自死セミナー

ぬくまろ

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プロローグ

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 風が吹き、寒気が強まる十一月未明。JR新橋駅日比谷口のSL広場では、いつものようにサラリーマンを中心とした人たちが行き交っていた。足早に抜けていく人たち多いが、この広場に足を踏み入れると、自然と足早になってしまうのだろうか。
 SL広場の所々で、アルバイトスタッフがチラシなどの広告宣伝物を配布しているが、受取る人はほとんどいない。手に取る数少ない人たちにおいても、紙面をチラッと見て捨ててしまう。ゴミ箱行きならいいほうで、歩きながらその場に捨ててしまう人たちもけっこう多い。配布しているスタッフは元気がいい。アルバイトの研修でそのように教育されているであろうし、ある程度の押しの強さがないと、仕事にならないのだろう。
 その中にあって、周りのスタッフと比べてテンションが著しく低い、というよりも声が小さいのか、存在感が薄い人物がいた。広場の真ん中でチラシを配っているのに目立たない、表情が暗いわけでもないのに、不思議な存在感なのだ。
 ヘアスタイルはボブヘアだが、男性なのか女性なのかはっきりしない趣がある顔立ち。ひと言で表わすと、中性的、ユニセックスという言葉がわかりやすいかもしれない。年齢も不詳。まあ、年配には見えないが。
「お願いします」
 ボソッと下を向いたまま、吐く空気に乗せて声を出しているようだ。気持ちが入っていない。案の定、誰もそのチラシを受け取ろうとしないのだ。いや、何かを配布しているのも気づかないかもしれない。それほど静かなのだ。肘を曲げたまま、手をいっぱいに伸ばすことなくチラシを持っているので、配っているように見えないかもしれない。ただチラシを見ているようにも見える。
 その場所に立って二十分ほど過ぎた頃、大学生くらいの青年がチラシを受け取った。受け取ったというか、ボブヘアの人物が手を差し出したタイミングとその青年が振った手のタイミングがたまたま合ったようにも見えた。青年はチラシを反射的につかんで、紙面を見たが、一瞥を与えると顔を歪め、そのチラシを投げるように手放した。広場に舞い降りたのは、A4サイズのチラシで片面モノクロ印刷。文面をクローズアップすると、明朝のしなやかな書体に似合わず、ドキッとする文字が飛び込んできた。



『自殺したい方へ。もっと楽にしてあげます』

 死にたいと思っている方、死にたいけど方法が思いつかない方、現社会に絶望している方、その他マイナス思考に陥ったまま浮上できない方など、少しでも『死』に興味があればこのセミナーの参加資格があります。
 自殺したいあなたの気持ちをお聞かせください。そしてみんなで語り合いましょう。自殺したいと思っている気持ちをみんなで共有してこそ、あなたの思いは達成されるはずです。納得する方向へ導くには、ひとりの思いや力ではうまくいきません。すぐにつまずいて、フラフラしてしまいますので、危なっかしいまま不安な日々を過ごすことになります。あなたの気持ちを大切に扱いますので、お気軽にご参加ください。

 参加費用 無料
 開催日時 平成二十八年十二月四日(日)
      開始時間:午前九時
      終了時間:参加者の意思をもって終結
 開催場所 ゴクラックビル九階
      東京都中央区銀座九丁目五番地五号

 なお当日は、偽りのない気持ちをお持ちください。



「へっ? なんなの? 怖ーい」
「いやっ。気持ち悪い」
「配っている人。やばそうだよ。きっと、頭おかしいんだよ」
 チラシを受け取った人の中には、配っている本人に聞こえるようにあからさまな侮辱の声を向ける人たちもいた。それでも本人は反応せず無表情。聞こえてないはずはないだろうが、あえて無視しているのか、普通の人が持っているような感情を持ち合わせていないのか。どちらにしても、表情のなさは不気味な気配を感じさせていた。
 配布時間は、午前九時から午後一時までの四時間。三日間続いたが、その人物は疲れた表情を見せずに淡々と配っていた。一定の表情と一定の動きできっちりこなしていたが、四日目以降は一度も現れなかった。
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