白花の咲く頃に

夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-20 決起

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 ◆

 マルクと短いやり取りができた二日後。
 ロードタウンの《ザーレ》人を拘束したという知らせが入った。

 その日の労働が終わり、魔力を吸われ、皆が落ち着いた頃を見計らって、ゼフィールは男達にもその事を伝えた。

「それは本当なのですか? 本当に、ロードタウンが《ザーレ》の手から解放されたと?」
「ああ。動いているのは《ドレスデン》の王子だ。どうやったのかまでは知らないが、信用していいだろう」
「ですが、どうやってその情報を?」
「悪いがそれは教えられない。ただ、《ドレスデン》王子本人から連絡があったとだけ言っておく」
「そう、そうですか……」

 報告を聞いた男達は声を殺して互いに抱き合った。静かに涙を拭っている者もいる。
 そんな男達の様子を視界の端におさめると、ゼフィールは静かに目を閉じた。毛布に包まり横になりながら深く呼吸する。これからは、ロードタウンの彼女達が酷い扱いを受けなくなると思うと、自然と口元が緩んだ。

 マルクは本当にロードタウンを解放してくれた。それも、わざわざ、《ザーレ》人を"捕まえた"と言ってよこしたのだから、極力血を流さずに対処してくれたのだろう。そこまで考えて願ったわけではなかったが、彼の配慮の細かさに感謝せずにはいられない。

「あちらが解放された今こそ、こちらも動くチャンスですね。脱出、しましょうか」

 老司祭が普段話でもするように提案する。
 それはあまりに普通で、彼の発言をゼフィールが理解するまでしばしの時間を要した。それは他の男達も同様だったようで、反応が出てくるまで時間がかかった。
 しかし、理解が追いつくにつれ、ざわめきが広がっていく。
 老司祭は騒ぎを手振りでなだめると、笑顔でゼフィールの前にひざまずいた。

「ゼフィール様。我々が必ず貴方をここからお逃がしします。ですから、《ドレスデン》の方々と合流して宰相をお止め下さい」
「待ってくれ。逃げるなら皆で――」
「それが出来れば一番ですが、無理でしょう。看守達は武具を持っていますが、我々にあるのはあの棒だけですからね。全力で魔法を使えればまた違うでしょうが」

 そう言うと、老司祭は自らの法衣を脱いだ。その上で、ゼフィールの服にも手を伸ばしてくる。
 この寒い中服を脱ぐ理由が分からない。
 彼の奇行にゼフィールは眉をひそめた。

「何を?」
「子供だましの手段ではありますが。服が変わっていれば、本物の貴方が分かり難くなるだろうと思いまして。後は髪さえ隠してしまえば完璧ですね。それに、石切り場の外は寒いですからね。私の法衣なら防御魔法が掛かっています。多少の寒さには耐えられるでしょう」
「そんな事をしたら司祭が……」

 抵抗を試みるが、重い身体は動かない。表情で止めてくれと訴えてみたが、老司祭は微笑むだけで手を止めない。
 すっかり服を着替え終わると、老司祭は胸の前で手を組んだ。

「私はもう十分生きましたし、ここで亡くなった者達も大勢看取ってきました。後は、先に逝った彼らの分まで貴方に奉仕できれば、命の価値としては十分でしょう」
「そんな……。俺にそこまでの価値はない。俺は逃げる事しかしてこなかった。これまで王家としての責務すら果たしていないんだ。だから、頼む。俺の為に自らを危険に曝さないでくれ」

 敷かれている毛布に頭を擦りつけ懇願する。返事は無い。視線を上げてみると、そんなゼフィールを老司祭が優しい目で見ており、組んでいた手を解いた。

「責務というのなら、今まで生き残ってくれていた事こそ貴方の一番の功績でございますよ。他国で青き血の民が暮らすのは苦労が多いと聞きますからね。それに、我々の為に身を呈してくれた貴方にこそ、次代の王となって頂きたいのです。その為の捨て石になれるのなら、こんな名誉はございません」

 老司祭が手をかざす。
 同時に、ゼフィールに猛烈な眠気が襲ってきた。老司祭の眠りの魔法だと分かったが、昼間の労働による疲労と、魔力が空なせいで、抵抗らしい抵抗ができない。

「駄目、だ。俺も共に――」
「計画は明朝、労働の為にこの部屋から出される時に開始します。細かい計画は我々で詰めておくので、王子は休んで体力を回復させて下さい。明日は大変ですからね」

 霞む視界の中で男達は皆笑っている。
 次に気が付いた時は朝になっており、既にゼフィールに反対する自由は残されていなかった。



「この部屋から出たら我々が看守を引き付けつつ珠を破壊します。王子はそれには参加せず、出口へ向かい真っ直ぐお逃げください。何があっても振り返ったり足を止めてはなりません。貴方が無事脱出できる事こそ、我等に最も報いるのだとお考え下さい」

 老司祭は毛布を破いて作った布でゼフィールの頭を巻き、髪を隠した。男達も同じ布を頭に巻く。ゼフィールの姿は他の司祭達と変わらぬものとなり、全く目立たなくなった。
 自身の頭にも布を巻き終わると、老司祭はゼフィールの胸に手をあて、祝詞を唱える。

「天に座す偉大なるウラノスよ。厚き大愛を持ちて我らが祈りを聞き届け給え――」

 老司祭の祝詞に男達も声を合わせる。低い声に乗り、ゼフィールを護りの魔力が包む。強固な護る意思の込められた魔力だ。とても温かい。けれど、どうしようもない切なさもはらんだ魔力。
 自らは助からずとも、未来を託す者の為に全てをかける。そんな想いが伝わってくる。

 ――多くの血と引き換えに自分だけ助かるなんて嫌。

 そう言いそうになり、ゼフィールは言葉を飲み込んだ。
 子供のように我儘を言っていい時間は過ぎてしまった。命すら投げ打とうとしている彼らに掛けるべき言葉は、きっと、これではない。

「皆の気持ち確かに受け取った。だが、無駄死には許さない。必死にあがいて俺に付いてこい」

 拳を握り、必死に前を向く。
 声は震えてないか、表情は情けないものになっていないか。ただそれだけに注意して言葉を吐き出す。
 死地に赴こうという彼らに対しゼフィールが出来るのは、彼らが尻ごみせぬよう、なけなしの威厳を見せてやるくらいだ。

 本当は誰にも傷付いて欲しくない。誰一人欠けずに逃げ切って欲しい。
 しかし、そんな事は不可能だと分かっている。
 ならば、彼らの屍を乗り越え、その死に報いるよう最大限の努力をするだけだ。

「お前達何を騒いでいる!?」

 騒がしい声を聞きつけたのか、広間に看守が駆けこんできた。そんな看守に一斉に視線が集まる。一○○人以上に注目されると中々の迫力だろう。さすがの看守もたじろぎ、固まった。

 看守の首筋に、扉の陰にいた男が手刀を叩き込む。看守は声を出す間も無くその場に崩れた。男はそのまま看守から胸当てと武器を奪うと、彼を縛り上げ、広間の奥へ転がす。
 武具を手に入れた男と目くばせすると、老司祭が静かに告げた。

「少し予定より早いですが、始めますか」

 老司祭の合図に、武具を持った男が先頭となって男達は石切り場へと雪崩込んだ。
 石切り場からは怒鳴り声と剣戟の音が響いてくる。
 喧騒に紛れ、ゼフィールも広間を飛び出した。ざっと周囲を見回し、出口と警備の薄いルートを確認すると、そちらに向かって走り出す。

 ゼフィールの目の前で男が斬られた。それでも男は倒れず、咆哮を上げながら周囲の珠へ身体ごとぶつかって行く。地面に叩き落とされた珠が音を立てて砕け散った。

 そんな光景がそこかしこで繰り広げられている。斬る斬られる側はその時々で入れ替わり、《シレジア》の男、看守問わず、死だけが積み上がっていく。

 屍が増えた分だけ珠の数は減り、脱力感が弱くなっていく。力の戻ってくる感覚に多少の開放感を感じつつ、ゼフィールは出口へと向かいひたすらに走った。
 穴倉の地域を抜け、露天掘りの現場へ足を踏み込む。

 空の下へ出た途端に厳しい寒さが肌を刺した。風雪も吹きつけてくるが、我慢できない程ではない。老司祭の交換してくれた法衣のお陰だろう。
 並走する老司祭に感謝しつつ、ゼフィールは上り坂へと駆ける。
 その道はここから脱出するための唯一の道だ。
 看守達も馬鹿ではない。そこに重点的に集まり道を塞いでいる。

「貴様らこんな事をして、ロードタウンの連中が無事だと思うなよ!」
「どけぇえええええええ!」

 看守と男達が正面からぶつかる。
 斬りつけられ、身体の一部を失おうとも男達は止まらない。障害となる者を一人でも排除しようと、もしくは、迫りくる刃から一撃でも多くゼフィールを守ろうと、倒れるその時まで死力を振り絞ってくれる。
 彼らが流す血で、元は白かった法衣に青い染みが増える。

(もう少し)

 もう少しで魔法を使える。ゼフィールにはそんな予感があった。
 体力はとっくに限界を超えている。今立ち止れば、もう足を動かせないだろう。
 だが、魔力は確実に戻ってきている。魔法さえ使えれば、ただ守られるだけの立場から抜け出せるはずだ。

 それまではひたすらに屍を乗り越えて進む。今も目の前でゼフィールを守る者が倒れようとしている。その陰から、剣を構えた看守がゼフィールの方へ踊りかかってきた。

 気付きはした。
 同時に、避けられない事も分かった。次に訪れる痛みを覚悟して身体を前に出す。
 しかし、痛みはやってこなかった。
 代わりに吹きつける青い血。
 ゼフィールと看守との間に老司祭が割り込んでいた。看守は老司祭に刺した剣を引き抜くと、首まではねる。

 身体から離れた首がゼフィールの方へ飛んできた。反射的に受け止めて、手の平から伝わる熱と血の滑りに視界が暗くなる。

 生々しい感覚に気付かされる。
 どれだけ多くの犠牲の上に生かされているのかという事に。
 散っていった者達への感謝と謝罪、大切な民を傷付け続ける《ザーレ》への憎しみが心の中で渦を巻く。

(なぜ俺には力が無い? 力が欲しい。敵をうち砕き、味方を守る力が!)

 心の底からそう思った。ここまで強く力を渇望したのは初めてだ。
 そんなゼフィールの脳裏にフレースヴェルグの声が響く。

『アレクシアの息子よ。力を望むか?』
『望む! お前が俺の力だというのなら、力を貸せ。フレースヴェルグ!』

 即答した。空を見上げると、重い雲の下をフレースヴェルグが飛んでいる。珠があると近付けぬと言っていたが、もう大丈夫程度にはなったのだろうか。

『身体を貸すのであれば貴様の願いを叶えよう。どうする?』
『愚問だ。好きに使え』
『承知』

 空からフレースヴェルグがゼフィールへ向けて滑空してきた。彼に向けてゼフィールも右手を伸ばす。

「フレースヴェルグ、来い!」

 フレールヴェルグとゼフィールの伸ばした手が触れた瞬間、視界が暗くなった。



 強風に髪と法衣が翻る。
 視界が開けた時、ゼフィールは石切り場を見下ろしていた。それは空を飛ぶ者の視線。フレースヴェルグに貸した身体は、上空に浮かび制止していた。
 風が吹き付ける感覚や寒さ、視覚など、五感はある。ただ、身体を動かす決定権がゼフィールには無い。それが身体を貸すということのようだ。

 フレースヴェルグが軽く手をかざすと、巨大な竜巻が石切り場から立ち昇った。露天現場にいた者達は、所属国の別なく空へと舞い上げられていく。
 空中へと投げ出された《シレジア》人達は風に抱かれ、衝撃を多少殺して雪の上へ投げ出された。対して、《ザーレ》人達は鋭い風の刃に切り刻まれ、血みどろの状態で雪の上に激突する。

 一瞬で生死を分けた状況に、生き残った男達は唖然とした顔で呆けている。しばらく目が泳いでいた彼らだったが、空中に浮かぶフレースヴェルグを見上げると、畏怖の対象であるかの如く平伏した。
 そんな彼らを一瞥いちべつすると、フレースヴェルグは西へ向かって移動を始める。

『待て。彼らを置いてどこに行くつもりだ?』
『あのまま放置しても奴らは死なん。それよりやる事がある。跳ぶぞ』

 忽然と、フレースヴェルグの姿は《シレジア》の空から消え去った。
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