この恋は始まらない

こう

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第四十九話・春休みとトリプルデート。そのいち。

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神視点。
クラスメートである一条と黒川さんは、二人一緒に電車に乗って、秋葉原に向かっていた。
流石、恋人同士だけあってか、楽しそうにしている。
一条はその面の良さだけは学校屈指のイケメンだから、電車に乗っているだけで写真映えする。
名も知らない女の子の心を捉えて止まない。
しかし、一条には可愛い彼女がいる。
それも、わざわざ遠い地元の駅から、黒川さんの最寄り駅まで十五分以上かけて向かえに行くほどのラブラブ具合だ。
毎日のように電話やデートをしているだけあり、そこには他の女性が入る余地はない。
一条は、元々女の子が怖い生き物という認識なためか、女の子の連絡先は知らないし、ラインなどの文字でのやり取りよりも電話や直接会って会話をしたいタイプの人間だった。
そういった意味では、東山ハジメよりも健全な付き合いをしているし、大切に扱っているといえる。
二人の恋仲がどこまで進展しているかは不明だが、遠い未来を気にする必要はなさそうであった。
優等生同士の恋愛は、端から見ても安定しているのだ。
特に男の方がアホでなければ、高校生の恋愛には不安要素はない。
日常系のアニメを観るような安心感がある。
とはいえ、ハジメにクソ要素しかないとしても、それは恋愛においてだけだ。
いや、それが最悪なのかも知れないが。
こうやって、春休みに一条と黒川さんが、秋葉原に向かう理由は一つしかない。
ハジメが、春休みに合わせて遊ぶ予定を組んでくれたからだ。
秋葉原のメイド喫茶に寄ったりして遊んだメンツで、また遊びに行こうと誘ってくれたのだ。
追加で、カフェについて勉強している佐藤達二人を誘っていた。
ハジメは、色々な理由からシルフィードを紹介するのに難色を示していたが、やはりカフェの勉強をするのであれば知り合いから話を聞くべきだった。
どんなに本を読んでも、現実味を帯びない。
行き詰まりつつある現状を打開する策はそれくらいしかない。
メイドさんがどうせまた五月蝿く言ってきて、事態がややこしくなるのは目に見えていたが、二人の為ならばと、一時の恥は捨てていた。
周りの女性がやばいのは、もう慣れた。
ハジメちゃんは、心の殺し方を覚えたのである。


黒川さんは、電車に乗りながら、楽しそうにしていた。
「そういえば、一条くんは佐藤くんと付き合い仲良いよね? 佐藤くんって、橘さんと付き合っているの?」
橘さんこと橘明日香は、三馬鹿の一人であり、長女みたいなもの。
カービィでいうところのレスラー枠みたいな女の子である。
三人組のまとめ役な部分は、黒川さんや西野さんと同じではあるが、周りが運動部の体力を持つ問題児ばかりなので、止めるためには荒事も普通にこなす。
その勇ましさは、明日香の姉貴である。
三馬鹿に関節技を決めるところは、女性目線で見ても完成度が高いと思う。
綺麗に絞め落としている。
黒川さんは少しだけ、あの技を教えて欲しいと思っていた。
準備組の問題児である、白石や真島を止める時に使いたい。
その考えを察してか、二人とも少しだけ優しくなった。

それはさておき。
橘さん本人は、可愛くないし女子力はかなり低いと卑下しているが、恋愛が苦手な運動部の女の子があわあわしているのはバチクソ可愛い。
佐藤のことを放っておけず、カフェ巡りに付き合ったり、色々調べてあげているのだから、本心では好きなんだろうけど。
自分の気持ちを頑なに認めない辺りが可愛い。
応援したくなる。
この日の集まりの目的は、秋葉原のメイド喫茶で話を聞くではあるが、明日香ちゃんの恋をフォローする目的も密かにあったのだ。
でも、黒川さんは美術部特有の照れ屋なので、ハジメや冬華には何も言えずにいた。
それに、周りのみんなは天然だから、いいムードにさせたいとか言ったら、平然と爆弾投下しかねない。
よくよく考えたら、四股クソ野郎と、箱入り娘のお嬢様と、顔だけでこの世を生きてきたヘタレだ。
不安要素しかない。
……一番まともな私が頑張らなきゃ。
黒川さんはそう胸に決め、手を握りしめて自分を鼓舞する。
今日の秋葉原トリプルデートは、黒川さんだけの孤高のミッションである。
しれっと超絶ディスられていた一条である。
だが、正当な評価だ。
彼女だから分かる。
この子にはそんな大役は任せられない。
ある意味、信頼されていた。
そんな思惑は顔には出さないあたり、この子も大概な性格をしているのかも知れない。
「まだ付き合ってはいないんじゃないかな? 佐藤から橘さんの話はよく聞くけど……」
「そっか、まだ付き合っていないんだね」
「そうだね。二人が仲良くなるように手伝ってあげないとね」
「ううん。一条くん、何もしないでいいと思うよ」
「え?」
「何もしないでいいと思うよ」
二度言われた。
彼氏なのに二度言われた。
「そうかな。まあ、色々回って楽しめば、自然と仲良くなるもんね」
「そう、それ」
食い気味に肯定していた。
彼氏である一条の雑な恋愛観に関して色々言いたいこともあるし、説明すべきなのだろうが、上手く言葉に出来ない。
極論。
貴方は、何もしないで。
その方が事が上手く進むのである。
一条は、特に何も考えていなかったので、それ以上話を広げなかった。
スマホを見る。
「東山は、改札前で待っているってさ」
目印になるオブジェがあれば教えて欲しいと連絡を入れておく。
ハジメは、改札を出ればよく目立つオブジェがあるから問題ないと言っていた。
この前見た時に、駅前にはアニメのポスターとかがあったのでそれのことだろうか。


……こいつ、白鷺さんを目立つオブジェ呼ばわりしていた。
駅前に着いてすぐに分かった。
やっていることはクソ野郎だが、なにより目立つ部分に関しては否定出来なかった。
白鷺冬華は、この世の誰よりも綺麗な美人であり、冬に咲く華。
雪の結晶と名付けられているように、その儚さや、肌の白さは雪の美しさすら凌駕する。
冬華の独特な雰囲気に当てられ、人だかりが出来ていた。
清楚系お嬢様。
白鷺の名を冠するだけあってか、佇まいだけでも別格だ。
普通の洋服を着ているだけなのに、アニメキャラ張りに目立っていた。
コスプレ会場ですら、これほど人気があるのか不明なくらいだ。

冬華は、みんなで集まって行動するとはいえ、春休みにハジメとデートをするのは嬉しい。
いつも以上に頑張ってナチュラルメイクをして、お母様の意見を聞きながら可愛い洋服を選んでいた。
春シーズン向けの桜色のワンピースに、赤い髪留めを付けていた。
冬華は、いつも以上に綺麗に着飾っていても、髪留めだけは欠かさずにする。
ハジメにプレゼントしてもらった髪留めをして出掛ける。
思い出深いものを身に纏うことが、彼女にとっての本気のおめかしなのだ。
淡いピンクの洋服に合わせて、赤い髪飾りをする理由は、誰にも分からない。
ファッションとして、浮いていてもいいのだ。
ハジメが褒めてくれたら、それが一番の幸せなのだ。

黒川さんは悩んでいた。
内心はよく分からないけれど、今日の集まりは、トリプルデートという暗黙の了解だったが、冬華の気持ちを考えたら、合流せずに二人っきりにさせてあげた方がよさそうだった。
白鷺さんは、待っている間も楽しそうに会話をしている。
二人の世界がそこにはある。
そこに斬り込むのは、難しい。
「あ、二人ともこちらだ」
冬華は二人に気付いて、手を振っていた。
死ねばもろとも。
何も気付かない体で話し掛けた。
「白鷺さん、遅れてごめんね」
「私達も着いたばかりだ。気にしないていいぞ」

「一条、佐藤達は?」
「もうすぐ着くってさ」
「そうか。二人とも秋葉原なんて来る奴らじゃないから、ずっと心配だったわ。迷ったらすぐに連絡しろって言っといて」
「分かった」
男二人は淡白な会話をする。
橘の方はしっかりしているが、佐藤はああいうやつだ。
二人がちゃんと把握してあげないと合流出来ない可能性もある。

「白鷺さんの私服可愛いですね」
「ありがとう。黒川さんの私服も可愛いと思うぞ」
キャッキャしていた。
デートファッションということで、二人とも男受けというか、彼氏受けがいい可愛い洋服を着ているが、普通に似合っているのであった。
黒川さんみたいな小さい女の子には、フリフリのスカートが似合うものだ。
よんいち組にはない、落ち着いた素朴な感じがいい。
「橘さんはまだ来ていないの?」
「うむ。そろそろ着くと思うが」
集合時間より早く来ていただけなので、佐藤と橘さんが遅いわけではない。
「お~い! お待たせ!」
二人は、息を切らせてやってきた。
「遅れてごめんね。慌ててたから、反対口から出そうだったよ」
東山と一条が連絡を入れてくれたので、降りる場所を間違えないで済んだ。
「マジで危なかった~。思っていた以上に駅内が広くてビックリしたし、お土産屋さんや、ガチャガチャコーナーとかがあって、流石秋葉原って感じ」
都心の人気スポットだけある。
外国人の観光客も多くて、別世界みたいだった。
これだけ人の行き来がある場所のカフェなら、それだけ凝っていると思う。
期待値を上げていく。
「橘さんの私服可愛いですねっ」
「え~、姫ちゃんの方が可愛いじゃん。お人形さんみたい」
明日香は褒められ慣れていないから、耳まで真っ赤にしていた。
二人とは違い、パーカーに短パンのストリートスタイルのカジュアルな格好だったが、胸元の可愛いアクセで女の子らしさを表現している。
可愛い。
黒川さんと冬華の意見は一致していた。
恥ずかしがり屋の明日香ではあったが、明日香なりの最大限のおめかしをしていた。
読者モデル並みの可愛さや、ファッションセンスはないけれど、誰もが綺麗に着飾っていたいという思いはある。
今日集まった人は、他人を比べたり、可愛さでマウントを取り合わないメンバーだからこそ、気兼ねなくいられるのだった。
現に白鷺冬華は、可愛い二人を見ながらご満悦である。
友達と遊べてわくわくしていた。
綺麗な見た目をしていても、そこらへんは年相応の女の子である。
「白鷺さんの私服って知らなかったし、いつも可愛いからあれだけど、綺麗さなら人類全てと殴り合っても勝てるね??」
ーー、橘さん?!
黒川さんは動揺する。
この娘は何を言い出すのか。
明日香は、思考が脳筋である。
女の子の可愛さを、戦闘能力に例えて判断していた。
可愛いスカウターが破壊される。
流石、よんいち組のお嬢様枠だ。
小日向風夏の親友で、一番仲が良いだけあってか、双璧を成す美人である。
あれだけ人気のある、風夏ちゃんの隣に居ても見劣りしない。
それだけで凄まじい。
白鷺冬華が、春から読者モデルの契約をしたと話したら、誰もが認めるほどだった。
人類全てと綺麗さで殴り合いをしても勝てるという点では、間違っていない。

綺麗なのはさることながら、これほど可愛く着飾ってデートに挑む女心を察してしまう。
誰かの為に頑張れるほどに好きなるのは、思っている以上に難しい。
可愛く着飾って出掛けるだけでも、女の子は大変なのだ。
朝早くから起きて身支度をして、髪型を整えて化粧をして、気分に合った洋服を選ぶ。
洋服だって、春のトレンドを加味したものだから、事前に買い物をしてこの日の為に用意したのだろうか。
新しく新調された洋服は、女の子の本気の現れである。
そう考えたら、白鷺さんは本当に東山くんが好きなのか。
黒川さんと明日香は、集合した出会い頭から数秒で即座に悟り、深くは追求しないようにした。
女性の勘が働いている。
いや、明日香の方は非モテ故に、微妙にズレていた。
小声で話し掛ける。
「姫ちゃん、わかったわ。今日は白鷺さんのフォローをすればいいのね」
「えぇ……」
フォローされるのは、明日香の方だが。
黒川さんはツッコミを入れるのをやめた。
こちらが思っている以上に白鷺さんは、数倍も女性として充実した恋愛をしていると思う。
東山くんが隣に居ても、少しも会話せずに一切気を遣っていないことから、二人の信頼関係が段違いに高いのだ。
普通の人が持っている、好かれるように嫌われないようにと、一々相手のペースを考えて会話しているカップルとは別なのである。
ハジメに関しては、何も考えていないただのアホだが。
まあそれでも他のカップル以上に幸せそうだった。


それから、合流した三組は直ぐにシルフィードに向かうことになった。
佐藤あたりは初めての秋葉原なので、楽しそうに辺りを見回していた。
「キョロキョロしているの、恥ずかしいからやめなさいよ」
「え~、いいじゃん。初めて来たんだしさ」
「よかったら言わないでしょうがっ!」
コントかよ。
佐藤と橘さんは仲良さそうであった。
高校生らしい安定したやり取りをしている。
これもう付き合っているだろ……。
誰も追及しないが、二人でカフェ巡りを何度もしているから、実質カノカレである。
それを傍観する四人。
黒川さんは、みんなに聞く。
「何度も一緒に遊んでたら、付き合っているよね?」
「でも、佐藤だし……」
「あいつ紅茶キチだし、カフェ巡りの時は何も考えていないんじゃないか?」
よんいち組の問題児。
コーキチが何か言っていたが、無視する。
「橘さんもおめかしをしていたし、やっぱり好きなんだよね?」
「うむ。カジュアルだが、可愛く着飾っているな。並々ならぬ努力をしているのだろう」
「そうだよね。橘さん、学校ではムードメーカーだけど、ああいうカジュアルな感じも女の子っぽくて好きかも」
「私達には出来ない可愛さだな」
「うんうん。分かる」
橘明日香の格好は、運動部の引き締まったプロポーションだから、映えるものだ。
それでいて、中背だからスタイルのよさの中にも女の子らしい華奢な部分が垣間見える。
黒川さんは萌花と同じような小さな背丈だし、冬華は男子に負けないくらいにダントツで背が高い。
だから、普通の女の子のファッションが微妙に似合わないのだった。
普通と言われようが、中肉中背で、色々な洋服を着こなせるのは、それだけで才能だ。
小日向風夏を見れば分かるように、黒髪ロングの少し背丈が高くて、ちょっと脚が長いくらいの平均的な女の子。
だからこそ、ファンの女の子はこぞって風夏ちゃんのファッションを真似することが出来る。
明日香も同じタイプであり、持ち前のスタイルで色々な洋服を着ることが出来るので、羨ましいくらいだった。
色々な洋服が着れる。
デートする時の着回しの選択肢が多いから、それはそれで大変ではあるが、黒川さんからしたらそれだけで羨ましいものであった。
一条が無駄にイケメンなせいか、隣に居る人間は釣り合うように洋服にも気を遣わなければならない。
イケメンの隣なのに、可愛くない彼女と思われたくないのだ。

男子は男子で話していた。
一条はハジメのファッションをまじまじと見て、褒める。
「東山、今日の服装可愛いね」
「え、なに? 野郎に可愛いとか言うなよ。気持ち悪いだろ……」
ハジメもまた、綺麗な女の子の隣に居るだけあってか、ちゃんとした格好をしていた。
フード付きのパーカーが好きらしく、それを使った若者のトレンドコーデをしている。
明るめの春色を取り入れていて、可愛いという言葉は相応しい。
「それって、春シーズンの新作だよね? 読者モデルだとファッションに気を遣うようになるのかい?」
「……いや、ダサ過ぎるから着ろって、事務所の人に渡されただけだ」
「そうなのか……ごめん」
え、なんか違う。
東山くん?!
君は、読者モデルの人間だよな?
もっと色々と洋服を着る理由があるのに、説明をぶん投げていた。
ハジメのファッションのクオリティからしたら、その理由はあながち間違っていないのだけど、読者モデルらしい華々しい話を期待していたので、残念だった。
「まあ、事務所と契約しているブランドだから、オススメしたいんだろ。正直、俺は客寄せパンダみたいなもんだな」
ファッションは、目立つような面白い人間に着せれば、自然と目に止まるものだ。
でも、言動が面白いのはあかん。
こいつは、喋らせたらいけないタイプだ。
ハジメが今時な洋服を着ると、ブランドイメージが底辺まで低下しそうだが、それはさておき。
最近では、女性モノのブランドも、若年層や男性の着れる洋服を出してきている。
少子化や多様性の拡大によって、需要と供給が徐々に移り変わっていた。
女の子の洋服だけでは、ブランドを維持するのは難しい。
買ってもらえるように漫画やアニメのタイアップや、読者モデルデザインの洋服を作ったり。
洋服とアクスタのセット。
ファッション初心者向けのコーデセットや、プレゼント向けのセットなども多種多様なニーズに合わせて模索していた。
そして、近年では男の子にも中性的な可愛さを求める。
カップル向けに便利な、ペアルックファッション。
男女兼用のユニセックスが主流になりつつあるので、その点ではハジメが着て宣伝するには丁度良かった。
ハジメは、小日向風夏経由で元々の女性人気が高い。
小日向が度々ハジメを盗撮してSNSにアップしていたので、認知度は高い方だ。
愛称は四股クソ野郎だが、一年以上小日向と共に仕事をしてきた経歴と、ファンにはいつも紳士的な部分が評価され、結果的にいい方向に進んでいる。
イケメンではないが好かれていた。
風夏ちゃんの隣にずっとずっといる時点で、ハジメの性格の良さは保証されている。
超絶美少女がこれほど気を許している時点で、女の子を顔や肩書きで判断するクソ野郎とは違うと察するのだ。
ああ、そうだ。

人の評価とは、得てして周りの人の評価から判断される。
風夏が真面目に仕事に取り組むほど、ハジメの評価は上がり、ハジメが毎日小日向のイラストを上げて色々な人に頭を下げ続ける限り、小日向風夏は彼にそうまでさせる価値がある人間だと評価される。
二人はアホなので他人からの評価を知らないが、互いに支え合うかたちで歩んできていた。
そんな、風夏ちゃん効果もあるのだけれど、中高生から人気がある読者モデルは稀である。
特に男性の読者モデルで、突出して人気になる為には、イケメンで優しくて彼氏にしたいような爽やかな包容力が求められている。
女の子はみんな、自分では付き合えないような、どこか浮世離れした格好いい読者モデルに擬似恋愛をしているわけだ。
それこそ、偶像(アイドル)と呼ばれるに相応しいくらいの人格者で、輝いていて誰からも好かれる必要があるだろう。
それに比べ、ハジメは目付きが悪くて礼儀に厳しく、小日向のケツを蹴り飛ばすことも多い。
毎回、訳分からない天然を発揮するから、周りを困らせることもある問題児だ。
そもそもイケメンじゃない。
メイド好きの変態だ。
なんでこんな人間がよんいち組に好かれているのかは、永遠の謎である。
ハジメは、真面目だが一般家庭生まれの俗物だし、透明感がある読者モデルとは真逆をいく人間だと言いたいだろうが、それでも人間としての魅力は誰にも負けていない。
ハジメがSNSで毎日上げるイラストは、どれも情熱的であり、風夏ちゃんへの愛を感じる。
どの彼女も、可愛くて、綺麗で、自由だ。
それが、月日を経て、徐々に増していく。
それを魅せられたら、ファンとして推していける。
それだけの価値がある。
ちゃんと彼女の心を理解していなければ、イラストを描けないだろう。
ハジメが風夏ちゃんを異性として意識しているかは謎だが、愛情とは尊いものなのだ。
別に、心を理解しているのであれば、それは恋愛すらも超越しているはずだ。

ハジメが描くイラストや、同人イベントの情報を見ながら、いいねを押す。
推し活の基本は、支えたいだ。
付き合っているのに、まだまだ恋愛に発展していない二人を見ていると、ファンは思うのだ。
この二人は、どこまで行けるのだろうか。
走り続ける若者に、無限の可能性を感じてしまう。
二人には、人気になってもらえるように、私達が頑張らなきゃ。
そんな気持ちにさせてくれる。
だから、ファンアートや自作グッズを作ったり、風夏ちゃんコーデをしてアップする人もいるのだ。
ハジメは、中高生の作品でも馬鹿にせずに子供のように屈託なく褒めてくれるから、ハジメに見せ付けたくなる。
当の本人は、自分より才能溢れる中高生を目の当たりにして、自分の不甲斐なさを感じていたが……。


理由は何にせよ、ハジメは人気があり、ハジメを推しているファンは、特殊な訓練を受けている者が多い。
よんいち組を見ても、この子の周りに居る女はまともじゃないのだ。
同じく、ファンがまともなわけがない。
エイプリルフールの女装ネタのせいで、ハジメさんの敬称から、ハジメちゃんになっているファンが急増していた。
たまにくるファンレターやファンアートもハジメを女体化させているので、産まれてきた性別が違えば、それこそ母親似の美人になっていたのか。
逆だったかも知れねェ……。
本人にそれを言ったらマジで殺されそうなので、一条は黙っていた。


シルフィードに着くと、二階のメイド喫茶に入る。
一階のメイド服専門店は、後でお邪魔することにした。
扉を開けて喫茶店に中に入ると、メイドさんが出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
元気ハツラツ!ちんまいメイドさんこと、アールグレイさんであった。
小さいながらも大きな声で、お出迎えしてくれる。
「あー! ご主人様とお嬢様じゃないですか!!」
「……全員そうだよ」
「むむ? そういえばそうですね?」
アールグレイさんは、首を傾げる。
メイド喫茶のコンセプト上、メイドさんはお客様の名前を呼べないので、名前を知っていてもハジメとふゆお嬢様とは言わなかった。
アールグレイさんは駄目なメイド枠だから、メイドらしからぬ言動をしてもいいものだ。

「あ、ごしゅ……」
「メイド長、春休みで忙しいのですから、止めてください」
「ぎぇっ」
メイドさんは、ダージリンさんに亜音速で取っ捕まっていた。
部下に首根っこを掴まれるメイド長が見れるメイド喫茶は、古今東西探してもシルフィードだけである。
「あ~ん。私が給仕をしたいのにぃ~」
「はいはい。落ち着いたらそれで構いませんよ。最悪、春休みが終わりましたらですが……」
「うわぁぁぁん」
連れ去られながら、ぎゃん泣きしていた。
相変わらずの二十○歳児である。
遠巻きにそれを見つつ、冷ややかな目をしていたハジメであった。
まるで、どぶ沼でも見ているかのような目である。
異様な光景に、佐藤と明日香はたじろいでいた。
「ねえねえ、メイド喫茶ってこんな感じなの?」
「いや、あの人がやばいだけだ」
「メイドさんなのに?!」
「メイドさんなのにだ」
嗚呼、付き合いの長さは冬華と同等だったのに、どこでボタンをかけ違えたのだろうか。
頼れるお姉さん路線でいけば、かなり信頼される存在になり得たのに、そうはいかなかった。
今となってはシルフィードの落ちぶれたメイド長。
お局メイドだ。
恋に破れた敗北者は、見るも無惨である。
……ハジメに対してアプローチしているが、ふざけているのが、冗談なのか、本気なのか分からないから、無闇に突っ込めないのである。
まあ、それでもこうしてハジメ達に色々教えてくれる憎めない人なので、尊敬していたが。


クソみたいな空気の中。
アールグレイさんは、拍手をして話を進める。
「改めてご挨拶しますね。本日はご主人様、お嬢様方の給仕をするアールグレイです。ささ、お席にご案内致しますね」
てってけ。
落ち着きがない小走りだけど、普通に席に案内するだけで評価される。
アールグレイさんは、神メイド。
六人が座れる大きなテーブルに案内され、メニュー表をもらう。
女の子三人は隣に座り、キャッキャしながら、仲良さそうに何を頼むか悩んでいた。
一つのメニュー表を仲良く見る光景は、絵になるものだ。
「わあ、メニューも本格的なんだね! 紅茶の種類だけで1ページ埋まってるの凄い」
明日香はウキウキである。
カフェ巡りしているだけあり、メニュー表一つでも違いが分かる。
本革のメニュー表に、綺麗に書かれた手書きの文字。
数十種類以上の飲み物。
それだけで、喫茶店としての本気具合が分かるのだった。
メイド喫茶としてではなく、喫茶店として通用するラインナップである。
特に、メイドさんの名前が紅茶と同じだけあってか、シルフィードで直接取り寄せた最高品質の茶葉を、飲み方に合わせて種類ごとに詳しく記されていた。
ひとえに紅茶と言えども国によって飲み方は多種多様だ。
ストレートに飲むのか。
ミルクやジャムを入れて飲むのかは、茶葉の種類ごとに違うため、それに合わせて好きなものを選ぶ。
生粋のお嬢様である白鷺冬華は、茶葉の銘柄や産地で味と薫りの想像が付くので悩むことはないが、初めてきた人にはアールグレイさんがお嬢様方に合わせてオススメの銘柄を用意してくれる。
コーヒーも十数種類あったが、同じように任せてしまえば済む。
「初めてでしたら、皆様同じ紅茶をお淹れ致しますね。お友達でしたら、同じ味を共有する方が特別な思い出になって楽しいですからっ」
「あ、俺はコーヒーで」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
協調性皆無。
挙手して、新作のコーヒーを一人だけ頼む東山ハジメだった。
コーキチは、こんな時も一人だけコーヒーを飲む。
陰キャに常識は通用しない。
まあ、ハジメのそれは今に始まったことではないので、誰もツッコミは入れなかったが。
「じゃあ、みんなで紅茶をシェアしよっか」
「そうだね」
「シルフィードでは、クッキーとパウンドケーキもオススメだから、セットにしよう」
ハジメの発言は、フルシカトしていた。
注文を終えると、通い慣れている組は本棚から詩集を持ってきて読む準備をする。
新しい本が幾つも入荷していたので、わくわくしていた。
「え? なにそれ??」
「詩集だけど……」
「え、なにそれ。しらん。いきなり持ってきたら怖いわ」
明日香はドン引きしていた。
無言で席を立って、詩集を用意したかと思えば朗読するのだ。
狂っている。
「え? 白鷺、お茶の場では詩を読むよな?」
「うむ。当然だ」
二人のデートでは、詩を読むのが恒常と化していた。
当たり前のようにしているけども、普通の人には、そんな習慣はありません。
カフェに来る度に愛の唄を語り合っていたら、ロマンチストが過ぎる。
明日香からしたら、このような情熱的な詩を読むことは告白しているようなものだった。
奥手な人間からしたら、どれもこれも直接的な愛情表現だ。
「好きとか、愛しているとか、詩の言葉だとしても恥ずかしいじゃん」
耳まで真っ赤にして恥ずかしがる明日香だった。
それが普通の反応である。
一条と黒川さんは、プライベートでも何度かシルフィードに来ていたらしく完全に染まっていた。
サラッと詩集を用意していたのだから、手遅れである。
一条は、初心者向けの詩集を持ってきてくれた。
「まあ、最初はそうなるよね。橘さん、これなら読みやすいと思うよ」
「一条くんも!?」
明日香は気付く、この席には常識的な思考をしている人は居ないのだった。
佐藤はシルフィードは初めてだが、馬鹿なので気にしていない。

詩集朗読はいい趣味だ。
最初はノリで始まった朗読だったが、カップル向けのイベントなので、一定層には大好評である。
日常生活で、わざわざありがとうと言う人が居ないように、普通の日に恋人に大切だとは言わないし、愛を伝えることはない。
シルフィードでお茶をする。
それは、間接的に貴方は一緒に詩を読むほどに、私にとって大切な人であると伝えられる。
それ目的で来店するご主人様やお嬢様も多い。
だから、カップルからしたら恥ずかしいものの、意味があるイベントである。
まあ、そんなん気にしていないハジメ冬華ペアもいるが。


郷に従うのが世の常だ。
慣れた人間は、スラスラと愛の唄を口に出して、詩を楽しみ、紅茶が席に届くまで時間を潰す。
明日香の心臓が死にそうだったが、佐藤は恋愛とかよく分からない馬鹿なので、無表情であった。
「どうかな?」
「うむ。分からんな」
二人に詩を読ませることで、互いの距離感を把握させることが出来ると思っていたが失敗である。
明日香ちゃんの乙女な部分が垣間見えて、黒川さんと冬華はほっこりしていたので、普通に役得だったが。
まあ、仲良さそうなので心配ないか。
佐藤は明日香を女の子として意識していないけど、信頼しているからカフェ巡りに誘っているようだし、ぐいぐいくる野郎じゃないと知れただけ収穫だ。
可愛い女の子だから、誘っているようでもなさそうだ。
明日香は、顔を冷ますために手で扇いでいた。
「二人ともこういうの平気なんだね。恥ずかしくないの?」
恋人同士だと、面と向かって好きって言うのも普通になるのだろうか。
高校生だからか恋愛はよく理解出来ないが、大人なら相手に好きと言うのは普通なのか。
「ふむ。人を想う気持ちに、恥ずべきことがあるのか?」
駄目だ、言葉が強い。
冬華でなければ、オブラートに包むこともあっただろうが、やんわりと諭すのが苦手な人だった。
そうでなくとも、誰よりも両親に愛されている女の子だから、好きな人への気持ちは大切にしていた。
この前のハジメと家族とのディナーの件も相まってか、無敵状態である。
親公認。
現在進行形で花嫁修業をしている、恋する乙女は最強だ。
この想いに憂いはない。
それこそ、この恋は誰にも負けるつもりはない。
自分の想いを大切にしているのはいいことだが、それほどまでに冬華ちゃんに好かれるのには、一体どれほどの血と汗を流して努力すればいいのか。
春休み中になにがあったの?
あれ、この人、直ぐにでも結婚するん??
みんなの視線は、彼氏であるハジメに向かう。
「なんだ?」
ハジメの圧力がやばい。
みんな、ハジメとは文化祭以降の付き合いではあれど、彼の気苦労は知っているし、よく彼女達とは不釣り合いと言われたり、馬鹿にされているが一切気にしないやつである。
でもそれは、好きな人と釣り合う為の義務として頑張ってやっているだけで、普通にキレる時はキレる。
感性そのものは普通の男の子なのだ。
そうでなくとも、最近は親御さんとの付き合いで色々大変な上に、事務所から女装したアクスタを配布されるという高度なハジ虐をされていて、内心はイライラしているのかも知れない。
彼女からの惚気話にも無になっているし。
あ、女性はこんなもんだと諦めている顔をしている。
これ以上、深追いするのはまずい。
そう感じ取るのだった。

今日の目的は、カフェのことを、シルフィードでメイドさんから話を聞くために来たのだ。
ハジメは、向こう側の方々に頭を下げてまで時間を作ってもらっている。
冬華の惚気話を聞きたいのは山々だが、本筋から脱線したら不誠実だ。
春休み関係なく忙しい中で、予定を立ててみんなで集まれる時間を作ってくれたのだ。
この瞬間だって、あと何回あるかも分からない。
寂しく感じてしまう。
とりあえず、美味しい紅茶を飲んで落ち着こう。
話はそれからである。


つづく。
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