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風の国《シレジア》編 王子の帰還
4-5 雪
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「ゼファー様、どうかなさいましたか?」
「え? あ、いえ。貴族のご令嬢に世話をして頂いていたとは知らず、驚いてしまいました」
驚きを隠すため、ゼフィールはエレノーラから少しだけ視線をずらした。
動揺のせいか鼓動がいつもより早い。
こんなに早く近しい人に会うとは予想外だった。しかし、彼女がゼフィールに気付いた素振りは見られない。
古い知人に会っても誤魔化しがきく。それが早い段階で確認できたのは良かった。
改めてエレノーラを見る。
当時から可憐な少女だったが、しばらく会わない間に随分と美しく成長していた。言われなければ気付かないほど、当時の面影は無い。
変わらないのは、優しい眼差しと、簡単に壊れてしまいそうな繊細な雰囲気ぐらいだろうか。
もっとも、それは彼女がゼフィールを見ても同じだろう。
それでも、幼い頃、共によく遊んだ事実は変わらない。親同士が勝手に決めた関係ではあったが、エレノーラはよい遊び相手だった。
それが懐かしく、自然と笑みが零れる。
「あの、ゼファー様。何か?」
エレノーラの頬が薄く桃に染まった。
彼女のその様子に、随分とエレノーラを眺めていたと気付く。自らの間抜けさぶりを苦笑し、ゼフィールは答えを返した。
「特には。ただ、エレノーラ様は貴族であられるのに、このような事まで見事になさるので凄いなと思いまして。こちらには行儀見習いでいらしていらっしゃるのですか?」
場をつなぐため適当な話題を出す。
尋ねておきながら、ゼフィールは答えを知っていた。
《シレジア》に人を遊ばせておく余裕はない。貴族であっても平民と変わらぬ職に就く。耕作者や侍従の貴族がいるのは当たり前。エレノーラも、侍女として普通に働いているだけだろう。
だが、そんなのはこの国だけだ。
異国人として、知らないフリをするには丁度いい話題に思えた。
「いいえ。私はこちらで働かせて頂いているだけです」
案の定、エレノーラは首を横に振る。ただ、予想外に、彼女は困ったようにゼフィールを見上げてきた。
「あの、ゼファー様。このような事をお頼みするのは本来失礼なのでしょうが、私を様付けで呼ぶのはお止め頂けませんか? 私は貴方のお世話をさせて頂く身です。ですのに、貴方にかしこまられては立つ瀬がございません」
「ですが」
「お願いです」
エレノーラの瞳が潤む。
卑怯だと思った。可憐な少女に下からこんな瞳で見つめられ、断れる者がいるのだろうか。
溜め息をつくと、ゼフィールはお手上げのポーズをした。
「分かりました。貴女のことはエレノーラ殿と呼びましょう。その代わり、貴女も俺ともう少し砕けて接してもらいたい。お互いに少しずつ譲歩する。これでどうです?」
「ええ、ええ! ありがとうございます。ゼファー様!」
エレノーラの顔が喜びにあふれる。
彼女が本当に態度を改めてくれるのかは甚だ疑問だったが、こんなに喜んでくれるのであれば、もうそれでいいかと思ってしまう。
「ところで、せっかく掛けてもらったところ悪いのですが、マントを貰えますか? 少し外を散歩してきたいので」
「はい。どうぞ」
エレノーラはハンガーからマントをとると、ゼフィールの後ろへ回り、それを広げてくれた。まとうのを手伝ってくれるようなので、ありがたく袖を通す。
最後に、彼女は不思議そうにマントから手を離した。
「ゼファー様の服には防御魔法が掛かっていないのですね。お寒くありませんか?」
「防御魔法と寒さに何の関係が?」
エレノーラが言わんとしている事が分からず、ゼフィールは首を傾げた。彼女は質問が返ってきた理由が分からない様子だったが、途中で思い至った顔になる。
「申し訳ございません! 《シレジア》外では一般的ではない事なのに、失念しておりました。防御魔法を込めた衣類は暑さ寒さから身を守ってくれるのです。しばらくこちらに滞在なさるのでしたら、服を変えられた方が良いかもしれません」
「あー。そうなんですね。道理で」
思っていたより寒かったわけだ。と、最後は口の中だけで呟く。
寒さが昔よりキツイと感じていた。
暖かい地方でばかり暮らしていたので、寒さに弱くなってしまったのだと思って、衣類のせいだとは考えもしなかった。
今の寒さはまだ序の口だ。すぐ帰るつもりが無い以上、服を新調する方が良いだろう。
「エレノーラ殿が良ければ、そういった衣類を扱っている店に案内して頂けませんか? 俺にはこの街の地理が分からないので、教えてもらえると助かります」
「それは構いませんが。案内が私で良いのですか?」
「この街で頼み事ができるのはエレノーラ殿しかいないのです。駄目、ですか?」
小首を傾げエレノーラを見る。彼女はキョトンとしていたが、小さく笑い、すぐに首を縦に振った。
「それでは、僭越ながら私が案内させて頂きます。参りましょう」
数軒の衣類店をエレノーラに案内され、見て回った感想は"高すぎる"だ。丁寧な縫製で布地も良く、強い守りの力を感じる服は素晴らしい品なのだが、価格もそれ相応のものだった。
全身揃えられないこともないが、そうすると、これから先の路銀がかなり不安になる。マルクからは、必要な経費は全てツケにしてもいいとは言われているが、出来ればそれはしたくない。
身の丈に合わせて、普段着数着か外套、どちらかに絞って購入するのが現実的なラインだろう。
城で暮らしていた頃、ゼフィールが自ら支払いをしたことは無い。欲しいと望めば大抵の物は与えられたので、ものの価値など知らずじまいだった。何気なく着ていた普段着でさえこの価格とは、自分が本当に何も知らなかったのだと痛感する。
「お気に召した物はありましたか?」
「そうですね。俺には高価すぎるので、外套くらいが関の山ですかね。それだけでも随分寒さが和らぎそうでしたし」
建物の中は暖かい場所が多いので、外の寒さに耐える方を優先した方がいいだろう。外套であれば一着あれば着回せるし、普段着を数枚買うよりより経済的で良い。
そんなゼフィールの言葉にエレノーラは少し考えた様子を見せると、わずかに首を傾けて尋ねてきた。
「あの、ゼファー様のお買い物が終わった後で構いません。手芸の材料を扱う商店へ参りたいのですが、宜しいでしょうか?」
「? ええ、どうぞ」
ちょっとした寄り道くらい大した手間ではないのだが、彼女が嬉しそうに顔をほころばせたので、つられてゼフィールも笑みを浮かべた。
訪れた手芸店は色であふれていた。普段来ない種類の店なので、布地や糸に埋もれるように並べられている道具や、小さな部品も実に興味深い。エレノーラの買い物についてきただけのつもりだったが、つい手にとって眺めてしまう。
そんなゼフィールの首元に彼女はいくつかの毛糸の束をあて、満足気な表情で深緑の毛糸玉を会計に持って行った。
「何か作るんですか?」
「内緒です」
手芸店を出て、通りを歩きながらゼフィールが尋ねてみると、エレノーラは微笑みながら人差し指を唇にあてた。
彼女の傍らにいると、温かい雰囲気に心が和む。離宮で初めて会った時は随分と距離があったように感じたが、数刻共に過ごしたことで、大分打ち解けてくれたようだ。
エレノーラは変わらない。昔も今もゼフィールを優しく包んでくれる。
しかし、変わらぬ彼女の歩む街は随分変わってしまった。
日の傾きかけた通りは多くの人が行きかっているが、その中に青髪の者はほとんど見当たらない。神隠しにでもあったのかのように、人が入れ替わってしまっている。
街のあちらこちらに置かれている頭部大の淡く輝く珠。これも変わった物の一つだ。昔はこのような物など無かった。
それが何なのか気になって、ゼフィールは球体へと手を伸ばした。
しかし、珠に届く前に、その手をエレノーラが遮る。そして、少し低い声音で警告してきた。
「それに触れてはいけません」
「これは?」
「……」
厳しい表情をしたエレノーラは、ゼフィールの手を押さえたまま答えてくれない。少し強引だが、彼女に手を押さえられたまま、力尽くで珠に腕を伸ばした。
「!?」
珠に指先が触れた途端に全身から力が抜けた。危険を感じ、慌てて手を引き後ずさる。
わずかに触れただけで魔力をゴッソリ持って行かれてしまった。
「やはり魔力をお持ちだったのですね。大丈夫ですか?」
心配そうにエレノーラが顔を覗きこんでくる。こうなると分かっていて、彼女は止めてくれたのだろう。
「これは何ですか?」
再度尋ねる。しかし、エレノーラから答えは返ってこない。視線を逸らし、首を横に振るばかりだ。
こうも答えてくれないとなると、国の秘密事項なのかもしれない。それを彼女から聞きだそうとするのも酷な話だろう。
「立入った事を聞いてしまってすいません。それに、貴女の制止を無視して触れてすいませんでした。陽も傾いてきたし、帰りましょう」
「はい。……ぁ」
ゼフィールを見上げたエレノーラが先に気付いた。少し遅れてゼフィールも気付く。
差し出した手の平に白く冷たい粒が降ってきた。
「雪か……」
見上げた空からしんしんと雪が降ってくる。積もれば移動の妨げになったりと困ることも多いのだが、天からの白い贈り物には、それを超える愛着があった。
《シレジア》の冬には、やはり雪がよく似合う。
ゼフィールが離宮に帰ると、一仕事終えたらしき交易隊の面々もくつろいでいた。すぐに夕食だと聞いたので、エレノーラにマントと外套を部屋に持って行ってくれるよう頼み、兵達と共に食堂へ向かう。
大人数での会食ということもあり、ブッフェ形式の食事だった。机には数々のジビエ料理と豆やジャガイモを中心とした料理が並ぶ。
皿に取り、口に運んでみると、懐かしい《シレジア》の味付けだった。
食堂の端では楽師達が曲を奏でている。今奏でられているのは《ドレスデン》でよく聞く曲だ。客人に合わせて選曲したのだろう。そのうち、《シレジア》の民謡なども演奏されるのだろうか。
楽師や給仕は全て青髪の女性達だ。しかし、交易隊をもてなす《シレジア》側の重鎮の誰一人として青き血の民ではない。
これを不思議に思うなと言われても無理がある。
場を観察しながら兵達と話すのも疲れたゼフィールは、飲み物だけを持ち、食堂の端に用意された椅子に腰かけた。
兵達はまだまだ元気で、陽気に食べ、飲み、語り合っている。そんな喧騒の向こうから聞こえるゆったりとした曲が耳に心地よい。
「きちんと食べていらっしゃいますか?」
くつろぐゼフィールの横に、山盛りの料理と飲み物を手にした隊長がやってきた。
正直食べ過ぎで、食べ物を見るのも少し気持ち悪い。軽く腹を叩き苦笑を返す。
「うっかり食べ過ぎてしまいました」
「それは結構。隣、よろしいですか?」
「どうぞ」
隊長は腰を落ち着けると、皿に積んだ肉にかぶりつく。周囲に人がいなくなると、おもむろに口を開いた。
「あれから太守殿は何もしませんでしたか?」
「お陰様で。あの時は助かりました」
「いえいえ。王子にもあなたの事は頼まれていますからね。あの太守殿、仕事はできるのですが、男色の気が強いのが玉に傷でしてな。それも、あなたのような中性的な者が好みのようで。うちの若い兵にも随分と泣きつかれました。お陰で、交易隊の男はムサイ奴だらけになってしまいましたよ」
はは、と隊長は苦々しく笑う。ゼフィールも苦笑を返した。
できれば太守に会う前に教えて欲しかった気がするが、そうすると、警戒が態度に出てしまっただろう。太守はさぞかし気分を害したに違いない。
そして仕事がやり難くなる。
ここまでは想像に難くない。
そう考えると、対処療法的な隊長の行動が正解だったという事になる。彼も色々苦労してこの結論に辿り着いたのかもしれない。
なんにせよ、こんな時にまで太守を思い出したくはない。早々に話題を変えることにした。
「そういえば雪が降り出しましたね。ご覧になりましたか?」
「ええ。しかし、交易中に雪に降られたのは久しぶりです。帰りは止んでくれるといいんですが」
「久しぶりだったんですか?」
「昔はこの時期は薄く雪が積もっていたものですが、最近はめっきりですね。お陰で楽だったんですが、まぁ、贅沢は言えませんよ」
隊長はやれやれと肩をすくめると、再び肉と格闘しだした。話し相手が静かになったので、ゼフィールは何か飲もうと思ったのだが、グラスには何も入っていない。
「アルコールとお茶、どちらになさいますか?」
いつの間にやら後ろに控えていたエレノーラにおかわりを尋ねられた。けれど、いらない、と首を横に振る。代わりに、空になったグラスを彼女に渡して立ち上がった。
「ちょうど飲み物も無くなったので、俺はお先に失礼します」
フォークを握った手を軽く上げた隊長に頭を下げ、ゼフィールは自室へと引き上げた。
「え? あ、いえ。貴族のご令嬢に世話をして頂いていたとは知らず、驚いてしまいました」
驚きを隠すため、ゼフィールはエレノーラから少しだけ視線をずらした。
動揺のせいか鼓動がいつもより早い。
こんなに早く近しい人に会うとは予想外だった。しかし、彼女がゼフィールに気付いた素振りは見られない。
古い知人に会っても誤魔化しがきく。それが早い段階で確認できたのは良かった。
改めてエレノーラを見る。
当時から可憐な少女だったが、しばらく会わない間に随分と美しく成長していた。言われなければ気付かないほど、当時の面影は無い。
変わらないのは、優しい眼差しと、簡単に壊れてしまいそうな繊細な雰囲気ぐらいだろうか。
もっとも、それは彼女がゼフィールを見ても同じだろう。
それでも、幼い頃、共によく遊んだ事実は変わらない。親同士が勝手に決めた関係ではあったが、エレノーラはよい遊び相手だった。
それが懐かしく、自然と笑みが零れる。
「あの、ゼファー様。何か?」
エレノーラの頬が薄く桃に染まった。
彼女のその様子に、随分とエレノーラを眺めていたと気付く。自らの間抜けさぶりを苦笑し、ゼフィールは答えを返した。
「特には。ただ、エレノーラ様は貴族であられるのに、このような事まで見事になさるので凄いなと思いまして。こちらには行儀見習いでいらしていらっしゃるのですか?」
場をつなぐため適当な話題を出す。
尋ねておきながら、ゼフィールは答えを知っていた。
《シレジア》に人を遊ばせておく余裕はない。貴族であっても平民と変わらぬ職に就く。耕作者や侍従の貴族がいるのは当たり前。エレノーラも、侍女として普通に働いているだけだろう。
だが、そんなのはこの国だけだ。
異国人として、知らないフリをするには丁度いい話題に思えた。
「いいえ。私はこちらで働かせて頂いているだけです」
案の定、エレノーラは首を横に振る。ただ、予想外に、彼女は困ったようにゼフィールを見上げてきた。
「あの、ゼファー様。このような事をお頼みするのは本来失礼なのでしょうが、私を様付けで呼ぶのはお止め頂けませんか? 私は貴方のお世話をさせて頂く身です。ですのに、貴方にかしこまられては立つ瀬がございません」
「ですが」
「お願いです」
エレノーラの瞳が潤む。
卑怯だと思った。可憐な少女に下からこんな瞳で見つめられ、断れる者がいるのだろうか。
溜め息をつくと、ゼフィールはお手上げのポーズをした。
「分かりました。貴女のことはエレノーラ殿と呼びましょう。その代わり、貴女も俺ともう少し砕けて接してもらいたい。お互いに少しずつ譲歩する。これでどうです?」
「ええ、ええ! ありがとうございます。ゼファー様!」
エレノーラの顔が喜びにあふれる。
彼女が本当に態度を改めてくれるのかは甚だ疑問だったが、こんなに喜んでくれるのであれば、もうそれでいいかと思ってしまう。
「ところで、せっかく掛けてもらったところ悪いのですが、マントを貰えますか? 少し外を散歩してきたいので」
「はい。どうぞ」
エレノーラはハンガーからマントをとると、ゼフィールの後ろへ回り、それを広げてくれた。まとうのを手伝ってくれるようなので、ありがたく袖を通す。
最後に、彼女は不思議そうにマントから手を離した。
「ゼファー様の服には防御魔法が掛かっていないのですね。お寒くありませんか?」
「防御魔法と寒さに何の関係が?」
エレノーラが言わんとしている事が分からず、ゼフィールは首を傾げた。彼女は質問が返ってきた理由が分からない様子だったが、途中で思い至った顔になる。
「申し訳ございません! 《シレジア》外では一般的ではない事なのに、失念しておりました。防御魔法を込めた衣類は暑さ寒さから身を守ってくれるのです。しばらくこちらに滞在なさるのでしたら、服を変えられた方が良いかもしれません」
「あー。そうなんですね。道理で」
思っていたより寒かったわけだ。と、最後は口の中だけで呟く。
寒さが昔よりキツイと感じていた。
暖かい地方でばかり暮らしていたので、寒さに弱くなってしまったのだと思って、衣類のせいだとは考えもしなかった。
今の寒さはまだ序の口だ。すぐ帰るつもりが無い以上、服を新調する方が良いだろう。
「エレノーラ殿が良ければ、そういった衣類を扱っている店に案内して頂けませんか? 俺にはこの街の地理が分からないので、教えてもらえると助かります」
「それは構いませんが。案内が私で良いのですか?」
「この街で頼み事ができるのはエレノーラ殿しかいないのです。駄目、ですか?」
小首を傾げエレノーラを見る。彼女はキョトンとしていたが、小さく笑い、すぐに首を縦に振った。
「それでは、僭越ながら私が案内させて頂きます。参りましょう」
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全身揃えられないこともないが、そうすると、これから先の路銀がかなり不安になる。マルクからは、必要な経費は全てツケにしてもいいとは言われているが、出来ればそれはしたくない。
身の丈に合わせて、普段着数着か外套、どちらかに絞って購入するのが現実的なラインだろう。
城で暮らしていた頃、ゼフィールが自ら支払いをしたことは無い。欲しいと望めば大抵の物は与えられたので、ものの価値など知らずじまいだった。何気なく着ていた普段着でさえこの価格とは、自分が本当に何も知らなかったのだと痛感する。
「お気に召した物はありましたか?」
「そうですね。俺には高価すぎるので、外套くらいが関の山ですかね。それだけでも随分寒さが和らぎそうでしたし」
建物の中は暖かい場所が多いので、外の寒さに耐える方を優先した方がいいだろう。外套であれば一着あれば着回せるし、普段着を数枚買うよりより経済的で良い。
そんなゼフィールの言葉にエレノーラは少し考えた様子を見せると、わずかに首を傾けて尋ねてきた。
「あの、ゼファー様のお買い物が終わった後で構いません。手芸の材料を扱う商店へ参りたいのですが、宜しいでしょうか?」
「? ええ、どうぞ」
ちょっとした寄り道くらい大した手間ではないのだが、彼女が嬉しそうに顔をほころばせたので、つられてゼフィールも笑みを浮かべた。
訪れた手芸店は色であふれていた。普段来ない種類の店なので、布地や糸に埋もれるように並べられている道具や、小さな部品も実に興味深い。エレノーラの買い物についてきただけのつもりだったが、つい手にとって眺めてしまう。
そんなゼフィールの首元に彼女はいくつかの毛糸の束をあて、満足気な表情で深緑の毛糸玉を会計に持って行った。
「何か作るんですか?」
「内緒です」
手芸店を出て、通りを歩きながらゼフィールが尋ねてみると、エレノーラは微笑みながら人差し指を唇にあてた。
彼女の傍らにいると、温かい雰囲気に心が和む。離宮で初めて会った時は随分と距離があったように感じたが、数刻共に過ごしたことで、大分打ち解けてくれたようだ。
エレノーラは変わらない。昔も今もゼフィールを優しく包んでくれる。
しかし、変わらぬ彼女の歩む街は随分変わってしまった。
日の傾きかけた通りは多くの人が行きかっているが、その中に青髪の者はほとんど見当たらない。神隠しにでもあったのかのように、人が入れ替わってしまっている。
街のあちらこちらに置かれている頭部大の淡く輝く珠。これも変わった物の一つだ。昔はこのような物など無かった。
それが何なのか気になって、ゼフィールは球体へと手を伸ばした。
しかし、珠に届く前に、その手をエレノーラが遮る。そして、少し低い声音で警告してきた。
「それに触れてはいけません」
「これは?」
「……」
厳しい表情をしたエレノーラは、ゼフィールの手を押さえたまま答えてくれない。少し強引だが、彼女に手を押さえられたまま、力尽くで珠に腕を伸ばした。
「!?」
珠に指先が触れた途端に全身から力が抜けた。危険を感じ、慌てて手を引き後ずさる。
わずかに触れただけで魔力をゴッソリ持って行かれてしまった。
「やはり魔力をお持ちだったのですね。大丈夫ですか?」
心配そうにエレノーラが顔を覗きこんでくる。こうなると分かっていて、彼女は止めてくれたのだろう。
「これは何ですか?」
再度尋ねる。しかし、エレノーラから答えは返ってこない。視線を逸らし、首を横に振るばかりだ。
こうも答えてくれないとなると、国の秘密事項なのかもしれない。それを彼女から聞きだそうとするのも酷な話だろう。
「立入った事を聞いてしまってすいません。それに、貴女の制止を無視して触れてすいませんでした。陽も傾いてきたし、帰りましょう」
「はい。……ぁ」
ゼフィールを見上げたエレノーラが先に気付いた。少し遅れてゼフィールも気付く。
差し出した手の平に白く冷たい粒が降ってきた。
「雪か……」
見上げた空からしんしんと雪が降ってくる。積もれば移動の妨げになったりと困ることも多いのだが、天からの白い贈り物には、それを超える愛着があった。
《シレジア》の冬には、やはり雪がよく似合う。
ゼフィールが離宮に帰ると、一仕事終えたらしき交易隊の面々もくつろいでいた。すぐに夕食だと聞いたので、エレノーラにマントと外套を部屋に持って行ってくれるよう頼み、兵達と共に食堂へ向かう。
大人数での会食ということもあり、ブッフェ形式の食事だった。机には数々のジビエ料理と豆やジャガイモを中心とした料理が並ぶ。
皿に取り、口に運んでみると、懐かしい《シレジア》の味付けだった。
食堂の端では楽師達が曲を奏でている。今奏でられているのは《ドレスデン》でよく聞く曲だ。客人に合わせて選曲したのだろう。そのうち、《シレジア》の民謡なども演奏されるのだろうか。
楽師や給仕は全て青髪の女性達だ。しかし、交易隊をもてなす《シレジア》側の重鎮の誰一人として青き血の民ではない。
これを不思議に思うなと言われても無理がある。
場を観察しながら兵達と話すのも疲れたゼフィールは、飲み物だけを持ち、食堂の端に用意された椅子に腰かけた。
兵達はまだまだ元気で、陽気に食べ、飲み、語り合っている。そんな喧騒の向こうから聞こえるゆったりとした曲が耳に心地よい。
「きちんと食べていらっしゃいますか?」
くつろぐゼフィールの横に、山盛りの料理と飲み物を手にした隊長がやってきた。
正直食べ過ぎで、食べ物を見るのも少し気持ち悪い。軽く腹を叩き苦笑を返す。
「うっかり食べ過ぎてしまいました」
「それは結構。隣、よろしいですか?」
「どうぞ」
隊長は腰を落ち着けると、皿に積んだ肉にかぶりつく。周囲に人がいなくなると、おもむろに口を開いた。
「あれから太守殿は何もしませんでしたか?」
「お陰様で。あの時は助かりました」
「いえいえ。王子にもあなたの事は頼まれていますからね。あの太守殿、仕事はできるのですが、男色の気が強いのが玉に傷でしてな。それも、あなたのような中性的な者が好みのようで。うちの若い兵にも随分と泣きつかれました。お陰で、交易隊の男はムサイ奴だらけになってしまいましたよ」
はは、と隊長は苦々しく笑う。ゼフィールも苦笑を返した。
できれば太守に会う前に教えて欲しかった気がするが、そうすると、警戒が態度に出てしまっただろう。太守はさぞかし気分を害したに違いない。
そして仕事がやり難くなる。
ここまでは想像に難くない。
そう考えると、対処療法的な隊長の行動が正解だったという事になる。彼も色々苦労してこの結論に辿り着いたのかもしれない。
なんにせよ、こんな時にまで太守を思い出したくはない。早々に話題を変えることにした。
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「ええ。しかし、交易中に雪に降られたのは久しぶりです。帰りは止んでくれるといいんですが」
「久しぶりだったんですか?」
「昔はこの時期は薄く雪が積もっていたものですが、最近はめっきりですね。お陰で楽だったんですが、まぁ、贅沢は言えませんよ」
隊長はやれやれと肩をすくめると、再び肉と格闘しだした。話し相手が静かになったので、ゼフィールは何か飲もうと思ったのだが、グラスには何も入っていない。
「アルコールとお茶、どちらになさいますか?」
いつの間にやら後ろに控えていたエレノーラにおかわりを尋ねられた。けれど、いらない、と首を横に振る。代わりに、空になったグラスを彼女に渡して立ち上がった。
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