この恋は始まらない

こう

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第46.5話・メイドさん達の日常です。

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ピンポーンピンポーン。
ガチャ。
「アマネ……」
バーンッ!!
出逢って一秒でお別れだ。
土曜日の朝一から、この世で一番見たくない顔を見てしまった。
そのストレスのせいで、脳が拒否反応を示していた。
「アマネ、開けろー!」
バンバンと扉を叩く。
池袋から東武東上線を使って電車で三十分。
ベッドタウン埼玉の奥地に突如現れた千葉市民。
頭ピーナッツ。
こいつが朝一から来たということは、始発レベルで早起きして、千葉からやってきた計算になる。
……馬鹿かな?
メイドリストのアマネは、小日向や白鷺に負けず劣らずの超絶美人ではあるけれど、コスプレがオフの日はどこにでもいる普通のOLである。
アマネの霊圧が消えた。
その見た目も雰囲気も、美人に見えないくらいに地味だ。
会社では、化粧が苦手で目が悪い地味な二十代の女性として、慎ましく生きている。
ナチュラルメイクはしているが、地味な顔の方が身バレ防止の意味もあるし、綺麗におめかししてメイド服を着た非日常だからこそ、コスプレは楽しいのだ。
常日頃からモテるのは疲れてしまう。
そして、朝一はテンションが低い。
いや、七時過ぎだから普通か。
再度ドアを開けて、問題児と対話する。
「帰れ」
「鍋の具材買ってきたから、鍋パしようぜ」
「何で、鍋をするのよ?! 土曜の朝一だからね!?」
「アマネのことだし、土日とも暇でしょ? ニコ様が相手してやるよ」
「……ッス」
相手をするのはこちらである。
何で私が相手をしてもらうことになったのか。
「相変わらず、オフの日はテンション低いなぁ。もうちょっとしたら、ルナも来るって言ってるから、三人で鍋パして過ごそうぜ」
横浜市民も参戦。
ルナは、神奈川県民と呼ぶとブチ切れる。
だから、何故に一時間以上電車を乗り継いで埼玉に来るのだ。
あと、ネットリテラシーが皆無過ぎる。
アマネとして交流を持ってくれるのは有難いが、ごく自然の流れで天川天音の家にやってくるな。
レイヤー業界だけでなく、SNSでの出会いは私生活に干渉しないのが決まりなのだ。
本名を知るのも憚れる。
「アマネの本名、マジウケるよな。天の川と織姫みたい」
「……やっぱり帰れ」
「いやいや、ドアを閉めるなって」
扉に足を挟む。
容赦なく閉める。
メリメリメリ。
「痛い痛い。足がメリメリいっているし、痛いメリ」
「じゃあ足をどかしなさいよ」
「これもう足が抜けないレベルだからね!?」
スニーカーじゃなかったら、靴が変形してしまうレベルである。
これに付き合うのは諦めた。
ドアを開けて、中に入れることにした。
まあ、土日ともに予定はないし、一日くらいはまあいいか。
ニコは、イベント用のキャリーバッグを持っていた。
は?
なにそれ??
「明日、大宮で撮影会をやるから、今日はアマネん家に泊めてちょ」
「やっぱ帰って」
大宮でイベントをやるなら、東京から行け。
別にこの家から大宮までは近くもないのだから、ニコはただただアマネの家に遊びに来ただけだった。


「よ」
それから暫くして、三人組の最後であるルナが合流する。
「あら、遅かったわね」
「築地でカニを買ってきた」
朝一から市場に行く系女子。
ビニール袋いっぱいに入ったカニを手渡す。
「……何でカニ?」
「鍋にはカニが必要だから」
ルナの言葉には、深い意味はない。
付き合いが長いから分かる。
多分、思い付きで買ってきただけだろう。
まあ、普通に生活していたら自宅でカニ鍋を食べる機会はないので、高いカニの差し入れは有難い。
「そうなのね。ルナ、ありがとう。カニ鍋の作り方は分からないから、調べながらやりましょ」
「カニは、ポン酢がオススメ。買っといた」
「……ああ、うん。ありがとう」
「えっへん。えらいでしょ」
ルナは自信満々にどや顔をする。
用意周到なのは助かるが、人の家をオフ会の会場だと思っているのだろうか。
二十代の女三人で、土曜日のお昼前から鍋パをする。
ニコの思い付きから始まったであろう集まりだが、思考回路がぶっ壊れ過ぎている。
オタク特有の行動力が有り余りすぎだ。
まあ、集まったのがこの二人だけだったのは幸いか。
名古屋や大阪から新幹線使ってでも参加しそうなメンツがいないだけマシ。
そう思うしかない。
「そうだ。私が家に居なかったらどうするつもりだったの?」
「アマネは陰キャ。土日は一日中ネトフリでも見てるってニコが言ってた」
「……貴方達は、私に恨みでもあるの?」
年下の二人に言われるのは、何かムカつくのだった。
コスプレ歴はニコとルナの方が上なのと、コスプレ始めた時に色々と助けてもらっているので強く言えないが。
今となっては、出来の悪い妹。
そう思えば冷静な対応が出来る。
キッチンで具材の準備をしているニコが話し掛けてきた。
「玄関で話していないでさ、アマネもルナも手伝ってよ。野菜切るのも大変なんだからさ」
「ああ、ごめんなさい。……いや、おかしいでしょ」
「ニコがまともな方が異常だから」
「それもそうね」
納得してしまう。
「らぁ!?」
だぁん!
ニコは、キャベツを縦に一刀両断していた。
真っ二つになり、断面が見える。
ルナは唸る。
「キャベツのクオリティが高い……」
「え? キャベツが何??」
唐突に、キャベツ検定2022が始まるのだった。


それから三人でカニ鍋を食べながら、アニメを見つつお昼を過ごしていた。
「それで話ってなによ」
この二人は根っからの自由人とはいえど、理由がなければわざわざ埼玉まで来るものではない。
大宮で撮影会があるのは事実だろうが、それだけって顔をしていない。
故に、面倒な話は早めに済ませておきたかった。
「え? カニ食べてるから待って」
ニコは、熱心にカニの身をほじほじしている。
カニは人間を夢中にさせる。
本当に美味しいものを食べている時は、人は黙るものだ。
それに忘れがちだが、食事中に会話するのはマナー違反だ。
ふゆお嬢様みたいな女性ならまだしも、ニコの場合は天と地ほどの差がある。
しかし、静かに食事したいと言われたら従うしかない。
鍋はやっぱり出来立ての方が美味しいからだ。
今ほじっているカニ足一本を食べ終わるまで待つことにした。
食べ終わったのを確認して。
「ニコ、食べ終わったわね。それじゃ、話を。……何で二本目に手を付けるのよ!」
「だって、早く食べないとルナが全部食べちゃうじゃん!」
「ぶい」
ルナは、ご満悦である。
これまた美味しそうにカニを頬張って食べている。
なるほど、この娘がカニ好きだから鍋パになったのか。
ルナが使っている殻よけの小皿には、カニの殻が山積みになっていた。
「あ~もう。ルナは食べ過ぎなんだよぉ」
「もぐもぐ」
我関せず。
無視して食べている。
一応、カニを買ってきたのはルナなのだから、別にルナが多く食べてもいいと思う。
何なら、身内だからタダで御馳走してくれているが、対価としてお金を払うべきだし。
一食分のお昼代が浮いて感謝こそすれど、カニの奪い合いをすべきではない。
あと、カニの話題でこの物語の場を持たすのには限界があるので、早めに終わらせたい。
限られた貴重な時間なのに、朝からずっとカニの話しかしていない。
それでいいのだろうか。
それから、空になった鍋を片付けて、カセットコンロを仕舞う。
「ふぃ~、お腹いっぱい」
「ルナももう何も入らない。スイーツ以外」
無言?の圧力である。
何か甘いものでも出せば、この二人は満足するのだろうか。
「……アイスなら冷蔵庫にあるから食べる?」
「食べたい!」
「食べる」
三人で仲良くアイスを食べるのであった。
鍋の後のバニラアイスは、仕事疲れの身に染み入る。
はぁ、生き返るわ。
百円アイスで得られる満足感。
社会人あるあるの、ちょっとした幸せである。


「それで、ずっと家にいるけれど貴方達は暇なの?」
二人は出掛けることなくアニメを見ていた。
お昼を食べ終わったら、普通に出掛けたり、ちょっとした観光をするものかと思っていたが、完全なるだらだらをしていた。
まるで実家に戻って二日目のようなだらけ具合である。
「え? 観光って、埼玉に見るものなんてあるの?」
「馬鹿にしているでしょ」
埼玉と千葉と横浜の三つ巴だ。
本気で地元の自慢を始めたら、死人が出るので争うのはまずい。
「横浜が最強」
ルナは天然の反応で、埼玉と千葉をディスる。
カニを食べさせてもらっていなかったら、二人ともルナを殴り付けていただろうか。
アマネはニコを止める。
「分かっていると思うけれど、争っては駄目よ」
「わかってるって。地元ディスを一々気にしてたら横浜のやつと付き合えないって」
それも大概な発言ではあるが、ルナの横浜自慢は事実なので仕方ないか。
くだらない話を拾い続けるとキリがない。
本題の話が進まないので、ルナの発言は無視する。
ニコは鞄からチケットを取り出す。
「そうだ。ジェムプリの映画券買っといたから、みんなで観に行こうぜぇ」
ニコが持っていたのは、ルビィちゃん含め、主要キャラのムビチケが五枚セットになっている限定品だった。
ルビィちゃんのアクスタが一緒になっているので、競争率が高過ぎて一日で完売したやつである。
普通であれば高値が付いていて開封するのも躊躇しそうなものだったが、ニコの性格的にそんなもんは一切気にせず開けていた。
基本は雑な性格であるが。
「はい、アマネの分。ダイヤちゃん好きでしょ?」
「無償でサラッと渡せるのは凄いわね」
「なんでぇ? みんなと行く用に買ったんだし普通でしょ」
みんなで観る映画は、プライスレスだ。
それに対してお金が掛かろうと一切気にしない人間だから、ニコのファンは多い。
ニコの撮影会に集まるのがおっさん達であっても、枠いっぱいまで人を呼べるのは人徳だ。
それはともかく。
映画券は五人分。
冬コミで合わせをしたメンバーとハジメで五人だが、別枠でふゆお嬢様もジェムプリが好きなので誘うとして。
「そうそう。読者モデルの子って、ゴールデンウィークって予定空いてるのかね?」
「どうかしら、四月終わりまで仕事入っていそうだから、早めに聞いておいた方がいいかも知れないわね」
「だよね。じゃあ、電話するわ」
風夏ちゃんに?!
「しもしも、私だよ私」
『はい。東山ハジメです』
ハジメちゃん!?
何この女は、普通に男子高校生に電話をしているのだろうか。
仲良くなっていて羨ましい……。
ではなく、土曜日の忙しい時間帯に電話するのはまずいだろう。
『いや、十分程度であれば問題ありませんよ。丁度休憩時間ですので』
「へー、何やっているの?」
『ああ、事務所の撮影で……』
「写真ちょうだい!」
脊髄反射で言葉にしていた。
レイヤーならではの褒め言葉ではあるが。
男子高校生に使うものではない。
普通ならドン引きされるけれど、そこはヤバい女しか周りに居ないハジメだったので、サラッと流していた。
『いや、あとで小日向のツイッターで写真が上がると思うんで……』
「日常系の写真が欲しいから」
『えっ?』
「一眼レフで撮った可愛く加工された写真もいいけど、スマホで撮りたての写真も見たいの! レイヤーだから!」
『ああ、はい。でもなぁ、』
流石のハジメも歯切れが悪くなる。
大人が高校生に無茶苦茶言っているのだから、そりゃそうなるだろう。
空気が悪くなる。
しかし、そんな空気感など、余裕でぶち壊すニコだった。
「あ~、わかった。エッチなやつなんだぁ」
『いや、そういうわけでは……。まあ、どうせ小日向が好き勝手するからいいか。何か、化粧のやり方を教わっていたら、何故か俺が女装させられていて……』
「写真ちょうだい!」
その言葉を発したのは、アマネだった。
ニコは、必死に食い止める。
「やめろ! 罠だ!」
「罠でもいい!」
「罠でもいいんだッ!!」
オタクは、好きなものには抗えない。
推しシチュだ。
あのハジメちゃんが女装とか、アマネのすこすこ過ぎる。
年下の男の子が女装をしている。
しかも、真面目系男子が無理矢理女装させられているとなると、自分の性癖に電撃が走る。
本能が言っていた。
これだけは譲れないと。
譲れない想いだ。
「良い訳がないだろうがっ!!」
ニコは、本気のエルボーをしてアマネを止める。
アマネの性癖が全開になるのなら、強制的に喋れなくすればいい。
普通に電話を切ればよかったと気付くまでに時間を有した。


後日談。
その後のアマネは、知り合いの女装姿をフォルダに保存すべきか、小一時間悩んでいた。
黒髪ロングのウィッグを被り、読者モデルのする本気の化粧をすれば、男の子であっても綺麗で可愛い女の子に様変わりする。
ハジメは何度も言われているようにイケメンではないが、半分はハジメママの美貌(血)が引き継がれている為か、ちゃんと化粧して整えてあげればママ似の可愛い女の子になるのだった。
ハジメとして写真を載せているから本人だと気付くレベルであり、新人の読者モデルとして紹介していたら誰もが納得するくらいの綺麗な雰囲気だ。
春物のダボついたパーカーにズボンは男性ものに近いユニセックスの洋服だが、フリフリした洋服じゃないあたりはハジメらしくていいものだ。
ワンピースを死ぬ気で拒んだ感が出ていていい。
目付きは相変わらず悪いが、それが逆に妖艶であり、高校生っぽくない大人っぽさを出していた。
もっと分かりやすく表現するならば、メイド服を着せて、パ○ツを見せてっていったら嫌悪感丸出しの表情が似合うメイドさんだ。
目付きの悪さがいい!
女の子には出来ないものだった。
そこに女装男子の良さがある。
「保存させて!」
「いいわけないだろうがッ! 高校生が好きな子の写真を保存するのとは違うんだぞ!?」
「こんな神クオリティの推しシチュに人生であと何回出会えるか分からないの……」
そうかも知れないが。
泣くほどではないだろう。
お前が一番イカれている。
冷静さを欠いていた。
性癖がブッ飛んでいるのがオタクではあるわけで、メイド界隈の人間は右も左も似たようなものだが。
二十○歳まで彼氏が出来ないのは、その狂った性癖のせいではないのか?
アマネの今後が心配なニコとルナであった。


あと日曜日は、三人で撮影会に参加しました。
集まったみんなで、次の撮影会にはハジメちゃんを参加させる画策を練るのだった。
小日向風夏や白鷺冬華ではなく、東山ハジメに来て欲しいあたり、みんなから愛されていた。

愛は総じて重いものである。

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