この恋は始まらない

こう

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第四十七話・そして運命は動き出す

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四月一日。
今日は何の日?
エイプリルフール。

朝起きて最初に確認するのは、ツイッター恒例のエイプリルフール限定のネタツイートの確認だ。
SNSでは色々な企業が、面白いエイプリルフールネタでファンを楽しませてくれる。
本来ならば絶対にあり得ない嘘を付くから、嘘だと分かっていても面白い。
誰も傷付けないジョークだ。
それが楽しいのだ。
企業側もこの日の為に、手間隙かけて念入りに練ったネタを提供してくれるので、時間も労力もかかっている高度なジョークになる。
ちゃんとした職人がエイプリルフールをするから様になるのであって、俺達のサークル。
ロイヤルメイド部は、エイプリルフールネタはやらない。
如何せん、俺はセンスがないので、その手の面白さは持ち合わせていないのだ。
凡人は凡人らしく、見る専でいい。
……見ているだけでも面白いからな。
色々な企業のネタを確認しつつ、楽しんでいると。
事務所のアカウントもエイプリルフールネタを上げていた。
『エイプリルフール企画。抽選三十名様に、ハジメちゃん(女の子バージョン)のアクリルスタンドをプレゼント!!』
「あぁぁぁ!!」
声が出た。
張本人の許可を取れ!!
誰だよ、こんな企画を考えたのは!?
しかも、嘘じゃなくて本当にやるみたいだし。
前日にいきなり撮影の仕事が入ってきたから、何かおかしいと思っていたのだ。
メイクのみーちゃんも休憩中とはいえ、撮影が忙しい中で化粧について色々と教えてくれたし、他の人も優しかった。

いつも撮影といえば、小日向や白鷺がメインだったから、完全に油断していた。
あいつらはそういう奴である。
あの二十代後半共め。
金の為なら悪魔にも魂を売る。
資本主義の悪魔だ。
事務所のスタッフは多い。
読者モデルの事務所でも、撮影や企画。スタイリストやネイリスト。メイクアップやマネージャー。
事務仕事まで多岐にわたる。
数多くのスタッフの為にも、読者モデルの人気を利用して、雑誌の売上アップを行うのは普通だし、プレゼント企画でフォロワーを増やすのはよくあることだろう。
人気がものを言う世界だから仕方がない。
ファンがいなければ成り立たない業界故に、雑誌を買った人限定で、サイン色紙やチェキを抽選でプレゼントしている。
その延長線とも言える。
いや、アクスタプレゼントは分かる。
それにしても、事務所の看板である小日向でいいじゃん。
何で俺なんだよ。
野郎の読者モデルだぞ。
四股クソ野郎のアクスタ目当てでどれだけ集まるというのだ。
チラリと、RTといいねの数を確認する。
その数は、数百人。
……キモッ。
駄目だ、本音が出てしまった。
どんだけアクスタが欲しいんだよ。
なけなしのお小遣いからお金を払って雑誌を買ってくれている中高生のファンや、顔見知りの人もいるかも知れないのに、キモくてもキモいと思ってはいけない。
ちゃんとしてくれているファンに不義理である。
新人の読者モデルである俺の為に、純粋に応援してくれているかも知れないのだ。
欲しがっている人のコメントも結構来ていたので、一応確認してみる。
この手のコメントでは、本当にアクスタを欲しがっている熱烈なファンが多いため、仕事する側としても意欲が上がるものだ。
有難い。
小日向と長く仕事しているからか、俺のファンも中学生や高校生が多い。
ファッションが元々好きな娘だけでなく、漫画やアニメに興味を持っていたり、自作グッズを作ったりファン層は多岐にわたる。
絵の仕事がメインなので、クリエイター気質な子が多い。
俺より才能があるから、最近はファンが自作したグッズのクオリティの高さにPTSD気味だけどまあ、それはさておき。

みんなのコメントを流し見していると、ファンというか身内から謎の怪文書が流れてくる。

エイプリルフール企画をして頂き、ありがとうございます。
一個人のファンとして推しのグッズを作ってもらって嬉しい限りです。
………………
…………
……
俺の女装姿のアクスタを欲する、思いの丈が長文過ぎる。
キモい。
自分のコメントにRTして、何度もつぶやく内容じゃないわ。
文章起こしをしたら、いけないやつだ。
闇に葬って欲しい。
他のコメントを見る。
ハジメちゃんの女装、可愛い良すぎだろ!
素敵だね。
内容がネットミームに汚染されていた。
……駄目だ。
これ以上、こいつら(特に、母親やメイドさん)の怪文書を見ていたら、精神がやられるわ。
何で肉親含め、プライベートを知っている周りの人間が一番狂っているんだよ。
この手のイベントは一般人が和気あいあいとやるものであり、人外は参加しちゃ駄目だ。
ガチ勢の母親とメイドさんや、身内のオタク達が悪ノリで参戦するからコメント欄が地獄絵図である。
そもそも母親が、息子のSNSに張り付くな。
肉親であっても、ただのストーカーである。


リビングに入ると、スマホをいじっている母親と目が合う。
「ハジメちゃん、違うのよ!」
「違くねぇよ」
「そうよ! 子供の成長を見守るのがママの役目だと思うの!」
母親は、慌てて訂正する。
普通の親なら、息子の女装姿に歓喜しないんだよなぁ。
まあ、この母親の場合は仕方ないで済まされてしまう。
よう分からんが、愛情が狂った方向にねじ曲がっている。
家族への愛が強過ぎて、愛じゃなくなっていた。
本来なら、怒るべきだったが、言っても分からない人だから、言うだけ無駄なのだ。
母親との十七年の付き合いで、人の根本は変わらないと理解した。
どれだけ嫌がったとしても、思春期の息子には容赦しない。
幼少期からクソほどキスとハグをしてきたせいで、無意識に間合いを取るようにしていた。
「取り敢えず、何であんな怪文書を載せたんだよ」
「ほら、懸賞に応募する時、はがきを目立つようにすると当選確率が上がるでしょう?」
犯罪者予備軍としてしか、どう考えても目立ってねぇんだよなぁ。
知らない人が見たら、事務所の読者モデルにストーカーしているやばい奴にしか見えない。
まあ、腐っても身内なので犯罪者として通報はされないように話は通してあるけど……。
取り敢えず、反省しろ。
なんやねん。
四月一日から騒がしいやつである。
自分の歳も気にせずにはしゃぐのはいいが、節度は持ってほしい。
秋月さんも陽菜も丁度居ないから、どれだけ騒いでも被害が広がらないだけマシか。
「そういえば、ママね。マリアちゃんって娘と仲良くなったの」
「マジでやめろ」
メイドでリゼでマリアな人と仲良くするな。
流石の俺でも、お前ら二人は相手に出来ないんだよ。
「ポエムが素敵な娘なの」
畜生め。
……怪文書で意気投合するな。
いや、お前らのソレは、ポエムでも詩でもない。
白鷺の読んでいる詩集みたいな、高尚なもんじゃねぇよ。
もっとも愛情から、かけ離れた穢れたものだ。
春休みなんだから、休ませてくれよ。


それから数日後。
春休みともなれば、大人も土日以外の休暇が出来るようになる。
何故か俺は、白鷺家に誘われて劇場と夜のディナーを御馳走してもらっていた。
一流のホテルでの食事。
そこで提供されるディナーは、一人だけで数万円くらいしそうなフルコースを御馳走になっていた。
ホテルに集まる人間は上流階級故に、フォーマルな格好で食事をしていた。
俺は学校の制服で、白鷺家の人間はスーツやドレスなどの高そうな洋服を着込んでいる。
白鷺はきらびやかな青いロングドレスを着ていて、それに似合う首飾りとイヤリングをしていた。
ううむ。
びっくりしてしまう。
いつもお嬢様と呼んでいても、本当の意味でお嬢様なのだ。
絶世の美女と称されるほどに綺麗だ。
劇場でも、ホテルでも、白鷺が通れば誰もが見惚れてしまう。
圧倒的な存在感だ。
フォーマルな格好も出来ず、制服しか持っていない俺とは住む世界が違う。
それでも一切気にしないのが白鷺の良さであり、時たまに気さくに話し掛けてくれていた。
ご両親も白鷺に似て、礼儀正しい。
若干、白鷺も箱入り娘なだけあってか、両親からの愛情は過保護気味ではあるものの、一人娘なのだからこんなものだろう。
他の家庭だって同じようなものである。
我が子は可愛い。
子供の為なら、心血注いでしまう。
そういった愛情が、何気ないところで見え隠れする。
うちの母親よりはマシである。

子供とは、親を映す鏡だ。
俺達は親から教わったことを知り、教わらなかったことは知らずに生きている。
考え方や、生き方。
お金の価値観や、友達との付き合い方。
目玉焼きに醤油をかけたり、ソースをかけるようなくだらない内容だって、家庭の影響を受けて育っている。
テーブルマナーだってそうだ。
ホテルに通うほどの裕福な家庭なら、迷うことなくフォークやスプーンも扱えるが、一般人である俺にはそれすらも難しいものだった。
小学生くらいの記憶を辿り、無理矢理覚えさせられたテーブルマナーを駆使していた。
恥ずかしい。
だが、そういう付き合いが増えてくるのだから早くマスターするしかない。
仕事にかまけて、こういう機会に備えて覚えておかなかった俺が悪いだろう。
「東山君、テーブルマナーも重要だが、料理を美味しく食べることが一番大切なことだよ。誰も見ていないのだから、気にせず普通に食べなさい」
「すみません」
「君はまだ若いのだ。テーブルマナーは、今後時間をかけて覚えればいい」
一流企業の社長だけあり、その立ち振舞いは会社のトップの風格だ。
白鷺の父親だからこそ、当然の価値観を持っていた。
普通にしていても家族から尊敬されるほどの人格者だが、それに驕ることなく家族に対して自分以上に大切にしていて、言葉遣いも敬意を払っていた。
白鷺の両親が、ラブラブなのも頷ける。
尊敬し合う関係だから、一緒に居る。
それは、夫婦として、家族として当たり前だけれども正しい在り方である。
白鷺の両親は、うちの親みたく詰まらない内容で一々喧嘩しないんだろうな。
とはいえ、それが俺ん家のクオリティなのだから仕方がない。
好きな人であっても、些細な欠点にイライラする。
平民家庭ならではのささやかな幸せってやつである。


ディナーも終えて、一息付いた頃に白鷺のお義父さんは赤ワインを開ける。
食後の空いた時間に、サラッとワインを持ってくるあたりはプロの仕事である。
白鷺のお義父さんは、ワインが好きらしい。
車で迎えに来てもらった時に、運転手付きだった理由はそういうことか。
居酒屋とかスナックだと、送迎代行とかはよくあるけど。
まあ、そういう世界もあるよね。
黒塗りの高級車を他人に任せるのも難しいし、運転手を雇うのは普通なのか。
そこまでしてワインを飲みたい気持ちは分からないが、美味しそうに舌鼓をしていた。
食後の一杯は特別である。
そう言いたげだった。
白鷺のお義母さんは立ち上がる。
「お父様が飲んでいる間に帰り支度を致しますね」
「すまないな」
白鷺も頭を下げて一緒に同行する。
女性二人が化粧直しの為に退席したことにより、男性二人が向かい合うかたちになる。
静かに沈黙している。
何の時間なんだ。
……俺を殺してくれ。
高級ホテルで白鷺のお義父さんと対面で居る状況は、流石の俺でもきつい。
そんなにメンタルは強くないのだ。

急に話を振ってきた。
「時に東山君、冬華とは仲良くやっているのかい?」
「えっと、すみません。よく分からないです。……仲良くやれているのでしょうか?」
あんまりよく考えていないのがバレる。
いや、深く考えても、仲良くやれているかなんて分からない。
白鷺と遊ぶ時は、その大半は秋葉原にあるメイド喫茶のシルフィードに行っているか、ロイヤルメイド部としてイベントに行っているかである。
白鷺は部活や習い事で放課後の予定は合わないし、時たまに遊ぶにしてもメイドさんが会いに来いって五月蝿いからな。
どうしても二人っきりで何かをすることは少なかった。
それに、メイド界隈の身内が多い分、時間を取られてしまう。
白鷺は彼氏と彼女以前にサークル仲間だ。
コミケが終わってからも、イベントの準備でバタバタすることばかりだし、高橋と共に白鷺の撮影もある。
そんな中で、彼氏らしい立ち振舞いが出来ているかは分からない。
仲良くしていると断言出来なかった。
萌花は俺に対してよく怒るけれど、悪いところは指摘してくれる。
逆に白鷺はお嬢様だからか、他人にはまったく怒らないし、俺にどこか悪いところがあっても言ってくれない。
まあ、最近の白鷺さんは幸せ判定ガバガバだから、俺が何をしても許してくれそうだ。
えっちなお願いをしても拒否してこなそうである。
全方位を敵に回すから、そんなことはしないけれど。
とはいえ、よんいち組の他のやつみたいに、同年齢として仲が良いのとはやはり違う気もするのだ。
他の三人のように馬鹿みたいな冗談を言い合う間柄でもなく、白鷺は問題を起こさないし、手間が掛からない娘なので難しい。
「悩むくらいの間柄ならば、それは仲が良い証だと思うがね。本来ならば即答すべき状況であれど、軽率な発言をするよりかは、男性としては誠実だ」
「え?」
何故だ。
過大評価されている。
関係性が説明出来ずに黙っていただけなのに。
白鷺のお父様だけあってか、やり取りに既視感がある。
「君のことは冬華から詳しく聞いているが、本当に誠実な人間なのだな。流石は我が娘が見褒めただけある」
白鷺さん?
俺はただの四股クソ野郎なので、褒めるのは間違っている。

「いえ、俺はそんな人間ではなく……」
「娘の見る目が間違っているとでも言いたいのかね!?」
「いいえ。間違っていません。白鷺冬華さんは、とても出来た娘さんです」
有無も言わせねえ。
……確実に血筋だ。
白鷺パパの顔が晴れやかになる。
酒が入っているのも関係してか、上機嫌に娘自慢を始める。
「そうだろう? まあ、こういう席で語るのもどうかと思うがね。冬華は若い頃の妻に似て、とても繊細でいて可愛くてな、世間知らずではあるがそこが愛嬌に感じるほどの愛娘なのだよ」
女の子が居る家庭あるある。
娘のことを語りがち。
嬉しそうに語ってくれていて助かるのだった。
本当ならば、愛娘に初めて出来た彼氏なんて、問答無用で殴り飛ばしてもいいくらいなものだ。
俺だったら、十数年間も血眼になってでも頑張って育てた娘を、高校生に入ったばかりで頼りない野郎と付き合わせたいとは思わない。
それに比べたら、娘語りくらいは全然いい。
こちとら、四股クソ野郎だからな。
普通に考えたら、こんな野郎が娘の彼氏だったら、玄関で塩を撒かれて門前払いするだろう。
それなのに、高級ホテルという、ちゃんとした席を用意してくれているのは、白鷺のお義父さんの器の大きさがあってこそだ。
食事前に演劇を観賞したのだって、初対面した数ヶ月前の何気ない会話の中で、俺が演劇に興味を持っていたのを覚えていてくれたからだ。
白鷺家からしたら、オペラやコンサートは普通の嗜みなのだろうが、俺は知らない世界だったから。
だから、見せてくれたのだろう。
それは完全なる善意である。
他意はない。
演劇やディナーを合わせたら数十万円はかかるだろうに、この日のために惜しむことなく使ってくれていた。
そのことに感謝を述べて、頭を下げる。
俺は単純だから、白鷺のお義父さんの考えはよく分からないけれど、誰かにしてもらったことは感謝しないといけない。
そうやって育てられているのだ。
「うむ。気にしないでくれ」
お金のことを一切気にしていない辺りは、大人である。
ワイングラスを傾けて、一口飲む。
「ふむ。美味しいものだな」
「ワインがお好きなんですか?」
「いや、苦手ではあるのだが……。一杯だけは飲むようにしているのだよ」
健康法みたいなものなのか。
たったワイン一杯のために、運転手を用意してまで飲む必要があるのかは分からない。
でも、無駄なことをする人ではないし、意味があるのだろう。
このホテルでは赤ワインを飲むのが、白鷺家のルールなのかも知れない。
部外者の俺が追及するのは、野暮な話なので無言でいた。
「このワインは、ボトルで買ったとしても数千円しかしないものだが、先代が好んで飲んでいた銘柄でな。このホテルではそれを知っていてくれて、一度も切らすことなく常備されているのだよ。白鷺の名を聞けば、あちら側はいつだって出してくれる。それ故に、一流のホテルであり、それに相応しい品格を持つのだ」
「……よく分からない世界です」
「そうだな。かくいう私も、理解するのには時間が掛かったものだ」
話を聞いていくと、白鷺のお義父さんは婿養子らしく、白鷺の血筋なのはお義母さんの方だと言う。
学生時代に出会った彼女に一目惚れし、そのまま射止めるまで人生を費やして、白鷺家の家督を継ぐことになった。
故に、最初はテーブルマナーを知る知識もなければ、芸術を嗜む観察眼もない。
普通の家庭の育ちだったという。
気丈に振る舞う語り口は、そんな部分を一切感じさせない。
それほど、この人は努力をしてきたのだ。
「君は私を前にして緊張しているだろうが。これもまあ、キャラというわけだよ」
「はあ……」
「とはいえ、数十年も生きていれば、それが身体に染み付くものだがな。先代の鬼のようなしごきにあったからこそ、当然といえば当然か」
こんな俺に、昔話をしてくれていた。
深入りすべきか迷ったが、白鷺の両親のことを聞いているのは楽しくて。
家族のことが大好きで、自慢したがるところも、娘さんに似ていた。
先代から影響を受けて、それが娘さんにも影響を与えている。
脈々と受け継がれてきた歴史がある。
名家としての白鷺の名は廃れたと言っていたが、そんなことはない。
娘さんは貴方を尊敬していて、白鷺であることを誇りに思っている。
それが一族の誇りであり、家族の証だと言える。
そういうかたちの家庭もあるのだろう。
「うむ。美味い」
今まで何気なく飲んでいただけのワインだったが、意味が分かれば見え方が違ってくる。
このワインを通して、過去を懐かしんでいたのだ。
特別なホテルで、特別なワインを飲みながら。
十七歳のクソガキに敬意を払う。
本来ならばそんな必要もないのに、この人は大人としての品格を持ち合わせていて、尚且つ子供相手でも下に見ることなく紳士であることに徹底していた。
白鷺の両親らしい素敵な人であり、気付いた時には、一人の人間としてこの人を尊敬しているのだった。


それはそうと、今日一日。
白鷺のお義父さんとしか話していない気がする。
楽しいから別に構わないのだが、普通に白鷺家のプライベートな話をしてくれているから、大丈夫なのか?
いや、いいのか??
隣の席の婚約者のカップルより、将来の話をしているから不安になるのだが、間違っていないよな。
そこも白鷺っぽいのだった。


それから女性二人が戻ってきて、帰り支度をする。
ディナーの後は、車で家まで送ってくれる。
そういう話だったが、夜遅くなったとはいえ、まだまだ電車が出ている時間だ。
甘えすぎだし、電車で帰った方が良さそうだ。
「今日はありがとうございました。最後まで迷惑をかけてしまいますが、自分は電車で帰ります」
「東山君、どうしたんだい? 気にしなくていいというのに」
「あ、いえ。帰りに、家族にお土産を買って帰りたい気分ですので。……それに、えっと色々考えたのですが、やっぱり三人で話す時間は必要だと思います」
自分の為に時間を作ってくれたのは感謝している。
でも、仕事が忙しくて家族とディナーをする時間が作れないくらいの人ならば、自分よりも家族を優先してほしい。
少しでも家族と会話をしてほしい。
白鷺は誰よりも優しいから。
一時間だって、三十分だって。
尊敬しているお父様と話せるならば、とても喜んでくれるだろう。
だからこそ、俺を家に送る時間で無駄にせず、白鷺のことを最優先にして欲しかった。
「そうだな。すまないが、お言葉に甘えるとしよう。冬華とゆっくり話すのも久しいものだからな」
愛しい娘の頭を撫でていた。
「ああ、そうか。いつの間にか、冬華はこんなに大きくなったのだな。こうして頭を撫でることさえ、遠い昔ように感じてしまう」
白鷺は、頭を撫でられて照れくさそうにしていたが、満更でもないご様子だ。
「東山君、また食事をしよう。君と飲むワインは美味しいようだ」
「はい。楽しみにしています」
素直にそう答えた。
帰り際の挨拶。
次の食事のお誘いを受けるだけ。
そんな何気ない会話が、今後の未来へと波及していく。
小石を水面に投げるように。
ポチャンと音を立てて、その小さな波が、波打ち徐々に大きく広がっていく。
言葉とはそれほど重いものなのだ。
でも、俺がそれを理解するのには大分時間がかかるのだろう。
それこそ、数十年の月日が必要なくらいに。


白鷺の父親は、少年を見送る。
その後ろ姿を見ていると、遠い昔の記憶を思い出す。
偶然かどうか知らないが。
奇しくも二人は同じ境遇を辿っていた。
一般人だった自分は、いきなり先代に誘われて演劇を観せられ、ホテルでディナーをしたものだ。
子供の頃に習ったテーブルマナーを必死に思い出し、未成年が故にワインの味も知らなかったがお義父さんの話をずっと聞き、好かれたい一心で忘れないように叩き込んだ。
白鷺家の話も聞かされていた。
彼を見ていると、この恋が成就する前の、必死に頑張っていた若い時の気持ちを奮い立たせる。
先代がどういう気持ちでいたのか、自分がどう思われていたのか。
数十年越しに理解した。
なるほど。
真剣に娘を愛しているのならば、不出来な若者の世話を焼きたくなるものだ。
饒舌に喋りたくもなる。
あれほど苦手であったワインがこんなにも美味しいと思えるほどに、充実した気持ちになっていた。
先代が遺言に残してでも、このワインを飲み続けろと言った理由が分かった。
……そうやって、白鷺家は受け継がれていくのだろう。
人間は、正しく在り続け、生き続けることは難しい。
私達は、勝手に歳を取っていく。
純粋だった学生時代には戻れないし、愛しい人が出来れば一度たりとて挫折は許されず、社会の荒波に揉まれて、いつしか人の心は変わっていく。
大人になりたくなくても、決断せねばならない。
こと、数百人以上の社員を持つ身だ。
背負っている人生が多過ぎる。
会社の為ともなれば、過去を省みることは出来ず、未来を見る時間しか与えられない。
お金を稼いで裕福な家庭を築き、白鷺の名を絶やさないようにするのが自分の使命だった。
正しい選択。
最初はそうだったはずなのに。
そうして頑張り続けていくと、娘や妻に会える時間も少なくなり。
同時に、人と話し合う。一時間や三十分の大切さすら忘れてしまっていた。
嗚呼、あの頃に心に誓ったのは、死んでも彼女の傍に居たい。
ずっとその想いだけだったのに、何故に忘れてしまったのだ。
詩を読む時間が尊い。
妻がいて、娘さえいれば、それ以上ない幸せだ。
彼に出会わなければ、思い出すこともなかっただろう。

「これでは、彼の運命なのか、私の運命なのか分からんな」
ポツリとつぶいてしまった。
白鷺の母親は、そんなお父様の横顔を見ながら、上品ながらもどこか愛嬌がある表情で話し掛けた。
「うふふ、それにしても今日のお父様は楽しそうでしたね」
「何だ。見てたのか」
「いえ、見てませんが分かりますよ。何年一緒に居ると思っているのですか」
「そうか。……美冬さん、席を外してもらってすまないな」
「それは私にではなく、東山さんに謝ってあげてください。お父様がずっと饒舌に話すものだから、かなり困っていましたよ? お父様は、思っている以上に顔がお恐いのですよ?」
「ううむ、そうなのか。次の時に謝らねばな」
「それは冗談ですわ」

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