この恋は始まらない

こう

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第55.5話・貴方の世界に必要な人

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「ハジメちゃんおるかぁ?」
事務所で真面目にパソコンと向き合いながら仕事をしていたら、俺の超絶美人マネージャーが話し掛けてくる。
格好良く颯爽と登場してくるあたり、元モデルだけある。
スラリとした立ち振舞い一つにしても、歴戦のモデルだ。
キャリアウーマンだからかスーツ姿がとても似合っており、三十代とは思わせないくらいに若々しく堂々としている。
白鳥さんとは同期。
何度か登場している人で、事務所のスカウト役である如月樹莉愛さんだ。
俺とは文化祭が初対面であり、よんいち組全員を読者モデルに勧誘していた人だ。
まあ、その時に顔を覚えられていたため、俺が初めて契約した時にこの業界のことを色々教えてくれたし、パソコンの使い方から何から何まで、とてもお世話になっていた。
缶コーヒー奢ってくれるし。
事務所のスカウト役だけあり、新人が最初に頼るべき存在。
如月さんは、事務所の顔とも呼べる立ち位置に居る。
小日向のマネージャーである白鳥さんが年相応の魅力を持つ真面目な女性だとするならば、この人はちゃらんぽらんである。
午後五時過ぎに事務所に戻ってきて、車の鍵をくるくると回していた。
今日も女の子の収穫なしである。
だがまあ、誰も彼女を責めはしない。
優秀な人材を見極めるスカウトが、読者モデルの業界において一番大変な仕事だということを知っているからだ。
如月さんが小日向に目を付けて事務所に誘ったらしいし、その慧眼は凄まじい。
彼女の言動はさておき、仕事の才能は評価されている。
「ああ、お帰りなさい。如月さん」
「ハジメちゃん。私のことはジュリねえと呼びなさい」
お姉ちゃんスイッチ入れるなよ。
俺がジュリねえと言わない限り、黙っていやがるつもりだ。
口を糸で縫い付けているレベルだ。
「……ジュリねえ」
「なに? ハジメちゃん♪」
何やこれ。
俺のことを弟みたいに思っているのか、何故かジュリねえと呼ばせたいらしい。
クソみたいなキラキラネームではあるけれど、一応は本名じゃないらしい。
モデル名であっても、樹莉愛と名付けるのは大概だぞ。
いや、この人がそう言っているだけだから、本当かどうかすら分からないが。
「すまんねぇ、みんな。ハジメちゃん借りてくわ。よろしくね」
「いや、席を外すのは構いませんが。こちらの作業もあるわけですし、……説明してくれませんか?」
「駅前でナンパするぞ」
いや、だから説明しろよ。
「は? なんて??」
「女の子をナンパするぞ」
説明になってないんだよ。
俺の周りの女性は全員ぶっ飛んでるのか。


事務所を後にして、渋谷の駅前に到着した。
「ナンパすっぞぉ~」
ジュリねえはやる気満々である。
熟練のナンパ師。
いや、スカウトの仕事は、一日に話し掛ける人数は数十人以上らしく、それだけ頑張っても新しい人材発掘は難しく、読者モデルが増えることはない。
曰く、女の子の美貌のレベルは年々上がっているけれど、理知的でカリスマ性がある飛び抜けた才能を持っている女の子を見付けるのは難しいらしい。
……小日向が理知的かは知らんが。
それはさておき。
中盤から何故に俺がナンパしているんですかね。
「何故か俺が何人か話し掛けさせられましたけど、みんな普通に可愛いんかったじゃないですか。さっきの子は駄目なんですか?」
「探しているのは、風夏ちゃんレベルの読者モデルだからね」
「……なら、無理じゃないですかね」
この世に小日向の代わりはいない。
勿論、あのアホの娘と同じくらい可愛いであろう女の子は存在するかも知れない。
しかし、こと読者モデルとして見た場合、多分小日向の才能に並ぶ者や、並ぼうとする者は存在しない。

小日向と読者モデルとして競い合い、ライバルでいようとする女の子はいないのだ。
あいつの本気を見たら、常人の心は粉砕される。
世界一可愛い読者モデルになれないと、諦めてしまうだろう。
そんな女の子は、二流止まりの読者モデルにしかならない。
世界一可愛い読者モデルのカリスマ性は、目の前で見ると網膜を焼くほどに眩しく、直視すら赦さない。
まるでそれは、神に似た太陽の光を放つのだ。
新人の娘が読者モデルとして本気で夢を追うのならば、太陽に焼かれ、ぶっ壊れる覚悟で挑まなければいけない。
小日向と同じ事務所に属するということは、毎日のように小日向風夏を見るわけだ。
それは、地獄だ。
化物に近い才能を持つ圧倒的な存在と競い合うのだから。

「でも、それだと新しく入った白鷺は良かったんですか?」
「ふゆちゃんはハジメちゃんの彼女の一人だろう? 元々風夏ちゃんに負けたくないって思っているから、大丈夫だ。それに、あの手の女性は芯がしっかりしているから、そう簡単には挫折しないさ」
……うん。
元々親友だから、大丈夫ってこと?
女心はよく分からん。

「ハジメちゃん。とりあえず、あと二人くらいナンパしてきて」
「……いやだから、これに何の意味があるんですか?」
「あらやだ、若いわぁ。この世の全てに意味があると思っているタイプ?」
「そうだよ」(半ギレ)
こちとら、仕事投げ出して付き合っているんだよ。
延々と女の子に声を掛けてナンパしている俺の身にもなってくれ。
意味もないとか、ただの地獄じゃねえかよ。
俺とジュリねえの間には、マネージャーと読者モデルとはかたちだけで、たまに話し掛けてきてや面白がっているだけだ。
どう考えても、仕事をするならば白鳥さんの方が良かったわ。
何でこの人が俺のマネージャーなんだよ。
ジュリねえは、ちゃんと教えてくれる。
「これは修行だわさ」
何でハンター✕ハンター?!
ああ、連載再開するからか。
理由はそれだけだ。
「読者モデルたるもの、見る目を養う必要があるでしょう? ほら、とりあえず凝して」
「ああ、もう……」
生ビールみたいに言うなよ。
指差しされるとそちらを見てしまうのは、ハンター✕ハンター好きの性である。
ジュリねえが指差した先には、読者モデルとして通用するくらいに綺麗な女性が歩いているけど、それくらいしか分からない。
「二十一歳、大学生。あの髪色の綺麗さは独特だから、渋谷のサロンに通っている。いや、流行に過敏なのに、髪型に拘りがあるから理髪師見習いの人かな? 身なりがハイブランドだからいい家庭の生まれの人で、パパ活はしていない」
……最後いらねえだろ。
普通にバイトしていないって言えや。
先見の目を持っているらしく、迷うことなく断言する。
自信満々である。
見聞色の覇気。
いや、漫画のネタを拾うなら、どっちか片方にせいや。
「聞いてくるといい」
「何で俺を行かせるんだよ……」
まあ、本当かどうか気になるから、話し掛けるんだがな。
軽く話をして、俺の名刺を渡してきた。
「マジだったですわ。それと、名刺を受け取ってもらえました」
「良かったじゃないか」
「ついでに、髪を着るならうちのサロンに来てくれって名刺を貰いましたよ」
相手側もこちらを値踏みしていたようで、名刺を渡す前から読者モデルだと気付いていたみたいだった。
「ほう。最近有名なサロンだな。良かったじゃないか。コネが出来て」
「コネなんですかね……。女性向けのサロンで入れないですけど」
「そういう場所には、可愛い女の子が多い」
だから、俺じゃ入れねえって言ってるんだよ。
何で当然のようにサロンでナンパしようとしているんだよ。
この人、可愛い女の子の話となると、見境がないな。
心は鋼で出来ている。
まあ、それくらい図太くないとスカウトなんて出来ないということを知った。
俺だって一人に話し掛けるのですら、心臓が爆発するレベルの緊張なのだ。
それを数十人以上繰り返し、ちゃんと名刺を渡して返ってくるのは難しい。
ジュリねえは、喋らなければかなりの美人だし、男の俺よりも敷居は高くないんだろうが、それでも笑いながらやり遂げる胆力は凄まじい。
「なるほど。ジュリねえの日頃の仕事ぶりを見せる為に、俺を連れてきてくれたんですね」
マネージャーであり上席とはいえ、後輩に背中姿を見せなければ、仕事内容を理解してもらえない。
マネージャーとしての大変さを分からなくては、心の底から尊敬するのは難しい。
そうでなくとも年下のクソガキ相手に、ジュリねえが率先して面倒を見てくれているのは正直感謝している。
女性しか居ない事務所で、男同士のように気さくに話し掛けてくれる人が居るのは助かっている。
ジュリねえは、元々美人で優秀な人なのに、誰に対しても威張らない性格だし、凄い人なんだろうと思っていたが、今日からはちゃんと尊敬出来そうだ。
大人の女性らしい一面を見てしまう。
「え? 知らん、なにそれ。こわっ」
ふざけんな、こいつ。


最終的に、一時間以上スカウトした成果があってか、五人ほどに名刺を渡した。
社会人の女性ばかりだったが、普通に話を聞いてくれたし好感触だった。
「……年上特効キャラなん?」
「普通に褒めてくれたっていいじゃないかよぉ……」
何で素直に頑張ったじゃんで済ませてくれないんだよ。
スカウトをナンパと勘違いされたり、ガン無視されて心が折れそうになっていた。
でもまあ、何人かは名刺をくれたりしたし、多少なりとも収穫はあったかな。
「ちゃんハジ。これ、メンズエステじゃん」
「……」
「……」
「……遊びに来たらサービスするねってそう言う意味ですかねぇ?」
「へぇ、やったじゃん」
何がだよ!
名刺を俺に手渡してくる。
「まあ、あの手の業種の人間はファッションや美容にも敏感だから、話を聞いてみてもいいとは思うけどね。それに、私達は学生をターゲットにした事務所だが、畑違いとはいえ、大人の女性のニーズを理解するのは重要だからな」
なるほど。
風俗嬢の方でも金を払っている関係上、嘘偽りなく色々と教えてくれる可能性もあるわけか。
そういうお店は同人誌の情報でしかしらないけれど、別に如何わしいことをしないといけないわけじゃないもんな。
「忌憚ない意見がもらえるかも知れませんし、その手の職種の人から話を聞くのもありなんですかね?」
「いや、話が聞けたとしても、彼女がいる人間が行く場所じゃないし、真面目な人間が関わりを持つような世界じゃないさ」
「はあ、そうなんですか」
「野郎にも同種とは思えないくらいのクソゴミカスみたいな奴がいるだろう? 君の本質はレディファーストだし、全ての女の子は善良だと思っているだろうが、女にもそんな救いようがないやつだって中にはいるわけだ。住んでいる世界が違うのに、興味本位で深淵を覗く必要はないということだよ。……君の物語には不要な存在だ」
住む世界が違うね。
ウチにも、深淵要員が居ますけど。
あの人のことは守るべき理由があるし、本人はちゃんとしているから、ジュリねえが否定する存在とは、また違うのかも知れない。
根がしっかりした女性しか、俺の周りには居ないしな。
俺自身も、その手の業界には興味はないし、えっちなことはまだまだ早いだろう。
殺されるし。
「それでも、そういう立場の人がいるのは心苦しいですね」
風俗は古来からある職業だ。
廃れずに残っている仕事にはそれだけの必要性と意味があり、そうでなくとも陰キャな男には必要不可欠な存在だと思う。
女の子と話したり接する機会も限られる人からしたら、感謝している人も多いだろう。
でも、やっぱりそれは何だか幸せとは別のベクトルの話であり、素直に納得出来るものではない。
どうしても心が痛くなる。
「ハジメちゃん、君は自分の周りの人間のことだけを考えるべきだ。君の人間としての力量では、それだけですら難しいと知っているはずだ」
「まあ、そうですね……」
「それに、君が読者モデルとして強くあることで、全ての読者に男としての強さを示すことが出来るのならば、救える人生だってあるさ」
「どういう意味ですか?」
「歩むべき道すら知らないただの学生が、君達読者モデルに憧れ、真似をし、生き方を見習うということは、大なり小なり、人の人生を変えて救っている。私はそう思っているのだ」
如月さんは悲しそうに。
でも、誇らしげに語るのだった。
ファッションの奥深さとは、その目に見えた綺麗さだけではない。
ファッションの意味が、『全体の雰囲気やトレンドを表現するもの』というように、それは物だけではなく者でもある。
洋服とは我々が着てこそ、意味があり価値を持つ。
読者モデルに人間性や個性を求めず、美しさしか必要ないなら、マネキンにでも着せればいい。
だが、人々は人間に洋服を着せて、ファッション雑誌を印刷しているし、読者モデルはファンに支えられて生きている。
ならば、読者モデルは尊敬され憧れを持たれるような、貴い存在でなければならない。
雑誌ではどんなに奇抜なファッションをしていたとしても、読者モデル本人は、ファンの模範となり規律を守るべき立場に在る。
読者である中高生の多くは、親からお小遣いを貰い、少ないお金でやりくりをしてファッション雑誌や洋服を買ってお洒落をする。
一ヶ月の間に我慢に我慢を重ね、数点しか買えないものから、我々の真似をしているのだ。
読者モデルを好きな人は多種多様だ。
陽キャも陰キャも。
裕福な家庭も、そうじゃないとしても。
学校で目立つように可愛く居られる人だって、地味で居なければならない人だっている。
この世全ての女の子は、自分が好きなものを好きと言える世界に居るわけではないのだ。
好きなものは好きでいい。
それを認めてくれる人が傍にいるとは限らない。
全てを認めてくれるほどに愛されていて、綺麗で可愛く目立つようなファッションが出来るわけではない。
学生であるなら黒髪で、髪を染めてはならない。
制服をきちんと着こなし、学校指定の黒い鞄と靴下を履かなければならない。
誰だって可愛いデザインのカーディガンを羽織りたいし、着崩しファッションをしたい時もあるだろう。
だが、小日向風夏が制服姿の時に模範生のようなきちんとした姿でいることで、ファンの子は思うのだ。
真面目でいることは間違いではない。
学校ではちゃんとした姿で規律を守り、プライベートで好きな洋服を着ればいい。
風夏ちゃんの真似をしていると思えば、堅苦しい学校も嫌いじゃなくなってくる。
いも臭いジャージもまあ、百歩譲って許してやろう。
そう思えるようになっていた。
「風夏ちゃんには感謝している。大人が勝手に用意した規律を遵守し、高校生の模範としてファッションと向かい合っている。それが、どれだけの女の子にとって救いになっているか分からない」
小日向風夏が、黒髪ロングでいることは、読者モデルとしての仕事だ。
制服姿も私服姿も、彼女に自由はない。
学校指定の制服は、在学しながら仕事をする為の社会人としての義務。
契約しているブランドの洋服を着るのも、事務所の仕事が増えて潤うようにと、自分の意志で好きなものを選んだ回数は少ないのかも知れない。
本当の意味のファッションなど、彼女には存在しない。

いや、いつも付けている赤いマニキュアだけは、彼女の個性なのかも知れない。
せめて爪先だけは自分らしくいたい。
学校や社会に向けた反抗期のようだが、規模が小さいのが小日向らしいというか何というか。
今となっては、赤いマニキュアは小日向の代名詞になっているからな。
それはそれでありなんだろう。
あいつもマニキュアは好きなようだし。
新作コスメが出たら見せ付けてくるし。

そんなこんな語ったが。
最近の小日向は好きなキャラのコスプレしているし、好きなものは好きでいい。
そんな考えで生きているから、昔と比べたら自由にやっているとは思うけれど、危なっかしいのは今も昔も変わらない。
読者モデルとしては一流だが、プライベートはゴミカス。
俺が居ないと数回は事故っていてもおかしくないくらいに、注意力散漫で甘えん坊でダメダメなやつだからな。
あんなやつ、赤ちゃんだ。
おぎゃあと泣くのが仕事みたいなもんだ。
読者モデルとして真面目に生きている反動とはいえ、付き合わされる身にもなってほしい。
これから小日向がどんなに有名になり、全ての女性の憧れになり、天を穿つほどの存在になったとしても、小日向風夏の本質は未来永劫に変わることはないだろう。
それだけは分かる。


如月さんは、人が溢れる渋谷の真ん中で、くさい台詞を言っているのに気付いてか、恥ずかしそうにしていた。
顔を赤くしている。
「まあ、読者モデルに感化されて、人生が大きく変わるほどに救われる。そんなことは、実際にはないのかも知れないがな」

「自分がそうです」

「そうか、そうだったな」
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