白花の咲く頃に

夕立

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水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り

2-8 引き離された手

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(ゼフィール……なの?)

 ユリアは自分を抱く青年をマジマジと見つめた。
 厳しい顔で扉の向こうを見つめる彼は、間違いなく一月以上前にいなくなった青年だ。しかし、微妙な違和感もある。

 違和感の正体を探り、それが、認識と、実物のゼフィールとの違いだと気付いた。
 ユリアの中のゼフィールは七歳の時のままだ。小さくて華奢きゃしゃな彼は庇護の対象だった。

 しかし、彼女を抱く腕は、本気のユリアが振り解けないほどに力強いし、手首を抑える手も大きく暖かい。
 いつまでも頼りない子供だと思っていたけれど、きちんと大人になっている。そんな当然のことに今更気付いた。

 暗い部屋の中で二人で息をこらしていると、外を通り過ぎて行く足音が聞こえた。
 足音が遠のいてもゼフィールは動かない。ユリアが身動みじろぎしたら、思い出したかのように抱く力を弱めてくれた。
 ユリアは彼を見上げ、小声で尋ねる。

「ゼフィールなの?」
「ああ」

 返ってきたのはそっけない返事。
 けれど、この態度こそがゼフィールらしい。一月以上、探して探して、それでも見つからなかった彼をようやく見付けることができた。
 嬉しくて顔がゆるみそうになるが、それにはまだ早い。気を引き締めなおして告げる。

「あんたを探しに来たの。逃げるわよ」

 影という不安要素はある。けれど、逃げるだけならどうとでもなりそうな気がした。ゼフィールだっているのだ。彼なら追手の妨害をするのもお手の物だろう。
 だが、ゼフィールは動かない。視線は合わさぬまま小さな声が返ってくる。

「俺は……逃げられない。一人で逃げてくれ」
「なんで!? どうしてよ!?」
「……」

 問い詰めたが、ゼフィールは悲しそうに瞳を伏せるばかりで何も言わない。
 彼の言動の理由が分からなかった。
 ユリアやリアンのことなど、もう、どうでもいいというのだろうか。彼が言い出した旅なのに、こんな所で止めてしまうつもりなのか。

「いつまでかくれんぼをしているつもりかしら?」

 不意に扉の向こうから声が聞こえた。その声に、ユリアを抱くゼフィールの力が強くなる。密着しているので、彼の身体が強張ったのが分かった。
 ゼフィールの表情が厳しいものに戻っている。それだけで、この声の主が、今、会いたくない人物なのだろうと想像がつく。

「出てこないのならこちらから迎えに行くけれど、どちらがいいかしら?」

 その問いに、ゼフィールはユリアを放し、部屋の外に一歩踏み出した。ユリアも彼の後ろから外をうかがう。

 目の前の庭に女性が立っていた。淡い茶髪の、品の良いドレスを身にまとった人物だ。
 彼女の周囲にはユリアを襲った影と同じ格好をした者が三人。遭遇しなかっただけで、影は一人ではなかったようだ。ひょっとしたら、中庭に潜んでいた者もいたのかもしれない。

「可愛い侵入者ですこと。昨夜入り込んでいた鼠も貴女かしら?」

 つまらないものを見るような目で、女性――ヒルトルートがユリアを見る。

「彼女は何もしていない。黙って帰してやればいいだろう」
「屋敷に無断で侵入して部屋を荒らしたようだけど? 捕まって何をされても文句を言える立場ではないのよ」
「部屋の一つや二つ荒らされても、あんたにはどうということは無いだろう?」

 ゼフィールがヒルトルートに食い下がる。この場を支配しているのは彼女だ。ゼフィールの緊張具合といい、彼女こそ庭師の言っていた"奥様"なのだろう。

「あんたがゼフィールをさらった人ね! 返しなさいよ!」

 会話に割り込むのは微妙な気もしたが、我慢が出来なくなって、ユリアはゼフィールの陰から出て言い放った。
 ヒルトルートの瞳がすっと細められ、視線の温度が若干下がる。

「貴方の関係者だったようね。ゼフィール」
「彼女は関係ない」
「関係なくないでしょ! あんたは私の弟なんだから!」
「黙れユリア! ……すまない。少し黙っていて欲しい」

 ヒルトルートの冷たい視線からユリアを守るかのように、ゼフィールがユリアとヒルトルートの間に移動する。

「俺は逃げない。だから彼女だけは逃がしてやって欲しい。頼む、ヒルトルート」

 ゼフィールが静かに頭を下げた。
 そんな彼の姿がユリアには信じられなかった。悪いのは彼をさらったヒルトルートのはずだ。なのに、なぜ、被害者のはずのゼフィールが懇願しなければならぬような状態になっているのだ。
 そんな事はやめろと言いたかった。けれど、それをためらわせる何かがこの場にはある。

「貴方がお願いをしてくるなんて珍しいこと。いいでしょう。今回だけは見逃してあげるわ」

 ヒルトルートが軽く手を動かすと、三人の影達が彼女の後ろにさがった。本当に見逃してくれるのかもしれない。

「ユリア、門まで送ろう。ヒルトルート、靴をくれ」

 ゼフィールがユリアを先導して歩き出す。その途中で、影の一人がゼフィールに靴を用意し、履かせた。言われるまで、ユリアはゼフィールが靴を履いていないことにすら気付いていなかった。
 靴を持ってきた影は、そのまま二人の後ろを付いてくる。監視なのかもしれない。

 建物の外に広がる前庭は見事なものだった。
 大きな噴水の周りには剪定されたトピアリーが配置され、あるものは花を咲かせている。全てを見渡せないほど広い庭は、場所ごとに趣が異なり、それぞれ違う手入れのされ方をしているようだ。

「すごい庭ね」
「そうだな。俺も初めて見た」
「ずっとこの屋敷にいたんじゃないの?」
「俺は庭に出るのを許されていないからな」

 それっきり、ゼフィールは口を閉ざした。
 ユリアには彼に聞きたいことも話したいことも沢山あった。離れていた間、ゼフィールがどうやって暮らしていたのか、ユリアとリアンがどれだけゼフィールを心配して探したか。
 けれど、今の彼の雰囲気はそういう話を許してくれそうにない。さっきまではとても近くに感じられたのに、今は酷く遠い。すぐ隣にいるのにだ。

 正門までの長い道を二人は何も語らず歩いた。門に辿り着くと、ゼフィールは何も言わず館へ帰ろうとする。その背にユリアは問いかけた。

「ゼフィール。あんた自分が何をさせられるか知ってるの?」
「ああ」
「死ぬかもしれないのよ!?」
「そうだな」

 振り返って答えはしてくれたが、ゼフィールの反応は冷たい。それが信じられなくて、ユリアは彼に掴みかかった。

「なんでそんな他人事なの? 命が掛かってるのよ!? もっと足掻きなさいよ!」

 何度もゼフィールの胸を叩く。
 けれど、彼の態度も、反応も変わらない。
 最後は力なく頭を垂れ、ゼフィールの胸に寄りかかった。

 もどかしかった。
 煮え切らない彼の態度も、それを変える事の出来ぬ自らの無力さも。
 そんなユリアを、ゼフィールが優しく抱き締めてくる。

「……それ以上言うな。リアンにも宜しくな」

 悲しそうな顔でそれだけ言うと、ゼフィールは館への道を戻って行った。

 呼びとめたかった。けれど、それはできなかった。
 ユリアを逃がす代わりにゼフィールが残ると約束していたからだ。
 彼は嘘をつかない。口にした以上、違えることはしないだろう。

 宿へ帰るため、ユリアは夜の街を走り出した。帰って来ないユリアをリアンは心配しているに違いない。
 走るユリアの頬に涙が流れた。

 ユリアが軽はずみな行動を取ったために事態は悪化してしまった。リアンの言うとおり慎重になるべきだったのだ。
 ゼフィールを助け、守るために旅についてきたはずなのに、窮地に追い込んでしまった。

(ゼフィール一人守れない。私は……弱い)

 ユリアの独白を夜の闇が静かに飲み込んで行く。


 ◆

 ユリアと別れたゼフィールは、館に戻るため広い庭を歩いていた。
 今も腕に残る柔らかさを思い出す。
 久しぶりに会ったユリアは何も変わっていなかった。いつも一生懸命で、真っ直ぐで、目的のためには自分から危険にも飛び込む少女。

 あのような形であれ、会えて嬉しくなかったと言えば嘘になる。
 ゼフィールの居場所を掴むのはそれなりに苦労しただろう。その上、屋敷の中にまで探しに来て、今置かれている理不尽な状況を怒ってくれた。
 それだけでも、ユリアやリアンと自分はつながっているのだと実感できる。

 館に戻ると、ヒルトルートと二人の影が中庭で待っていた。

「あの子と一緒に逃げなかったのね」
「逃げようとすれば殺していたんだろう?」
「言うことを聞かない犬はいらないわ」

 ヒルトルートの顔に毒を含んだ笑みが浮かぶ。
 直接的な言葉は避けたようだが、つまりはそうだったのだろう。選択を誤れば二人共危なかった。ユリアだけでも逃せてよかった、と、少し胸をなでおろす。

「あいつが今晩来ると分かっていたのか?」
「さぁ? 昨夜鼠が忍び込んでいたという話を聞いたから、少しだけ準備させておいただけよ。鼠ではなく、泥棒猫だったようだけど」

 ヒルトルートはゼフィールの前まで来ると、彼の頬に右手を添えた。その顔から先程までの毒は消え、愛しいものを慈しむような優しさがあふれている。

「でも、何も無くてよかったわ。貴方を失うのは辛いもの」

 言うことを聞かなければ殺すと言いながら、ゼフィールの身を心配する。ヒルトルートの言動は矛盾だらけだ。
 そんなヒルトルートの右手をゼフィールは掴み、向き合った。

「ヒルトルート、あんたが俺に望むことは何だ?」
「急にどうしたの?」
「あんたはこれまでさらってきた連中を復讐の駒にしてきたんだろう? だが、俺は、試合の相手を殺せとは言われていない。願いを叶えてくれと言われただけだ。あんたは本当は何を望むんだ?」

 ヒルトルートが困った表情でゼフィールから離れようとした。そんな彼女の行動を、右手を離さない事で妨げる。
 ゼフィールが視線を逸らすことなく答えを待つと、彼女はポツリと言葉を漏らした。

「相手に勝って、あなたが生きて帰ってきてくれれば……それでいいわ」

 それは、ゼフィールが想像していたものとは違った言葉だった。けれど、良い方向に予想を裏切ってくれたものだ。

「分かった。俺は必ず戻ってこよう。その代わり、祀りが終わったら俺を解放しろ」
「……」
「俺は旅に戻る。あんたもそろそろクルトから解放されるべきだ」

 彼女の狂気に脅え、避けるだけの生活では駄目だ。きちんと向き合い、克服するくらいの心の強さがなければ、祀りも生き残れないだろう。何せ、これから挑むのは殺し合いなのだ。

 祀りでの生存は、正直、半分以上諦めていた。
 けれど、ユリアが危険を冒してまで来てくれたのだ。ならば、彼女の冒したリスクに応えねばなるまい。

(俺は生き残る。そして帰る。あいつらの待つ場所へ)

 いつだって、背を押してくれるのは双子達だ。
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