88 / 124
西の都
選別試合 4
しおりを挟む
その後、エンカと試合を見る町人らは、カイネルの放った矢に終始驚愕を隠せなかった。放たれる矢は至って普通の矢であり、正確であることを除けば他の弓使いが放つ物と何ら変わらない。だがその矢を切り捨てる、躱すといった防御策を講じた後が問題だ。鏃が壁や地面のどこかに触れる度に、見たこともない現象が起きる。ある時は植物の蔦が生え四肢に絡みつこうとし、ある時は氷柱が突き立ち頬を切る。またある時は火柱が立ち上がり、あたりに焦げ臭い匂いを巻き散らした。
試合当初、エンカは両者の不等である状況に落胆していた筈だった。弓という武器が持つ幾つもの利点を潰された弓使いと、ほぼ最上とも言える状況にある戦士。戦うその人が誰なのかといった情報を抜きに、どちらが勝つかは明白であった。一時はその不幸な境遇に、同情さえしていた筈だった。しかし試合が長引き、いよいよ顔に焦りが浮かぶ頃、彼女の内心は、距離が限定されていたこと、互いの存在をそれぞれ認知した状態で試合が始まったことを、そうで良かったと捉えてしまっていた。
土壁を作り出した狙撃よりカイネルは矢に魔力を籠め続けた。その結果、一時は試合は流れを完全に掌握し、勝利一歩手前まで漕ぎつけることに成功。
ところがエンカも必死で凌ぎ、ついにある弱点が露呈する。
「くっ……僕の負けです」
唐突に、カイネルが負けを認めた。あと少し、あと少しで勝利をつかめるところだった。
エンカは汗だくのまま信じられないといった表情を浮かべ、弓を下ろすカイネルを見る。そして彼の両手、腰に着いた空の矢筒を見て理解した。
矢がなくなってしまっては自慢の狙撃もできない。カイネルは空になった矢筒の縁に手を置き、頭上で眺める貴族を見上げる。
視線が合い、状況を察したフロベルティが高らかに声を上げた。
「敗北の宣言を受理する。勝者、エンカ!」
湧き上がる歓声。それは勝者にのみならず敗者であるカイネルにも降り注ぐ。その歓声を背に、二人は一同が待つ建物へと戻っていった。
疲れ切った二人が戻ると、ラインハルトが労りの言葉を投げかけた。
「お疲れさん。なかなか盛り上がったようだ」
戸が閉まり外界からの音は鳴りを潜めたが、それでもまだ聞こえるほどに歓声が大きい。それは試合を見ていなくてもどれだけ見事な戦いを繰り広げたかの証拠となる。
「負けちゃいました」
ぎこちなく笑うカイネル。口惜しさと、それを我慢するような複雑な笑顔だ。
「あたしは勝ったとは思っていないよ」
不意に口を挟んだのはエンカだった。
「またいつか、手合わせして頂戴」
そう言って彼女は、爽やかな笑顔で手を差し出す。その手を取るカイネルもまた屈託のない笑顔を浮かべ、勿論、と答えた。
選別試合は進む。カイネルが戻るなり次の対戦者が選ばれた。
「トージェス様、シェイン様、ご準備ください」
執事の低い声がシェインの名を呼ぶ。すると彼女は、長い黒髪を翻し颯爽と建物の外へと出ていった。
そのあとを対戦相手と思わしき老戦士が追う。
「……」
言葉は発しなかったが、すれ違う瞬間、鋭い視線がラインハルトを射抜く。過密な鎧に隠れて肉体は見えないが、立ち振る舞いから屈強な戦士であることが分かった。奇しくも、カイネル対エンカと似通った組み合わせとなったようだ。
外に出たシェインは驚愕した。一つは人の多さ。試合開始前の人だかりとは比べ物にならない位の人が集まっていた。加えて湧き上がる歓声の大きさ。先ほどの試合がどれだけ見ごたえがあったのかを伝えていた。
総じて、観客らは今、まさに最上の盛り上がりを見せていた。だが彼女が何よりも驚いたのは、試合会場の凄惨さだ。
地面は舗装のされていない土道だ。故に初めから大して綺麗ではなかったが、そこ彼処に不自然な土壁が幾つも隆起している。しかもその壁からは何本もの棘が生えており、彼女には宛らある種の拷問道具のように見えた。また地面その物も酷い状態で、至る所に切り裂いた跡や穿った跡がついている。これだけ滅茶苦茶な状態になっているというのに誰一人文句を言わないのには、驚きを通り越して呆れるしかなかった。
シェインが恐らく会場の中心と思われる場所に立つ頃、トージェスと呼ばれた老戦士も対になる個所に立つ。
手にはサーベルを持ち、身に着ける鎧はこれまでの戦士の中でも重装備だ。露になっているのは肩から肘までの一部と顔くらいだろうか。その顔の半分も、灰色の立派な髭で覆われてしまっている。
対峙して早々、トージェスが口を開いた。
「悪いことは言わない。危険しろ。私に女子供を甚振る趣味はない」
しわがれた声でそういうと、持っていたサーベルを地面に突き刺し腕組みをした。堂々たる仁王立ち。この試合、負けるとは露ほどにも思っていないらしい。
戦士の恫喝に、シェインは答えた。
「……本来ならばそうしたいところですけど、そうも言ってられないんですよね」
彼女は争うことが嫌いだ。ただただ、己の知的欲求を解消できればそれでいいと考えている。だがこの場においては、試合に臨むことが彼女の知的欲求を満たす条件となっていた。
シェインは徐に目を瞑ると、右の手を振り払った。直後、魔法発動を告げる魔方陣が浮かび上がる。その規模は巨大で、会場の全域をとらえ、観客が作る人垣を僅かに飲み込むほどだ。
「全く、戦士という生き物はどうしてこう野蛮なんでしょう」
言葉と共に、魔方陣が明滅を始める。その現象は直後に起こった。
土道に着いた傷が見る見るうちに塞がっていく。また隆起していた棘、壁も時間を巻き戻したかのように小さく元の形へ戻っていく。それまで十数人の戦士がつけてきた戦いの傷跡が、一人の魔法使いによって瞬く間に消えていくのだ。
これには試合を観覧する町人も、対戦相手のトージェスも、開催者であるフロベルティでさえも驚嘆の声を漏らした。
光の明滅が収まるとそこには綺麗になった通りが。そこまでして漸くシェインは眼を開く。
「私からも一つ申し上げます。あまり魔法使いを舐めない方がよろしいですよ」
試合に挑む気構えは十分。シェインは初撃の魔力を練り上げながら、開始の合図を待つ。
試合当初、エンカは両者の不等である状況に落胆していた筈だった。弓という武器が持つ幾つもの利点を潰された弓使いと、ほぼ最上とも言える状況にある戦士。戦うその人が誰なのかといった情報を抜きに、どちらが勝つかは明白であった。一時はその不幸な境遇に、同情さえしていた筈だった。しかし試合が長引き、いよいよ顔に焦りが浮かぶ頃、彼女の内心は、距離が限定されていたこと、互いの存在をそれぞれ認知した状態で試合が始まったことを、そうで良かったと捉えてしまっていた。
土壁を作り出した狙撃よりカイネルは矢に魔力を籠め続けた。その結果、一時は試合は流れを完全に掌握し、勝利一歩手前まで漕ぎつけることに成功。
ところがエンカも必死で凌ぎ、ついにある弱点が露呈する。
「くっ……僕の負けです」
唐突に、カイネルが負けを認めた。あと少し、あと少しで勝利をつかめるところだった。
エンカは汗だくのまま信じられないといった表情を浮かべ、弓を下ろすカイネルを見る。そして彼の両手、腰に着いた空の矢筒を見て理解した。
矢がなくなってしまっては自慢の狙撃もできない。カイネルは空になった矢筒の縁に手を置き、頭上で眺める貴族を見上げる。
視線が合い、状況を察したフロベルティが高らかに声を上げた。
「敗北の宣言を受理する。勝者、エンカ!」
湧き上がる歓声。それは勝者にのみならず敗者であるカイネルにも降り注ぐ。その歓声を背に、二人は一同が待つ建物へと戻っていった。
疲れ切った二人が戻ると、ラインハルトが労りの言葉を投げかけた。
「お疲れさん。なかなか盛り上がったようだ」
戸が閉まり外界からの音は鳴りを潜めたが、それでもまだ聞こえるほどに歓声が大きい。それは試合を見ていなくてもどれだけ見事な戦いを繰り広げたかの証拠となる。
「負けちゃいました」
ぎこちなく笑うカイネル。口惜しさと、それを我慢するような複雑な笑顔だ。
「あたしは勝ったとは思っていないよ」
不意に口を挟んだのはエンカだった。
「またいつか、手合わせして頂戴」
そう言って彼女は、爽やかな笑顔で手を差し出す。その手を取るカイネルもまた屈託のない笑顔を浮かべ、勿論、と答えた。
選別試合は進む。カイネルが戻るなり次の対戦者が選ばれた。
「トージェス様、シェイン様、ご準備ください」
執事の低い声がシェインの名を呼ぶ。すると彼女は、長い黒髪を翻し颯爽と建物の外へと出ていった。
そのあとを対戦相手と思わしき老戦士が追う。
「……」
言葉は発しなかったが、すれ違う瞬間、鋭い視線がラインハルトを射抜く。過密な鎧に隠れて肉体は見えないが、立ち振る舞いから屈強な戦士であることが分かった。奇しくも、カイネル対エンカと似通った組み合わせとなったようだ。
外に出たシェインは驚愕した。一つは人の多さ。試合開始前の人だかりとは比べ物にならない位の人が集まっていた。加えて湧き上がる歓声の大きさ。先ほどの試合がどれだけ見ごたえがあったのかを伝えていた。
総じて、観客らは今、まさに最上の盛り上がりを見せていた。だが彼女が何よりも驚いたのは、試合会場の凄惨さだ。
地面は舗装のされていない土道だ。故に初めから大して綺麗ではなかったが、そこ彼処に不自然な土壁が幾つも隆起している。しかもその壁からは何本もの棘が生えており、彼女には宛らある種の拷問道具のように見えた。また地面その物も酷い状態で、至る所に切り裂いた跡や穿った跡がついている。これだけ滅茶苦茶な状態になっているというのに誰一人文句を言わないのには、驚きを通り越して呆れるしかなかった。
シェインが恐らく会場の中心と思われる場所に立つ頃、トージェスと呼ばれた老戦士も対になる個所に立つ。
手にはサーベルを持ち、身に着ける鎧はこれまでの戦士の中でも重装備だ。露になっているのは肩から肘までの一部と顔くらいだろうか。その顔の半分も、灰色の立派な髭で覆われてしまっている。
対峙して早々、トージェスが口を開いた。
「悪いことは言わない。危険しろ。私に女子供を甚振る趣味はない」
しわがれた声でそういうと、持っていたサーベルを地面に突き刺し腕組みをした。堂々たる仁王立ち。この試合、負けるとは露ほどにも思っていないらしい。
戦士の恫喝に、シェインは答えた。
「……本来ならばそうしたいところですけど、そうも言ってられないんですよね」
彼女は争うことが嫌いだ。ただただ、己の知的欲求を解消できればそれでいいと考えている。だがこの場においては、試合に臨むことが彼女の知的欲求を満たす条件となっていた。
シェインは徐に目を瞑ると、右の手を振り払った。直後、魔法発動を告げる魔方陣が浮かび上がる。その規模は巨大で、会場の全域をとらえ、観客が作る人垣を僅かに飲み込むほどだ。
「全く、戦士という生き物はどうしてこう野蛮なんでしょう」
言葉と共に、魔方陣が明滅を始める。その現象は直後に起こった。
土道に着いた傷が見る見るうちに塞がっていく。また隆起していた棘、壁も時間を巻き戻したかのように小さく元の形へ戻っていく。それまで十数人の戦士がつけてきた戦いの傷跡が、一人の魔法使いによって瞬く間に消えていくのだ。
これには試合を観覧する町人も、対戦相手のトージェスも、開催者であるフロベルティでさえも驚嘆の声を漏らした。
光の明滅が収まるとそこには綺麗になった通りが。そこまでして漸くシェインは眼を開く。
「私からも一つ申し上げます。あまり魔法使いを舐めない方がよろしいですよ」
試合に挑む気構えは十分。シェインは初撃の魔力を練り上げながら、開始の合図を待つ。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる