探求の槍使い

菅原

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皇国の日常

平和な昼下がり

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 大理石の敷き詰められた雪白の廊下を、靴を鳴らせて一人の男が歩く。
 白髪交じりの茶色い髪は短く切りそろえられ、よく磨かれた純白の鎧を着こむ老齢の戦士。金色の刺繍が施された真っ赤な外套を靡かし颯爽と歩くその姿は、まごうことなき騎士の出立だ。
 一見すれば物静かで落ち着きのある風貌……だが、彼を知る者ならそれに気づくことが出来る。今、その男が纏う風は何時もより僅かに重く、地を蹴る足には怒りが込められていた。
「まったく……一体何度やれば気が済むのやら」
 胸にたまるわだかまりを吐き出し男は呟く。

 彼の名は‶ジン・ホムエルシン”。
 大陸の南に位置する、とある皇国における軍の最高戦術指揮官である。当然武の才に溢れ、頗る腕も立つ。
 その立ち位置は国の中でも相当上位に位置し、国の最高位である『法皇』とも親しい間柄だ。そんな彼が廊下を歩けば、当然一介の戦士たちは彼に道を譲る。
 このときもやはり同様で、廊下を少々乱暴に歩く彼を遮るものは一人もいない。

 ジンは足早に、近場の部屋を手当たり次第に物色する。どうやら何かを探しているようで、部屋の中に目的のものが無いとわかると、その都度落胆のため息と共に廊下へ舞い戻った。それを何度も何度も繰り返し、遂に内に籠った苛立ちに耐え切れず、彼は声を荒げてしまう。
「ライン!! ラインハルト!! 一体どこにいる!!!」
 昼下がりの安穏とした城に怒声が響く。その声を聞いて、ある者は驚いて振り向き、ある者は呆れてため息をついた。そして誰もがこう呟くのだ。ああまたか、と。


 いきり立って歩くジンの下へ、一人の戦士が近づいた。最近軍に入隊したばかりの若い男だ。
 男はジンの前に跪くと、頭を下げてこう語る。
「ホムエルシン様。彼は今、一階にある中庭で……その……」
 歯切れの悪い台詞を受け、ジンは全てを察した。
「はぁ……またか?」
「ええ、またあれです」
 苦笑いをする若人に礼を言い、早速ジンは一階に向けて歩き出す。

 廊下を歩き、階段を降り、更にいくらか廊下を歩き、ジンは漸く中庭に辿り着いた。
 そこは、綺麗な円形の庭園だった。周囲には白塗りの壁が聳え立ち、天井はなく吹き抜けとなっている。見上げれば胸の透く様な青空。そして、まだ高い太陽の光が、庭を煌々と照らしていた。庭園を一望すれば、多種多様な植物の姿が見られ、ここが城の中とはとても思えない。

 その落ち着いた雰囲気と自然に惹かれ、庭園は兵士らの中でも人気のある場所だった。また、そこに自生している植物は全て、軍に在籍する魔法使いが集めた物であり、中には貴重な類の物も多い。その点も、兵士を呼び寄せる一つの要因と言えるだろう。
 数ある植物の中で、最も異彩を放つのは、中庭の丁度中心に聳え立つ大きな樹木だ。『魔法の木マナ・ツリー』と呼ばれるそれは、周囲の魔力を吸収し花を咲かせる霊木で、巡る四季に合わせた色とりどりの花が咲き誇る一種の魔法植物である。
 今は花が咲き誇る春最中。この時期の魔法の木は、それは見事な桃色の花弁を咲かせ、戦士たちの荒む心を癒してくれていた。
 その桃色の屋根の下で、ジンの目的のものは見つかった。人の気も知らずに、気持ちよさそうに寝息を立てる若い男だ。

 眠る男はつい先日、二十歳になったばかり。同年代と比べても大きめな体、程よく引き締まった四肢、身体を少し眺めるだけで、彼が優秀な戦士であることが分かる。
 黄色い短髪は総髪のように後ろで固められていて、穏やかな寝顔が丸見えだ。顔だけを見ればまるで幼い少年にしか見えない。
 だが侮るなかれ。彼こそが、ジンが探していたものにして唯一無二の弟子……‶ラインハルト・アルカイネン”であった。

 目的の人物を見つけられ、ほっと一安心するジン。だが次第に、人の気も知らずに太々しく眠るその態度に怒りがぶり返してくる。
「……こんの若造は……」
 そして程なく、堪忍袋の緒が切れた。
「くぉらぁあ!! 何を昼寝なんぞしているかあ!!」
 穏やかな時間が流れる中庭に、突如響いた叱咤の声。時を同じくしてその場に居合わせた兵士は皆、体を震わせて驚く。
 だというのに、当の本人はいい気なもので、相も変わらず眠ったままだ。


 ジンは堪らずその胸ぐらに手を伸ばした。
 だがその手がラインハルトのシャツをつかみ取る瞬間、ラインハルトは目を覚まし、胸元に迫りくるその手を引っ掴む。
「ぬうっ!?」
 最初に驚いたのはジン。よもや腕がつかみ取られるとは思っていなかったようだ。また、その力の強さにも驚く。
 続いて驚いたのは腕を掴んだラインハルト本人だった。
 安眠を妨害した人がジンであるとわかった彼は慌てて腕を離し、そそくさと立ち上がると頭を下げる。
「申し訳ありません。まさか師とは思いませんで」
 酷く落ち着いた声音でそう語るが、どうやら眠っていたことを反省しているわけではなさそうだ。

 ラインハルトの言動を受け、呆気にとられるジンだったが、何とか気を取り直すと再び怒鳴り声を上げた。
「ライン!! 貴様はまた他の兵士に怪我をさせたようだな!? 何度も注意されたというのに何故同じことを繰り返す!? ましてや訓練もせずに昼寝とは、反省の色も見えんようだ!!!」
 がみがみと語るジン。するとラインハルトは、下げた頭を戻しあろうことか口ごたえを始めた。
「またその話ですか……それについては俺だって何回も説明したではありませんか」
 ジンを見るラインハルトの眼光は鋭い。とても師と仰ぐ男に向けるものではない。だがそれも常々の事なのか、ジンも後れを取ることなく説教を繰り返す。
「その態度がいかんと言っているだろうに……はぁ……貴様も軍に属する兵士の一人だろうに、何故与する軍の規律すら守れんのだ」
 ジンはため息をつきながら頭を掻きむしった。

 辟易するジンだったが、ラインハルトにも思う所があるらしく表情は極めて険しい。師の落胆する声と態度を受けても悪びれる素振りすら見せず、若干声を低くしてこう告げる。
「……腑抜けになるような規律など、守るに値しませんよ」
 その言葉を聞いたジンは、背筋に得も言われぬ悪寒を感じた。
 戦場で常に感じた事のあるもの。所謂『殺気』というものだ。
「言うようになったものだな……お前が規律をどう思おうが自由だ。だが、それは思うだけに留めて置け。ましてや師に向けて殺気を向けるなど、言語道断も甚だしい」
 つい先ほどまで穏やかだった空気は、次第に剣呑とし始め、遂に一触即発の物へと変わる。
 一連の様子を傍から見守る兵士らは皆、ごくりと唾を飲み込んだ。
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