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一章
『転生令嬢』
しおりを挟む転生者、と呼ばれる者たちがいた。
彼らは別の世界、所謂"異次元"からある日前触れも無く生まれ変わってくる。
その数は極めて少数だが、前世の記憶と非凡な力、そして不思議な運命力を持つ彼らはみな例外なく、この世界において特別な存在となる。
ある者は世界を救う勇者に、ある者は常識を覆す大魔法使いに、ある者は改革を起こす王に。
そうやって彼らは、この剣と魔法の世界の歴史に名を刻んできた。
だがその神秘の正体は、未だ何一つとして紐解かれない。
転生者たち当人ですら何も知り得ない。
ソリタリオの依頼はまさしくそんな怪奇的存在、転生者の関与するものだった。
ーー
「これは内密にお願いしたいのだけれどね。…実は、私の娘は"転生者"なんだ」
お屋敷のだだ広い客間の中、領主ジャック・スウィフレイアは思いがけない事実を、密やかにソリタリオへと告げた。
仕事柄の割に人との縁の薄いソリタリオだが、メデイア森林を領内に含んだ『アルメ領』の領主である彼とは、そこに棲家を持つ身とするとそう縁遠い存在ではない。
それまで滞在地の定まらなかった彼女に、この自然豊かな土地での居住を勧めたのは他でもないジャック本人である。
押しに押されて断れなかったのが理由だが。
なので関係性値はソリタリオからすると薄い方である。
だが薄いと言えど数年の交流があることは事実で、しかしこのように依頼を申し込んでくるのは初めてのことだった。
娘がいることすら、手紙を見て初めて知った。
「判明したのは娘が三つほどの頃。言動がやたら大人びている上、よく知らない言葉を喋っていると思ってね。気になってとある魔法使いに視てもらったら、ドンピシャだった」
異世界人とこの世界の住人との見極め方、それは魂である。
両者は魂の性質が異なるため、"魂を可視化する魔法"を扱える魔法使いなら見極めることが出来た。
「それまで転生者に自体出会ったことが無かったから、最初は困惑したね。自分の娘がもしかすると自分より年上かもしれないなんて、どう接すればいいか分からなくて、未知への恐怖心みたいなものもあったんだと思う」
「なるほど」
「でも、あの子はちゃんと子供らしいところも沢山あったから、その問題はすぐに解消した。親としての自覚を持ち、また親子然とした関係に戻ることが出来たんだ」
「なるほど」
依頼説明に対しソリタリオの相槌は実に適当。
自分が人とまともに喋れないことを自覚している彼女は、こういったやりとりがある場の前には必ず定型文を考えておき、それだけで会話するという習慣をつけている。
つまりは「なるほど」の一単語だけで、この場を乗り切ろうとしていた。
浅はかである。
「けれど最近になって反発が強くなってきてね。何故だか常にツンとして、言うことを全く聞いてくれなくなってしまったんだよ。婚約者とも会わないと言うし、頭を抱えてしまってね。困り果てていたところに君の顔を思い出して、娘と同年代で且つ素晴らしい魔法使いの君なら、なんとかしてくれるのではと考え至ったわけだ」
それは魔法使いでなく家庭教師で十分なのでは、とソリタリオは内心疑問を抱くが、口に出す度胸など無いので大人しくそっと奥底へ沈める。
「内容は娘の教育的指導と、ついでに魔法の指導。報酬は手紙に書いた通りにプラス、魔導書と魔法道具も幾つか付けるよ。期間はとりあえず二週間といったところで、働き次第でもう少しお願いするかもね。その場合は報酬も随時追加する。どうかな、悪い話では無いと思うのだけど」
「なるほど」
「…さっきからなるほどしか言ってないけど…、話聞いてる?」
「……えっ、あっ」
バレた。
ソリタリオは露骨に狼狽え始める。
彼女が思うほど、「なるほど」という言葉は別に万能では無かったらしい。
会話はいつも通り上手くいかなかったが、最終的にソリタリオは依頼を承諾することになった。
ーー
「ここが娘の部屋だ。とりあえず、一度会ってみてくれたまえ」
案内された部屋の扉には「ノックしないと殺す」とか「許可とらずに入ったら八つ裂き」など、中々な呪詛の書き殴られた紙が一杯に張り巡らされていた。
強引にでも断るべきだっただろうかと、それを見てソリタリオは微妙に後悔する。
だが依頼主の手前、臆したままでもいられないので、一つ息をついてから気を引き締め扉を叩いた。
「す、すみま…せーん……入っ…てもよろしいでしょうか…」
息づかいと遜色無い小さな声。
反応は無し。
恐らく、聞こえていないのだろう。
「お客さんだ。入るよ、"ハロウ"」
気を遣ってか、あるいは焦ったく感じてなのか、二言目を発するより先にジャックが声をかけてくれた。
なんと情けないことか。
そんな羞恥心に顔を熱くさせていると、ゆっくり扉が開いた。
「……誰かしら」
──そこには、綺麗な洋装に身を包んだ少女が立っていた。
顔は薄らとしか見えない。
何故ならソリタリオが猫背で俯いているから。
それでも美人であるというのはすぐ分かった。
ブロンドの髪に包まれた、幼気さと妖艶さを混ぜ合わせた端正な顔立ち。
ただ事前に言われた通り、表情はツンとしていた。
「前に伝えた、魔法使いのソリタリオさんだ。そしてこちらは娘のハロウ」
「よ…よろしく…お願い申し上げます…」
「……」
不慣れながらも挨拶をするソリタリオとは裏腹に、ハロウと呼ばれた彼女は何も言わず、窺うようにして冷淡な視線を向ける。
それは警戒なのか嫌悪なのか、はたまた意図など何も無いのか、その心情は読めなかった。
ただ暫くすると手招きしてくれたので、ソリタリオは部屋の中へ足を踏み入れる。
ばたん。
「えっ」
扉を閉められた。
実の父親がまだ入る前に。
そして勢い良く部屋の隅へと追いやられた。
「うえっ…!?…あの…その……な、なん…でしょう…?」
「…貴女、本当に零級の魔法使いなの?」
「は、はい…一応…」
壁に手をつけぐいと顔を近づけて、ハロウはさながら尋問でもするみたいに凄まじく圧をかけてくる。
背丈は一回りほど彼女の方が小さいのに、何だか逃げられそうにない。
ソリタリオは泡でも吹いて卒倒してしまいそうだった。
「とてもそうは見えないんだけど……ふーん、まあいいわ」
何やら納得した様子でハロウは離れていく。
ソリタリオはほっと一息。
「じゃあ、家出するのを手伝ってもらっていいかしら」
「へ?」
つくのも束の間、何やらとんでもないことを言ってきた。
「いえで……へ?家出…?」
「そう、家出したいの、私。勿論父様には内緒で」
「な…何故…?」
「何故って……私が転生者なのは知っているわよね?」
「はい…」
「なら、自ずと理由は分かるでしょ」
「分からないです…」
転生者と会うこと自体初めてなのだから分かるワケもない。
けれど呆れた様子で溜息をつく彼女の姿に、ソリタリオは何だか申し訳ない気分にさせられてくる。
理不尽である。
「…いい?私がこの家を出て行きたいと強く願う、その理由は」
一体このスウィフレイア家に対する、どれほどの不満がその口から出てくるというのだろうか。
ソリタリオは固唾を飲んで身構える。
「この世界がクソだからよ」
家どころか世界規模の不満だった。
スケールの大きさに、ソリタリオの困惑はより深まる。
「私がいた世界はね、まさに楽園だったのよ。何もかもが便利で最適化された素晴らしき楽園。貴女に想像出来るかしら?鉄筋とインターネットに囲まれた、高度な文明社会というものが」
こちらを下に見るような言い方に、何となくソリタリオは釈然としない。
ただ異世界のことはほぼ知らないため、どこか好奇心が勝る気持ちもあった。
「空飛ぶ乗り物や時速何十キロも出せる乗り物がそこら中にあって、漫画やゲームやスポーツみたいな娯楽が幾らでも溢れてて、スマホがあって、美味しいご飯があって。本当に心から満たされた人生を送っていたの、その世界で私は」
言葉一つ一つの意味はあまり分からないが、凄い世界なのだということは漠然と伝わってきた。
余程幸せに生きられていたのだろう、その世界で彼女は。
「……だっていうのに」
だっていうのに?
「なんなのよこの世界はーーッ!!」
「ひいっ!」
突如、ハロウは激高しだした。
「全てにおいて終わってるのよ!移動は揺れる馬車に長時間乗らないといけないから酔うし!お尻痛くなるし!料理はぱっさぱさで冷めたやつばっかで、なんなら衛生管理ちゃんとしてないから味も品質も最悪だし!映画もドラマもアニメもテレビも漫画もSNSもなに一つとして見れないし!」
それまでの毅然とした面持ちが噓みたいに、彼女は次から次へと怨念を吐き連ねる。
さながら、それは火山の噴火。
「治安悪いし!あちこち汚いし!どこ行っても魔物ばっかだし!なにが魔法よ!剣術よ!そんなドラクエみたいな世界私は一欠けらたりとも望んでぬぁーーいッ!!」
「ひ……ひえ…」
一度爆発したら手の付けようがなかった。
冷たい仮面の内側には、手を焼くほどの熱い情熱が滾っていたらしい。
苦手なタイプであることを瞬時に悟ったソリタリオは、意味不明な状況も相まって青ざめる。
「その上、領主の娘だからって理由で顔も知らない男と婚約者にさせられるとか!前時代的過ぎるのよホント!一生を添い遂げる相手くらい自分で決めさせろってのバカッ!!」
声色からして、どうやら最大の不満の種はそこのようだ。
家出を望む理由が段々と分かってきた。
「だから、私は自由になるために。私が私として生きていけるように、この家を出て行くのよ!そして魔法使い!貴女にはその共犯者になってもらうわ!」
「ええーーッ!?」
実に堂々とした、犯罪の片棒を担げという宣言。
初対面の相手からの台詞とは到底思えなかった。
そもそも家出は別に罪では無いが。
「な…なんで私なんですか…?その…従者の方とかに頼れば…」
「剣と魔法のこの世界で安全に生きていくには、凄腕魔法使いの力が必須でしょ?だから零級の貴女が来るって父様から聞いた時、ピッタリだと思ったの。それになにより」
ハロウは鋭く一つ指を指す。
「気が弱くて、断れなさそうだし」
確かに、とソリタリオは自嘲気味に納得してしまった。
こういった気の強い相手の誘いを拒めないことは、彼女自身が何より分かっている。
けれどジャックの依頼に加えて、そう何度も言いようにされるわけにはいかない。
「こ…断ります…!だって…そんなことしたら、りょ…領主様に怒られるし…」
彼女はきっぱりそう言い切った。
我ながら拒絶の仕方が弱いとは思いつつも、珍しく自分の意思をちゃんと伝えられたことにちょっと感動した。
意外そうに、ハロウは目を丸くさせている。
「…そう、そう来るのね」
もしかすると引き下がってくれるのだろうか。
ソリタリオは淡い希望を抱いた。
「ならここで死んでやるわ」
だが、希望とは所詮幻想である。
ハロウは懐に隠し持っていたナイフを取り出すと、自らの首元にかざしてそんなことを言い出した。
「うえっ!?ちょちょっ…な、なにしてるんですか…!?あぶっ、危ないですよそんなことしたら…」
「私は本気なの。ちょっと親と仲が悪いとか喧嘩したとか、そんなちんけな理由で逃避行する家出少女とはわけが違うのよ。このハロウ・スウィフレイア、一生をかけた一世一代の頑張り物語なの」
その言葉の通り、彼女の態度からは戯れた様子など微塵も感じ取れない。
だからこそ、未知過ぎるこの状況がソリタリオをどこまでも困惑させた。
「ここで私が死ねば、第一発見者の貴女は確実に疑われるでしょうね。でも貴女には魔法使いとしての信用があるだろうから、時間が経てば冤罪はきっと晴れる」
「は…はあ…」
「けど『魔法使いソリタリオが領主の娘を殺したかもしれない』なんて情報が少しでも世間に漏れ出れば、よからぬ噂が次から次へと形を変えて偏向的に広まっていく。冤罪が晴れたとしても、貴女はじわじわと確実に世論という攻撃性の塊に苦しめられることになるのよ」
「そ…そんな滅茶苦茶な…」
「さあ!ここで私の言うことを断って、世の中から誹謗中傷・罵詈雑言・悪口雑言・罵詈讒謗の嵐に浴びせられるか!それとも私の一世一代の家出に一役買うか!二つに一つ!どっちを選ぶの!!」
「ひっ…ひいぃぃ…」
ソリタリオの言う通り、ハロウの台詞はもはや脅迫、滅茶苦茶そのものである。
だがこうなるともはや選択の余地など無い。
最終的に、彼女は首を縦に振らざるを得なかった。
今日は人生最大の厄日である。
◆◆
ソリタリオの棲家、メデイア森林へと居候をする。
指導を行うという名目で、期間の二週間をそこで過ごす。
ジャックにはそのことを、家出の件は伏せつつ予め伝えておく。
その二週間の間に、スウィフレイア家から逃れる算段を二人で立てる。
これが、ハロウの一連の家出計画。
正直ガバ過ぎるのではとソリタリオは率直に思った。
ただ文句を言うと色々と怖いので、仕方なく口を噤む。
そもそも危険だらけのメデイア森林に、領主が一人娘を連れて行かせるとは到底思えなかったが。
「それじゃあ気をつけて。ハロウ、ソリタリオ」
しかし彼はあっさり承諾した。
意味が全く分からなかった。
それだけ、信用されているということなのだろうか。
「なんか申し訳ない気持ちになってきたな…」
屋敷の外に出てジャックの見送りを受けながら、ソリタリオは独りごちる。
やはり今からでも断るべきだろうか。
「なにが?」
「あっ…、いえ何でも…」
だが隣に立つハロウは、「分かってるわよね?」とでも言いたげな視線をこちらに向けてきている。
とても許してくれそうにはない。
「そ…それじゃあ行きますか…」
ソリタリオは観念して、ずっと背中に背負っていた一本の箒を手に取った。
「ところで馬車がどこにも見当たらないんだけど、まさか歩きで行くとか言い出さないでしょうね」
「あ…えっと、馬車だとその…時間がかかるので、これで」
「? なにそれ」
「箒、です」
「…は?」
理解不能、といった顔をハロウはする。
「これで空を飛んで行きます」
「…なに言ってるの貴女」
「えっ?」
「いや、幾ら魔法でも箒で空とか飛べるわけないでしょ。魔女の宅急便じゃないんだから」
彼女の言葉はもっともである。
箒で空を飛ぶことなど、この魔法の世界であっても有り得ない。
厳密に言うと、飛行魔法を含めた空を飛ぶ方法自体は幾つか存在する。
だがそれらは人外じみた魔力操作と魔力量を実現させられる者たち、"長寿種"にしか再現不可能。
たかが六十年程度しか生きない人類にとっては論外の話だった。
ましてやそれを"人間の少女"が"箒"で再現するなど、ふざけているという話だ。
普通ならば、理論的に考えてそんなことは有り得ない。
普通の魔法使いであるならば。
「…飛べますよ。箒でもなんでも、私たちがそれを望むのなら」
「…はあ?」
ソリタリオは迷いなく言い放った。
その面持ちは、先ほどまでの臆病な彼女とはまるで別人のよう。
底知れぬ自信に満ちていた。
そうして何の変哲もない箒に彼女は跨る。
魔力を込める。
脳内に浮かべるのは、理論ではなく想像と願望。
大空を自在に駆る己の姿を。
──魔法とは即ち、人の願いの結晶である。
次の瞬間、その体は無重力になって。
空を飛んだ。
「……は…?」
驚愕するハロウがその目に映すのは他でもない、この国でただ一人の零級魔法使いである。
その姿はまさしく、常識外れの生ける伝説。
ちなみに装備無しでも飛べるので、箒を使うのはただの遊び心である。
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