探求の槍使い

菅原

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疑惑

孤児院院長の話 1

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 更に五日が過ぎた。時刻は既に昼を過ぎ、太陽が山の向こうへと沈み始める頃合いだ。
 この日、週に一度ある合同演習を終えたジンは、自室で身支度を整えていた。
 合同演習の中で、ジンが槍を振る機会は滅多にない。何せ兵士に怪我を負わせないことに尽力をしているのだ。訓練の最中に最も気に掛けるのは、誰かが倒れていないか、身に危険が迫っていないかということばかりで、大体は声を張り上げるばかりである。しかし、例え槍を振るっていなくても汗はかくもので、太陽に熱された金属鎧の中は汗だくだ。ましてやこれから、夏真っ盛り。立っているだけでもつらい時期がやってくる。
「ふぅ……私がこんな思いをしているのだ。兵士たちも可愛そうではあるな」
 鎧を脱ぎ去ったジンは、汗をたっぷり吸った肌着をも脱ぎ去り、あらかじめ用意していた布で体を拭う。湯浴みをしてさっぱりするのも良いが、彼ら兵士に開放されている浴場は共同である。その為、訓練を終えたばかりの兵士でごった返しているだろう事は容易に想像できる。だからジンは、とりあえずは汗を拭くだけで我慢することにした。

 部屋着に着替え一息つく頃、不意に戸が叩かれた。
 トントントン。
 三度の音に続き、控えめな声がかかる。
「よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
 小さく声を返すと、何時も連絡事項を報せてくれる男兵士が顔を覗かせる。
「ホムエルシン様。例の会談の話なのですが、是非話がしたいという者が現れまして」
「ほう。何処の御仁だ?」
 防具立てに懸けてある鎧を磨きながら、そう尋ねた。
「はい。皇国の南東にある孤児院の方です」
「孤児院? そのような場所まで声をかけた記憶はないが」
「ええ、どうやら先日ホムエルシン様と会談した商人から聞いたようで……」
 多少不穏に思いながらも、ジンは急ぎ外出の準備を始めた。


 人様の家に伺うということで、結局ジンは湯浴みをして身を清めることにした。
 その間に馬車の手配等々済まして置きはしたのだが、全ての準備をすまし馬車が目的地へと動き出す頃には、辺りはすっかり夕闇に染まりつつあった。
 皇国を分断する一番通り、二番通りの大きな道には、両側に魔法灯が設けられており、日暮れと共に周囲を淡く照らし始める。また通りに面した家屋の窓からは幾つもの明かりが漏れ、昼とは一風変わった寂しさを醸し出している。

 ジンが乗る馬車は、魔法灯に照らされた大きな道から外れ、小さな路地へと入っていく。路地を照らすのは周囲にある家屋から漏れる光だけ。その薄暗い路地を進み、一つ、二つ、三つと角を曲がる頃、馬車は漸く目的の場所に辿り着く。
 ヒヒーンという馬の嘶きと共に、馬車から飛び降りるジン。彼の目の前には、一際強く光を漏らす一つの建物があった。
 『クーリッジ孤児院』。約二十人ほどの孤児を預かる、皇国の孤児院の一つである。
 時間も遅いため周囲に人影はない。ジンは馬車を置いて一人で建物の戸の前に立つと、把手についた金属の輪で戸を叩いた。
 こんこん。
 「はーい」
 建物の中から女の声が聞こえる。若くはない。だが溌溂とした元気のある声だ。

 程なくして戸は開かれた。
 姿を現したのはふくよかな女。年は五十辺りだろうか。白髪交じりの茶色い髪。こげ茶色の、薄手の服の上に白いエプロンを付けたまま、きょとんとジンの顔を見上げている。
「おや、いい男じゃないか。見たところ……兵士様……かしら?」
「夜分遅くに申し訳ありません。連絡を受けましたジン・ホムエルシンと申します」
 ジンの名乗りを受けた女は驚くと、急いで中へと迎え入れた。


 ジンが案内されたのは、食堂と思しき一室。部屋の中心には大きな大きな机が置かれ、その周囲に何十という椅子が並べられている。おそらくはここで、孤児たちが一堂に会し食事をするのだろう。
 空いた椅子に座って待つこと暫く、部屋の入り口が空き、先の女が入ってきた。
「申し訳ありません。子供たちが落ち着きなくて……」
 女はパタンと戸を閉じると、ジンが座る対面の椅子に腰かける。
 ジンは言う。
「いや、子供は元気が一番だ。言うことを聞かないくらいが丁度いい」
「ふふ、そういってもらえると助かります」
 女は苦笑いをした。

 部屋の外から聞こえる喧噪とは打って変わり、部屋の中は静かな物だった。
 普通では然程気にならない時計の音も、酷く大きく聞こえる。
 時刻は夕食を取るのに丁度良い時間帯。子供たちが騒がしいのもそのせいだろうか。
 話す準備が整った女は、静かに口を開いた。
「私の名前は‶アン”。この孤児院の院長を務めています。今回声を駆けさせて頂きましたのは、さる商人様より、軍のある方が皇国の不穏な話を集めていると聞いたからなのです」
 当初受け取っていた情報通り、アンは先日の商人より話を聞いていたようだ。
「確かに……私は皇国におけるある疑惑を払拭すべく、方々に話を聞きまわっているところです。それで、貴女は一体どんな話を聞かせて頂けるので?」
 ジンの問いかけに、アンは頷く。
「はい……実は数日前、この孤児院にいた男の子が一人、行方不明になった事件があったのです」
「ほう、行方不明に……」
 ジンは軽い相槌を入れ、アンの話に身を乗り出した。
「勿論、その際には皇国軍の兵士様へ相談をいたしました。ですが……」
 歯切れの悪い声に、ジンは悪い予感を抱く。
「……ですが兵士様は、調べるので安心してください、と言ったっきりで、暫く連絡が無かったんです。そこで今朝、軍の方からこういったものが届きまして……」
 アンが差し出したのは、一枚の厚い紙だった。ジンもよく目にする、皇国軍で使う報告用羊皮紙だ。
 それを受け取ったジンは、そこに記された文面に眼を降ろす。
『貴女の求めた”カイン‶という少年の探索は無事成功し、今は新たな里親の下で幸せな生活を送っています。ご安心ください』
 紙には黒いインクでそう書き連ねてあった。
 ジンは内容を核にすると、それをアンに返す。すると彼女は俯いてこう続けた。
「これまでも数多くの子供たちを、子宝に恵まれなかった方々の下へ見送りましたが、その別れ際に立ち会えなかったこと、新たな親の顔も見れなかったことは、一度たりともありません。こんなこと……初めての事で……」
「……成程。つまりこの報告書には虚偽の可能性があると?」
「も、申し訳ございません! 兵士様を疑っているわけではないのです! でも私は……!」
 慌てふためくアン。軍の兵士に逆らうこと、それはここ、皇国でも正しい行為ではなく、罰に処されても文句は言えない行いである。
 ましてやジンは身なりからして一般の兵士とは違い、明らかな上位階級に属する兵士である。その罰は一般兵士に対する者よりも重くなるだろう。彼の物言いから、アンはそうなることを恐れた。

 だがジンは朗らかに笑って見せた。
「いやいや、確かに話を聞く限りでは虚偽の可能性もあるだろう。貴女の疑問も尤もだ」
 ジンの言葉に、アンは安堵の表情を浮かべた。それを見たジンは、こう付け加える。
「それに、私が今追っている疑惑に頗る関連のありそうな話だ。是非、詳しく聞かせてほしい」
 ジンはそういって、アンジエラを見つめた。
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