この恋は始まらない

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第六十一話・何でもない日に祝福を。

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それから数日後。
今日の放課後は、部活に出ていた。
夜遅くなるまで部活をやって、テニス部の白鷺を待ってから、二人っきりで帰り道を歩いていた。
待っている必要はないんだがな。

まあ、白鷺と話したい用事もあったし、白鷺とは最近話す時間もあまりなかったから。
こういう機会は欲しかった。
彼女も彼女で、学校では人気だから、無理にでも話にいかないといけない。
テニス部は、夏の試合に差し掛かっていた。
白鷺が部活を頑張っている時は、邪魔しないように控えるべきだが、本音は寂しい。
白鷺は、アホ面読者モデルの小日向とは違い、自分から頼ってくるタイプじゃない。
その分、何かと俺からアクションをしないといけない。
じゃないと、一日に数回の会話をするのもままならない。
白鷺の場合は、ラインでのやり取りだけで一日の会話が終わることさえある。
それこそ、学校から駅までの数分であっても、白鷺と話せるのは貴重な時間なのだ。
どんなに待っていても、それだけの価値がある。

「そうだ。旅行の予定を決めといたから確認してくれないか?」
夏休みの予定をクラスメートと話し合って、行きたい場所を煮詰めて、ちゃんとしたかたちにする。
夏休みの旅行を書類に纏めて、他人に見せられるプランとして白鷺に手渡す。
一応、数ページにも渡るものだ。
白鷺のお父様に見せる手前、下手なものを渡すわけにはいかない。
「ふむ。受け取っておこう。……お父様はそんなことを気にするお人ではないがな」
「無茶難題をお願いしているわけだし、そういうわけにもいかないさ」
白鷺のお父さんは出来た人で、娘の為ならなんでも手伝ってくれるだろう。
誰よりも愛おしい。
冬の華と名付けるほどに愛している愛娘なのは、俺から見ても分かる。
だが、その好意に甘えるのは間違っている。
学生だから。
若いから。
確かに俺は、人間として足りない部分ばかりだけれども、大人として振る舞うべき時は分かっている。
今は、ちゃんとしないといけない。
完璧にこなせなくて失敗するとしても、俺達が全てやるのが筋なのだ。
自分で決めた以上、自分でするべきだ。
他人に甘えて妥協したら、何度も甘えることになるし、顔を立ててくれた白鷺の信用すらも損ねるだろう。
特にお金が絡むことは、人間関係の破綻の原因になりやすい。
俺の両親や、メイド界隈の人達は、お金には気を付けろと、口を酸っぱくして言っていた。
俺にはお金の大切さは今だによく分からないが、大人が言っていることには従っておくべきだろう。
俺が知る大人の人は、皆信頼出来る人達ばかりだからな。
「白鷺、すまないが頼むよ。何か分からないことがあれば、俺に直接言ってくれて構わないからな。自分だけで解決しようとしないでくれよ?」
「ああ、了解した」
「それと、何だ。……白鷺のお父さんなら大人だし色々知っているだろうから、俺としては頼りになるのは有難いが。……家のコネを利用してよかったのか?」
一応聞いておかないといけないことだ。
「構わないさ。お父様も会社の広告アピールとして使うと言っていたからな。我々が宣伝すれば、格安で広告が出来る。双方ともに利益があるわけだ」
ほえぴぃ。
その為に全員の二泊三日の宿泊料金を払ってくれるのはまた違うような気がする。
すまないが、うちのクラスにはアホしかおらんのだ。
何食べても全部美味しいしか言わない語彙力しかない連中に、宣伝効果があるとは到底思えない。
しかしまあ、考えすぎても禿げるだけだ。
今後、白書類に目を通して頂いた後に、白鷺のお父さんと直接電話で話す機会があるだろうから、その時に話し合うか。
ただ単に遊びに行くだけだ。
そんな人間がまったくお金を払わないのはまずいから、多少は勉強会でもするべきかな。
二泊三日だから、学生として頑張っていますという大義名分くらいはないと、他の保護者からも文句を言われそうだ。
「東山、お父様から一件だけ言伝てがある。子供は子供らしく、深く考えずに大人に甘えなさいと言っていたぞ」
「……読まれてるなぁ。そうか。そうだよな。分かった。……すまないが、お言葉に甘えるとするよ」
「それがいいさ。人に頼られて嬉しくない人間はいないだろう? 東山は苦手意識があるのかは知らないが、人に頼ることを深く考え過ぎなのだ。嫌われることなどないのだから、もう少し周りに甘えてもいいのではないか?」
俺には難しいよ。
だけど、そこが自分の課題だということは知っている。
みんなと話し合いをして、夏休みに色々とやりたいことの要望はある。
だが、俺の負担が増えて大変になるからと、みんなが我慢してくれていることも知っていた。
好き勝手やっていても、節度を持っている。
自分だけでやれる時間は少なく、余裕がないのなら対処方法は簡単だ。
誰かに頼ってしまえばいい。
圧倒的に楽になる。
一人は一つ。
二人は二つだ。
人が増えれば、面倒なことは多くなるが、その分色々なことが出来る。
しかし、そんな負担を頼める人間なんて、家族くらいだから。
いや、それが深く考え過ぎってことだよな。
手が空いていたら、手伝ってくれるかも知れないんだから、取り敢えず聞くしかない。
忙しくて手伝えないなら、断ってくれるだろう。
「そうだな。言わなきゃ始まらないもんな。……白鷺、すまないが手伝ってもらっていいか? 君の手を借りたい」
「ああ、構わないさ。だが、言うのが遅いぞ。萌花だったら、怒られているぞ」
「う、うん……」
容易に想像出来るので、何とも言えない。
萌花は口が悪いが、もっともなことしか言わない。
たまに無理難題をふっかけてくるけれど、俺が死んでも出来ないことは言ってこない。
人の力量を見極め、一つ上のことをやらせようとする。
死なない程度に飴と鞭を与えて、俺を男として鍛え上げてくれているわけだ。
それが、彼女の役割なのだ。
ただムカつくから、毎日俺に怒っているわけではない。
多分そう……。
それに、誰かを怒るのは難しく、人間関係がしっかりと構築していないと出来ないことだ。

それは萌花だから出来ることであり、性格や立場により出来ない人もいる。
美人に生まれたならば気立てがよく、誰にでも優しくあれ。
小日向も白鷺も、読者モデルや淑女として、そんなステレオタイプの価値観を崩さないように、ファンや後輩のイメージを大切にしていた。
その点、萌花ならば容赦なく罵声を浴びせても許される。
萌花を怒らせる俺が悪いとみんな知っているからだ。
信頼関係ってマイナスにも働くんだね。
鬼嫁のように怒り狂うけど、そこには愛がある。
なら、それで充分だ。
人と人との心の距離。
それを把握する方法は幾つかある。
恋人同士の付き合いの長さや、思い出や共通体験がいっぱいあれば、互いを理解するきっかけになる。
口ではうるさく言ってくるが、それが本心からくるものか、照れ隠しなのか分かるようになる。
恋人にブチ切れたら嫌われると思いがちだが、それは違う。
この世界には、愛より偉大なものはない。
ただ唯一、そこに愛があれば、この世の全てはほんの些細な出来事だ。
「あまり萌花を怒らせないでやって欲しい。東山よ。何故、この世に詩が存在するか考えたことがあるか?」
不意に白鷺は話し始める。
「詩は人の愛を知る簡単な方法なのだ。人は、生まれも境遇も違い、自分の世界しか知らない。それ故に、小さな違いから人は人を理解することが難しく、多種多様な考えがあるから、人が人を愛するかたちさえも皆違うのだ。故に、人は話し合って、相互理解を深めるわけだ」
「詩は、愛する人だけの為にあるのではない。互いが互いを理解する為に必要なのだ。しかし、そこには誰もが考えているような情熱的な愛はない。愛とは、何度も何度も相手へ想いを手紙として送り、時間を掛けて気持ちを交わしていく。違う場所で同じ月夜を見上げて、想いを馳せて同じ刻を共に過ごす。その経験を経て、人は少しずつ交わした手紙を木箱に積み重ねて。その厚みが、いつしか愛と呼べるものになる」
「人とは一ヶ月後も、半年後も、一年後でさえも季節の流れと共に、人の心は変わり続けていくのだ。故に、我々がいつまでも東山の助けを借りて庇護されるような弱い女性ではないと思ってくれ」
「……これでも、少しは頑張って隣に居られる女性に。貴方の隣に居てもいい。そんな淑女になれるように日々努力しているつもりなのだ」
白鷺は、一言も詰まることなく淀みなく語るのであった。

白鷺の言葉は難しいよ。
どれほど彼女と詩を交わし、気持ちを言葉にしてくれていても俺にはよく分からない。
お嬢様と一般市民とでは、価値観がそもそも違うのだ。
俺は、誰かに誇れるような大義や理想を持って生きているわけでもないし、やりがいを持っているわけでもない。
ただの学生なのだ。
俺みたいな人間は、次のイベントに追われ、自分の同人誌を描くのに手一杯なだけだ。
白鷺が俺を高く評価する理由は分からない。
俺と白鷺とでは、似通っていて、共感する部分があるようには思えない。
だが、一つだけ同じところがある。
家族から貰っているものが多い。
白鷺は、家族を愛していて、大切なものが何なのか分かっている。
尊敬する両親に憧れ、同じ道を歩む。
彼女にとっての幸せとは、そういうものなのだ。
「俺からしたら、いつも守られているのは俺なんだがな」
どこまで行っても、俺は普通の人間だ。
みんなの力を借りなければ、出来ないことばかりである。
小日向や白鷺。
秋月さんや萌花。
その他にも、たくさんの人達から助けてもらっていた。
みんなの力がなければ、たどり着けなかった。
よんいち組のご両親には良くして貰っているし、今の境遇に恵まれているだけだ。
どれかが一つだけでも欠けていたら、今以上に苦労していたはずだ。
これが、ある意味主人公補正だな。
良い方向に進んでくれていて、有り難い。
俺の周りにはいい人しかいない。
その恩義に報いる為にも、自分の仕事には手が抜けない。
だがまあ、そこを他人に任せて頼れってことなんだろう。
難しい。
「東山、恥ずかしながら私にもやりたいことが出来たのだ。聞いてもらってもいいだろうか?」
「ん? 構わないけど……」
「私は、世界一可愛いコスプレイヤーになる!」
まるで小日向だな。
俺は少し笑ってしまった。
白鷺って、見た目や口調はあれだが、案外子供っぽいんだよな。
そこが可愛い。
そう思ってしまうけれど、白鷺本人には言わないでおく。
二人は親友なんだし、影響を受けるのは当たり前だろう。
夢は子供しか見れないしな。
なら、俺達は子供でいい。
自分の可能性を信じていたい。
誰よりも特別で。
誰よりも幸せになる為に生きているのだ。
子供である限りは、夢を諦める必要はない。
白鷺のように夢を追うことは、人らしく生きる為の美徳である。
「……白鷺なら、何にだってなれるよ。俺が保証する」
それが彼女の望みならば、それを叶えるのが俺の役割だ。
たった一年の付き合いだし、たった一年のサークル仲間ではあるが、俺の大切な人だ。
白鷺でなくとも、成すべきことを成していれば、人は自ずと自分の進むべき道を決めるだろう。
白鷺はそれが出来る。
信じている。
白鷺が幸せなら、俺も幸せだ。
俺が手伝えるは微々たるものだが、助力しよう。
「東山、ありがとう。東山ならそう言ってくれると思っていた。では、私も本格的に夏コミに向けて頑張らなければな」
むん。
ガッツポーズをして、自分に渇を入れていた。
白鷺は、可愛いな。

そんなことを話しながら。
放課後の帰り道。
夜風は寒く、まだ夏は訪れていない。
白鷺は、やっと口に出せて気楽になったのか。
いや、これからのことに少し不安そうにも見える表情をする。
不本意ながら、その横顔は綺麗で、見惚れてしまう。

分かんないな。
そもそも、白鷺は悩んでいても表情に出ないから困る。
発端は何だったか忘れたが、一度泣かせたこともあるし、中身は普通の女の子だからな。
気を遣ってあげるべきなんだろうがな。
難しいものだ。
「白鷺、どうして急にそんなことを言い出したんだ?」
「ほら、サークルも成長して皆からお祝いの言葉を頂いただろう? しかしながら、私が褒められたとしても、頑張りの殆どは元々のサークルを維持していた東山や高橋の二人の力によるものだ。そう考えた結果、やはり私の頑張りはまだまだ足りないと思ったのだ」
そういうもんかね。
白鷺だって頑張っている。
何なら、今までの内容を思い出すと、オタクになってから一年の間にする内容ではない。
毎回、当日のイベントでコスプレをして、撮影やチェキのサイン入れをしている。
挨拶や握手もしているし、かなり大変だろう。
コスプレの準備の段階だって、ほぼ白鷺だけでやっている。
宣伝や告知。
写真集を出すにあたり、撮影のシチュエーション決めや、撮影場所の手配まで彼女がやっている。
製本までの撮影や加工は高橋の仕事で、まあ高橋は写真好きだし、手伝うのを嫌うから製本作業はノータッチではあれど、それ以外をやっているならほぼ完璧である。
しかし、完璧過ぎるのも考えようだ。
白鷺の生まれ持った美貌と教養の高さを活かし、レイヤーとして活躍しているふゆお嬢様は、メイド界隈でも頂点の実力だ。
それは、喜ばしいことではあるけれど、白鷺は凄過ぎるせいで伸び代がない。
完璧超人じゃない小日向風夏が読者モデルのトップであるように、多少間抜けの方が人間は好かれやすい。
これから白鷺の人気を増やすにせよ、才能で何とかなる世界じゃないのだ。
白鷺はメイド服専門のレイヤーだし。
残念なことに、ふゆお嬢様の知名度の高さは、メイド界隈を中心とした人気なのだ。
それ以外の客層を増やすのが、白鷺の為の今後の課題になる。
「水着の写真集を出している人も居たな。東山、真似すべきか?」
「いや、うん。俺達の客層からして、それは止めておこう」
白鷺の可愛い水着姿とか見た過ぎだが、お義父様に立つ瀬がないので却下する。
水着姿で撮影させたら、俺が殺されるわ。
健全な方法で攻めよう。
どちらかと言えば、白鷺はお嬢様の雰囲気を売りにした人気でファンが付いているため、清楚な立ち回りをした方がいい。
彼女の良さを活かすならば、私服姿のポートレート写真のような日常を切り抜いた写真集の方が素敵だろう。
新しいことに挑戦して、新規開拓するよりも、既存のファンを大切にして、今以上に白鷺のよさを知ってもらうべきだ。
軽率な考えで、肌の露出を増やすのは自殺行為だ。
アマネさん達含め、周りのレイヤーさんもそういうことはしていないしな。
白鷺に提案する。
「頑張るにしても、今の路線を崩すのは微妙だしな。やるならジェムプリの写真集とかがいいんじゃないか?」
「ふむ。ジェムプリならば私のイメージにも合っているか」
「映画やって賑わっているしな。ジェムプリの衣裳は写真映えするだろうし、いいんじゃないか?」
小日向やアマネさん達と撮影していた白鷺は楽しそうだったから、そんな思い出を写真集として残すのもいいだろう。
アニメは、やっているその瞬間を楽しむものだ。
旬を逃したら、後悔する。
今年のコミケは一度しかない。
俺達オタクは、その気持ちでコミケに挑まないといけない。
夏が始まれば、冬の準備になる。
一年とは短いものだ。

高校三年が終わって、大学生になっても俺達は同じことをしているのだろうか。
白鷺や高橋とあと何度、サークル活動が出来るのかすら分からない。
それでも。
まあ、やれることをやるのが人間だ。
分からない未来にくよくよするくらいなら、馬鹿みたいに頑張っていた方が幸せである。
白鷺をサークルに誘ったのは俺なのだ。
リーダーが弱音を吐いているわけにもいくまい。
「そうだ、東山。次回からダイヤちゃん役は東山がやるのだろう? 衣裳の準備は大丈夫なのか?」
「なん……だと……?」
アマネさんが宝石の女王のコスプレをするのは知っていたが、空いたダイヤちゃんの代役は俺がやるのか?
いや、俺がやればいいとか言っていたけどさ。
俺がやったら、顔面偏差値が著しく低いダイヤちゃんになるけど大丈夫なのか??
白鷺は平然と俺にコスプレを勧めてくる。
絶対に似合うと言いたげだが、ダイヤちゃんの衣裳は結婚式に着るような純白なドレスだ。
ダイヤモンドのイメージが、結婚の意味合いが強いからそういう衣裳なのは仕方ないにせよ。
「いや、俺は男なんだが……」
可愛い女の子が多い中で、花嫁衣裳を着るのは、俺……ってコト!?
「冬のコミケで、女性のコスプレをしている男性も多かっただろう? 別に着ていても問題はないぞ」
白鷺はそういいながら、今後の撮影予定を話し出す。
いや、そうじゃないんだが。
まあいいや。
話が進まないし。
「写真集は何度も出したことはあるが、大人数が絡むとなると勝手が分からないな。……ふむ、余裕を持って決めなければいけないだろう」
白鷺の言い方的に、みんなでジェムプリの合わせするんか。
ルビィちゃん含め、主要キャラ全員で合わせたい。
ジェムプリのキャラは多いけど、みんなメイン回があるくらいだからこそ、誰一人も欠かせない。
あ、絶対に俺もやらないといけないやつ。
ダイヤちゃんが居ないジェムプリなんて、ダイヤモンドがない宝石みたいなもんだ。
いや、何を言っているんだ。
俺は……。
白鷺は全員に声を掛けて、集めるつもりらしい。
土日が休みなアマネさん達ならまだ簡単に予定を合わせられるかも知れないが、小日向は……まあ、楽しいこと好きだし、白鷺の誘いなら仕事をずらしてでも予定を合わせるか。
みんな、律儀な人だしな。
白鷺がやりたいと言えば、全力で手伝うだろう。

あのメンバーが全員集まると、肩身が狭いんだろうな。
いや、何で女の子しかいない集まりに野郎が一人参加するんだよ。
ラブコメじゃあるまいし、女性の相手とかただただ苦痛なんだけどな。
「東山、楽しみだな」
白鷺は幸せそうだ。
最近の白鷺は、笑顔が増えた気がする。
「ああ、そうだな」
俺も釣られて笑ってしまった。
……こんな笑顔を見せられて、男だったら断れないわな。
みんなでコスプレするのが、何よりも楽しいんだろう。
仕方あるまい。
恥は捨てよう。
女装くらいどうってことない。
俺一人が羞恥心を捨ててスカートを穿けば、みんな幸せになるのだ。
いや、そんなことさせないで欲しいんだけどね。


同日。七時過ぎ。
アマネさんから連絡がくる。
『すみません、撮影は七月中旬でも構いませんか? 衣裳が、……宝石の女王のコスプレ衣裳の製作が難し過ぎて完成しないんですッ!!』
アマネさんは、劇場版ジェムプリを観てから、急ピッチで宝石の女王の衣裳作りをしているらしく、泡吹いて倒れていた。
文章だけでテンパっているのがまる分かりである。
映画が上映してからたった数ヶ月で、宝石の女王の衣裳をハンドメイドで作るなんて、普通に考えて人外の域である。
宝石の女王たる威厳を保つ劇場版のボスキャラだけあってか、その衣裳の豪華さは、フルドレスと呼ぶに相応しいものだった。
しかも、宝石の女王のような敵キャラはコアなファンしかコスプレしないし、既製品のコスプレ衣裳なんて出ないだろうから、ウィッグからアクセまで何から何までオーダーメイドである。
超巨大の移動砲台のような、魔法少女のステッキも作っていた。
完全武装した宝石の女王でなければ、コスプレする意味がない。
アマネさんの情熱は凄まじい。
でも、コミケに得物は……。
まあ、本人のやりたいようにさせてあげよう。
推しへの愛故に、自分の限界を越えて、コスプレを成し遂げようとするオタクの鏡だ。
その頑張りに水を差すべきではないし、ニコさん達もいるからな。
アマネさんの熱烈なモチベを見ていると、社会人だから仕事もあるだろうに、コスプレ衣裳の製作を頑張っているのは凄い。
普通に尊敬する。
俺も学校終わりに毎日絵を描いているが、それだけでもかなりしんどい。
大人は自分のことをあまり語りたがらないけれど、仕事と趣味を両立させて、オタ活をするのも立派なのである。
七時過ぎまで仕事をし、家に帰ってからの余った時間で集中してサークル活動をしているのだ。
俺達学生みたく、夜遅くなる前に帰れるわけではないからな。
黙っているだけで美味しいご飯が出て来て、コーヒー飲みながら親父の書斎を借りて作業している俺とは違うのである。
集中して静かに絵が描けるだけ幸せだ。
そういえば、俺の部屋は実質秋月さんが殆ど使用していて、気付いたら俺の居場所がなくなっていた。
絵の作業しているとはいえ、男女がずっと二人で同じ部屋にいるのはまずい。
俺にはやましい気持ちはないが、他の人がどう思うかが重要なのである。
ただでさえ、他所様の娘さんを預かっているのだから、秋月さんに変な噂が立っても困るわけだ。
秋月さんはれっきとした恋人とはいえ、彼氏と如何わしい関係になりたいわけではないだろうからな。
女の子がエッチなのは、漫画やラノベの世界だけである。
いつ既成事実が出来てもいいように男受けの可愛い下着を着けて、準備なんてしないしな。
そんなことしていたら、ただの痴女だ。
あの大体狂っている方の秋月さんとはいえ、未成年だけどコドモじゃないみたいな真似はしないと思う。
流石の俺も、可愛い女の子が下着姿で迫ってきたら襲ってしまうかも知れないからな。
うん。
普通にブタ箱にブチ込まれるからやらないけども。
いや、冗談はさておき。
男女が二人で同じ部屋にいて何か起こるわけでもないが、大事を取っているわけだ。

親父が書斎を使わない間、数畳の狭い書斎でも貸してくれるのは有難い。
満喫の一室よりかは、広々としていて快適である。
絵を描きながらコーヒー飲めれば俺は満足だからな。
アマネさんに返信する。
『かしこまりました。ふゆちゃんにはそう伝えておきます』
アマネさんには、白鷺の本名は知っているが、一応ペンネームを使っておく。
『ありがとうございます。こちらのコスプレ衣裳が完成次第お伝え致しますね。ふゆお嬢様にもそのようにお伝え下さい』
形式的なやりとりをしつつ、互いに仕事をこなしていた。
コミケまでの間は、いくら時間があっても足りない。
それから数十分後。
再度、アマネさんから連絡が来る。
『そう言えば、以前にハジメさん女装をしていましたけれど、その時の写真を頂いてもよろしいでしょうか? 本格的にコスプレ活動をするのであれば、レイヤーとして登録が必要ですので』
アマネさんは、色々教えてくれる。
ウェブサイトに登録して写真を上げておけば、そこで簡単にレイヤー同士の情報共有が出来るらしい。
レイヤー同士でイベントスケジュールの管理が出来るし、カメラマンもレイヤーの活動が分かれば土日の予定を決めるのが簡単になる。
日本ではSNSが主流だし、普通のファン相手だとツイッターで告知する方がいいのだが、コスプレや撮影専門のオタク向けにも情報発信する必要がある。
この手のサイトは無料だしな。
レイヤーさんに投げ銭をする定額支援プランとかに入らなければ、お金はかからない。
とまあ、全部タダでいいなら、登録するのはオタクの性だ。
小日向やジュリねえ経由で、俺のスマホに送り付けられた写真たちをアマネさんに送る。
撮った写真が数十枚以上あるのやめてくれ。
俺が持っていても使い道ないし、雑誌には使ってない写真も送っておく。
レイヤーさんのサイトは詳しくないけど、登録する画像の選択肢は多い方がいいだろう。
『貴方は神ですか?』
なにこれ。
狂ってんじゃん。
アマネさん、写真を送った秒で既読付けないで。
画面の向こう側の人が、スマホ片手で待機しているのが怖い。
ずっと待っていたんか。
思春期の男子みたいなことしてて草生えるわ。
『ありがとうございます。こんなに貴重な写真の数々を頂けるとは思っていませんでした。大切に使わせて頂きますね』
にこやかに笑っているねこスタンプ。
そんな可愛いスタンプとは裏腹に、文章だけでは伝わらない。
何か、画面の向こうのテンションがやばそう。
こわ。
アマネさんは平常時は至って真面目で落ち着いた女性の方だが、女装男子を愛でる時は発狂する特殊性癖がある。
アマネさん曰く、メイド×女装男子は神っている。
好きに好きをかければ、それはもう一千万パワーだ。
最高である。
どんなに美人な大人の女性であれ、心はオタクだ。
悪魔超人のテーマパークに来たみたいにワクワクしながら、オタトークで語るのであった。
その好きの度合いが、映画館でファンを巻き込んで男の娘のパンツは何派?論争していたくらいにやばい人であるからして、常人には理解することは出来ない。
俺の立場からしたら、両手両足を縛られて椅子に座らされ、延々と推し活のテレビ番組を観せられているみたいなもんだ。
自分の好きなものを延々と語る様は、素晴らしいと同時に恐怖であった。
推しは、生きる実感を与えてくれる。
貴様も推しにならないか?
推しのいる世界にしか存在しない至高の領域の話をし出す。
新手のデスゲームかな。
男の娘の話長いんだけど。
……俺にはよく分からんが、野郎が女装していて、そんなに嬉しいものなのかね?
可愛い格好は可愛い女の子がするから至極なのであり、野郎が可愛い格好をしたところでどこまでいっても男だ。
スカートを穿いていても、下半身は男だから……。
いや、これ以上語ると本格的に男の娘好きに怒られるから止めておこう。
表現の自由はあれど、表現してはいけない内容だ。
野郎の下ネタなど聞きたくないしな。
『俺の写真なんか需要あるんですかね?』
『もちろんです! とっても需要がありますよ。属性がいっぱい付いていた方がキャラが濃いでしょう? 女の子の格好が似合う男の子は貴重ですから』
つらつらと並べ立てるように熱く語る。
何か、この人。
こういう時だけ、饒舌に語るな。
オタクは、自分の好きなものを語る時は早口になるけどさ。
俺の中で、アマネさんの評価が一つ下がった。
まあそれでも、うちのメイドさんに比べれば全然評価は高いんだけどな。
あの人は、物語に出すのも憚れることをする人だし。
秋葉原屈指のメイド喫茶である、メイド喫茶シルフィードのメイド長なのに、何やっているんだよ。
まあ、メイドさんのことは多く語らないだけで、日頃から良くしてもらってはいるんだがな。
佐藤に紅茶のことを教えてもらっているし。
白鷺のメイド服でもいつも利用させてもらっている。
シルフィードのメイド服や装飾品は、メイド服の中でも一番綺麗で上質だから、イベントがある毎にお世話になっていると言っても過言ではない。
メイド好きの人間としては、一番いいメイド服を着たいものだ。
それなのに何故か、最近はシルフィードの回し者呼ばわりされているくらいだ。
その点では、メイドさんとの接点は多い。
だとしても、わざわざメイドさんの為に話数を消費してまで話にするほどでもない。
まあ、互いに仕事の時は真面目な雰囲気でやっているから、語るほど面白いところがないのだ。
メイドさんは、性格以外は普通に優秀だから問題は起こらない。
問題児はふざけているだけでクラスで目立つが、頭のいい優等生は印象に残らずに埋もれてしまうのと同じだな。
メイドさんの出番はさておき。
今度また、白鷺と一緒にシルフィードに行ってあげようかな。
早く来い毎日来いと、催促されているし、ダージリンさんや他の常連さんも夏コミのお祝いをしてくれるらしいし、顔出ししないとな。
キャバクラの催促メールみたいなもんなんだろうが、まあそれでも応援してくれているわけだからな。
嬉しいものだ。
メイドさんに会うだけでなく、七月にはアールグレイさんの誕生日があるので、生誕祭には行こうと思っている。
アールグレイさんには、お世話になっているし、交流がある佐藤と橘さんも誘っておくか。

忘れないように、手帳にアールグレイさんの誕生日の予定を入れておこう。
パソコンと向き合って絵を描くだけがオタクではない。
SNSがメインで活動している分、案外人間関係は広いのである。
学校のやつらの相手だけにかまけていられない。
オタク仲間だって、お世話になっている人ばかりだから、お祝い事は欠かせない。
徐に、パラパラと手帳をめくる。
きも。
誰だよ、俺の手帳に八月の予定をビッシリと入れた奴は。
しかも、ボールペンで消せないように書いてやがる。
夏コミが終わった次の日から、二週間ずっと遊ぶ予定しか書かれていない。
旅行にお祭り。
他の奴等とのショッピングに。
デートデートデートデート。
デートデートデートデート。
……ちょっと待て。
二週間にデートを八回も詰め込むな。
小日向、よんいち組の奴等は、俺の体力を度外視すんなよ。
全員が同じ予定を同じだけ入れてくるから、バグっているみたいな表記になってるんだよ。
小日向がデートの予定を二つ入れたら、よんいち組の他の三人も平等に二つデートを入れてくる。
可愛い彼女なのだから、みんな同じくらい大切に扱ってあげるべきだが、夏休み後半に八日もデートを入れたら、普通に死ぬわ。
夏コミが終わるまで大変だから、許して欲しいとは言ってあるが、終わったら何してもいいわけじゃないんだよ。
俺に休息をくれ。
たった一日でもいいのだ。
独りになれる日をくれ。
朝起きてコーヒー飲みつつ、ゆっくりネットサーフィンしながら一言も喋らずに過ごしたい。
そんな願いは叶わない。
彼女が出来ると、強制的に制約と誓約が発生する。
この条件を破れば死ぬ。
俺が一人になる時は、死んだ時だけだ。

あと、読者モデルの仕事がある日にデートを入れるな。
……こいつ、俺が午後から仕事終わって暇になるのを見越していやがる。
なまじ小日向が俺の仕事のシフトを完璧に知っているから、無茶苦茶な予定を組むのだった。
ちくしょう。
あのアホに手帳を渡してしまった手前、予定を変えるのは難しい。
女の子相手に、やっぱり駄目が通用していたら、苦労はしない。
誰一人として、口喧嘩で勝てるやつがいないのである。
男が一度口にした言葉は、絶対に曲げてはならない。
萌花にそう怒られるので、泣き寝入りするしかない。
でもさ。
しょうがないじゃないか。
小日向が、これほど容赦なく予定を入れて来ると分かっていたら、最初から対処していたのに。
陽キャ高校生の行動力を甘く見ていた。
体力オバケだ。
俺の八月には、夏休みから休みがなくなっていた。
まあ、夏休みがずっと暇のままよりかは、マシだからいいんだけどさ。
変に気を遣われて、放置されるのは御免だ。

ふとした瞬間、アマネさんからラインが送られてくる。
『すみません。今までのメッセージを送っていたのはニコなんです。ラインの内容は忘れてください』
どっから、どこまで????
完璧な、なりすましすんなよ。
完全になりきっていやがる。
パーフェクトトレースしているんじゃない。
他人の言動だけならまだしも、性癖から発狂具合まで完全に再現していやがる。
『異常者の思考をトレースするのに、こんなにも負荷が掛かるとはな……』
いや、じゃあやるなよ。
わざわざニコさんのラインから、話の続きを送ってくるな。
画面の向こう側では、アマネさん達で集まって衣裳作りをしているんだろうが、何をしているんだか。
ニコさんのラインからは、三人で衣裳作りをしている楽しそうな写真が送られてくる。
『いぇーい。ハジメちゃん見てるー? みんなで楽しいことしてまーす』
この人はこの人で、某NTR漫画みたいなチャラ男構文で写真を送り付けてきやがる。
アンタも大概異常者なんだよ。
異常者じゃなければ、アマネさんの真似は出来ないっての。
しかしながら、楽しそうに作業しているのを見ていると、一人で黙々と絵を描いているのが悲しくなってくるわ。
書斎で何を見させられているんだか。
というのか、みんな俺に対する態度おかしくない?
ファンや三馬鹿含め、俺を煽り散らすのなんなん。
暇なんか。
やることないんか?

小日向からラインが来る。
『今日の晩御飯は、カレーだよ』
お前は帰れ。
飯を食べ終わったやつに、胸焼けするくらいに大盛のカレーを見せるな。
飯テロ系ヒロインである。
だから、小日向はダイエットしろよ。
水着撮影の前日にそんなに食べるのはお前だけだぞ。
あと、俺に晩御飯の写真を送るのを日課にすんな。
カロリー管理のための写真か知らんが、訳分かんねえよ。
普通にカロリーオーバーしてんじゃねえかよ。
しかも、SNSに上げているのに、わざわざ俺単体に送ってくる意味よ。
みてみて、ハジメちゃん系ヒロインだ。
流石、読者モデルだけあり、他人からの承認欲求が高過ぎる。
身内からコメント貰おうとする。
悲しき承認欲求モンスターだ。
こいつはまあ、適当に返信しておこう。
時間をかけて小日向の相手をすると、きりがないからな。
こいつは寝るまで話し続ける。
おしゃべりクソバードだ。
深夜まで話を止めず、充電切れで眠くなるまで付き合う羽目になる。
女って何で、用件もないのに何時間も電話とかメールとかしてくるのだろうか。
別に毎日顔合わせしているんだから、必要ないだろうに。
寂しいとか。
何となく連絡したかったとか。
普通の恋愛漫画ならよくある展開だけれども俺達は違う。
こちとら、三百六十五日も小日向の顔を見ているんだぞ。
週五の学校と、土日は仕事で顔を合わせている。
どこに寂しい要素があるのだか。
好きな人と、毎日会いたいものなんかねえ。
俺には分からん。
いやまあ、仕事終わりで無事に帰宅したって意味では連絡してくれるのは助かるけどさ。
小日向にはそんな高尚な考えはないだろう。
ただ単に、連絡したいからするタイプの人間だ。
恋人に嫌われるとか考えないし、連絡するなら毎日を選ぶやつである。
まあ、俺の同人イベントがある時は会わない日はあるけれど、そんなん気にせず普通にラインしてくるからな。
小日向を人間の常識で当て嵌めてはいけない。
普通の人間の感性では、読者モデルのトップにはなれないのだ。
狂っているから、特別なのだ。
他人とは違うおかしな部分を長所と考えるか、短所と考えるかである。
世界一可愛い読者モデルだから、何だかよく分からないけど、とにかくヨシッ!!

いや、それは知らんけど……。
直感に従う人間だから、言っても理解してくれないんだけどさ。
常々思う。
そんなに連絡はいらないだろうに。
付き合いたてのカップルじゃないんだからさ。
学生っぽいことをしたいとか、二人の絆を強くするために、電話やラインをしたがるのは分かるんだが、俺達は付き合い長いし。
互いの好きなものや、趣味。
交友関係。
小日向風夏の行動理念や、仕事に対する想いも理解している。
……絶対に触れてはいけない地雷も理解しているつもりだ。
表面上はいつも元気なやつだが、闇深いからな、こいつ。
元気そうに見える時が案外やばい場合もある。
小日向が病んでいる時の見極めは難しいが、もう慣れたわ。
目を見れば一発で分かるようになるまで面倒見てきたからな。
それだけ付き合いは長い。
……はあ、小日向が相手じゃなかったら、俺はこんなに苦労していない。
ほんま、手間が掛かる彼女だな。
そう考えると、小日向とはそれだけ色々あった。
毎日会って、同じ学校に通い、昼休みには二人で漫研に行く。
小日向は昼寝をして、読者モデルとしての鋭気を養い。
放課後になったら、気分よく仕事に送り出す。
話にするには詰まらない日々。
でも、毎日共に生きてきた。
その積み重ねがあるから、小日向は俺を信頼してくれているのかも知れない。
別に好かれたくて面倒を見ているわけじゃないけどな。


それでも、俺と小日向の関係は強固だ。
たかだか一日二日連絡出来なくても別に不安になることはないし、彼氏面したいわけでもないから、逐一俺に報告する必要はない。
夜遅くまで、信頼出来るスタッフと仕事をしているのは、俺が一番知っているのだ。
あと、美人とて、流石に見飽きたわ。
目を瞑っても小日向のイラストを描ける人間に、キメ顔した自撮りを送り付けたりするのやめろ。
俺のツイッターにもこいつの写真が定期的に上がってくるから、新手のミーム汚染である。
毎日小日向だ。
子供の成長記録を残しているんじゃあるまいし、お前の写真はそんなにいらん。

いまどきの高校生はSNS用によく写真とか動画を撮るらしいが、自分が大好きで、写真を撮るのが趣味なやつとしか思えない。
小日向のスマホのフォルダには、自分や友達の写真が沢山入っているし、そのせいでスマホの容量はいっぱいらしいが。
まあ、一般人はそっちの方が幸せなんだろうな。
楽しいことはいくらあってもいい。
毎日のように写真を撮って、楽しい思い出を残したいんだろうが、俺が写真を撮ったところで見せる相手も会話する奴もいないしな。
俺の家の一眼レフカメラも、俺よりも妹の陽菜の方がよく普段使いしているくらいだから、俺は写真自体があまり好きじゃないのかも知れない。
家族とか大切な人を撮るのは好きだが、自分を撮ってもなぁ。
別に読者モデルの仕事で撮影するし、わざわざ自分の面を撮りたいとは思わないものだ。
そう言った意味でも、自然に被写体になれて、写真を撮られるのが好きなのもある意味才能なのだろう。
自分で自分を愛せる人は少ない。
写真の小日向はいつもアホ面だけど、飯食って幸せそうで何よりだ。
『ママとツーショット』
マッマ……。
おい、唐突なママみ成分を出してくるな。
娘とは違い、小日向ママは写真慣れしていないのか、照れながらもピースしていて可愛いじゃないか。
いや、自然の流れで小日向ママの写真送り付けてくるなよ。
小日向のママは、お前と違って至って真面目な人なんだからさ。
……娘の彼氏に、自分の写真なんて見られたくはないだろうに。
普通に考えれば、仲睦まじい母と娘なんだろうが、相手は小日向風夏だ。
一筋縄ではいかない。
『ママ可愛いでしょ』
どないせい言うねん。
爆弾を片手に抱えて、タッチダウンすんな。
せめて放り投げろ。
受け取る前に、爆発してんだよ。
仕事中に、脈絡ねぇ内容を送り付けられた人間の気持ちになってくれ。
お前の場合、ドキドキするの意味合いが違うんだよ。
『そうだな。流石、小日向のお母さんだけあってか、相変わらず綺麗な人だな』
当たり障りない程度に、二人をよいしょしておく。
小日向の意図は分からないが、意味はないだろうからな。
『ありがと! ママも喜んでるよ』
『いや、見せんなよ……』
小日向。
見せちゃ駄目だぞ。
次会う時、どういう表情をすればいいんだよ。
彼女のお母さんと気まずくなるとか、薄い本みたいな展開はいらないのだ。
小日向みたいな元気なやつが娘だと、母親も苦労するのだろう。
夜遅くまで騒がしいのが目に見えている。
「お兄ちゃーん。映画観ようよー! 麗奈ちゃんとホラー映画観るの!!」
ドンドン。
こっちの元気なやつもうぜえな。
仕事の邪魔をすんじゃねえよ。
「お兄ちゃーん。麗奈ちゃんが待ってるよー。お兄ちゃん、お兄ちゃーん。麗奈ちゃんが待ってるよー」
クソ妹が。
こっちが反応するまで、大声出して容赦なく書斎の扉を叩く。
破壊神かよ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
ちくしょう、二度も言いやがったな。
てめぇら全員、俺に仕事をさせないつもりかよ。
俺のこと大好き過ぎるだろ。
一日でいいから休みをくれ。
集中力を削られたら、創作意欲もなくなってくるもので、しょうがないので秋月さんと陽菜と一緒にホラー映画を観ることにするか。
はあ、怖いの嫌いなんだけどな。
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リビングを暗くして、ソファーで横並びになって三人でホラー映画を観る。
秋月さんが大好きなサイコホラーであり、シリアルキラーの殺人鬼に襲われるやつだ。
海外ホラー特有のスプラッター要素が強くて、観ている方も気分が悪くなっていく。
どんどん仲間が減っていき、絶望と恐怖の中で殺人鬼から逃げながら、対抗案を模索していく。
しかし、現実は非情である。
武器を持った殺人鬼に敵うわけもなく、無惨にやられてしまう。
希望を与えてから奪うのが、この手の常套句であり、暗闇に灯る火が容赦なく消える瞬間こそ美しい。
「あははは」
何でこの人は高らかに笑っているんですかね。
腹抱えて笑っていやがる。
グロテスク要素極振りのクソ映画でここまで楽しめる人は、この人くらいだろう。
人が死ぬシーンで笑えるって何ですかね?
いくら人間を苦しめる為に存在する悪魔や古の神々であったとしても、あんなに綺麗な笑顔でサイコホラーを鑑賞出来ないだろう。
これは、ホラー好き女子ではない。
フェイタリティ感覚で殺人を楽しむ異常性癖者やんけ。

95点…!!

やべぇな、この人。
殺人方法に点数を付けていやがる。
普通に育った普通の女の子のはずなのに、最も狂っていた。
才能とは、天から与えられる光そのものだ。
狂気とは、深淵から産み出される人が持つ暗き闇だ。
だから、怖いの嫌いなんだよ。
人の闇ほど怖いものは存在しないであろう。
あと何でヒソカ風に言ったの?
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