この恋は始まらない

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第五十三話・女の子は宝石みたいに綺麗です

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日曜日の池袋。
コスプレイベントの当日に、俺達はサンシャインに集合していた。
小日向や白鷺。
アマネさん達を含めて、五人の女性がコスプレの合わせをするわけだ。
もちろん、アニメのタイトルはジェムプリである。
冬コミと変わらない衣装ではあるが、そこに追加で白鷺が参加するだけあってか、女の子達の温度感は高い。
あのふゆお嬢様が初めてコスプレするのだ。
わくわくするのは当たり前だ。
白鷺が今回するコスプレキャラは。
ラピスラズリ。
青い宝石を模した衣装が似合う、ジェムプリ屈指の美貌を持つキャラクターだ。
ラピスちゃんは、主人公のルビィちゃんとは真逆の、お嬢様系の上品なキャラで、高身長でスタイルがいいためか女の子の人気が高い。
気品に満ちた表情は凛々しく、本当のお嬢様である白鷺がコスプレをしたら無双状態だろう。
白鷺の身に纏っているオーラは、宝石の儚さと美しさを上手く表現していた。
というのか、レイヤーさんは多数居るが、このグループだけクオリティが高過ぎるのである。
何度もだが、美人が通るとオタクが道を避けてくれるのは何なんだろうか。
それほどに存在感があるのに、コスプレ業界では無名の人達なのが勿体ない。
……アマネさんだって、小日向や白鷺に負けず劣らずのダイヤちゃんの存在感を出している。
綺麗なのもそうだが、ちょっとしたポーズや立ち振舞いがダイヤちゃんっぽいので、ファンからしたら有難いのだ。
その点では、小日向や白鷺よりも完成度が高い。
コスプレとは、衣装を着るだけではない。
なりきり要素が重要視されるのだ。
好きなキャラになりきっていれば、コスプレするのは安価な衣裳でも構わないと言う。
それ以上に、ポーズや立ち振舞いに気を付ける。
推しているキャラの理解度が高くないと、どうしても撮影時にキャラが浮いてしまうのだ。
レイヤーさんは完璧なコスプレをする為に、テレビシリーズを十数回以上も読み込み、キャラの魅力をトレースする。
読者モデルが自分よりも衣裳を目立たせるように、レイヤーは自分の名前よりもキャラの素晴らしさを伝えていく。
絵描きは可愛い絵を見てほしいのではなく、キャラを知ってもらい愛してほしいように、何度もそれをしている専業のレイヤーさんには敵わないものだ。
ニコさんとルナさんもそこら辺の落とし込みは完璧であった。
本人の性格はアレだが、キャラを尊重している真摯な姿勢は同じオタクとして尊敬出来る。

「んじゃまあ、広場に行きますか」
ニコさんはそう言い、池袋のイベント初参加の俺達を誘導してくれる。
移動しながら、喋り出す。
「まあ、コミケほど参加者はいないけど、その分ゆっくり撮影出来るし、気楽にしてよね。それに、あくまでみんなで合わせて楽しむのが本題だからね?」
「あのニコがまともなことを言うなんて……」
「年下にマウント取ってる。きもっ」
三人集まると姦しい。
三馬鹿みたいなノリになるらしい。
まあ、皆さん年上の女性だから、可愛い女の子には甘いのかも知れない。
小日向も白鷺も、年上に憧れがあるらしく尊敬の念を懐いていて、目がキラキラしている。
大人の女性はカッコいい。
そんな目をして話を聞いてくれていたら、構ってあげたくなるものだ。
愛嬌がある女の子は可愛い。
年上に慕われやすいのだった。
コスプレ広場に移動したら、場所探しをする。
流石にコスプレした人間が五人も居るため、広い場所を確保しないといけない。
昼過ぎなので良い場所には先客がいて、場所選びは難しいけれど、ニコさんが他のレイヤーさんに上手く交渉してサンシャインの入り口周辺の広場の場所を譲ってもらっていた。
どうしても撮影会場が狭い分、レイヤーさん同士の譲り合いの精神での撮影が必要不可欠である。
俺達だけが広い場所を陣取るわけにはいかないため、一時間あまりで撮影をするらしい。
小さい声で聞く。
「時間短くないですか?」
「そうかもね。でも、サンシャインだとここが一番良い場所だし、早く撮って他の人に譲らないとね」
みんなは、荷物を置いて撮影の準備をする。
アマネさんが白鷺の衣装の手直しをする。
初めてのコスプレだから大変なことばかりだが、何とかなりそうであった。
首もとのリボンを結び直していると、白鷺と目が合う。
「ふゆお嬢様は今日も可愛いですね」
「心遣い、ありがとうございます。アマネさんもお綺麗です」
「光栄です!」
白鷺に引っ張られている。
唐突に推しに出会い挨拶されたファンみたいな反応をするのであった。
立場が逆じゃないのか?
オタクには年齢や上下関係は関係ない。
我々は尊敬していたら、年下であったとしても敬語を使うのである。
推しに対する神格化が激しいのだった。
それから撮影を始める。
小日向のコスプレしているルビィちゃんが主人公なので、真ん中に立つ。
その両隣に白鷺とアマネさんがいる。
主人公のルビィちゃんは、全員のキャラと絡みがある分、どうしても目立つ。
そこに小日向の持つ読者モデルの覇気を乗せれば、否が応にも人の目線を集める。
身に纏うソレは、魂の輝きだ。
……化物だな。
オーラだけで、分かる。
世界一可愛い私を見て。
そう言いたげに、この身を投げて全ての人の心を捉えて魅了する。
全ての人に愛される為に生まれた、正真正銘の読者モデルだ。
誰も彼女を越えることは出来ない。
唯一無二の存在感を出すのだった。
しかし小日向は、己のオーラだけで圧倒していない。
今日の小日向は、ジェムプリのルビィちゃんなのだ。
どこにでもいるような可愛くて、元気いっぱいの女の子を表現していた。
魔法少女のフリフリした衣裳を綺麗に見せて、ポーズを取っていた。
これはコスプレだから。
ルビィちゃんの可愛さを伝えるのが役目である。
小日向風夏としての存在感はいらない。
冬コミの時よりも急激に成長していた。
……いや、化物だろ。
何でこいつには限界値がないんだよ。
数回のコスプレで、レイヤーとしての本質を理解していた。
トップレベルの読者モデルが才能を抑えることなく本気を出したら、純粋な暴力でしかない。
可愛いは暴力。
出会い頭に思いっきり、こん棒で殴り付けてくるようなものだ。
それだけの衝撃を受けていた。


どれだけ才能があろうとも、とうの本人である小日向は素直に楽しんでいた。
幼いままの純粋な心で、ファッションを楽しんでいた。
白鷺もまた、小日向と一緒にコスプレが出来て嬉しそうであった。
白鷺は小さく呟く。
「風夏とこうして、一緒に撮影が出来るとはな」
「にゃ?」
「縁とは分からないものだ。それが人生の素晴らしさなのだろうな」
「あーね!」
あの馬鹿、適当に返事するなよ。
いい話だと分かっていないあたり残念な娘であった。


一息付いて、少し休憩をする。
流石にこの五人が集まって合わせているだけあってか、カメラマンも列を成していた。
SNSで告知をしていないのに、数十人のカメラマンを集めるのはやばすぎる。
列の中には、高橋がいた気がしたがスルーしておこう。
プライベートで撮影しにきていたみたいだし、小日向達には挨拶していた。
うん。
自由過ぎるだろ。
高橋とは、白鷺の撮影の時に仕事するし、まあいいか。
こちらも列整備で大変だしな。
休憩時間の間に、やれることをやっておく。
「飲み物買ってきますね。お茶でいいですか?」
「ハジメさん、お気遣いありがとうございます。はい、私はお茶で構いません」
続けてニコさんとルナさんが話す。
「アタシは、ドクペ」
「チェリオ」
こいつら鬼畜か。
どう考えてもコンビニに売ってなさそうなものを頼むな。
神経が図太過ぎる。
この人達がメイドリストだということを忘れていた。
「カルピスウォーター!」
「午後の紅茶、ミルクティー」
うちのやつらも自由かよ。
「あの、ハジメさん……」
アマネさんは、恥ずかしそうに言い直す。
「やっぱり、ペプシコーラにしてもいいですか?」
何故に名指し?
コカ・コーラにしてくれ。
売っているか分からんのと、何故にペプシ推し??
理由は、アニメとタイアップしている景品が付いているらしい。
恥ずかしがる必要あった?
「だって、景品が欲しいからって恥ずかしいじゃないですか」
まあ、男の俺には分からないやつかも知れない。
じゃあ全員分それでいいとのことで、ペプシを買いに行かされるのだった。


コンビニを二つ寄って、何とか飲み物を買ってくると、みんなの撮影が終わっていた。
綺麗さっぱり撤収する準備をしていた。
ええ、俺まだ撮影してないのに。
ニコさんは言う。
「早さが足りない」
「いえ、パシりスキルは競ってないので」
「ジュース買いに行くの得意そうな顔をしているけど?」
……どういう顔だよ。
いくら陰キャだとはいえ、そんなことしたことないわ。
走ってジュースを買いに行くほど、学校生活は苦労していないし、彼女の尻にも敷かれていないはずだ。
「もう撤収するんですか?」
一時間くらいしか撮影していない。
場所を移動すれば、まだ撮影は出来そうだった。
「まあ、まだ時間はあるけど、長居したら夜遅くなりそうだし、それにお昼ごはんも食べてないでしょ? お姉さんが奢ってあげるよ」
ニコさんは、みんなに奢ってくれるという。
豪快な性格の人だとは思っていたが、普通に体育会系のいい人だった。
ルナさんは、隣で呟く。
「焼肉」
「は?」
「ルナは焼肉の気分」
「え? なんでしゃしゃり出てきた?」
「今だったら、流れ掴めるかなって思った」
えっへん。
ルナさんもルナさんで、よく分からないノリである。
焼肉を奢ってもらうのは流石に高過ぎるのと、白鷺は食事中には喋れないので、出来るなら簡単な軽食が好ましい。
全部詳しく話していたらまたややこしいから、こちらの事情の説明は割愛する。
「んじゃまあ、カフェとかにするかぁ。最近女子人気高いカフェ出来たって言ってたし、行ってみるのもありよりのあり」
「それはともかく、早めに移動しないとね。ほらほら、ここで長話をしていたら、他のレイヤーさんの邪魔になるもの」
アマネさんからの注意を受けつつ、撮影スペースから撤収する。
アマネさんは、美人でレイヤーさんとしての人気が高いのに、謙虚である。
小日向達の纏め役もしてくれているし、社会人だから
仕事も忙しいだろうに感謝しかない。
でも、何か俺だけ避けられているんだよな。
さっきも軽く感謝の気持ちを伝えようとしたら避けられた。
まるで、セクハラでもしたかのような拒否られ具合だ。
コーラを渡した際も、フレームレート最速で受け取っていたし。
悲しい。
みんながコスプレ衣裳から私服に着替えるまで、また俺一人が暇になりそうだった。


神視点。
それからみんなは着替え終わり、カフェに入って遅めのランチをすることにした。
池袋ということもあり、女の子が好きそうな可愛い印象が強いファンシーな喫茶店である。
外観や内観はピンクのレースを基調としたもので、ハジメからしたら目がチカチカするお店だった。
風夏や冬華は、可愛いものに目がない。
メニュー表を二人で見て、わくわくしていた。
「ねえねえ、一番人気は、いちごのパフェだって」
「ふむ。可愛いな」
二人とも、お昼ごはんそっちのけでスイーツしか見ていなかった。
ハジメはハジメで、メニュー表を写真に撮っていた。
それを見てニコは興味を示す。
「ねえねえ。ハジメちゃんは、何してるのさ?」
「え? ああ、カフェの調査」
「理由になってねぇ!!」
台パンするな。
店に迷惑が掛かるわ。
「俺の知り合いがカフェを開きたいらしくて、その為にいい情報があったら共有しているんです」
「あら。ハジメさん、そういった知り合い多いですものね。何歳の人ですか?」
「えっと、同級生なんで十七歳ですね」
どんな同級生だよ。
狂っているのか。
経験豊富の大人の女性からしても、十七歳からカフェを開業したいとか言い出す男子は初めてであった。
自分のお店で色々やりたいと言い出したり、仕事に憧れを懐くのは学生らしい若気のいたりだ。
仕事は楽しくて、やり甲斐がある。
そんな、良いイメージしか持っていないだろう。
現実はそんなものじゃない。
時間やお金に追われ、自分の趣味も疎かになるのが社会人である。
いや、しかし相手はハジメの知り合いなのだ。
正真正銘のチート野郎で、苦行ですらものともしないタイプの人間の可能性も全然考えられる。
仕事で追い込んで、発情するやつかも知れない。
自分の周りの上司や、仕事仲間と同列に考えるのはまずいだろう。
「へえ、そうなんだ。その子はどんなカフェをやりたいの?」
アマネは、当たり障りない受け答えで、パスを回す。
「ああ、はい。同級生の女の子。今は彼女なんですが、その子と一緒にやりたいらしくて、カフェのコンセプト等はまだ模索中なのですが、現状の企画書があるのでもし良かったら見てもらえますか? 大人の意見が欲しいので……」
佐藤は、ハジメ達から貰ったカフェの本を何冊も読んでいて、頭の中のイメージを企画書として何枚も文字おこしをしていた。
それを写真撮影して、ハジメに送っていた。
企画書とはいえ、学生らしい文字の羅列された拙いものだが、時間を掛けて何度も修正されていた。
数十店舗のカフェを巡っているからこそ、企画書の内容はこと細かく記載が出来る。
人気店の良さを吸収して、活かしているのだろうか。
カフェに詳しくないアマネですら、頭の中に詳細なイメージが出来ていた。
佐藤の本気具合は尋常ではないのであった。
「あとで写真を頂いてもいいですか? 時間がある時にゆっくり見させて頂きますので」
「はい。ご指摘があればよろしくお願い致します」
ハジメは、頭を下げる。
最近は大人の人と会話することが多くて、頭を下げてばかりである。
「そうだ。ニコもイベントでカフェをやっていたでしょう? 意見してあげてね」
「あ~、それは構わないけど。カフェって言っても、土日の二日間だけのイベントだったし、役に立てるか分からないぞ?」
「そういうことは、ルナに聞くべき。ニコは頭悪いからその手の仕事は分からない。ニコがアドバイスすると、メイド界隈のブランドの名に傷が付く」
「なんだとぉ……」
手厳しい意見であった。
まあ、それでも社会人経験ゼロの人間よりかは、色々な視点を持っているのは事実だ。
それに、何だかんだ言っても、ニコは二十代前半から自分で撮影会やイベントを企画立案して、何度も成功させている実力者だ。
もちろん、失敗している回数もクソほど多いが、レールが敷かれていない道を進み、自分の出来ること。
やりたいことを模索しているからこそ、常人よりも失敗するのだ。
ニコの性格だから無理だが、普通にやって普通にしていたら、間違いなく有名になっていた。
苦労せずにお金を稼いでいたかも知れない。
しかし、ニコはそんなまともなさなど捨てていた。
ファンは、完全に失敗した地獄みたいなイベントに巻き込まれて、フォローさせられる側はたまったものじゃないが、それを含めてニコの魅了といえるのだ。
何をしでかすか分からないから、こいつは面白い。
人間とはそういうものだ。
可愛いだけなら誰でもいい。
刺激が少なく、眺めているだけの撮影会は、面白くないものだ。
推しが何度も失敗しても、諦めることなく頑張り続ける姿を見て。
最後には、一緒に成功体験を得ることが出来る。
それは、ファン冥利に尽きる。
そこに行き着く過程で金がいくら吹き飛ぼうとも、ニコのファンはファンをやめない。
多分、こいつ金無くなったら死ぬからな。
ニコに人としての真っ当な仕事をさせたら、秒でクビになる。
そんなやつを放っておくわけにはいかない。
野良猫に餌をあげたくなる気持ちになる。
ある意味、ニコとってレイヤーは天職であった。
「ニコは失敗する経験値は高いから、見習うならそっちがいい」
「はいはい。すいませんね」
ひじを付いて、やさぐれていた。
それでもルナがニコの世話役をしているのは、彼女の馬鹿みたいな行動には原動力があるからだ。
ニコを手伝うことは嫌いじゃなかった。
悪態付いていたが、相思相愛なのかも知れない。
そんな中、二人の百合の間に挟まるアマネだった。
普通に被害者である。
「そういう話は食事が終わってからでいいでしょ? 早く注文しましょう?」
うるさい二人に囲まれていても、大人の対応だ。
若干イラついていたが、まだまだ許容範囲である。
このメンバーでは一番の年上だし、高校生には尊敬されていたい。
素の自分を出すわけにはいかないのだ。
精神力の強さで堪え忍ぶ。
内心は苦しそうなアマネを見て、ニコは言う。
「そういえば、ハジメちゃんは女装してたよね? また撮影しないの?」
「しません」
神速のインパルス。
ハジメの脳が判断する前に即答した。
「え~、ファンの子に好評だったじゃん。またやろうよ。女装」
その言葉は、プラスには働かなかった。
女装が可愛いと言われて、喜ぶ男はいない。
そもそも肉親がやばい母親と妹。
周り女の子も大概なため、ハジメは裏を探ろうと訝しげに、ニコ達を睨んでいた。
メチャクチャ警戒されていた。
「こいつが可愛いって言ってた!」
「はあ!?」
アマネシールド発動。
親友を生贄にして、ダイレクトアタックを防ぐのであった。
可愛いとは思っていても、口には出さなかった。
だって、男の娘が大好きなアマネからしたら、この場で自分の性癖が露見するのはまずい。
大人の女性のイメージは保ちたい。
薄っぺらい自尊心ではあれど、お姉さんでいたいのだ。
今日一日はハジメを避けつつ、必要最低限の会話で乗り切ろうとしていた。
年下の男の子に劣情を抱くなど、人としてあるまじき行為である。
同人誌ならば許されるとしても、実際の男の子に同じことをしたら犯罪者として捕まるだろう。

「……はあ、アマネさんが女装した俺なんかに興味があるわけないでしょうが。俺は金輪際、女装はしませんよ」
ハジメは有り得ないことを言われて、普通に否定をする。
そう、有り得ない。
大人の女性として、自分の性癖隠し通して品位を保つべきなのだ。
しかし、オタクとしての自分は、自分自身の気持ちを大切にしたかった。
だって好きなものに出会えることは、奇跡だから。
「ハジメさん……、お願いします。お願いですから、女装を、してください!!」
……何で泣く必要があるんだよ。
この気持ちには嘘を付けない。
好きなものを裏切るなど、オタクにとって最大の冒涜である。
「おい、やめろ。ここは喫茶店なんだぞ」
ニコは止めに入るが、アマネは続けるのだった。
「私はハジメさんのアクスタの抽選に外れたんです……」
関係ない嘆きであった。
知らんがな。
そう思いながら、全員引いていた。
ハジメが女装をしなくなれば、写真が上がることもなくなる。
推しのアクスタが欲しい。
エイプリルフール企画の抽選に落ちた女性達は、他の子が当選したツイッターを見てゲロ吐いて倒れていた。
推し戦争に負けたストレスによる過負荷を受けていたのだ。
ハジメが女装するのを嫌いだとしても、ハジメを好いて求めている人がいる限り、需要を満たすのが読者モデルの仕事である。
モデルとは、やりたいことだけをするわけではない。
自分のしたくない仕事もするし、趣味じゃないダサい洋服を着ることだってある。
ファンの笑顔を守るためなら何でもする誇るべき仕事だ。
風夏は、ハジメの肩を叩いて語りかけるのだった。
「ハジメちゃん。ファンの期待に応えるのが読者モデルだよ」
え、なにこれ。
完全に悪者になっていた。
ハジメが責任を持って女装するのが正しいようになっているが、普通に考えてイカれていやがる。
この流れの異常さを美化するな。
どうして女装をする必要があるのだ。
「ちょっと待ってくれ。俺は男だ」
男は可愛い洋服は着ない。
女性用の化粧をしたり、ウィッグを被ったりはしない。
化粧品を使うのだって懲り懲りだ。
「あ、もう。そういう世界じゃないし、時代じゃないんで」

新世界で新時代だ。

「……えっと、エビグラタンと、ココア。食後にいちごのパフェ」
ルナはガン無視して注文していた。
こいつ、空気読まないよな。


みんなは食事を終えて、一息吐いた頃に新しい話題が上がる。
「何はともあれ、今日一日お疲れ様」
まったく誰も話を聞いていない。
無心になってパフェを食っているやつと、静かに紅茶とコーヒーを嗜んでいるやつしかいなかった。
「何でなんだよ。こっちを見ろよ!」
だから、カフェで大声を上げるな。
別に無視しているわけではない。
食事中は静かにするのがマナーだ。
それに、さっきまでニコだけ饒舌に話していたじゃないか。
ゴールデンウィークに映画を観に行く予定もあったし、ニコが主導になって話すのは構わないけど。
流石にちょっとうるさいので、年下の高校生を見習って、多少は静かにしてほしいものであった。
「はあ、どうしたのよ」
仕方なしにアマネは話に乗ることにした。
「五月の終わりにメイドカフェのイベントやるから、もしよかったらみんな参加してくれない?」
脈絡なく始まる重要な話。
映画誘うノリと変わらないのは止めてくれ。
「えっと、営利目的じゃなければ、お手伝いしますよ」
風夏はさらりと承諾した。
お金が絡むと、どうしても仕事の話になるのだ。
今回みたいなお金が発生しないコスプレイベントならまだしも、お金が発生するイベントだと事務所を通さないといけない。
小日向風夏が仕事として参加したら、莫大な契約金が必要になる。
学生向けの読者モデルとはいえ、世界一可愛い彼女をお借りすると、とてもお高いのである。
たった二日だとしても、ニコが稼ぐ、一ヶ月分の給料よりかは全然高い。
事務所を通すとして。
土日を想定したイベントで、風夏や冬華が参加した時の反響や、チケットの売り上げを加味すると、何とかやりくりしてトントンである。
死ぬほど頑張って金稼ぎするべきか、無償イベントとして自腹を切るべきか。
ニコは思い出す。
あ、これ以上お金を稼ぎ過ぎると税金がはね上がるから、駄目だった。
「うんうん。もちろん、無料のイベントだから安心してね」
風夏ちゃんや、ふゆお嬢様が参加するメイドカフェのイベントなんて、こちらが金を払ってもお釣りがくるわ。
金稼ぎするくらいなら、あえて私が金を払おう。
自分の企画したイベントで、十数万の赤字が出て後悔するくらいなら、オタクなどやっていない。
爽やかな笑顔で、強引に軌道修正をするニコであった。
心中を察する人間が何人かいたが、触れないでくれていた。
「とりあえず、俺の方から事務所に聞いてみますね。必要であればマネージャーにお願いをして、小日向の案件として全面協力してもらえるように掛け合ってみます」
「さすハジ」
さすが、ハジメちゃんの略である。
「……」
ハジメは苦い顔をしていた。
いやまあ、構わないけど。
……真面目な話やぞ。
アマネは慌てて間に入る。
「ニコ、やめてよね。恥ずかしいじゃない」
「……アマネにだけは言われたくはないわ」
男の子に女装してほしいと号泣して嘆願していたやつに言われたら恥だ。

アマネは、まったく理由が分からないみたいな顔をしていた。
だからお前は彼氏が出来ないんだよ。
いつもは年相応の大人な対応が出来るのに、好きなものの話となると加減が出来なくなる。
年下の女の子にフォローしてもらっているのだから手に負えない。
情緒の不安定さが、典型的な陰キャのオタクだ。
アマネは女としての面が良いから持て囃され、メイドリストの中でも人気だし、レイヤーとして調子に乗っているけど友達少ないからな、こいつ。
空気読めないし、読まない。
休みの日は家から一歩も出ないし、ネトフリでアニメを二十話くらい連続で観るような人生だ。
「そんなことしていないし、そこまで言われる必要ないと思うけど……」
社会人として真っ当に生きている。
コスプレのない休みの日くらい家でゆっくりしたい。
それに、コスプレ衣裳を製作する為に家にいるのであって、陰キャではない。
お金を極力使わない方法を考えたら、家にいる方がいい。
アマネは、定職がない万年遊び人のレイヤーにボロクソに言われていた。
いや、ニコは口や行動はちゃらんぽらんな人間だが、自分の会社を持つ社長ではあるので、実質的にはニコの方が勝ち組なのだ。
レイヤーとして趣味に生きて、お金を稼いでいる。
憧れるべき生き方だが、何か嫌。
この心境は、テレビでやっているネイル事業で数千万を稼いでいる女社長に憧れを抱くようなものであった。
真似しようとは思えない。
正直、頑張ったところでニコと同じようにはなれない。
彼女を真似るなど、アマゾンに欲しいものリスト乗せて、ファンのヒモになるくらいの図々しさがないとやっていけないのだ。
誰からも好かれるレイヤーは、ファンから蒙古タンメン中本のカップヌードルを箱でプレゼントされて、ショート動画で激喜びする精神構造が求められる。
それだけで動画一本を撮るくらいの強かさがないとやっていけないのだ。
そんなもん、社会の恥だ。

「アマネもニコもまだまだ子供。他者との交渉や契約が出来るとは思えない。ルナが直接話を付けるから連絡先を教えてほしい」
ニコが社長なら、そのアホを動かしてお金を搾り取る黒幕がルナである。
本人は、天然毒舌のほほんとした性格だけれども、仕事に関しては凄腕だ。
ニコの案から撮影会などの企画を纏めて、限られた予算でイベントを成功させてくれる。
仕事もコスプレもこなせる超可愛いメイドリストなのである。
冗談のようだが、誇張などない。
ニコが路頭に迷って死んでないのがその理由であろう。
「ええ、構わないですけど。とりあえずこれが俺の名刺なので、お時間がある時に事務所に連絡を下さい。午後八時までならいつでも電話が繋がるかと思います」
「ありがとう。神ハジ」
神様みたいなハジメちゃん。
ルナもルナで、ニコと変わらない反応をする。
ハジメは、他の三人を見る。
「何なの、この人達……」
プライベートな時間だし、カフェでリラックスしているとはいえ、あまりにも自由過ぎる。
ハジメだって、別に他人との間に壁を作ったり、年齢や地位に合わせた厳格な取り決めやルールに従って敬語で話をしたいわけではないのだが。
フレンドリー過ぎる。
友達の友達は友達か。
ハジメは思っていた。
ああ、俺の周りには、誰かまともな女性は居ないのだろうか。
そんな悩みは棄ててしまえ。
お前の周りには、やばいやつしかいないのだ。


風夏は、みんなの会話を気にせずにいちごのパフェをぱくぱくしている。
よく食べる女の子である。
「おい、小日向。クリーム付いているぞ」
ハジメは、口元に付いたクリームをナプキンで脱ぐってあげていた。
美味しい紅茶といちごのパフェ。
風夏ちゃんは、とても幸せそうであった。
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