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転章
転章-4 会する五国 前編
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◆
「ユリアちゃんとリアン君も一緒に来てるの? 懐かしいわぁ。後で会わせてくれるのよね?」
「二人もお前に会うのを楽しみにしている。会ってやってくれ」
ゼフィールはマルクと連れだって会議室へ入った。
広くはない部屋だ。出入り口は入って来た扉だけ。壁は厚く、扉を締め切れば音も漏れないだろう。全ての窓には重いカーテンが引かれ、不足する光量は煌々と灯されたランプが補っている。
飾り気の無い部屋の中央に置かれているのは巨大な五角形の机で、それぞれの辺に椅子が一脚ずつ。椅子の後ろには、それぞれ違った絵柄のタペストリーが掲げられている。
マルクは喋りながら、緑地に枝葉の描かれたタペストリーの掲げられた席に座った。
「今晩二人とも暇してるかしら?」
「今晩は女王主催の晩餐会の後、舞踏会があると聞いているが。いくらなんでも、お前が無理じゃないか?」
マルクの後ろを通り抜け、白地に羽根が描かれたタペストリーの掲げられた隣席にゼフィールも腰掛ける。
「あ、そうだったわね。舞踏会、舞踏会ねぇ……」
ブツブツ言いながらマルクが腕を組む。しばらく頭をひねっていた彼だったが、何か閃いたのか、ぽんっと手を打った。
「堂々と舞踏会に出てもらえばいいじゃない。うん、それしかないわ!」
「随分な無茶振りだな。第一、あいつら舞踏会用の服とか持ってきてないぞ?」
「それはこっちで用意するから大丈夫よ。二人とも城内にいるかしら?」
「いるんじゃないか? まぁ、怒らせない程度にやってくれ」
ゼフィールは頬杖を付きながら適当にマルクに返す。
マルクはよほど嬉しかったのか、大喜びで従者に耳打ちをしている。指示を受けた従者は駆け足で部屋を去って行った。
入れ違いにゾフィと一人の男性が入ってくる。すれ違う従者を一瞥した後でマルクを見た彼女は何かを察したのか、明らかに視線の温度を下げた。
「マルクがまたお馬鹿なことをしている気配がありますわね」
「んま! 挨拶をすっ飛ばして言う言葉がそれなの?」
「お二人ともご機嫌麗しゅう」
ゾフィはあからさまな作り笑いを浮かべ挨拶を口にすると、青地に泡の描かれたタペストリーの前に置かれた椅子に座る。
もう一人の男は赤地に炎の描かれたタペストリーの前に立つと、マルク、ゼフィールの順に視線を向けてきた。
その厳しい視線に居心地の悪さを感じ、ゼフィールは頬杖をやめ、背筋を伸ばす。マルクの様子を伺ってみると、彼は男から視線を逸らしており、どこ吹く風だ。
男は眉間の皺を深くすると、重々しくため息をついた。
「マルクは相変わらずか。ゼフィール王太子に会うのは初めてだな。私はライナルト・ハイドン。宜しく頼む」
「ゼフィール・エンベリーと申します。若輩者ですが、こちらこそ宜しくお願いします」
ゼフィールも立ち上がり頭を下げる。
「楽にしてもらって構わない。ここにいる者は立場は同じだからな」
軽く手を上げるとライナルトは席に腰掛けた。
中背ながらたくましい体格の彼は、亜麻色の少し癖のある髪と茶色い瞳をしている。眉間に緩く皺が寄っているが、機嫌が悪いのではなく素のようだ。きっちりと手入れされたアゴ髭や一切着崩されていない服からは神経質な印象を受ける。
アレクシアに聞いた彼の情報によると三八らしいのだが、少しだけ上に見えるのはそのせいだろう。
ゼフィールも席に座り直し、未だ空のままの隣席に目を向けた。茶地に煌めく石が描かれたタペストリーは《ブレーメン》を指している。《ブレーメン》にも召集の手紙は届いているはずだが、代表者は未だ現れない。
(ブロン王家、会ってみたかったが……)
会議に招集される者は器に限定されていた。マルクやゾフィに聞いた話だけから考えると、ブロン王家には器がいない可能性の方が高い。ならば、出席者も現れないだろう。
それでも、少しばかりの期待を抱きながら、ゼフィールは会議開始の時を待った。
狭い室内にライナルトの説教だけが響く。
「大体がだ、マルク。お前はいくつになってもフラフラフラフラ――」
「《ブレーメン》からも来るって話だったんだけど、時間も大分過ぎたし、もう始めちゃっていいかしらね?」
それを右から左に聞き流していたマルクが欠伸をしながらぼやいた。そんなマルクの態度にライナルトの説教が増えたが、当の本人には欠片も届いていない。
ゾフィは爪の手入れを始め、ゼフィールもうつらうつらしていて、部屋の空気はたるみにたるんでいる。
変化があったのはそんな時だった。
部屋の外から大勢の足音と制止の声が響いてくる。どんどん近付いてくる騒音に、四人は視線を扉へと向けた。
騒がしく入ってきたのは、十人以上の従者を連れた男と、それを止めようとする衛兵達。どちらもこの場にはそぐわない。
場違いな集団に、ゾフィが不快気に眉をひそめた。
「何の騒ぎですこと?」
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません! すぐに収めますので」
衛兵はゾフィに何度も頭を下げ男へ色々訴えているが、男が聞いている様子はない。彼は会議室を見渡すと、従者を引き連れライナルトの後ろを通り過ぎ、空いているゼフィールの隣席へやってきた。
「お待たせしてしまったようですね。どうぞ始めて下さい」
尊大に言うと、背後に従者を侍らせ椅子に座る。
その態度には遅れたことに対する謝罪は一切見られない。それに、彼の後ろに控える従者達。あれは、明らかに規約違反だ。
一つ一つは大したことないが、色々重なると不快感も増す。ゼフィールの眉がわずかに寄った。
それはライナルトにしても同じだったようで、眉間の皺を更に深くし、低い声で苦言を呈している。
「会議室に随行する従者は一名と決まっている。規則は守られよ」
「これは失礼。すっかり失念しておりました。お前達、外で待機していろ」
男の一声で、一人の従者を残し、その他の者達は外へと向かう。彼らが全員退室すると部屋の扉が閉じられた。
少しの間を置き、マルクが軽く手を叩き口を開く。
「それじゃ全員揃ったみたいだから始めるわね。会場提供国ってことで、進行はアタシ。お初の人もいるし、自己紹介から始めましょ。アタシはマルク・ディックハウト。《ドレスデン》代表よ」
マルクに続き、ライナルト、ゾフィ、ゼフィールも名乗る。全員の視線が集まる中、男が口を開いた。
「私はヨハン・ブロン。《ブレーメン》代表として参加した次第です」
名乗るヨハンを眺めるゼフィールを、彼の黒い瞳は抜け目なく観察し返してくる。瞳の色と同じ黒い髪はアゴの長さで切り揃えられ、少しの癖もなく真っ直ぐだ。年齢はライナルトとマルクの間くらいだろうか。無謀な若さは影を潜め、代わりに自信が表に出てきている印象がある。
「それで、会議の議題は何です? 書状にも書かれていないのは情報漏洩を防ぐためかと思いましたが」
「まぁ待って頂戴。その前にまずは確認からよ。力の欠片を持って来いって書いておいたでしょ? 全員出して頂戴。それを持って器であることの証明とするわ」
言いながら、マルクは従者から水の入った小瓶を受け取ると机に置いた。《ドレスデン》の神アルテミスの力の結晶は〈ウルズの泉〉。その水だ。
ゾフィは左手を前に出す。手の甲に黒い蝶が乗っていた。手の甲から飛び上がった蝶はひらりひらりと室内を舞い、ゾフィの髪に留まる。
二人に倣い、ゼフィールはフレースヴェルグの風切羽を置く。
ゼフィールの前の席ではライナルトが一匹のリスを放っていた。リスはトコトコとゼフィールの前まで来ると愛らしい仕草で首を傾げる。
その見た目といい、仕草といい、ハノーファで拾ったラスクを彷彿とさせる。
ゼフィールが手を伸ばしてやると、リスはするすると腕を登り、ラスクの定位置に収まり丸くなった。
懐かしくなり、リスの頭を指で撫でてやっていると、風切羽から変化した青い小鳥がリスを撫でるゼフィールの手の甲に留まった。
随分と小ぶりで色も違うけれど、この小鳥はフレースヴェルグだ。羽根一枚からでも意志を持った分身を作れるのは便利でいいのだが、今は、なぜ鳥の姿になったのかという疑問だけが先行する。
じっと見つめる小鳥をリスは一瞬だけ見たが、すぐに丸くなる。丸くなったリスを小鳥がくちばしでつつき、リスは大きな尻尾で応戦した。
ピーピー、キュイキュイ耳元で騒がしいことこの上ない。
「何やってるんだ!? お前達!」
肩の上で喧嘩を始めた一羽と一匹をゼフィールは強引に引き離した。小鳥は宙に放し、リスはライナルトの方に行かせる。
ライナルトは帰って来たリスに容赦なく拳骨をくらわせると、申し訳なさそうに謝ってきた。
「すまんな。君が《ハノーファ》を訪れた時ラタトスクの分身に会っただろう? 君の側は心地が良いそうだ。こいつの行動は自由が過ぎると思うのだが、言うことを聞かなくてな」
「いえ、俺の方も全く言うことを聞かないので。お騒がせして申し訳ありません」
『なぜ貴様が謝るのだ。そもそもは、あのたわけが貴様にベタベタしてきたのが原因だろう』
『だからって、お前が嫉妬するなよ』
降りてきた小鳥の頭をゼフィールは小突く。
これで反省してくれれば良かったのだが、フレースヴェルグはさっさとゼフィールの頭の上に移動すると、そこからラスクへの文句を言いまくっている。この様子だと、互いに仲良くしてくれる望みは薄いだろう。
そんな二人と一羽と一匹の様子を眺めながらゾフィが呆れている。
「力に意思があり過ぎるのも良し悪しですわね」
「お前達の静かな力が今ほど羨ましいことはないよ」
「言ってもどうしようもないですわね。ところで、ヨハン様の力の欠片も見せて頂けますかしら?」
ゾフィの言葉に、緩み切っていた場の空気が一気に引き締まった。全員の視線がヨハンに集まるが、彼が何かを出す素振りは見えない。
視線を受け、ヨハンは肩を竦めると扉の方を指した。
「先程部屋から追い出した連中こそ私の力の欠片なのですがね。私が国である程度力を持っている証明になると思って連れてきたのですが。私としては、あなた方の言う力の基準とやらを教えて頂きたい。なにせ、あなた方の提示したものは、変哲の無い水と虫と小動物だけだ」
彼の発言は至って真面目で、何かを隠している感じは無い。それがかえって、彼がこの場にいる資格を有する者ではないと証明してしまった。
《ブレーメン》の神アテナの力はニーズヘッグという蛇の形をとっている。その鱗なりを提示するのが正しい行動だ。
ヨハンの発言に重苦しい空気が漂う。それを破ったのはマルクだった。
「ヨハン殿下。アナタって、儀式を受けたのかしら?」
「儀式? ああ。最近では行われていませんね。当国では、王子の中から最も勉学の優れた者が後を継いでいます。国の未来を担う王を原理も分からぬもので決めるだなんて、ナンセンスですからね」
「ふ~ん。もう一つ質問なんだけど、この会議、出席者は器限定ってしておいたんだけど、器が何だか分かってる?」
「"王の"器だと思って来たのですが。そう尋ねられるのなら違うのでしょうね」
ヨハンが肩を竦める。
彼は気にしている素振りを見せないが、こちらからしてみれば大問題だ。次期王がこの調子では、ブロン王家に器の存在を期待するのは無理だろう。
マルクは表情から不真面目さを消すと、冷たい視線でヨハンを見つめた。机に肘を付き指を組むと、その上にアゴを乗せる。
「この会議の目的だけど、一つはゼフィールとライナルトの顔見せよ。これは達成された。後は音信不通だったブロン家に器がいれば万々歳だったんだけど。アナタは器じゃないし、正統な王家としての資格すら失っているようね」
「これは奇なことを仰る。私は正統な王家の血筋ですよ。家系図も一度たりとも途切れていない」
「一○○年程前にブロン家と我々四王家との関係は絶たれていますわ。その頃何かあったのではなくて?」
「そんな昔のことは私は知りませんが。大体、なぜ急に招集など掛けたのです? 五王国などと一まとめにされていますが、我々は独立独歩のはずですが」
「君には知る資格が無い。そもそも、この会議に出席する資格も無い」
「だから一人吊るし上げられるような扱いも甘んじろと? 不愉快ですね」
場の空気がどんどん悪くなる。ヨハンを待っていた頃のダラけた空気が嘘みたいだ。
「あー! もう、やめやめ! 止めましょ!」
手を打ち鳴らしながらマルクが叫んだ。彼の方を皆が一斉に向く。
「これ以上ここで顔を付き合わせてても得られるものも無さそうだし、解散としましょうか。あ、喧嘩しちゃったから晩餐会ブッチとかはみんなしちゃダメよ! アタシが母に殺されるわ。割と本気で」
「ではお先に。女王の晩餐会を蹴るような失礼な真似はしませんから、ご心配なく」
不機嫌を隠しもせずヨハンが退室する。来た時と同様に騒がしい足音を立てながら、場違いな集団は去って行った。
「ユリアちゃんとリアン君も一緒に来てるの? 懐かしいわぁ。後で会わせてくれるのよね?」
「二人もお前に会うのを楽しみにしている。会ってやってくれ」
ゼフィールはマルクと連れだって会議室へ入った。
広くはない部屋だ。出入り口は入って来た扉だけ。壁は厚く、扉を締め切れば音も漏れないだろう。全ての窓には重いカーテンが引かれ、不足する光量は煌々と灯されたランプが補っている。
飾り気の無い部屋の中央に置かれているのは巨大な五角形の机で、それぞれの辺に椅子が一脚ずつ。椅子の後ろには、それぞれ違った絵柄のタペストリーが掲げられている。
マルクは喋りながら、緑地に枝葉の描かれたタペストリーの掲げられた席に座った。
「今晩二人とも暇してるかしら?」
「今晩は女王主催の晩餐会の後、舞踏会があると聞いているが。いくらなんでも、お前が無理じゃないか?」
マルクの後ろを通り抜け、白地に羽根が描かれたタペストリーの掲げられた隣席にゼフィールも腰掛ける。
「あ、そうだったわね。舞踏会、舞踏会ねぇ……」
ブツブツ言いながらマルクが腕を組む。しばらく頭をひねっていた彼だったが、何か閃いたのか、ぽんっと手を打った。
「堂々と舞踏会に出てもらえばいいじゃない。うん、それしかないわ!」
「随分な無茶振りだな。第一、あいつら舞踏会用の服とか持ってきてないぞ?」
「それはこっちで用意するから大丈夫よ。二人とも城内にいるかしら?」
「いるんじゃないか? まぁ、怒らせない程度にやってくれ」
ゼフィールは頬杖を付きながら適当にマルクに返す。
マルクはよほど嬉しかったのか、大喜びで従者に耳打ちをしている。指示を受けた従者は駆け足で部屋を去って行った。
入れ違いにゾフィと一人の男性が入ってくる。すれ違う従者を一瞥した後でマルクを見た彼女は何かを察したのか、明らかに視線の温度を下げた。
「マルクがまたお馬鹿なことをしている気配がありますわね」
「んま! 挨拶をすっ飛ばして言う言葉がそれなの?」
「お二人ともご機嫌麗しゅう」
ゾフィはあからさまな作り笑いを浮かべ挨拶を口にすると、青地に泡の描かれたタペストリーの前に置かれた椅子に座る。
もう一人の男は赤地に炎の描かれたタペストリーの前に立つと、マルク、ゼフィールの順に視線を向けてきた。
その厳しい視線に居心地の悪さを感じ、ゼフィールは頬杖をやめ、背筋を伸ばす。マルクの様子を伺ってみると、彼は男から視線を逸らしており、どこ吹く風だ。
男は眉間の皺を深くすると、重々しくため息をついた。
「マルクは相変わらずか。ゼフィール王太子に会うのは初めてだな。私はライナルト・ハイドン。宜しく頼む」
「ゼフィール・エンベリーと申します。若輩者ですが、こちらこそ宜しくお願いします」
ゼフィールも立ち上がり頭を下げる。
「楽にしてもらって構わない。ここにいる者は立場は同じだからな」
軽く手を上げるとライナルトは席に腰掛けた。
中背ながらたくましい体格の彼は、亜麻色の少し癖のある髪と茶色い瞳をしている。眉間に緩く皺が寄っているが、機嫌が悪いのではなく素のようだ。きっちりと手入れされたアゴ髭や一切着崩されていない服からは神経質な印象を受ける。
アレクシアに聞いた彼の情報によると三八らしいのだが、少しだけ上に見えるのはそのせいだろう。
ゼフィールも席に座り直し、未だ空のままの隣席に目を向けた。茶地に煌めく石が描かれたタペストリーは《ブレーメン》を指している。《ブレーメン》にも召集の手紙は届いているはずだが、代表者は未だ現れない。
(ブロン王家、会ってみたかったが……)
会議に招集される者は器に限定されていた。マルクやゾフィに聞いた話だけから考えると、ブロン王家には器がいない可能性の方が高い。ならば、出席者も現れないだろう。
それでも、少しばかりの期待を抱きながら、ゼフィールは会議開始の時を待った。
狭い室内にライナルトの説教だけが響く。
「大体がだ、マルク。お前はいくつになってもフラフラフラフラ――」
「《ブレーメン》からも来るって話だったんだけど、時間も大分過ぎたし、もう始めちゃっていいかしらね?」
それを右から左に聞き流していたマルクが欠伸をしながらぼやいた。そんなマルクの態度にライナルトの説教が増えたが、当の本人には欠片も届いていない。
ゾフィは爪の手入れを始め、ゼフィールもうつらうつらしていて、部屋の空気はたるみにたるんでいる。
変化があったのはそんな時だった。
部屋の外から大勢の足音と制止の声が響いてくる。どんどん近付いてくる騒音に、四人は視線を扉へと向けた。
騒がしく入ってきたのは、十人以上の従者を連れた男と、それを止めようとする衛兵達。どちらもこの場にはそぐわない。
場違いな集団に、ゾフィが不快気に眉をひそめた。
「何の騒ぎですこと?」
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません! すぐに収めますので」
衛兵はゾフィに何度も頭を下げ男へ色々訴えているが、男が聞いている様子はない。彼は会議室を見渡すと、従者を引き連れライナルトの後ろを通り過ぎ、空いているゼフィールの隣席へやってきた。
「お待たせしてしまったようですね。どうぞ始めて下さい」
尊大に言うと、背後に従者を侍らせ椅子に座る。
その態度には遅れたことに対する謝罪は一切見られない。それに、彼の後ろに控える従者達。あれは、明らかに規約違反だ。
一つ一つは大したことないが、色々重なると不快感も増す。ゼフィールの眉がわずかに寄った。
それはライナルトにしても同じだったようで、眉間の皺を更に深くし、低い声で苦言を呈している。
「会議室に随行する従者は一名と決まっている。規則は守られよ」
「これは失礼。すっかり失念しておりました。お前達、外で待機していろ」
男の一声で、一人の従者を残し、その他の者達は外へと向かう。彼らが全員退室すると部屋の扉が閉じられた。
少しの間を置き、マルクが軽く手を叩き口を開く。
「それじゃ全員揃ったみたいだから始めるわね。会場提供国ってことで、進行はアタシ。お初の人もいるし、自己紹介から始めましょ。アタシはマルク・ディックハウト。《ドレスデン》代表よ」
マルクに続き、ライナルト、ゾフィ、ゼフィールも名乗る。全員の視線が集まる中、男が口を開いた。
「私はヨハン・ブロン。《ブレーメン》代表として参加した次第です」
名乗るヨハンを眺めるゼフィールを、彼の黒い瞳は抜け目なく観察し返してくる。瞳の色と同じ黒い髪はアゴの長さで切り揃えられ、少しの癖もなく真っ直ぐだ。年齢はライナルトとマルクの間くらいだろうか。無謀な若さは影を潜め、代わりに自信が表に出てきている印象がある。
「それで、会議の議題は何です? 書状にも書かれていないのは情報漏洩を防ぐためかと思いましたが」
「まぁ待って頂戴。その前にまずは確認からよ。力の欠片を持って来いって書いておいたでしょ? 全員出して頂戴。それを持って器であることの証明とするわ」
言いながら、マルクは従者から水の入った小瓶を受け取ると机に置いた。《ドレスデン》の神アルテミスの力の結晶は〈ウルズの泉〉。その水だ。
ゾフィは左手を前に出す。手の甲に黒い蝶が乗っていた。手の甲から飛び上がった蝶はひらりひらりと室内を舞い、ゾフィの髪に留まる。
二人に倣い、ゼフィールはフレースヴェルグの風切羽を置く。
ゼフィールの前の席ではライナルトが一匹のリスを放っていた。リスはトコトコとゼフィールの前まで来ると愛らしい仕草で首を傾げる。
その見た目といい、仕草といい、ハノーファで拾ったラスクを彷彿とさせる。
ゼフィールが手を伸ばしてやると、リスはするすると腕を登り、ラスクの定位置に収まり丸くなった。
懐かしくなり、リスの頭を指で撫でてやっていると、風切羽から変化した青い小鳥がリスを撫でるゼフィールの手の甲に留まった。
随分と小ぶりで色も違うけれど、この小鳥はフレースヴェルグだ。羽根一枚からでも意志を持った分身を作れるのは便利でいいのだが、今は、なぜ鳥の姿になったのかという疑問だけが先行する。
じっと見つめる小鳥をリスは一瞬だけ見たが、すぐに丸くなる。丸くなったリスを小鳥がくちばしでつつき、リスは大きな尻尾で応戦した。
ピーピー、キュイキュイ耳元で騒がしいことこの上ない。
「何やってるんだ!? お前達!」
肩の上で喧嘩を始めた一羽と一匹をゼフィールは強引に引き離した。小鳥は宙に放し、リスはライナルトの方に行かせる。
ライナルトは帰って来たリスに容赦なく拳骨をくらわせると、申し訳なさそうに謝ってきた。
「すまんな。君が《ハノーファ》を訪れた時ラタトスクの分身に会っただろう? 君の側は心地が良いそうだ。こいつの行動は自由が過ぎると思うのだが、言うことを聞かなくてな」
「いえ、俺の方も全く言うことを聞かないので。お騒がせして申し訳ありません」
『なぜ貴様が謝るのだ。そもそもは、あのたわけが貴様にベタベタしてきたのが原因だろう』
『だからって、お前が嫉妬するなよ』
降りてきた小鳥の頭をゼフィールは小突く。
これで反省してくれれば良かったのだが、フレースヴェルグはさっさとゼフィールの頭の上に移動すると、そこからラスクへの文句を言いまくっている。この様子だと、互いに仲良くしてくれる望みは薄いだろう。
そんな二人と一羽と一匹の様子を眺めながらゾフィが呆れている。
「力に意思があり過ぎるのも良し悪しですわね」
「お前達の静かな力が今ほど羨ましいことはないよ」
「言ってもどうしようもないですわね。ところで、ヨハン様の力の欠片も見せて頂けますかしら?」
ゾフィの言葉に、緩み切っていた場の空気が一気に引き締まった。全員の視線がヨハンに集まるが、彼が何かを出す素振りは見えない。
視線を受け、ヨハンは肩を竦めると扉の方を指した。
「先程部屋から追い出した連中こそ私の力の欠片なのですがね。私が国である程度力を持っている証明になると思って連れてきたのですが。私としては、あなた方の言う力の基準とやらを教えて頂きたい。なにせ、あなた方の提示したものは、変哲の無い水と虫と小動物だけだ」
彼の発言は至って真面目で、何かを隠している感じは無い。それがかえって、彼がこの場にいる資格を有する者ではないと証明してしまった。
《ブレーメン》の神アテナの力はニーズヘッグという蛇の形をとっている。その鱗なりを提示するのが正しい行動だ。
ヨハンの発言に重苦しい空気が漂う。それを破ったのはマルクだった。
「ヨハン殿下。アナタって、儀式を受けたのかしら?」
「儀式? ああ。最近では行われていませんね。当国では、王子の中から最も勉学の優れた者が後を継いでいます。国の未来を担う王を原理も分からぬもので決めるだなんて、ナンセンスですからね」
「ふ~ん。もう一つ質問なんだけど、この会議、出席者は器限定ってしておいたんだけど、器が何だか分かってる?」
「"王の"器だと思って来たのですが。そう尋ねられるのなら違うのでしょうね」
ヨハンが肩を竦める。
彼は気にしている素振りを見せないが、こちらからしてみれば大問題だ。次期王がこの調子では、ブロン王家に器の存在を期待するのは無理だろう。
マルクは表情から不真面目さを消すと、冷たい視線でヨハンを見つめた。机に肘を付き指を組むと、その上にアゴを乗せる。
「この会議の目的だけど、一つはゼフィールとライナルトの顔見せよ。これは達成された。後は音信不通だったブロン家に器がいれば万々歳だったんだけど。アナタは器じゃないし、正統な王家としての資格すら失っているようね」
「これは奇なことを仰る。私は正統な王家の血筋ですよ。家系図も一度たりとも途切れていない」
「一○○年程前にブロン家と我々四王家との関係は絶たれていますわ。その頃何かあったのではなくて?」
「そんな昔のことは私は知りませんが。大体、なぜ急に招集など掛けたのです? 五王国などと一まとめにされていますが、我々は独立独歩のはずですが」
「君には知る資格が無い。そもそも、この会議に出席する資格も無い」
「だから一人吊るし上げられるような扱いも甘んじろと? 不愉快ですね」
場の空気がどんどん悪くなる。ヨハンを待っていた頃のダラけた空気が嘘みたいだ。
「あー! もう、やめやめ! 止めましょ!」
手を打ち鳴らしながらマルクが叫んだ。彼の方を皆が一斉に向く。
「これ以上ここで顔を付き合わせてても得られるものも無さそうだし、解散としましょうか。あ、喧嘩しちゃったから晩餐会ブッチとかはみんなしちゃダメよ! アタシが母に殺されるわ。割と本気で」
「ではお先に。女王の晩餐会を蹴るような失礼な真似はしませんから、ご心配なく」
不機嫌を隠しもせずヨハンが退室する。来た時と同様に騒がしい足音を立てながら、場違いな集団は去って行った。
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