この恋は始まらない

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第六十六話・ふゆお嬢様は甘えたい。夏コミ二日目。

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夏コミ二日目。
夏コミ開催は、お盆休み中である。
だから今は八月中旬で、前の話からは大分時間が飛んだが、別段話すような内容がなかったので割愛する。
夏休みになってからは、夏コミの準備したり、当日のコスプレの打ち合わせをしたり、ツイッターで活動をしたりと、ほぼほぼ遊んでいる暇がなかった。
……前回は夏コミまで暇と言ったが、あれは嘘だ。
去年と比べ、倍以上の色紙を描いていた。
それだけツイッターのフォロワーが増え、俺のファンが増えたということだな。
ユーチューブではハンター✕ハンター解説ライブ配信もキメラアント編まで頑張ってやっているし、プレゼン系の本を読んで努力した甲斐がある。
小日向の代打でジュリねえと一緒にハンター✕ハンター解説をやったら、やたらとバズったわけである。
ジュリねえは嬉しそうに豪語していた。
綺麗な女の子を出すと視聴回数が上がるのだと。
……女の子とは。
ジュリねえは、年齢を考えてほしい。
まあ、女性で漫画の解説が出来る人は貴重だから、構わないのだがな。
自分一人で語るより断然いいし。
知らない漫画の話題に頑張って付き合う小日向が可哀想だったから、ジュリねえでいいや。
ジュリねえも腐っても元モデルだから、動画映えするし、会話の進め方も得意だし、この手の媒体とは相性がいいのだろう。
そんなこんなでファンが増えた分、夏コミの負担が増えた。
今まで以上に部数を増やして、色紙を描いて、宣伝もしないといけなくなった。
ユーチューブの影響力って凄まじいな。
小日向がテレタビーズみたいなことしているだけだったし、簡単だと思ってたわ。


俺達はサークル参加の為、コミケ会場に早めに来て、俺と白鷺。高橋でサークルの設営作業を終えて、白鷺はいつものメイド服に着替えてくる。
凛とした姿。
好き。
メイド系サークルの同人スペースに咲く一輪の華である。
赤い薔薇の髪飾り。
それが映える黒曜石のようなメイド服を靡かせ、颯爽と登場する。
何度も見ているのに、白鷺のメイド姿は慣れないものだ。
完成された存在。
ゲーミングメイド服の素晴らしさを引き出せる白鷺のスペックがなければ、有数のメイドリストが出揃うコミケで、ここまで人の目を釘付けにし、人を惹き付けることはなかっただろうか。

ふゆお嬢様だ!!!

他のサークルスペースでも、称賛の嵐だ。
メイドリストは、白鷺のメイド姿に感極まって雄叫びを上げている。
スタンディングオベーション。
全米が泣いた。
白鷺は、皆から歓声を浴びていた。
やめろ。
メイドイベントのノリで、騒がしくするな。
はしゃぎ倒す。
盛り上がりすぎて、コミケ開催のお知らせかと勘違いしている人もいるぞ。
パチパチパチ。
???
まだ十時過ぎてないのに、みんな釣られて拍手をしていた。
お前ら、隣接した一般サークルに迷惑を掛けるな。
戻ってきた白鷺は、よく分かっていなかった。
「東山、まだ開始の時間ではないよな? 何故に皆は拍手をしているのだ?」
「まあ、何だ。気にしなくていいよ」
「……」
俺と高橋は多くは語らなかった。
朝から早起きして、コミケの準備をしてきた分、これ以上問題事を抱えたくない。
同人作家としては先輩とはいえ、メイドの文化を支えてきたやべぇやつらの集まりだ。
イカれている。
俺達にとって、今日は誕生日席デビューの華々しい日だ。
絶対に触れたくない。
自分のことに集中させてくれ。
俺達のサークルが人気になったのは嬉しいことながらも、やっぱり緊張の方が強い。
ツイッターの反応からして、どれくらいの人が来るかも分からない。
その中で、俺達三人だけで乗り切らないといけない。
……今まで以上に規模が増え、百部以上の同人誌の販売を高橋にぶん投げているんだよな。
何も文句を言わずに手伝ってくれる高橋である。
まあ、いつも通り、高橋は午前中に写真撮りに行ってもらい、入れ替わりの午後の二時間あまりを任せるかたちになる。
スペースに三人居ても邪魔だし、カメラマンの仕事を優先したいだろうからな。
俺達のサークルと同じように、売り子さんやレイヤーさんが居るサークルは、早めにコスプレ会場に送り出していた。

「ちゃっす!」
誕生日席に座っている俺達に話しかけてきた女性。
ニコさんである。
メイド服を着たイカれ野郎だ。
喋らなければ普通に可愛いのに残念なのは、メイドリスト特有の特徴だ。
「あれ? ニコさんもサークル入場していたんですか?」
「んだんだ。今日一日は、他のサークルの売り子のお手伝いだよ。スペースに写真集置かせてもらってるし。完売するまでは撮影しないしね。あ、アマネとルナはお手洗いに行ってるよん」
「へぇ、ニコさん他の人達とも仲良いですもんね」
メイド界隈で顔が広いだけある。
こちらと同じように午前中は販売に専念し、午後はコスプレ会場で撮影をするようであった。
「そうだ。ハジメちゃんは何で私服なの? メイド服は??」
「は?」
「は?」
こいつら、さも当然のように俺に女装させようとするんだ?
仕事じゃねぇんだぞ。
「ほら。コミケって古今東西から色々な人が来るわけじゃん」
「はぁ、今必要な話なんですか?」
「ハジメちゃんのファンの子、北海道から来るよね」
「え?」
朝一始発でビッグサイトに来るやつは多いが、北海道から飛行機使ってくるなや。
ニコさんは、そのファンのツイッターを見せてくれる。
ANAで来た!
なんでや。
JALで来いや。
お前らの愛が重過ぎる。
繁忙期の飛行機の値段いくらすると思っているのだ。
写っている姿が学生っぽいから、今日のこの日の為に頑張ってバイトをして貯金していたはずだ。
しかも、単身で飛んで来るなよ。
そこまでして、コミケにくる必要があるのか。

「お前が始めた物語だろ」
キャリーバッグを手渡す。
中身は確認するまでもない。
ファンの想いに報いる為に進み続けろ。
数万円以上使ってでも、俺に会いに来てくれる人はいる。
同人誌を手渡す。
たった数分。
人生において流れ星が過ぎ去るような一瞬であっても、その輝きはかけがえのない幸せである。
その為に読者モデルは存在する。

なんで、それがメイド服なのか。
俺が女装することなのか。
俺には分からない。
これしか道はなかったのか。
誰か、教えてくれ。


神視点。
入れ替わるように、アマネとルナがサークルスペースに訪れる。
二人とも、新調したメイド服を着ている。
「ふゆお嬢様、今日はよろしくお願い致しますね。……あれ、ニコが来ていなかったですか?」
「ちゃす」
二人は冬華に挨拶をして、同じように冬華もまた、オタク特有の形式的な挨拶を済ませる。
「東山は、ニコさんとご一緒に着替えに行きました」
「ハジメさん、メイド服を着て頂けるんですか……?!」
「……知り合いの男の子で性的搾取する異常性癖者」
相変わらず、言葉に容赦がないルナであった。
二十代後半の女が、高校三年生に劣情を抱くのは普通に犯罪だから止めろ。
ハジメ本人は、剛胆が故に、冗談としてサラッと流してくれているが、性別が逆だったら笑えないレベルだ。
ブタ箱にぶち込まれるのはアマネである。
「犯罪行為はしてません!」
「じゃあ、スマホ貸して」
疑わしきは罰せず。
ルナであっても、私刑で裁いたりはしない。
ちゃんと犯罪行為をしていない証拠があれば、納得するだろう。
「……」
「……」
いいから、スマホ貸せよ。
「オタクのスマホは、命より重いわ」
私が死んだら、スマホを水に沈めて欲しい。
アマネはそう嘆願するが。
最近のスマホは、防水だろうに。
そんなものでは滅びない。
クラウドに永久に保存されているのだ。
相変わらずの天然である。
「メイドリスト同士ですら拒否るのは異常」
「じゃあ、ルナは見せられるって言うの?」
「全然大丈夫。はい、見て」
「そう……?」
アマネはルナのスマホを受け取り、アルバムを確認する。
ちゃんと自分の好きなものごとにフォルダ分けされているあたり、ルナの几帳面さが分かる。
一軍フォルダ。
怖っ。
「……いや、本当に見ていいの?」
人の業が詰まっていそうな名前をしていた。
どうぞ。
ルナがそう指示するので、アマネはそっとフォルダを開いて自分一人で確認する。
「えっ、こわ。駄目でしょ」
「全然大丈夫……」
「え……? どこに大丈夫な要素があるのよ??」
ルナのスマホには、コミケに参加している猛者ですらドン引きするほどのエロ画像の数々。
ルナが痛感がない無敵な人なだけだった。
覚醒にスパアマが付いているタイプだ。
自然の流れで、深淵を覗かせるな。
いつも一緒にいる人間の異常性癖をいきなり突き付けられるのは、恐怖でしかない。
おまいう。
アマネは自分が異常者だということを自覚した方がいいだろう。
ルナは反論する。
「……どう考えもアマネのがやばい」
アマネは人のことをボロクソに批判するが、アマネこそ知り合いの男の子のライブ配信をリアタイ視聴している異常者だ。
最低でも三回は周回している。
この女、ハジメちゃんのライブ配信終了と同時に、再度最初から観始めた。
その時は、隣に居たニコもルナも、驚愕した。
こいつやばい。
ファンはファンでも、狂信者だ。
今のうちにアマネを逮捕しておかないと犯罪行為に走るかもしれない。
まごうかたなし、ハジメ狂である。
リアル知り合いなのに、赤スパ送ってそう。
ホストに骨の髄までハマるタイプだ。
推しの為に節約しながら、もやし食って生きている。
「そんなことしないわよ。ハジメさんのチャンネルは、スパチャ解禁されていないもの」
……そういう意味ではない。

ハジメの事務所は、中高生がメインターゲットである。
だから、中高生の好きな話題を取り上げた、ちゃんとしたファッションチャンネルだ。
ハジメがハンター✕ハンター解説動画を出しているせいで勘違いされているが、健全なチャンネルなのだ。
なので、ファンからの投げ銭は出来ないようになっている。
中高生だから、親の稼いだ金でスパチャする輩がいないとは限らないから、事務所側はちゃんと配慮していたわけだ。

「普通は推しの趣味を理解する為に、ハンター✕ハンター全巻揃えて熟読しない」
「そう? ふゆお嬢様のファンの人も、ハジメさん経由でハンター✕ハンターに嵌まっていたりするわよ。今だと、漫画もアニメもあるからお手軽だもの」
「業が深い……」
ふゆお嬢様を慕うようなお嬢様に、ハンター✕ハンターを布教するな。
私、バイオリンを嗜んでいますの。
家庭の事情ですわ~。
遅れてやってきた厨二病である。
閉鎖空間であるお嬢様学園では、そのネタが流行っていた。
影響力ある人間が好き勝手やると、ファンの人生が急激にねじ曲がるのであった。
好きなことを我慢せずに生きることは素晴らしいことだが、ものには限度がある。

ハジメは男性にしてはファンが多い方だが、彼自身はイケメンでもなければ、人を惹き付けるカリスマ性があるわけではない。
本人のイカれ具合を除けば、普通の男の子だ。
ハジメを知らない一般人からしたら、神輿を担いでいるようなもの。
そう思っている者もいるが。
ハジメがメイド服に着替えて登場する。
ワァァ。
ふゆお嬢様以上の歓声が上がる。

湧いちゃったッ……!

ハジメは、威風堂々とした態度で、練り歩いてくる。
女装ばかりさせられたせいか、恥ずかしいとか感じないくらいに心が荒んでいるだけだが、逆にその風貌が凛々しいメイドらしさを醸し出していた。
自分のご主人様をゴミ以下に見るようなメイドの目をしている。
今まで溜め込んでいた苛立ちからか、中指立てながら、全方位にロックな態度をしていた。
すこすこ。
スコティッシュフォールド。
猫のような愛らしさだ。
メイドを愛している人間がメイドさんになれば、それはもう至高の存在だ。
理解度高過ぎ。
ハジメは男の子だから、無意識とはいえ、男の子が好きなメイドのいろはを把握していた。
メイド好きの多くは、可愛いメイドさんに給仕されたいわけではない。
オムライスにハートマークを描いてもらい、萌え萌えきゅんしたいんじゃない。
メイドリストの求める萌え。
萌えは萌えでも、もえぴである。
メイドさんに罵られたい。
虐げられたい。
シルバートレイでぶん殴られたり、頭から熱々の紅茶をぶっかけられたい。
愛する主の為に、罵詈雑言が飛び交う激励をするのが、メイドの本質なのだ。
メイドリストとは、普通の可愛いメイドさんでは心を満たせない異常者の集まりであった。
メイドに対する要望が高過ぎるが故に。
出禁になったメイド喫茶も数知れず。
メイド検定に合格したことない人間がメイドを語るな。
一流のメイドは、紅茶やコーヒーを完璧に淹れることが出来る。
匂いだけでコーヒー豆の産地を当てることも可能だろう。
真のメイド好きを無礼るな。
半端な気持ちでメイドさんを好きになったものなどいない。
コミケの場に存在するくらいの高純度圧縮メイドリストである。
ハジメが中指立てるのも仕方ない。
駄目だ、こいつ等にはご褒美だ。


サークルスペースに戻ってきたハジメは、メイド服を着させられた苛立ちを深く飲み込み、優しく微笑む。
「アマネさんにルナさん、今日はよろしくお願いします」
カシャカシャカシャ。
「無表情で写真撮るなよ……」
身内が秒で曇らせにくるスタイル。
連写機能を使うな。
「ルナの一軍フォルダに入れとく」
「は? 何ですか、それ」
「特別な画像だけ保存してる」
「はぁ……」
意味を知らないのはハジメだけだ。
全員が引いていた。
「まあ、ハジメさんは気にしないでください。ただの記念撮影です。SNSには上げませんし、プライベートで楽しむだけですから」
アマネは、尤もらしいことを言って話を流す。
いや、プライベートで楽しむなよ。
ハジメはアホの子なので、真意には気付かない。
そう言われたらそうかも知れない。
それくらいにしか思っていなかった。
「はあ、ならいいんですかね……」

ニコとルナは思う。
……まじでこの女、知り合いの高校生に劣情を感じて、致していないよな?
女の性欲を甘く見ていた。
こんな話を広げるべきではなかったが、性的欲求を満たしていないか不安であった。
この話を長々と語るわけにもいかないので流す。
ハジメ達含めた身内でワイワイと話すのは楽しいが、戻って売り子の準備をしないと、スペースの人間にブチ切れられるだろう。
みんな、一年に一度の夏コミに命を賭けて挑んでいるのだ。
いつまでもハジメちゃんのメイド姿を堪能しているわけにもいかない。
かわよ。
クオリティ高けぇ。
お人形さんみたいだ。
ママの血が濃いだけあってか、女の子の方が良かったのかも知れない。
生まれてくる性別を間違えてしまったレベルである。
アマネ曰く、お○ん○んは付いている方がお得。

……黒髪ロングのメイドさんは可愛いものである。
ハジメちゃんは、この世の全てに不満を抱えていそうな地雷系女子さながらのジト目をしていて、まつ毛は長いし、男の子の背の高さがメイドらしい凛としたシルエットを保っていた。
華奢な女性とは違い、男性の体格もいいものだ。
メイドの仕事をそつなくこなす、プロの給仕の雄々しさを感じる。
長年メイドとして重労働をして培われた筋肉質な部分は、華奢な女では表現出来ない。
「……いいから、早く行けよ」
意味わかんねぇよ。
口にせずとて、気持ちは伝わるのであった。
メイドリストとは、こうも見苦しい。
まるで、ゴミを見る目をする。
しかしご褒美である。
無敵か、こいつら。


三人を見送り、やっとのこと落ち着ける。
ハジメは高橋に言う。
「高橋も撮影するんだし、そろそろ行っていいよ」
「ありがとう。二時間くらいで戻ってくるよ」
「ああ、いつも通りで構わないからな。俺達の分まで楽しんで撮影してきてくれ」
「そうするよ。……その前に、二人とも。折角だから写真を撮っていいかな?」
「? ああ、え? 俺も撮るの??」
「リーダーは東山だろう」
「そうだぞ」
高橋と冬華は即答する。
それはそうだ。
このサークルの代表者は、ハジメである。
髙橋がメンバーに入り。
白鷺冬華が入り、三人でやってきた。
ふゆお嬢様が参加して、メイドリストの方々と知り合い、その美貌でかなりの新規ファンが増えたとしても。
同人誌が売れるようになり。
幾つもの月日が流れ、どれだけ人気が出たとしても。
ロイヤルメイド部の顔は、依然変わりなくハジメなのであった。
これからずっと、色々なことがあって、色々な人が関わっていくとしても、それだけは変わらない。
大切な場所。
その感じ方は、三人各々違うけれど。
それだけは皆同じであった。

ハジメと冬華は、ロイヤルメイド部の看板をバックに撮影をする。
カメラに入り切るように、近付くと。
コミケの狭い空間が故に、肩がぶつかってしまい、互いに目を合わせてしまう。

そして、
拍手が起きて。
夏コミが始まった。


コミケが始まると、人気のサークルに人が流れていく。
壁サークルを目当てに来場する人間が大多数であり、ハジメのサークルが人気といえど、それでも狭い界隈で人気なだけだ。
大手サークルを無視して、中堅サークルまで直で買いにくる猛者なんているはずがない。
オタクとは、真に自分の好きなものを優先するのだ。
「新刊くださいッ……!」
すまない。
ハジメのファンは、極限の変態しかいないのであった。
始発組で国際展示場駅に降り立ち。
炎天下の中で待機し、開幕ダッシュ決め込んできていた。
推しに捧ぐ、最初の挨拶はプライスレス。
今日のために、待ち焦がれていた。
その割には身なりが推しに会う感じではなかった。
それはそうだ。
コミケとは戦場なのだ。
生半可な格好をしてきたら死ぬ。
数十万人のオタクが戦う場所。
それが、ビッグサイトである。
朝十時から、ズタボロなのは戦士の証。
ハジメと同じくらいの年齢。
そんな女の子が死ぬ気でコミケに来たのだ。
ファンの女の子は、息を切らしながら、大きく呼吸をする。
コミケの先頭から参加したのだ。
混乱が起きないように、一度外に出されて、そこから外周してきたようである。
数ブロックを早足で来た猛者だ。
面構えが違う。
「あ、はい」
「私と友達のだから、三部! いえ、保存用も入れて五部!!」
「十部!!!」
とりあえず、財布の中身全部!!!!
財布の中身を見せるな。
サークルスペースの同人誌を根こそぎ奪っていく気満々の厄介オタクであった。
「そんないらねぇだろ……」
ハジメの対応がゴミ以下になる。
一瞬のやり取りで、ファンの格付けチェックがされるのであった。
とはいえ、ファンはファンなので、親切丁寧な接客を心がける。
友達の分までは許容出来るが、保存用までの在庫はないため、やんわりと断るのであった。
その分、友達分の色紙も渡したし、サインも描いてあげていた。
「今日の為にバイト頑張ったんですぅ」
泣くなよ。
温度が異常に高い。
ハジメちゃんは、生きがい。
青春とは、推し活すること。
毎日寝る前にハジメちゃんの動画を聞きながら睡眠するとゆっくり眠れると語るファンであった。
睡眠導入剤にするな。
というのか、ユーチューブでハンター✕ハンターの解説動画しかしていない人間の声を癒しにするな。
推しが口にする、ハンター✕ハンターの好きなシーンを語る時の『好き』ってフレーズを自分のことのように脳内変換させている。
伸縮自在の愛。薄っぺらな嘘。
ヒソカの念能力を使いこなすな。
推しのメディア露出の少なさを、恋愛脳で補う。
ドーパミンが溢れていた。
……彼女持ちの野郎で、疑似恋愛するな。
「あ、差し入れ持ってきました。ハジメちゃん、ハンター✕ハンター大好きだから、動画のネタになると思いましてこれを空けて開封動画にしてください」
カードゲームのボックスを手渡す。
やっていることは異常なのに、常識があるから性質が悪い。
数千円のカードゲームをプレゼントしてくれるのは有り難いが、素直に喜べない系男子であった。
ファンの女の子が、この日の為に頑張ってバイトをして買ってくれたものだ。
普通の高校生のお小遣いを考えたら、カードゲームのボックスはかなり高い買い物なのだ。
それをサラッとプレゼントされたら、喜びよりも驚きが勝る。
「うん……。ありがとう」
ハジメを黙らせていた。
その気持ちだけで充分だったが、ハンター✕ハンターのカードゲームを相手に返したところで、女の子だから困るだろう。
そうなると、ハジメが受け取るしかない。
「差し入れは有り難いけれど、俺に金使っていいんですか?」
「やだぁ、なに言っているんですか。推しに直接差し入れが出来るなんて、これ以上ない光栄ですから、気にしないでください。あとスパチャ解禁してください」
コミケに行けば、確実に会いに行ける読者モデル。
普通の読者モデルは、雑誌や画面越しでしか見ることしか出来ない。
そんな推しと直接会話して、推しが描いた同人誌を両手で受け取れる。
この瞬間。
これほどの幸せはない。
キュンキュンしてしまう。
ハジメちゃんガチ恋勢である。
……本人はメイド服に身を包み、女装しているが関係ない。
見た目などほんの些細なことだ。
魂を好きになったのだ。
心の色が好きなのだ。
「おかしいやろがい……」
初対面の恋人ですらない相手だぞ。
恋愛モノのオープニング主題歌みたいな歌詞を歌うな。
初対面の人間に注ぐ愛の強さではない。
コミケに現れる怪物。
最初の最初から、とてつもない化物が出てくる。
これ以上ヤバイやつは現れないだろう。

ハジメは、最初のファンを追い返して、一息吐くと、次はメイド服を着たファンが現れる。
「ハジメちゃん、はじめましてです。折角コミケに来たので、メイド服を着てみました!」
「フゥン……」
あ、こいつもやばいやつだ。
そう感じ取ったハジメは、心の準備をする。
これから何を言われても、平常心を保つ特殊な訓練を受けていた。
ウサギみたいな顔をして乗り越えよう。
ばちこい。
「あ、もちろんメイド服は既製品ではなく、自分で自作しました。……生地と装飾品はヴィクトリアンスタイルに合うように英国からの直輸入を使用していまして、メイド服のモダンな黒色が映えるように装飾品はアンティークの懐中時計と革靴で、ヴィクトリア朝の古き良き使用人の雰囲気を表現しました。私、某映画みたく、真鍮の懐中時計に憧れていたんです。この懐中時計は古市でたまたまお迎えしたんですけど、気に入ってて。手入れも欠かさず行っています。……あと、髪型と髪飾りはふゆお嬢様をリスペクトしていまして、赤い薔薇が綺麗なものを……」

「簡単に超えてくるなよ!」

お前、二人目だろ。
ライトノベルのサブキャラが、長々と話すな。
初っぱなから好きのベクトルがぶっ壊れてんだよ。
コミケ初参加の人間がやっていいレベルではない。
ハジメの肥えた目で見ても、並々ならぬ熱意の籠ったコスプレだ。
オタクとしての正式な段階を踏まずに、フルスロットルでコスプレをして推しを語る。
赤ちゃんが高速ハイハイして、ママに近寄ってくるような状態である。
推しは生きがい。
推しは人生。
推しは血と肉。
……コミケの一角で純愛を語るな。
オタク文化も知らない女の子。
その、一般人の人生が壊れていく様をまじまじと見せ付けられる。
いや、何故に星の数ほど存在する読者モデルの中で、引きニート野郎を推すのだろうか。
ハジメの事務所には小日向風夏を初めとしたカリスマ性が高い女の子や、可愛い女の子は多い。
あの、ジュリねえの慧眼にかなう読者モデルしか居ないのだ。
自分を愛し、自分を表現出来る。
そんな一握りの天才しかいない。
それは憧れに似た、人としての強さがある。
なんなら、ボーイッシュ系が好きな女の子に人気な渋谷系の現役バンドマンで、ハードロックな綺麗さが売りの女の子も居るくらいだ。
男から見てもイケメン。
野郎なだけしか取り柄がないハジメを好きになるなんて、偶像崇拝もいいところである。
「でも、メイド服が似合うのはハジメちゃんだけですし……」
「それだったら、ふゆがいるだろ」
「あ、もちろん。ふゆお嬢様も好きですが、私も女の子ですから、推すなら男の子がいいかなって……」
「女装しとるやろがいっ!!」
話が通じねぇな。
いや、まともに話が通じていたら、ハジメのファンになっていないだろう。
そういう真っ白な心の人間は、ふゆお嬢様のファンになるのだから、仕方あるまい。
ハジメとはうって代わって。
隣の白鷺冬華は、至って真面目なファンのお嬢様と楽しそうに交流するのであった。
自分の家の庭に咲いた、綺麗なラベンダーの話をしている。
優雅に紅茶を飲んで、過ごすのが趣味だと語る。
「俺もあれがいい」
「よそはよそ、うちはうち!」
ファンに叱られる。
それもまた、人生である。


ハジメサイド。
お昼過ぎになると、俺達の同人誌は殆ど販売し終えた。
白鷺の方は、相変わらずの人気だから、コミケ開始と同時に数十人を集めるなんて簡単なものだ。
流石、白鷺家のお嬢様だ。
その美しさは女性にとっては羨望の対象であり、カリスマ性が違う。
そんな白鷺の人気を体現するかのように、写真集やチェキを含めて、白鷺のグッズは飛ぶように売れていた。
メイドリスト達、ふゆお嬢様親衛隊なのは分かるが、身内が買い漁るなよ。
読者モデルとしての白鷺のファンの子に残してやれ。
そのせいか、部数が全然足りなかった。
読者モデルとして表に出るようになってから、白鷺のツイッターの人気も凄いからな。
……俺としたことか、白鷺の可愛さを見誤ってしまった。
ふむ。
最近の白鷺は特に可愛いもんな。
よく笑うし。
そりゃ人気になるわ。
それに、今回はジェムプリの写真集を出したことで、写真撮影の合わせに参加してくれた小日向やアマネさん達の人気の高さも関係しているはずだ。
俺は見慣れたものだが、このレベルの綺麗な女性が全員集まるなんて、かなり凄まじい。
高校生を代表する読者モデルや、レイヤーさん達。
どこに顔を出してもトップを取れるほどの人気と実力がある。
化物揃いといえる。
そんな中で、俺がジェムプリのダイヤちゃん役を担うなんて、荷が重過ぎる。
まるで、百合に混じる野郎状態だ。
みんな、道は違えど優秀な人達の集まりだ。
普通の人間である自分が、同じ場所に居ていいのか分からなくなる。

そんな時に話し掛けられる。
「ハジメさん、ダイヤちゃんのところにサイン描いてもらえますか?」
「俺のサインでいいのか?」
「はい。額縁に入れて飾るんで」
このファンもまた、よく分かんないことしてんな。
「ハジメさん、すみません。少しだけ、ダイヤちゃんのことを語ってもいいですか?」
「……え?」
ファンは推しを語りたい。
ジェムプリガチ勢まで現れるんか。
コミケすげぇな。
熱意が常時マックスである。
「好きなのは分かったけど、俺みたいなやつがダイヤちゃんのコスプレをして不満はないのか?」
「まさか。皆様がジェムプリを盛り上げてくれるから、ジェムプリが人気になり、新規のファンが増えているのです。それに、ハジメさんのダイヤちゃんは、誰よりもダイヤちゃんでしたから不満などありません」
アマネさんのダイヤちゃんは、凛としているがどこか優しく二期のダイヤちゃんの落ち着いた性格を彷彿とさせるが、俺のダイヤちゃんは殺伐とした戦場を生きる一期の頃をイメージさせる。
「特にこのダイヤちゃんのコスプレポーズなんて、初登場のオマージュではないですか。いや、でも、この前後の皆様のポーズからの流れだと、ダイヤちゃんVSブラックダイヤモンド戦の口上シーン……?!」
少しだけ、貴方を見ていると、昔の私と同じような気がするわ。
だから、全力で倒します。
変身。
ジェムプリンセス・ダイヤモンド。
「いや、何で口にしたん?」
コミケでダイヤちゃんの名台詞を完全再現するな。

まあ、いいや。
俺に出来ることなんて、ファンの為に絵を描くことしか出来ない。
少しでもファンの連中に報いるように、サインを頑張るのであった。
好き勝手話しまくっている間に、何とか描き終える。
「やはり、東山はファンに人気だな」
「そうか? 白鷺の方がファンは多いだろうに」
「ああ、有り難いことにファンは多い。しかし、東山のファンは、どれだけ時間がかかっても自分の番が来るのを待っていてくれている。それは、東山にそれだけの魅力があるということだ」
いや、俺のはうるせえから、一人頭の時間が無駄に掛かっているだけな気がするが。
全員が全員。
自分のプライベートをよく喋るし、無駄に自分が最近頑張っていることや、近状報告してくるからな、あいつら。
やれ、イラストを描き始めたとか。
メイド喫茶に初めて行ったとか。
友達と一緒にジャンプアニメ見ているとか。
コーヒーメーカー欲しいから、俺のオススメを教えて欲しいとか。
最後のやつは、ツイッターで聞けや。
……んなもん、秒で答え出せるか。
そんな流れがずっと続き、今に至る。
よくツイッターで絡んでくるやつにはコメント返している分、リアルでも構って欲しいメンヘラが多いのだ。
まあ、オタクの俺だって、人に自分の好きなものを語る機会なんてあんまりないし、数分くらいなら許容してやるけどさ。
俺のファンは図々しい分、後ろのやつが待たないとコミュニティが成り立たないのだ。
行列のできる店の人気のラーメン屋みたいなことになっていたが、誰も文句は言わなかった。
炎天下でも疑うことなく待つ頭の悪さだ。
いや、コミケとは、ただ同人誌を買いに行くではなく、好きなものに会いに行くのがコミケだ。
色々な人が集まる場所。
古今東西の人間がいる。
人生は一期一会。
その出逢いを求めてこそ、コミケの醍醐味といえる。
年に二回だけのイベント。
そんな貴重な時に、わざわざ俺に会いに来てくれたのだ。
ファンの連中には、出来るだけ喜んでもらって帰ってもらいたい。
そのせいで女装させられているけど。
まあ、それも許そう。

色々な人が行き交う。
くっそカオスで。
ごちゃごちゃしたイベントだけど。
そんな、コミケの空間が好きだった。
新しい挑戦者が現れました。
「これわぁ、わたしが好きなフレグランスで、もしよかったらハジメちゃんも使ってみてください。最近話題のブランドで、可愛い女の子に人気なんですよ。……えっと、中身はこの匂いで、わたしとお揃いです(はーと)」
なんかきめぇ……。


場所は変わり、コスプレ広場。
黒色のメイド服を着た状態で、炎天下のビッグサイトの外を出歩くとか、地獄か。
暑過ぎて地獄みたいな熱気である。
上からも下からも、熱が伝わってくる。
高橋に代わってもらったものの、流石に外に出たのは間違いであった。
サークルスペースに戻りたい。
「東山、遅れるなよ」
体力ない俺とは違い、白鷺は元気だ。
炎天下でも毎日のように部活をしている人間は凄いな。
その割には白鷺の肌は白いから、不思議なものだ。
先陣切って歩く白鷺に付いていくのがやっとだ。
まっちくりぃ。
黒色長髪のウィッグを舐めていた。
太陽の熱を吸って、熱々やんけ。
ウィッグと地毛の間がやば過ぎる。
長髪のウィッグの重さもさることながら。
スカートも重くて邪魔くさい。
何度女装しても、女の子の洋服には慣れないものだ。
他の人みたいに、アニメキャラのコスプレをするよりかは簡単とはいえど、メイド服を着てコスプレするのも大変であった。
女性はこうも面倒な格好をいつもしているわけだし。
可愛い女の子も大変だ。
野郎でよかったわ。


先にコスプレ広場に来ていたアマネさん達と合流する。
三人は先に写真撮影していたみたいだが、俺達に気付くと撮影を中断してくれるのであった。
「お二人とも、お疲れ様です」
忙しいのに、いつも優しい。
「アマネさん、先ほどはありがとうございます」
「ありがとうございます」
俺と白鷺は礼を言う。
三人とも、コミケが始まった後にサークルスペースに再度挨拶しに来てくれたし、夏バテしないようにお菓子と飲み物をくれた。
みんな、コスプレ歴が長いだけあって、気配り上手だ。
大人なのに、子供の俺達にも同じ目線になってくれる。
素敵な人達である。
「どやっ」
「何でルナがどやるのよ……」
「アンタ、何もしてないじゃん」
コスプレを用意してくれた人。
夏バテ用の差し入れくれた人。
その光景を後ろで眺めながら、後方彼氏面している人。
「あの子達ならやってくれるわ……」
ワールドトリガーの世界かよ。
いや、考え深い雰囲気を出しているけどさ。
意味が分かんねぇよ。
その顔をしていいのは、トリガーの訓練を日々教えてくれた先輩達だからこそ、していい表情なんだよ。
あんた何もしてないぞ。
ルナリーヌ。
この人も、なんでもありなんだよな。
生き方が雑過ぎる。
「あー、はいはい」
「やべぇ。今日もあっちぃわ」
こっちも雑。
普通なら怒られたり、ヒンシュクを買うものだが、三人とも仲が良いだけあってか、くっそ適当に流される。
満足そうなルナさん。
オチは……?!
日常過ぎる部分を切り取ったところでオチもクソもない。
コミケでなんのアクションもない話をする必要があったのか。
暑いから、無駄に時間を使うのはやめてほしい。

「それはともあれ、みんなで撮影しましょ。ほら、炎天下に晒されたハジメさんも辛そうだし」
隣のアマネさんは、コスプレ初参加の俺のフォローをしてくれる。
「……極々自然な流れで隣に並んでんなぁ?」
「アマネは元々いい性格している」
ニコルナコンビ。
頭が痛いから問題ごとを増やすな。
この頭痛の原因がストレスなのか、熱中症なのか分からなくなるわ。
みんなが、熱中症対策の塩アメくれた。
美味い。
それから、一時間ほど休憩を挟みながらみんなで合わせて撮影をする。
真夏の暑さでも、表情を一切崩すことなく徹している。
ただのレイヤーと侮るなかれ。
志はまっこと美しき、プロなのである。
カメラを向けられれば、笑顔を見せてくれる。
そんな彼女達を見て、喜んでくれる人達がいる。
こんなにも幸せなことはない。
去年よりも訪れる人が多く。
俺達を知っていて、声を掛けてくれる。
頑張りを見ていてくれる。
第二回メガニケ杯。
とかいう、訳分からん単語も聞こえたが、それはいいとして、ファンからの応援がなければレイヤーは頑張ることが出来ないだろう。
見てくれる人がいるから輝ける。
一度会ったことがある人は、その輝きを知っているから、何度だって挨拶に来てくれる。
縁とは目に見えないからこそ、誰しもがそのか細い線を大切にし、いつしか束になっていくのだ。
どんなに陰キャで、画面と向き合うばかりが趣味のオタクになっても、人との繋がりは断ち切れない。
それほど、人との出逢いは尊いものなのだ。
今日会ったばかりの人だって、また今度会うかも知れない。
それこそ、一つの写真やコメントから人との縁が繋がることだってあるわけだ。

……きっかけなど何だっていい。
可愛いコスプレを見て、人が人を好きになるのは、隕石が地球にぶつかるような強い衝撃なのだ。
目に見えない引力に惹かれ、引き寄せられる。
男の俺には、コスプレの良さはよく分からないけれど、可愛い格好をした女の子は見ていたい。
そう思わせてくれる。
並んでいる人の中には、推しのレイヤーがいるカメラマンも多かったし。
みんな、楽しんでくれているようだった。
「アマネさん。すみませんが、トイレに行ってきてもいいですか?」
撮影と撮影の間を狙って、アマネさんに聞く。
熱中症対策で水分補給したのはいいが、飲み過ぎたようでトイレに行きたくなってきた。
「ええ。無理せずに行ってもらって構いませんよ」
「あざます」
「ふふ、ハジメさん。メイド姿は完璧な女の子なのに、所々はやっぱり男の子なのですね」
「……まあ、俺は男ですから」
女装して化粧していても、口調や声色が変わるわけでもない。
俺が最初に女装した時に、がに股で野郎歩きしたら、小日向とジュリねえに死ぬほど怒られ。
モデルとしての仕草のレッスンを、しこたまぶちこまれた。
泣きながら座学をしたものだ。
女装は正直嫌いだが、それでもやるからには敬意を払え。
礼儀とは、全てに通ずる。
誰か一人でも自分のことを見てくれる人がいるならば、読者モデルとしての責務を果たせ。
自分の絵を描いている時に一切の手を抜くことがないように、洋服を着た瞬間から一切の手を抜くな。
読者モデルならば、仕草や立ち振舞いも女性として徹するのがプロの仕事である。
読者モデルが綺麗で可愛く、美しくあるのは努力による賜物だ。
風夏ちゃんの隣に居た君には理解出来るはずだ。
そう言って、モデルとしてのプロ意識を血潮の如く熱く語るマネージャーだったが。
ジュリねえ、貴方が読者モデルとして培い、温めてきた意志は俺が引き継ごう。
だが、俺は男だ。
男の読者モデルとして、鍛えてくれ。
メンズ衣裳の時のアンタは適当だぞ。

経緯はどうあれ、あれだけ死ぬ気で頑張ったのだ。
レイヤーのアマネさんから見ても、女性っぽく見えているのであれば、有り難い。
頑張った甲斐がある。
「似合っていますよ?」
アマネさんはそう言って優しく褒めてくれるのだった。
「俺みたいな男が、宝石のように美しいアマネさん達のような女性の魅力や素晴らしさを表現出来るわけがないし、敵うわけもないですが、ありがとうございます。励みになります」
俺はアマネさんにお礼を言う。
多分、世辞なんだろうけど、前向きに受け取っておく。
女装するのは好きじゃないが、みんなで色々するのは楽しいしな。
「じゃあ、トイレに行ってきます」
「はい。いってらっしゃい」


神サイド。
他のメンバーは、トイレに行ってくるハジメを見送る。
「ふぅ……」
アマネはにっこりと笑って、一息吐くと同時に。
「メスだけどオス!!」
不意に発狂する二十○歳児。
コスプレ会場がどよめく。
獣の巨人の咆哮だ。
「やめろー。ふゆお嬢様がいるんだぞー」
「狂人……」
咄嗟に冬華の耳を塞いで、被害を回避する二人であった。
こんなやばいやつの発言を聞いたら、お嬢様にいらない知識を与えてしまう。
「私の友人にも同じような人がいるので、大丈夫です」
ふゆお嬢様……。
それはそれで駄目である。
ふゆお嬢様の周りには、この女並みに発狂する人がいるの?
今正に、過激派オタクの闇を見ているんだが??
しかしながら、突如発狂したアマネが悪いわけではない。
最推しであるハジメと近距離で会話し、可愛いとか綺麗とか言われて正気を保っていられる人間はいない。
確実な死だ。
しかも、女装した推しの見た目が完璧過ぎる上に、理想的な男の娘なのだ。

この前のジェムプリの撮影の際の話だ。
ハジメは、ダイヤちゃんのコスプレをして撮影に参加していた。
その姿をまじまじと見たアマネはこう思ったのである。
……彼は、私よりもダイヤちゃんを理解し、ダイヤちゃんをしてくれる人だ。
たったそれだけで、アマネはハジメのことを、どのレイヤーさんよりも尊敬していた。
コスプレとは、その可愛さだけではなく、キャラクターの生き様すら真似てこそ、本当の意味でコスプレと呼べるのだ。
人を構成するのは、血と肉だけではない。
魂こそ、人の本質なのだ。
そのコスプレには、魂の輝きを見た。
普通の人からしたら、アマネよりも可愛いとは言えないかも知れないが、アマネから見たソレは何よりも美しく。
輝いて見えた。
細胞が震える。
数十億の絵画を目の前にしているかのように、胸が高鳴る。
嗚呼、なんてコスプレは奥深いものなのか。
ハジメのダイヤちゃんには、確かに愛があった。
海よりも深い愛。
原作のダイヤちゃんは、どんなに辛い時でも主人公のルビィちゃんがずっと側に居たから。
互いがどんなに対立し続けても、見捨てなかったから。
ルビィちゃんのその熱意が、ダイヤちゃんの過去を全て清算するまでに至り、二人で学校に通うくらいに穏やかな日々を送れていた。
ジェムプリは百合と言われているが、そうではない。

ルビィちゃんとダイヤちゃんが出逢ったことで物語は進み、人は諦めなければ輝きを失わずに生きられるという、人の可能性を知ったのだ。
だから、どの場面でも諦めずに戦い、アクアちゃんや真珠ちゃん達にも出逢えた。
輝きを失わなかった。
いつだって諦めずに進み続けた。
……宝石の女王に至るまで。
それは、愛だ。
愛に限界がないように。
キャラが内包するその美しさには、限界がない。
コスプレをする時点で、可愛いアニメのキャラクターと捉えているから、駄目なのだ。
そこには信念があり、愛があり、勇気もある。
そうだ。
私達は可愛い女の子が好きなんじゃない。
頑張って生きているたった一人のあの子が好きだから、ずっと応援したくて、恋い焦がれたのだ。
コスプレが何故魅力的で、何故他人ではなく自分でやりたいのか理解した。
私は、コスプレして彼女達みたいになりたかったのだ。
この恋を知りたかった。
ダイヤちゃんの心を知りたかった。
何故人は人と生きたいのか。
何故この世界に愛がなければならないのか。
それをハジメのダイヤちゃんを通して感じた。

推しは、人生を教えてくれる。
この恋を教えてくれるのが、年下の男の子だって有り得るのだ。
だから、推しの目の前で泣きながら叫ばなかっただけ、アマネに自制心があったとも言える。
年下の男の子の前で、汚い姿なんて見せられない。
それでも、今回の一件により、アマネの中でハジメは最推しから姫になった。
「いや、ハジメちゃんは男だぞ」
「アマネ。姫の反対は、騎士」
推しから騎士になった。
「……騎士くん」
騎士くんじゃねぇよ。
プリコネじゃねぇか!
長々と語った結果がそれかよ。
飛び交うボケに、ニコが過労死していた。
ここまで頑張って好かれたハジメにとっては、不名誉なあだ名になっていたが、本人は赤ちゃんだし、残当である。
だって、ハジメちゃんのあの笑顔を彼女以外に向けたら、誰だって母性愛を感じてしまう。
私はママだ。
十六歳のファンだって、覚醒イベントが発生してママになる。
女の子はみんな、純粋無垢な男の子が好きだ。
自分に持ち合わせていないものを求めている。
ハジメのファンの多くが過激派なのも、そのせいなのかも知れない。
推しに母性を感じたら、みんなママになるんだよ。


メイドリストだけで盛り上がっていると、冬華がむくれていた。
ほっぺを大きくしていて。
可愛い。
白鷺冬華はお母様に憧れれ淑女故に、好きな人に不満があっても何も話さないが、ハジメのことが一番好きなのは自分だと言いたいのだろう。
いや、彼女なのだから自分の好きな人がちやほやされたら、嫉妬するのは当たり前である。
文句も言いたくなる。
だから、可愛い。
ふゆお嬢様に、普通の女の子らしい一面があるとは。
人並みの嫉妬心があるとは。
可愛い。
「いやいや、勘違いしないでください。ハジメさんが一番好きなのは、ふゆお嬢様ですから~」
「こいつなんて、毎回意味分からないけど発狂するやばい女くらいしか思われていないから安心して」
「……ルナ達だと、小学生と高校生が付き合うようなものだから、有り得ない」
十○歳と二十○歳が付き合うとなると、それほどの差がある。
「あ、うん。そうね……」
現実味を帯びると急に冷静になるオタクであった。
「みんな、若いものね……。肌のノリとか全然違うし、どんなに頑張っても高校生には勝てないわ」
「最近腰が痛いんだよなぁ」
腰をさするニコであった。
年々衰えていく身体。
悲痛な叫びだ。
アマネ達もレイヤー全体として見た場合はまだまだ若いとはいえ、高校生特有の若さによる暴力には勝てない。
体力があるから色々出来て、心の原動力もある。
コスプレの化粧をする時に手伝ったのだが、高校生の化粧のノリに驚愕したものだ。
私達が油絵ならば、彼女達は水彩画だ。
キャンバスの生地が違う。
「ルナはまだ若いから大丈夫」
「あんたも、そんなに変わらないでしょ」
「永遠の十四歳」
ぶいっ。
「お前は、無茶苦茶なんだよ」
十歳くらいサバ読むな。
何で、ふゆお嬢様の年齢より幼児退行しているんだよ。
ルナの精神年齢で計算した場合、十四歳。
いや、それ以下である。
「まあまあ。……ハジメさんが本当に大切に想っているのは、ふゆお嬢様だけですから安心して下さい」
推しと、恋愛は別である。
え、あれだけ語っておいてそれ?!
そう思っていた人間が数人居たが、無視する。
そもそもアマネ達の年齢から考えたら、年下の男の子に恋愛感情を懐くのは禁忌だ。
相手は高校生だ。
もう直ぐで成人するとはいえ、年齢差があるおねショタが通用するのは漫画だけだ。
現実でやれば、捕まるのはこちらである。
いや、捕まってでも、おねショタの為なら……。
ひとときの愛も、またありよりのありか。
「キャラ崩壊すんな」
普通にして。
発狂しないで。
アマネの存在は、オタクを知らない読者からの、オタクのイメージを損ねる。
いや、オタクなんてこんなもんか。
まともなやつはオタクにはなれない。
アニメで推しキャラが出来た次の日に出掛けた、秋葉原散策みたいになっていた。
アマネは、推しのグッズを全部買い漁るタイプのオタクだ。
乱世、乱世~。
推しの祭壇を作って崇める系女子。
生身の人間と恋愛しないまま大人になってしまった末期患者である。
我々でも救えない生き物だ。
恋愛を知らぬ者に、愛を語るわけにもいかない。
「そいや、ハジメちゃん女装しているし、共有トイレ案内したん?」
「……」
「……」

男子トイレ突入系メイドさん、爆誕。

お○ん○ん
確認するまで
女の子

アマネ辞世の句。
彼女が死んだのは言うまでもない。
アマネの自尊心の制御棒が臨界点に達していた。
この女はイカれている。
そう思っていても、他のメイドリストは、そう言うことは出来なかった。
苦虫を噛み締めるように、我慢していたのだ。

メイドさん
お○ん○ん付き
嬉しいな

メイドでは鉄板の男の娘属性を、我々が否定することは出来ない。
彼女に石を投げていいのは、男の娘のメイドさんのエロ同人を見たことがないやつだけである。
今日のイベントで、ハジメのメイド姿に歓喜したり、写真を要求しなかったメイドリストだけが彼女を裁いていい。
そんな人間は、メイド好きを語るな。
自分の性癖に素直になれないやつは、コミケから去れ!
ビッグサイトを無礼るな。

ルナは呟く。
「オチは?」
オチはないけど。
猫ならあるよ。
「汚ねぇチェンソーマン……」
命は等しく、ハジメの命は等しくない。

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