渡していた。
夏休みに浴衣を借りたり、京都での着物代のお礼を含めて色々話していたみたいで、そっちがメインの理由だったようだ。
それからは。
女性特有の褒め合いタイムに突入する。
女性は、女同士でキャッキャするの好きだよな。
まあ、男の俺にはよく分からん文化だな。
長々と会話されても困るので、母親を引き離して駅に向かい。
小日向は、朝十時から池袋を回りたいとのことなので、早めに電車に乗ったわけだ。
「池袋に着いたら、ちょうど十時だね!」
小日向は着く前から楽しそうにしていて、外の風景を見ていた。
ご機嫌なので鼻歌交じりである。
流石、読者モデルだ。
電車に乗っているだけで、誰よりも目立つ。
今日の小日向は、休日コーデなのか、淡いピンク色のワンピースに、もふもふの上着という可愛い系ガーリーファッションをしていた。
小日向の性格上、可愛い系の洋服を着るのは珍しい。
「今日はいつもと服装が違うんだな」
「そう! 池袋コーデなんだよ。落ち着いた格好でまとめてみた」
「そうか、可愛いな」
「えへへ。ありがとう!」
満面の笑みで、喜んでいた。
反応が分かりやすくて助かる。
小日向のコーディネートのセンスは相変わらず高く、俺には思い付かない組み合わせで着飾っている。
マジで天才だよな。
色眼鏡なしで見ても、センスが高い。
いつも顔を合わせている俺でさえ、見惚れてしまい、口を開けていただろう。
なんというか、少しくらい俺にもその才能を分けて欲しいくらいだ。
今までは服に興味なかったが、ファッションはかなり奥が深い世界で、漫画にも活かせる。
キャラに合った服を描くのも楽しいし、俺が出しているメイドのキャラクターは大人の女性なので、作中の洋服姿は出来るだけ綺麗なものにしてあげたい。
大人の女性がダサいと恥ずかしいからな。

「うわっ、めっちゃ可愛い!」
「モデルさんかな?」
電車内の高校生にも騒がれている。
小声で話しているが丸聞こえだった。
小日向のことを知らなくても、端から見ただけでモデルだってことは分かるんだな。
まあ、ただでさえ美人な上に、私服のレベルが高いもんな。
ファッションに精通している人ならば、読者モデルの着こなしの違いで分かるのだろうか。
「でも、彼氏はフツメン」
「しかも、彼女の選んだ服を素直に着てるのキモいよね」
同い年っぽい女子高生に、ボロクソに言われていた。
いやまあ、修学旅行用に買った洋服をそのままコーデとして使っているけどさ。
ただでさえ、よそ行きの私服が少ないんだから仕方ない。
洋服に金を掛けるのであれば、同人誌を印刷する費用に充てたいしな。
……そう考えている限り、オタクで陰キャなんだろう。
小日向ほどではないにせよ、月に五千円でも洋服を買っていたらお洒落になるんだろうか?
いやまあ、うちの家計は火の車。
今年は陽菜の高校受験もあるため、洋服代を出してもらうのも忍びない。
コスプレ衣裳の受け取りが当初の目的で、何かを買いに来たわけではないが、数千円は持ってきた。
何かいい洋服があれば、買ってもいいかもな。
「ねえねえ。次の駅が池袋だよ! 準備してね!」
「はいはい。勢い余って躓くなよ」

俺達は改札から降りる。
池袋に着くと、乙女ゲームの看板が出迎えてくれた。
横長のポスターには豪華声優を起用したアイドルがずらりと並んでいた。
秋葉原は男性向けばかりで、池袋は女性向けのポスターが多い。
カッコいい推しキャラの写真を撮っているオタクの人は楽しそうである。
連写しながら、悦に入っていた。
「どっち?」
「ああ、百貨店に入るなら地下から行った方が楽か。そうだな、横道から入るか」
階段を上がり、狭い地下街を歩きながら百貨店に向かう。
土日とはいえ、かなりの人混みである。
朝十時から着たのは正解だったな。
「ねえねえ、ハジメちゃん。甘いもの売ってるよ」
「はいはい。それは帰りでいいだろ」
「え~。今見たいのに~」
百貨店の地下一階にあるデザートコーナーに釘付けである小日向を引っ張って、上の階を目指す。
隣にいる相手が小日向なので、上の階に上がる毎に足を止めてしまう。
子供か、こいつ。
ブランドショップに興味津々である。
好奇心の強さが読者モデルとしての感性に影響している。
小日向はどこまでも自由奔放だからこそ魅力的であり光輝く存在だ。
我が子のように、のびのびとさせてあげるべき。
人間誰しも笑顔でいた方がいい。
それは深く理解しているつもりだ。
そう思っていても、何度も何度も振り回されていたら疲れていく。
陰キャの体力は有限だ。
「小日向、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
「楽しみにしていたのはよく知っているし、あまり来ない池袋を色々回りたいのは分かるが、時間はあまりないから、回る場所は考えてくれよ?」
「うん。わかったよ」
手を上げて元気よく返事をしていた。
幼稚園児より素直だな。
小日向は高校生ながら、まだまだ可愛い子供である。
それからもっと上の階に上がり、百貨店の高級なブランド専門店を覗いてみる。
大人っぽい洋服を手に取り、自分の身体に合わせてみる。
「あ~、あんまり似合わないかも」
「ここら辺の洋服は、大人の女性用だしな。小日向にはまだ早いだろう?」
「ハジメちゃん、私は大人の女性じゃないってことかな?」
別に貶しているわけではない。
ブランド専門店なので、高校生に似合うように作られていないだけだ。
「あと何年かしたら似合うようになるってことだよ」
「何年くらい?」
「ん~、十年後くらいじゃね?」
二十代後半なら俺も小日向も、ブランドが似合う大人になってそうだ。
小日向は手に取った洋服を戻す。
残念そうにしていた。
「大人になるのって長いよね。私が似合うようになったら、同じような服はなくなっているかも」
「そう思うなら、試着してみたらいいじゃん」
「似合わない洋服を着たらダメだよ」
「そうか? 着たら似合うかも知れないだろ? 試しに着てみなよ」
「そう?」
「小日向はその洋服が好きなんだろう? なら、着てあげろよ」
洋服は、自分に似合うかも重要だが、好きなものを着ることも、それと同じくらい重要だ。
だから、せめて試着だけはすべきである。
「うん! 着てみるね」
たまに気弱になるが、やると決めたら一直線である。
新幹線みたいなやつだな。
小日向は、洋服を大事そうに抱えて、すぐさま試着室に入っていく。

それからしばらくして、着替えて出てくる。
「じゃじゃーん! どうかな?」
「大人の女性の洋服なのに、その掛け声は駄目じゃね?」
「あ、そっか。じゃあ、テイク2ね!」
ーーシャッ!
仕切りのカーテンを閉める。
やり直しするんかよ。
百貨店の上品な店員さんが、堪えきれず苦笑しているぞ。
学生といえどお客様なので、後ろを向いているが隠しきれていない。
また小日向が試着室から出てくる。
「どうかしら?」
色っぽい感じで大人のポーズを取る。
「コントすんなよ」
「何で?! 真面目だよ!?」
どこに真面目な要素があったのか。
壊滅的に女の色気がないんだから、止めてくれ。
店員さんが腹抱えて爆笑っているわ。
腹筋壊れて、過呼吸している。
これでショック死したら、俺達は殺人犯として捕まるんだろうか。
強く生きてほしい。
「すまないが、普通に出てきてくれ。そうしたら普通に感想が言えるからさ」
「じゃあ、テイク3だね」
同じ流れをやれとは言ってないぞ。
ーーシャッ!
仕切りを閉めるの早すぎ。
俺が話す間すら与えてくれない。
また出てくる。
「どうかな?」
今度は普通に出てきた。
「ああ、似合っている」
俺も普通に褒めた。
褒めてほしそうに尻尾を振る様からは、大人の女性っぽさは微塵もないが、服装を変えたことにより綺麗に纏まっている。
元々着ていた可愛いピンクの服装は、高校生らしくて年相応の可愛さで似合っていた。
しかし、大人っぽい服を纏うことで、あの小日向が気品を感じさせていた。
馬子にも衣裳だな。
まだ、ブランド服に着せられている感じである。
でも、今は浮いていても、あと数年もすれば小日向だって大人になり、落ち着いた大人に成長するかも知れない。
そうすればちゃんと似合うだろう。
「でもやっぱり、私にはまだ早いかな。あ、でも、ママなら似合いそうだから買っていこうかな♪」
「お母さんに買うのか?」
「うん。ママにも新しくて可愛い洋服を着てほしいからね」
何だよ、小日向ママが着るのか。
詳しく話を聞くと、小日向ママの誕生日が近いらしい。
先ほどまで妙に大人っぽい女性ものばかり見ていたのは、誕生日プレゼント選びだったのだ。
小日向さんよ。
重要なことは、最初に言おうぜ。
そういう理由があるならば、全然手伝ったのに。
「小日向のお母さんはこういうの好きなのか?」
「うん。ママは大人っぽい服装が好きだから気に入ってくれるといいな」
「そうか」
小日向ママなら小日向の上位互換みたいな人だから、大人としての気品もあるし似合うだろう。
俺の母親含め、世の中のお母さんは子育てが大変だ。
その中で綺麗でいる為に、お洒落に気を遣うのは難しいし、娘から洋服をプレゼントするのはありである。
「……結構な値段するけどいいのか?」
値札を確認して驚愕した。
流石、百貨店のブランドだ。
値札の金額が、俺の小遣いの半年分を叩き出していた。
洋服一着の値段がそんなにするとは思ってなかったので、躊躇ってしまう。
それに気付いてか小日向が話す。
「普通に考えたらちょっと高いけれど、大人の洋服ってこれ以上高いものもいっぱいあるから、これは安い方だと思うよ。それに、ママの誕生日だからね! いいものを着てほしいもん」
「そう考えたら安いか」
「そそ」
「難しい世界だな」
「ファッションは奥が深いのです」
こうやって小日向から色々教えられ、俺は知らず知らずのうちに、ファッションの沼に引きずり込まれていた。
ファッションはいいぞぉ。
饒舌に語る小日向は、満足度が高い表情をしていた。
ファッションは、奥深い。
熱く語る小日向の目は狂人だけど。
よく知る仲ながら、底知れぬ深淵みを感じる。
読者モデルのトップレベルとなると、ある程度狂ってないとその世界で勝てないのか?
何だかんだ、モデルって精神力の戦いっぽいからな。
SNS然り、ファンサービス然り、読者モデルの仕事では雑誌撮影以外での活動も多く、私生活に大きく影響を与えている。
小日向は好きな仕事だから頑張れるのだろうが、人気者が故に毎日のようにファンに話し掛けられる人間である。
プライベートは無いに等しいし、いつも笑顔で接しないといけないなんて、常人なら発狂するレベルだ。
朝イチで百貨店に着ているだけあり、今は静かなものだった。
この場には、俺達二人と店員さんしかいない。
他人の目がなく、誰も話かけてこない空間は、彼女からしたら貴重なのかも知れない。
学校での昼休みのように。
静かに過ごせる場所は限られているからな。
アホで分かりやすい小日向とはいえ、内心までは分からない。
だけど、この時間を彼女なりに楽しんでいたはずだ。

「着替えてくるね」
「ああ」
試着室に戻り、即座にピンクの洋服に着替えてくる。
あと何で自信満々な顔をしているんだよ。
「早くね?」
「読者モデルは早着替えが得意だからね」
「いや、俺が余所見していたにせよ、一瞬で出てくるのはおかしいやろ」
十数秒の出来事である。
あの洋服を脱いで着替えて出てきたんだぞ?
物理的な法則を無視しても無理だわ。
さも当然のごとく、読者モデル保有スキルのチート技を使うなよ。
洋服のボタンを留めずに着替えたとして、どんなに頑張って時短しても無理だ。
「私には、出来るんだよ。プロだからね! えっへん」
小日向は笑っていた。
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