探求の槍使い

菅原

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平和の礎

力の差 3

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 スィックルの移動速度は凄まじい。たった一つ瞬きをするだけで、目に見えてラインハルトへと肉薄している。本来ならば剣士は槍使いとの戦いにおいて、初激の一突きを掻い潜ることで、槍の取り回し難しくなる距離まで近づくことを狙う。だが激昂した剣士にその作戦を選ぶ冷静さはなかった。ましてや対戦相手は、常日頃訓練を怠けている愚兵である。当然彼は、自身が負けるなどとは思わない。

 ラインハルトは、恐るべき速度で肉薄してくる剣士を冷静に見つめていた。
(……いかんなぁ)
 彼の眼がまず捉えたのは、駆けてくるスィックルが持つ剣の位置だ。
 戦いにおいて、視覚から入る映像は重大な情報となる。中でも特に勝敗に影響するのが、互いが持つ武器の位置だ。例えばこの時、スィックルは中心よりやや左寄りに剣を構えて突進してきている。右手に持つ剣を左手に……そんな体勢で行う攻撃は、左から右に向けての切り払いのみだ。仮にこれが、虚をつく偽りの行動だとしても、再び右に構えなければ右から切り払うことは出来ない。それだけの隙があれば、咄嗟に行われても回避が可能だ。この僅かな視覚情報が、スィックルの攻撃方法をラインハルトに報せてしまった。
(少し頭に血が上っただけでこれだ。とても英雄の器じゃない)
 既にスィックルは、ラインハルトの持つ槍の射程圏内に入っている。これ以上の接近を許してしまえばいずれ、槍使いにとって苦手とする距離に到達するだろう。だというのに、ラインハルトは一切慌てる素振りを見せない。そうこうしていると遂に、ラインハルトが剣の射程圏内に入る。

 攻撃方法が断定されているとは露知らず、スィックルは渾身の力で剣を振り抜いた。
 剣の軌道はラインハルトの予想通り、左下から右上にかけての切り上げだ。しかしその速度たるや、まさに不可視。誰の目にも止まらぬ高速の一撃は、ラインハルトの持つ木の槍諸共、容易く体を断ち切るだろう。
 だが、迫る攻撃を予見していたラインハルトは、冷静に対応して見せた。
 まずは剣の進行方向である右へ、ラインハルトからすれば左へ、上半身を逸らして回避を試みる。これで空振りさせることを狙ったのだが、身体強化されたスィックルの剣戟は頗る早く、回避は難しそうだ。するとラインハルトは、間に合わぬと見た矢先、驚くべき行動をとって出た。
 何とラインハルトは、右手に握った木の槍の底で、スィックルの振る剣の腹を叩き上げたのだ。これにより剣の軌道は大きくそれ、鋭い刃が長身であるラインハルトの更に頭上を通り抜けていく。
 最初の攻撃を回避すると、大きな隙が出来たスィックルに向かい、ラインハルトは僅かに笑って語り掛けた。
「それじゃあ駄目だ」
 そして、木の棒を大きく振り回すと。

 ガィィィイイン!!

 スィックルの手にあった剣を強く弾き飛ばした。それはくるくると宙を舞い、戦いを見守るジンの足元に突き刺さる。
「ぬぅっ!?」
 驚愕の声を上げ咄嗟に飛び退くスィックル。だがそこはまだ、ラインハルトの射程圏内。
「ふっ!!」
 逃げる戦士の身体目掛け、ラインハルトは木の槍を突き出した。強化魔法により何倍にも強化された、スィックルの放つ剣戟と同等……いや、それ以上の速度にも見える一撃。
 それはスィックルからすれば真正面からの刺突攻撃であり、眼に入る視覚情報は先の切り払いに比べ、明らかに少ない。
 結果、ラインハルトの一突きは、吸い込まれるように彼の胸に突き刺さった。

 ビシビシ!!!!
 
 耳に届く金属の割ける音。そして、大きく吹き飛ぶ剣士の身体。
 
 スィックルの敗北は、誰の眼からも明らかだった。試合開始前にたっぷり準備をしておきながら、彼の一撃はラインハルトに通じず。一方ラインハルトは、最高威力まで強化された攻撃を完全に捌ききったうえで、一撃を見舞ったのだ。
 終わってみれば一瞬の出来事であった。そして、その場にいる兵士らは皆分かってしまった。問題児であったラインハルトは、皇国が誇る強大戦力『英雄の卵ブレイブ・エッグ』にも引けを取らぬ力を持っていたのだと。
 この事実を受け、観戦を言い渡されていた一般階級兵は、咄嗟に歓声を上げてしまった。中にはスィックルが負け嘆く者もいるが……大多数は歓声を上げる兵士たちだ。
「おおおお!! まさか勝ってしまうとは!!」
「そんな……カーン様が負けた……!?」
「一般階級が……特異階級に勝った……だって?」
 城の中から覗いていた兵士らも、口々に驚嘆の声を上げ、四方からは称賛の声が降り注ぐ。


 この一連の攻防の結末を、ラインハルトは全て知っていた。いや、仕向けたと言ってもいい。
 冷静さを失わせるために挑発を繰り返し、攻撃の判別を容易とさせた。また通常であれば、強力な一撃よりも連撃、連携を念頭に戦う剣士に向かって、一合持てばよい、等と吐き捨てることで、連撃の可能性を失わせるという策も弄した。
 更に言えばだ。激昂していたとはいえ、訓練にどっぷりとつかった兵士が、足を狙うような真似をしないことも、彼には分かっていた。何故なら彼ら皇国の兵士は、例え訓練上の出来事であっても、兵士を悪戯に傷つけてはならぬ、と教え込まれているからだ。中でも足は、自ら歩くことが出来なくなり、兵士の仕事に大きな影響を与える。だから皇国に従順であればある程、訓練に只管であればある程に、足や腕への攻撃は少なくなり、特定もしやすくなるのだ。
 この試合の結果は、成るべくして成った結末だった。

 
 試合の結果を受け、ジンは悔しさに歯を噛むと、周囲の兵士に指示を出した。
「衛生兵! カーン特異階級兵を医務室へ! 合同演習はこれにて緊急終了とする。後の予定は追って連絡をするだろう! では解散!」
 口早にそう語ると、狼狽える兵士らの答えを待たず踵を返し、城へと戻っていってしまった。
 その後ろ姿を見送るラインハルトは、ジンの姿が見えなくなる頃、圧し折れた訓練用の槍をその場で放り投げた。それから立木に刺さった自身の槍を回収すると、城へと向けて歩き出す。相変わらず周囲は騒がしい。だが、彼の力を恐れたのか、称賛の声はあっても制止の声は誰からも投げかけられなかった。


 スィックルの周囲に集まった兵士らは、その傷口を見て驚く。
「おい……これって、金属の鎧だよな?」
「ああ、訓練用だから少し薄いが、れっきとした金属だな」
 兵士が手で鎧を数度叩いた。
「あいつ……木の棒だったよな?」
「ああ、あいつが持っていたのは訓練に用いる模擬槍、先が尖ってすらいない唯の木の棒だった」
 その声を聞き、倒れている兵士を見た者は、皆言葉を失くし息を飲む。
「なのにどうして……鎧にこんな丸い穴が開いているんだ?」
「……そんなの知るかよ……」
 スィックルが来ている鎧には、胸のあたりに綺麗な円形の穴が出来ており、そこから四方にひび割れる形で裂傷が出来ていた。
 やがて担架を担いだ衛生兵が現れ、気絶した英雄の卵が訓練場から運ばれていく。
 騒ぎの中心人物が皆見ないなくなり、静かになった訓練場では、暫くの間兵士らが呆然と立ち尽くしていた。
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