愚骨な傭兵

菅原

文字の大きさ
20 / 31

18-3

しおりを挟む
 その日は珍しく、何も予定がない日だった。旦那様は仕事でお屋敷には居らず、ただのんびりとできる日だった。そんな中だ。執事長が持ってきた手紙に、私が衝撃を受けたのは。


 私は昔、孤児院で暮らしていた。そこには仲の良い男の子が一人いて、いつも一緒に遊んでいたのを覚えている。気がつけば互いに引かれ合い、口づけを交わし、将来を共にする約束もした。生活は貧窮していたけれど、幼い私には彼がいてくれるだけで幸せだった。
 私が丁度十歳になった時、とある貴族様に引き取られることになった。引き取られたのは私だけ。男の子は一緒じゃなかった。大好きな彼と離れ離れになってしまうことに、私は涙を流したけど、貴族様、孤児院の先生方に迷惑をかけないよう、精一杯我慢をした。何とか笑顔で別れの挨拶を済ます。こうして私は、半ば強制的に新しい生活を送ることになった。
 貴族様は、平民の私を虐げることをしなかった。むしろ良く気を使ってくれて、傷心の私を癒そうとしてくださった。そんな恵まれた環境下でも、私は暫く立ち直れなかった。新しい家に慣れる頃には、住み込みで働く給仕として仕事を始めていたけど、その頃もまだ精神的には不安定な状態だったと思う。不意に男の子との記憶が呼び起されるたび、涙が溢れそうになった。それでも人様に迷惑を掛けまいと、悲しみを無理やり押し込め、平静を装って仕事をつづけた。代わりに夜は寂しさに嗚咽と涙を漏らす日々。旦那様に声をかけられたのはそんなときだった。

 旦那様は、私を引き取ってくださった貴族様の嫡子様。要するに今後貴族家を継ぐ方だった。今思えば、もともと夜伽の相手そういう目的で引き取られたのだと思う。でもその時の私にはそう言った知識はなかったし、旦那様もそういったことを一切してこなかったから分からなかった。夜に旦那様の部屋を訪れ、世間話をし、一緒に寝台で眠る。旦那様の手が私の頭を撫でるだけで、どこか暖かな気持ちになって、旦那様の腕で抱き締められるだけで、寂しさが紛れる気がした。時にはお昼にも声をかけて下さって、一緒に遊んだり……何度も何度もそうやって、旦那様に優しくされるうちに、私は旦那様に心を許していった。

 そうした生活が一年ほど続くと、私はすっかり立ち直っていた。この頃には仕事も大分覚え、使用人方にも気さくに声を掛けて貰えるように。そして私が十五になり成人となった時、遂に旦那様は私に夜伽を求めてきた。その頃には私も旦那様にすっかり心を開いていて、不快感は一切なかった。より仲が深まる事を嬉しく思っていたような気さえする。もう昔のことで、その時の感情はあまり覚えていないけれど、その時は恩返しの意味も込めて、要望を受け入れることにしたんだと思う。旦那様は優しい人だ。はっきりと拒否すれば純潔のままでいられただろう。それでも私は、旦那様を受け入れることに決めた。
 夜伽を受け入れてから三年もたつ頃、気がつけば私は、平民の身分でありながら貴族の旦那様と婚約、結婚まで果たしていた。巷では身分差を越える大恋愛として語られていたらしい。孤児院の頃とは比べようもないほど豊かな生活。空腹に喘ぐこともなければ、欲しいものの大半が手に入る。今思えば感覚が麻痺していたんだと思う。でも……その時の私は幸せでたまらなかった。

 そんな幸福を噛み締めていたある日、私は、町での買い物を満喫していた。使用人を引き連れ、様々な店を散策しては、気に入ったものを手当たり次第に買い漁る。側から見ればそれは、さぞ嫌な人間に写っていただろう。ただ弁解させて貰えるのならば、値段的には大した額ではなかったと思う。旦那様や他の貴族様方に言わせれば、「貴族の割に欲がない」等と称賛される程安いものばかりだったらしい。今思えば「物欲に溺れていた」と言われても否定は出来ないけれど、それでも当時は、子供の時分、欲しくても手に入らなかったものがなんでも手に入る感覚に酔いしれていた。……彼と出会ったのは、そんな最中だった。
 思えば、離れ離れになってから約九年の月日が経っていた。お互い子供の頃の面影なんてほとんど残っていなかったけれど、不思議と私は彼に気が付けた。茶色の短い髪。高い上背に逞しい体。大層苦労しているんだろうか、ぼろぼろのシャツにくすんだ鉄の胸当て、使い古された刀剣も一目で粗悪品だとわかる。お洒落とは程遠い、武骨で泥臭い恰好。彼も私がわかったみたいで、私の顔を見て凄く驚いていた。勿論私も驚いた。でもその後は、嬉しさや懐かしさよりも先に、恐怖の感情が湧き上がってきた。
 彼は私に気がついた時、無邪気な笑みを浮かべた。孤児院を出てから必死に探していたんだろう。そう察することが出来る顔だった。ところが私の指に小さな指輪が付いているのを見て、その顔は一変悲しそうな表情に変わる。ああ、そんな顔をしないで、と声を掛けられたのなら、どれだけ救われただろうか。彼のその顔を前に、私は声が出せなかった。まるで石になってしまったかのように、唇が、舌が動かない。
 黙る私を前に、彼は腕で目元を拭うと、ぎこちなく微笑みかけてくれた。それから「幸せそうで良かった」と言ってくれた。私は、彼の声が聞けて嬉しかった半面、恥ずかしくてたまらなくなった。今の今まで……そう、彼に気が付いたその瞬間まで、私は彼の存在を忘れてしまっていたんだ。孤児院で遊んだあの日々も、将来を誓い合ったあの約束も、胸を高ならせながら行ったあの口づけも、一緒に毛布をかぶって眠ったあの温もりも、全てを忘れていたんだ。
 子供のころの口約束、といえばその程度の事かもしれない。でもこの時ばかりは、豪奢なドレスに身を包み、高価なアクセサリーで着飾った、誰も彼もが美しいと称賛の声を上げる私が、とてつもなく醜くい人間なのだと感じてしまった。物欲に溺れ、好きな物を欲望に任せ買い漁る。今の私を見た彼が、一体どう思うのか、それを考えれば怖くてたまらなかった。

 言葉を失う私を見て、彼は何を思ったのかこう言いだした。
「不躾に失礼しました。幼い頃一緒に遊んだ女の子に似ていたもので……」
 私は直ぐに察した。彼は世間体を気にしてくれたのだと。今では貴族の婦人である私に、平民である彼が言い寄っては、良くない噂が立つと思ったのだろう。私は震える声を抑えて答える。
「そ、そうですか。貴方にとってその子は……その……」
「大切な人です。今は何処にいるのかわかりませんが、幸せに暮らせているのならば……それだけで私は幸せです。御婦人は、今幸せですか?」
 私はどう答えようか悩んだ。正直に言えば幸福の最中にある。でもそう言ってしまえば、彼を悲しませることは眼に見えている。あれこれ考えた挙句、私は首を縦に振ってしまった。
「え、ええ」
「……それは良かった……では私はこれで」
 そう言うと彼は、私の言葉を待たずに颯爽と走り去ってしまう。使用人たちの呼び掛ける声が酷く遠くに聞こえる。外聞も気にせず追いかけようかとも思った。でもその時の私は、僅かに手を伸ばすばかりで追いかけることまでは出来なかった。旦那様には良くしてもらっているし、既に結婚しているのだから彼の思いに答えることはできない。そんな言い訳めいた言葉が瞬時に浮かんでしまい、私の足を止める。そして私の心を埋めるのは自責の念。既に他の男に体を許し、心さえも旦那様に許した自分が、今更どんな顔をして彼の隣に立てるというのか。本の少しの邂逅でも、彼がこれまでずっと、あの約束を守っていたのだと直感でわかってしまった。約束を破ったのは私。そんな私が、彼に一体何を言えるというのか。
 心の奥からどす黒い感情が沸き上がる。何故だと問い詰められ、ふざけるなと罵られたほうがどれだけ楽だっただろうか。変わってしまった私には、彼の純真さが酷く眩しく、酷く辛かったのを覚えている。


 そんな苦い思い出から早十年。これまで一切関与がなかった彼からの手紙に、年甲斐もなく私の胸が高鳴った。旦那様と出会ってからの四年間で、私は彼を忘れてしまっていたけど、街で出会った十年前から今までは、片時も忘れたことはない。気づけば旦那様と寝室を共にすることも少なくなり、今では旦那様の顔もまともに見れていない。聡明な旦那様なら何かに気付いているかもしれないけれど、追及してくることはなかった。なのに旦那様は、今でも私に愛情を注いでくださっている。
(……私は酷い女ね。軽い口約束と心変わりばかり。今更旦那様を拒否したからと言って、彼と一緒になれるわけでもないのに……)
 そう思いながら手紙を読み進めた。恋文の類ではない。むしろ事務的な言葉遣いばかりだ。愛を伝える甘い言葉も、昔を責める苦言も一切ない。それでもその手紙の一文字一文字が、私の心を打ち付ける。
「奥様? 如何しますか?」
 使用人の声で我に返る。こんなことで全てを清算できるとは思っていない。でも私はこの時、彼に頼られたことが純粋に嬉しかったし、応えたかった。これは私なりの贖罪だ。例え良いように利用されていたとしても……。
「すぐに通して頂戴。お話を聞きたいわ」
「かしこまりました」
 改めて手紙に視線を落とし、最後に綴られた文字を目で辿る。
『いつまでも貴女の幸せを願う』
 可能であるのならば、この言葉は彼の口から聞きたかったと思いつつ、私は手紙を抱きしめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

真実の愛を見つけたとおっしゃるので

あんど もあ
ファンタジー
貴族学院のお昼休みに突然始まった婚約破棄劇。 「真実の愛を見つけた」と言う婚約者にレイチェルは反撃する。

処理中です...