この恋は始まらない

こう

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第五十七話・ご飯にする? お風呂にする? それともメイド?

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都内某所。
メイドカフェのイベント当日。
朝一にみんなで集まり、ニコさん主催のイベントの準備を行っていた。
アマネさん達は、慣れた手つきで殆どの準備を終わらせていて、内装は綺麗な喫茶店風になっていた。
イベント用の貸しスペースをたった数日でメイド喫茶さながらに模様替えして、綺麗に装飾されていた。
それは、メイドリストとして長年活動している人達だから出来る技である。
午前十一時からメイド喫茶を開くので、それまでの間に出来ることを全てやっておく。
朝一集まったメンバーは。
俺と小日向。白鷺。
アマネさん。ニコさん。ルナさん。
佐藤と橘さんである。
表の給仕の練習は美人どころに任せて、裏方の作業をニコさんに習う。
「ん~、まあ文化祭見ていた限り、大丈夫そうだから教えることもないんだけどね。危なくなったらお姉さんが見てあげるから頑張って!」
雑。
ニコさんは笑っているだけだ。
とはいえ、ニコさんは頭がいいし、優しい優秀な人だ。
俺達高校生でも対応出来るように、文化祭と同じシステムを組んでくれていた。
紅茶を淹れてお菓子を提供するだけだが、それでも高校生からしたら緊張する。
無償のイベントな分、どれだけ人が集まるか分からなかったため、完全予約制にして人数制限をかけているし、テーブル数は少ない。
無償でありお客さんが少ない分、紅茶やお菓子を無理して準備する必要がないので、裏方の負担は少なくて済むわけだ。
この人は、そこまで考えているのだ。
いや、何も考えてない顔してるけど多分そう。
店内には大きめなテーブルが五つで、椅子が四つ。
合計二十人までが座れる。
そこに必要であれば追加の椅子を置くかたちである。
一時間くらいの回転率で予約者を回すので、提供時間を把握していれば裏方は四人居れば充分である。
まあ、ティーカップやお皿が陶器で、その都度洗う手間があったり、紅茶を厳選した分淹れるまでの時間がかかるようになっていた。
そう考えたら、文化祭の時よりかはやることが増えているといえる。
あれ、思っている以上に大変な仕事なのか?
「ほら、佐藤が紅茶に拘るからでしょ!」
橘さんは怒っていたけど。
「いや、この淹れ方じゃないと不味くなるし」
絶対に折れねぇ。
佐藤は紅茶に対して、一歩たりとも妥協しない。
紅茶とは繊細な飲み物で、効率重視で紅茶を作り置きしたら薫りも風味も落ちてしまう。
俺達が手順通りにちゃんと淹れて、直ぐに提供する紅茶じゃなければ、わざわざ高い茶葉を使う理由がなくなるわけだ。
佐藤が言うことは最もだし、提供するまでの手間や時間はニコさんに再三確認しているので、佐藤に落ち度はない。
しかし、橘さん目線からしたら多少味が落ちたとしても、安定したお店回しをしたい気持ちも分かる。
お客様を待たせてしまうのは下の下である。
四人とも優秀なので、フルで回せば全然大丈夫だが、何かトラブルがあった場合の余力がないのだ。
ならば、手を抜ける部分は抜きたい。
ニコさんは、互いに譲れない部分を噛み砕いてくれ、大人だけありこの空気感を綺麗に纏めてくれる。
「ま、大変だし何があるか分からないけど、せっかく紅茶を提供するんだし、一番美味しいものを飲んでもらいたいもんね。その気持ちが重要だよ。提供時間の問題に関しては前半にアマネを借りればいいし、それでも駄目そうなら十分くらい入場の時間をずらすから安心して」
全てちゃんと理由付けて解決案を出す。
高校生がいるとふざけないあたり、大人は大変だな。
いつものニコさんなら、できらぁ!といいながら自分の直感で行動しているわけだし。
そんな中、大人らしく論理的に立ち回ってくれるから有難い。
裏方の作業は文化祭と同じく、紅茶担当と、お菓子の提供の仕事がある。
美味い紅茶を淹れるのは佐藤しか出来ない仕事だから固定枠として、誰でも出来るような皿洗いやお菓子の準備は俺達が行う。
文化祭で慣れているし、手間のかからないクッキーや個包装の焼き菓子を出すだけなので、楽なものだ。

三十分くらいが経過し。
イベントが始まる前に一連の動きをこなして、表の準備をしている小日向達に紅茶を振る舞うことにした。
表のメンバーにテーブルに座ってもらい、味に問題がないか吟味してもらう。
「美味しい!」
「うむ。今年一番美味しいと思うぞ」
小日向と白鷺は嬉しそうに絶賛していた。
他の人達も美味しいと褒めてくれる。
佐藤が時間をかけて厳選して選んだ紅茶だけある。
初摘みの若葉から作った紅茶だからか、苦すぎず透き通るような芳醇な薫りがする。
一口飲むと、朝の寒さもなんのその。
身体が温まり、ホッとするくらいにリラックスする。
こんなクソ寒い日に朝一から集まってイベントの準備をするなんてつらいと思っていたが、こういう幸せがあるならアリだな。
「はぁ、何で自分の懐から金出して、無償で何週間も働いているんだろ……?」
ニコさんはマジレスする。
つらみ。
いや、あんたが全部決めたんだが??
お前が始めた物語だよ?!
コスプレ業界の人間だから常々思うが、可愛い女の子がたくさん集まったイベントなら、本来なら滅茶苦茶お金が稼げてウハウハである。
しかし、お金を取って入場料やグッズ販売をし、仕事として今回のメイド喫茶を動かした場合、小日向含めて最低でも数十万以上はかかる。

正直、俺達がやりたいことをやっているプライベートだからタダ働きでも構わないんだが、顔を貸してお金を貰っているモデルだ。
事務所としては、可愛い読者モデルを安売りするわけにもいかない。
お金が絡むのは仕方ないのだ。
例えそれが友達のイベントであっても譲れない。
体裁を保つ意味で、今回のイベントはニコさんのサークルのノウハウを借りた、事務所発案の無償イベントにしてある。
事務所側がオファーをかけたファンサービスの一環なら、無料でも問題ないわけだ。

そこまでしないと仕事外でも好きに動けないなんて、大人って難しいね。
そんな裏話はさておき、小日向のマネージャーの白鳥さんや、ジュリねえの計らいにより、俺達三人の契約料金は発生していないし、SNSで全面的に宣伝していい。
学生なんだから好きに楽しんでこいと、背中を押してくれた。
それだけでも充分なのに、メイクやカメラマン含めて事務所の人を何人か手配してくれるそうだ。
常日頃、ファッションの仕事をしているだけあり、ドタバタした現場にも慣れているプロしかいないので、心強い戦力だ。
事務所のみんなは、メイド喫茶が始まる一時間前くらいに着てくれるから、その間に女性陣はメイド服に着替えて最後の準備をする。
勿論、俺達は部屋から追い出される。
野郎二人は暇な時間を有効活用し、コンビニに行って、みんなの朝飯前を買ってくるわけだ。
役割分担である。
まあ、着替える場所があって、裸を見られる心配はないとしても野郎の気配がするのは嫌だもんな。

佐藤と一緒にコンビニでおにぎりを適当にかごに入れ、飲み物を選びながら、充実していた。
そんな中、佐藤は深い意味も考えずに徐に聞いてきた。
「なんでみんなメイド服が好きなんだ?」
「え? 可愛いから」
「????」
「????」
「東山、カフェって普通はエプロンだよな? 何でメイド服なんだ??」
「いや、そうだけどさ。今回のメインはメイドカフェだからメイド服着るのは普通だろう?」
「????」
「????」
いや、あかんねん。
完全に伝わってないやん。
佐藤とは絶妙に波長が合わないんだよな。
俺達からしたら今回の集まりはメイド服に着替えて写真を撮りつつ、ついでにカフェを楽しむイベントなのだ。
しかし、佐藤だけは如何に美味しい紅茶を提供することだけを考えていた。
彼の中では、メイド要素は完全に不要になっているのだった。
そうだ、こいつは紅茶キチである。
美味い紅茶しか興味がない。
修学旅行の三日間を紅茶巡りに費やしていた狂人だ。
その上、休日の殆どをカフェ巡りに費やしている奴の目は、狂気染みていた。
……この子の人生、大丈夫かな。
狂わせたのは俺なんだろうが、許されるのだろうか。
佐藤の紅茶に対する情熱は凄まじいものであった。
だから、わざわざ可愛いメイド服に着替えて、喫茶店をする意味が分からないようだ。
……やばいぞ。
ちゃんと説明しないと。
このまま戻ったら、確実に俺達は殺される。
女の子を褒めないと死ぬのだ。
この世界では女の子を褒められないような唐変木でいたら、容赦なく殴りと蹴りが飛んでくる世界線なのだ。
メイド服に着替えた橘さんを褒め間違えたら、俺が責められるやつだ。
一条や橘さんがいないと、佐藤の相手がこんなに苦労するとは思わなかった。
「佐藤、頼むから橘さんだけでいい。頼むから可愛いと褒めてやれよ?」
「ああ、わかった」
そう口にするなら、分かった風の顔をしてくれ……。
頭の上にずっと疑問符が浮かんでいた。
手間のかかる子である。
佐藤に親切丁寧に説明する。
「ほら、美味しい紅茶を飲む時には、厳選された茶葉に、紅茶の良し悪しを深く理解し、最適の環境で淹れてくれる店員が必要だ」
「正直、それだけでも美味しい紅茶を提供出来るだろう。だけどさ、一流の喫茶店なら、それに加えて喫茶店の雰囲気作りを大切にするはずだ。座りやすい座席に落ち着いた音楽。可愛い店員さんが美味しい紅茶を運んできてくれて、綺麗な装飾の入ったティーカップを眺めながら、優雅に紅茶を一口頂く。そう考えたら、美味しい紅茶は俺達でも淹れられるが、文化祭の時のように可愛い女の子がいなきゃ駄目ってわけだ」
佐藤は、全てを理解したみたいな顔をする。
「なるほど。メイド服は、美味しい紅茶の為なんだな!」
「え? ああ、うん。そうだよ」
え、みぢか。
長々と語った言葉をコンパクトに纏めるなよ。
全然意味が違うだろうけど、秒で返答してしまった。
色々理由はあれど、あいつらがメイド服に着替える意味なんて、メイド服が好きな人の集まりだからでしかない。
可愛い格好がしたいのだ。
コスプレには、可愛い格好をして仲間内で共有する楽しみがある。
一般人の佐藤に女の子の感性を説明しても伝わらないから、やめておこう。
多分、佐藤は特殊な性癖はなさそうだし、メイドのことを熱く語っても理解してくれないはずだ。
同じ男のはずなのに、永遠に相容れない。

メイドリストとは孤独な存在。
メイド好きは、静かに個人の趣味として楽しむべきである。
趣味嗜好としては大衆向けではないし、飲み物で例えるならコンビニの飲み物コーナーの隅にある季節のフルーツをふんだんに使ったフレーバーティーみたいなものなのだ。
美味しいかはさておき、普通の生き方をしていたら、あえてそれを手に取ることもない。
よほど飲みたいものがない時か、狂った感性を持っている物好きが買い求めるくらいだろう。
……小日向好きそうだし、買っていくか。


コンビニから戻り、部屋に入るとみんなメイド服に着替えていた。
白と黒のコントラスト。
ヴィクトリアンスタイルのスカートの長いメイド服。
ピシッと糊付けされた真っ白なワイシャツが好き過ぎる。
はえ~、生き返るわぁ。
メイド服からしか取れない成分とかあるんじゃないかなぁってくらいに、目の保養になる。
目で取る栄養摂取だ。
こんなん、勝手に視力が上がるわ。
網膜が焼かれるくらいに見惚れていた。
アマネさん達メイドリストも見慣れているというのに、面々のメイド姿が素敵だ。
何度見ても、初恋をしたかのような衝撃が走り、心を強く揺さぶる。
メイドリストの皆さんは、立ち振舞いがこなれていて、凛とした姿勢で出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ。ご主人様」
好きです。
結婚して言われたい言葉ナンバーワンだ。
仕事帰りに言われてみろ、お風呂よりもご飯よりも私になるわ。
英国紳士も紳士を投げ捨てるであろう魅力があった。
流石、プロのメイドは違う。
大人には大人の、小便臭い高校生のガキには出せない大人の色香があるわけであり、メイドさんはやっぱり年上の方がいい。
ラインが入ってきた。
『ご主人様、呼びました?』
呼んでねえよ。
シルフィードのメイド長からの連絡が入る。
俺を監視してるんか。
……あんたならまあ、分からんでもないが。
普通に第六感を働かせて、俺に連絡をしてくるな。
駄メイドが。
俺の専属メイドといえば、貴方だけどさ。
登場回数少ないからって、無理矢理出番を作るのやめてくれや。
メイドさんからの謎のメールを無視して話を続ける。
「ねえ、どうどう? 似合う??」
ノットメイド。
小日向はメイドらしからぬキャッキャした態度でいたが、これに淑女としての教養と品位を求めるのは間違っている。
なんというか、無邪気なやつだ。
小日向は嬉しそうに、くるくる回っている。
何だか、昔を思い出してしまう。
このやり取りは文化祭の時と変わらない気がして。
懐かしい気分になりつつ。
思ってしまうのだ。
こいつ、一切成長してねぇな。
頭も胸も中学の時に、成長期来てないんじゃないか?
小日向は、髪を花柄の髪飾りで後ろに束ねていて、いつもと違って新鮮である。
白鷺のやつを借りたのだろう。
透き通る綺麗な黒髪ロングも似合うが、これもまたいい。
女の子のうなじが見えるとドキッとしてしまうものだ。
俺としては、小日向に女の子としての魅力は求めていないんだが。
小日向が彼女なら、全人類が死ぬほど喜んで可愛いと断言するだろう。
だが、俺にとっての小日向はそういうのじゃないしなぁ。
俺は極力平然とした態度を取る。
「似合っていると思うぞ。……まあ、新鮮でいいんじゃないか?」
こんなやつにドキドキしたくないんで、極力目を合わせないようにする。
面と向かって顔を合わせたら、恥ずかしくて顔が赤くなりそうだ。
メイド服は卑怯だろ。
小日向であっても五割増しで可愛く見えるのだ。
「ねえねえ、ハジメちゃん。どうしたの?」
クソガキ。
俺の周りをうろちょろするな。
こちらの本心を知っていて、何とか目線を合わせようとしてくる。
こいつ、俺を辱しめたいのか。
小日向のメイド服のロングスカートがひらりと揺れ動く。
頼む。
俺の理性が残っているうちに殺してくれ。
……人として死にたい。
俺の中の母親の血が騒いでいる。
あらあらまあまあ。
この血に流れている愛が重い。
メイド好きにメイド要素を過剰摂取させたらショック死するわ。
本来なら嬉しいはずなのに、薬も取り過ぎたら毒となる。
それが小日向のメイド姿だからまだいいが、この後には白鷺が控えているのだ。
もう少しだけでいい。
もってくれ、俺の心臓。

「東山、私はどうだろうか?」
白鷺は、上目遣いで聞いてくる。
小日向が自慢のロングヘアを束ねているのに対して、白鷺は髪飾りを外してストレートでくる。
ギャップ萌えである。
逆張りだ。
いや、無理。
限界女子並みに情緒が不安定になっていた。
ふゆお嬢様は、シルフィードのメイド服が世界一似合う女の子。
メイド界隈を牽引するジャンヌダルクだ。
白鷺の見慣れたメイド姿ならば、何とか堪えられると思っていた俺が間違いであった。
こんなもん見せられて平然としていられるやつがおかしいレベルである。
どんなに一緒に居ようと関係ない。
毎日が発見だ。
可愛いに限界などない。
メイド服は、何よりも自由だ。
女神にすら思えてくる。
「ワシのおかげじゃあ」
ありがとう、ニコさん。
心の中で強く握手をする。
メイドリストたる者、メイドへの想いの強さならば誰にも負けることはない。
ニコさんは、そう断言出来るほどにいい仕事をしてくれた。
白鷺は、普通にしているだけでもその身に纏う輝きで人の目を引くものだ。
小日向が可愛い系ならば、白鷺は綺麗系だ。
同じデザインのメイド服を着込んでいたとしても、魅力は全然違うのだ。
白鷺の場合はあまり動かず、静かに佇んでいるだけで写真映えする。
この世界で一番、メイド服が似合う女の子は白鷺冬華なのである。
それは、ファッションに愛されている小日向風夏であろうとも、敵うことはない絶対的なものだ。
好きなものに向き合っている人間とは、それだけで人を惹き付け、勇気を与えてくれるほどに魅力的なのである。
「ああ、可愛いと思うぞ」
そうか。
白鷺は一言呟いて終わりにする。
最後に橘さんが恥ずかしそうに出てくる。
「何で最後なの? このメンバーで最後はおかしくない??」
最後が嫌なら最初に出てくればよかったのに。
恥ずかしがってずっとアマネさんの後ろに隠れているから、仕方ないじゃないか。
いつの間にか仲良しになっているのは有難いんだが、アマネさんも困惑していた。
高校生の女の子。
しかもメイド服を着た無垢な女の子が自分の背中に張り付いているのだ。
……駄目だ、喜んでいやがる。
この人もメイドリストだったわ。
大の大人が高校生に身悶えしている。
この人変態である。
普通に考えたら、現役JKのメイド姿は貴重な存在だ。
気持ちが高ぶり過ぎて、魂が抜けても仕方がない。
俺だって同じ立場であったら即倒しているわ。
「明日香ちゃん。アマネはどちゃくそ変態だから気を付けてね」
「え? そうなんですか??」
「ちょっと、変なこと教えないでよ!」
「草」
わざわざ草を台詞にする必要ある?
ニコさんもルナさんも容赦なくアマネさんを叩きまくるのであった。
完璧な連携だ。
年下の女の子に何とか好かれようと嫉妬し、蹴落とそうとする二十代女性の意地汚い争いを見せられていた。
それはそうと、佐藤が静かにしているので、コンビニで話した通りに、橘さんをちゃんと褒めるように促す。
一応、彼氏?なんだし、佐藤からちゃんとした言葉で褒めるべきだろう。
「可愛いと思う」
「そう?」
いけいけ、佐藤。
全員が全員、心の中では拳を握りしめていたが、空気を読んで口を塞ぐ。
他人の恋愛は楽しいのだ。
自分の恋愛だとくっそ辛いが、他人の恋愛だと責任皆無だから面白い。
静かにして邪魔しないようにしていた。
佐藤みたいな紅茶キチでも、彼女の橘さんのことくらいは可愛いと認識しているようで良かったわ。
俺や一条の立場からしたら、友達の友達の恋愛が上手くいってないと気まずいしな。
自分だけ幸せなのは駄目なのだ。
佐藤は続けて話す。
「美味しい紅茶には、可愛い定員さんが必要だから」
「そうかな? 可愛い……??」
佐藤は真顔で頷くだけだったが、それが本心なのは誰もが分かっていた。
「明日香、文化祭の時のように頼りにしているからよろしくな」
「ふふん。まあ、アンタには私がいないとね。……仕方ないから手伝ってあげるわよ」
仲良さそうにしている二人を見ていると、何だかこちらまで嬉しくなってくる。
学校ではいつも口喧嘩しているけれど、信頼し合っているのだ。
幼馴染みという、俺達とはまた違う関係だからなのか。
それがなんだか、微笑ましいのだった。

静かに眺めていると。
「ねぇ、ツンデレ?」
ルナさんはちょっと黙っていてくれないかな。


それから事務所の人達が来て、カメラの設置や、みんなにメイクをしてくれていた。
メイクのみーちゃんが頑張ってくれて、全員分の化粧を終える。
ブラシを机に置いて、清々しい気持ちでいた。
「今のが……、何連だったか知らないけど、まだいけそうだ」
なんでトリコ?
メイクを極めし者に、無駄な動きはない。
みーちゃんは、洗練されたメイク術を披露してくれた。
可愛い女の子の化粧をするのが仕事であり、彼女の生き甲斐であり人生だからか、楽しそうだった。
「あ、そうだ」
「どうしたんですか?」
「次はハジメさんの番ですよ」
何でだよ!
俺はいらないだろうがっ!!
さも平然と女装させようとするなよ。
「嫌かも知れないけれど、宣伝目的でもあるからよろしくね?」
「いや、何の宣伝ですか」
俺が女装して、メイドさんをやる意味あるのか?
いやまあ、二日間もやるわけだし、ファンの子も来るって言っていたから、 色々ファンサービスをやらないといけないのだろうけどさ。
「如月さんがね……」
あのやろ、お前かよ。
直属の上司からの命令なので、逆らえない。
大人の悲しい目をしていた。
くっそパワハラやんけ。
「生きるのって難しいね」
みーちゃん先生ェ……。
「安心してください。ジュリねえは俺が倒します」
この一件がきっかけで、三十○歳児との死闘が繰り広げられるのは、大分先の話である。


神視点。
十一時になり、扉を開ける。
「お帰りなさいませ。ご主人様。お嬢様」
メイド服を着込んだ風夏達は、定番の挨拶を交わしてクラスメートをお出迎えをする。
綺麗に一礼する様子は、可愛い女の子や綺麗な女の子がやると見映えがいいものだ。
最初の二時間は、無償で仕事をしてくれるハジメ達の為に、クラスメート全員が来れるように予約枠を貸切にしてくれていた。
クラスメート全員でお茶が出来る機会を作ってくれたアマネさん達には感謝である。
それは、文化祭の時のお礼がまだだったため、その恩返し。
貰ったものを返すだけ。
オタク特有の律儀さである。
大人で美人で、高校生相手にも下に見ずにちゃんと礼儀を尽くす女性ともなれば、男子達は惚れてしまうものだ。
クラスメートの男子は、年上の優しくて綺麗なメイドさんに鼻の下を伸ばしていたので、女子達からの好感度はだだ下がりであった。
大人っていい匂いがする。
香水の香りは、魅力が凄い。
彼女持ちの一条含む数名は、大人の魅力を受けても鋼の意思で無表情で堪えていた。
じゃないと彼女に殺される。
こいつら全員、尻に敷かれていた。
拳に爪を立てて痛みで気を紛らわしていた。
メイド好きじゃなければ致命傷だ。
ハジメだったなら、メイドに囲まれて発狂しているだろう。
「いらっしゃいませー」
聞き慣れた男の声。
何か普通にメイド服を着て女装して出てきた。
全方位好感度。
よんいち組の姫は、一番くじで有り金全部溶かした顔をしていた。
あからさまに嫌そうにしている。

ハジメちゃん!?

黒髪ロングのウィッグを付けて、頭の上にはフリフリの髪飾り。
男性の髙身長を活かしたメイド服は、とてもスタイルがよくモデルのようであった。
母親の血が濃いだけあり、女装させて女の子の化粧をすればかなりの美人になる。
一流のメイクさんの神業を褒めるべきか。
声以外どこを切り抜いても女の子であった。
クラスメートじゃなかったら、ハジメだと気付かないレベルだ。
男子が動揺している最中。

「……きも」

萌花は、即座に切り捨てた。
女の子からしたら、恋愛は神聖なものである。
女の子は夢見る少女なのだ。
そんな中、紛いなりにも好きな人が可愛いメイド服を着て、目の前に現れたらどうだろうか。
そう言うわ。
しかも、キモいくらいに女の子としてのクオリティが高い。
「なんでや! こんなに頑張っているのに!!」
「仕事だろうから女装するのはまだ分かるとして、リアルの女の子を越えてくるな」
メイド好きなせいで、誰よりもメイド服が似合っている。
立ち振舞いまで完璧にトレースしていた。
身体はメイドで出来ているのか。
こいつ。
ハジメは、男として見た場合は全然イケメンではないが、母親譲りの整った顔立ちをしているので、化粧をすれば可愛い女の子に化けるのだった。
「東山くん、似合っているわ??」
「ほらみろ。れーなの表情がバグっとるやん」
麗奈は、顔面をおもっくそ殴られたみたいな顔をしていた。
情緒がぶっ壊れていた。
喜ぶべきか、悲しむべきか。
嬉悲入り雑じる表情だ。
萌花と同じく、好きな人が女装をするのは、恋愛脳である麗奈としては認めづらいものがある。
オラオラ系の男らしい駄目男が好きな麗奈からしたら、綺麗なメイドさんになったハジメは受け入れがたい。
黒髪ロングに、死んだ魚のような眼をしているけれど、化粧した姿はそこらへんの女子よりも魅力的だ。
ママや妹の陽菜ちゃんに似ているだけある。
パッと見だけだと、普通の女の子だ。喋ったり、男の娘と言われなければ分からないだろう。
「秋月さん、大丈夫ですか?」
ハジメちゃんは、俯いている麗奈の顔を覗き見る。
顔を近付け、家族に近い距離感である二人だが、近距離で顔を合わせるのは初めてだった。
近くで見るハジメの顔は、お可愛い。
何度も見ているはずなのに。
ちゅき。
黒い瞳が綺麗過ぎて、吸い込まれそう。
愛は∞である。
君の瞳はブラックホールだ。
麗奈は、意味わかんねぇ部分で東山家のテンションに染まっていた。
「はあはあ……」
動悸息切れを起こしていた。
ハジメちゃん成分を取り過ぎて、理性を失いかけていた。
我慢し過ぎて、顔面崩壊している。
「いや、秋月さん。マジで大丈夫ですか」
ドン引きし始めているハジメなどそっちのけで、自分の世界に入り込んでいた。
狂おしいほどに好き。
こんなにも人を好きになるなんて、自分が自分でなくなってしまいそうだ。
女装していても関係ない。
理性を吹き飛ばすほどの恋である。
レズも辞さない。

「ふんっ!」
ーードンッ!!
握り締めた拳で、自分の心臓を勢いよく強打する秋月麗奈。
トキメキ過ぎて、今にも飛び出そうな胸の高鳴りを強制的に制圧する系女子であった。
やばい、理性を失いかけていた。
「ごめんなさいね。もう、大丈夫だから」
麗奈は、全てを無かったことにし、ケロリとした態度で笑顔を見せるのだった。
「ええ……、なにこれ……」
そんな荒業を見せ付けられるハジメと萌花含め、クラスメート総勢三十人であった。
クラスのみんなは、秋月麗奈のクレイジーな本性を知っているので何も言うまい。
狂った深淵を覗いていいことなど何もないのだ。
この人達、メイド喫茶の入口を跨ぐ前から何をしているのか。
クラスメートがドン引きしているけれど、物語はまだ始まっていないのである。


一方その頃。
風夏達は、他のクラスメートにも挨拶をしていた。
男子からしたら、クラスメートと言えど、可愛い格好をした女の子にたじろいでいた。
メイドさんの趣味がなくても、完璧に着こなしたメイド服はいいものなのだ。
メイド喫茶シルフィードのメイド服。
仕立て直したばかりの最高級クラスのメイド服と、可愛い女の子のポテンシャル。
高校生の陰キャ童貞率の高さを加味したら、刺激が強過ぎる。
「あいつら緊張してるし、俺が声を掛けてくるわ」
「いや、お前が行く方がやばいからな?」
「え?」
このアホは、自分が女装していることを忘れていた。
クラスの男子達は、文化祭以降少なからずハジメに好印象を抱いている者が多い。
いや、性的な意味ではなく同性としてだ。
男ならば、頑張っている人間を尊敬するものだ。
それは、頑張る姿が男らしいからだ。
基本的にハジメは誰にでも優しいし、今回のメイド喫茶もクラス全員に招待状を送り、一人一人に一筆コメントを入れてくれるくらいのマメな人間なのだ。
その頑張りを見てしまったら、男同士でもキュンキュンきてしまうくらいにロマンチックである。
ただでさえ忙しい人間が、自分達に時間を割いてくれる。
そんな憧れみたいな人が、可愛いメイドさんの格好をして目の前に現れたら、どうなると思っているのか。
クラスメートの脳を破壊するつもりか。
お前の好感度は、よんいち組の誰よりも高いんだよ。
自分の立ち位置を自覚しろよ。
「男子の相手はふうがやってくれるから大丈夫だからな? 何もするなよ?」
「ああ、そうか。……そう言えば、萌花達のメイド服もちゃんと手配してあるぞ。文化祭の時のよりいいやつだからめっちゃ可愛いんだぞ?」
可愛い顔をして、嬉しそうに語る。
赤ちゃんかよ。
幸せいっぱいな、無邪気な笑顔を見せるな。
そういう表情をするから、お前の好感度が爆上がりして女の子のファンが増えるんだよ。
「……さも当然の如く、もえとれーなにメイド服を着せようとするな。可愛いどころなんて、ふうとふゆの二人いればいいやろ」
「だって、萌花のメイド姿が見たいんだもん」
「その顔やめろや!」
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