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転章
転章-5 会する五国 中編
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騒々しい足音が聞こえなくなると、残された四人は息を吐き、脱力した姿勢になった。各々の従者に飲み物を要求し一息つく。
ゼフィールも頬杖を付きながら、従者――エイダの入れてくれた紅茶に口を付けた。その姿を彼女が咎めるような目で見ている。
行儀が悪いのは分かっているが、さっきのやり取りは聞いているだけで疲れた。これくらいの息抜きは見逃して欲しいところだ。
咽を潤しながら念話でぼやく。
『《ブレーメン》の王家が機能してないっぽいことしか分からなかったな』
『でも、それが分からないと動けませんわ。とりあえず、一歩前進ということろですわね』
『どうやって器を探したものかしらね。闇雲に探しても無理でしょうし』
マルクがガリガリと頭を掻く。他の三人からも溜め息が漏れた。
結局、会議を開くきっかけになった問題がそのまま残っている。
せめてブロン家が儀式を続けていたならば、じき、器が排出される可能性もあった。だが、あそこまでシステムから離れてしまっていては、その見込みも薄いだろう。
『というか、フレースヴェルグ。お前、人の頭の上で何ゴソゴソしてるんだ? 巣作りとかしてないよな?』
『違うのだ。脚に貴様の髪が絡まってだな』
『何してるんだよ……。ほら、羽根に戻れ。そうすれば外れるだろ』
ゼフィールは呆れながら頭の上に手をやる。回収した羽根を見ながら、ふと、気付いた。
『――ニーズヘッグ。器と対の力なら、継承の儀を受けていない器でも見分けがつくはずだ。力から先に見つけてしまう方が早いかもしれないな』
『そうなのか?』
『俺とフレースヴェルグがそうでした。ニーズヘッグにも当てはまるかと』
手にした羽根を前に差し出す。
ゼフィールが《シレジア》に入国して割とすぐからフレースヴェルグは近くにいた。継承の儀を受ける前だったにも関わらずだ。
それに、彼は言っていたではないか。
如何様な姿をしていようとも、魂を同じくする者同士感じる、と。
同じ理屈で考えるなら、ニーズヘッグさえ見つけられれば、器まで導いてもらえる可能性が高い。
よほどのことがない限り、力は土地に縛られるという制約がある。それを逆手にとれば捜索範囲を狭められるだろう。
運よく器も《ブレーメン》国内にいてくれれば、ニーズヘッグの近くにいると考えて間違いない。国外にいるとしても、何の指針も無しに探すよりは楽になるはずだ。
『確かに、大陸中から一人を探すより、一国から力のある蛇を見つける方が楽ですわね。あちらから接触してきてくれる可能性もありますし。問題は、誰が《ブレーメン》に行くか、ですかしら?』
『アタシ達ってば、ヨハン王子にすっごく嫌われちゃったっぽいものね。ちょっと遊びに行かせてって言っても入国嫌がられそうよねぇ。いっそ、本当のこと言っちゃう?』
『器が見つかれば、一時的とはいえそいつが正統な王になるからな。彼が地位に固執してるなら、全力で阻止してくるんじゃないか? お前が正当な王家じゃないって言った時、やたらピリッとした空気になってたしなぁ』
『あー。それもそうね。どうしたものかしら』
再び会話が止まる。今度静寂を破ったのはライナルトだった。
『はっきりとは覚えてないんだが、ゼフィール君はヨハン王子と言葉を交わさなかった気がするんだが、どうだったかな?』
『俺ですか? 確かに何か言った覚えはありませんね』
『ならば、君の印象はそう悪くなっていない可能性がある。むしろ、君しか無理だろうな』
『他に選択肢の出しようもありませんわね。折角《シレジア》にお戻りになられたところ申し訳ないのですけれど、引き受けて頂けまして?』
ライナルト、マルク、ゾフィの視線がゼフィールに集まる。三人があまりに申し訳なさそうに見るものだから、ゼフィールは逆に笑みを浮かべて頷いた。
『誰かがやらねばならない事でしょう? なるべく自然に《ブレーメン》に行けるよう努力しますよ』
『すまないな。何か手助けが必要な時は言ってくれ。後は……そうだな。我々の方でも《ブレーメン》外で器の捜索は行おう』
四人で視線を交わし合い頷く。
一段落したところで、マルクが背伸びしながら立ち上がった。
「じゃ、とりあえずはそんなところでいいかしら。なーんか疲れちゃったわね」
ダラダラと会議室の外へと向かう彼の後ろを従者が慌てて追う。残る三人も席を立った。
一番最後に部屋を出ながらゼフィールはエイダに尋ねる。
「少し庭を散歩をしたいんだが、時間はあるか?」
「問題ありません。晩餐会の前に身だしなみを整える時間を頂きますが、その時声をお掛けしますので」
「頼む」
忘れてはならない事はとりあえず彼女に頼んでおく。
護衛兼筆頭従者としてアレクシアが近衛の中から選び付けてくれただけあって、エイダは非常に優秀だ。宮廷での作法や時間の流れにも明るく、そういうものをおざなりにしがちなゼフィールの重しになってくれるのもありがたい。
(さて、何を理由に《ブレーメン》に行くかな)
庭への道を辿りながら思考を巡らす。
一詩人だった頃はどこへ行くのも自由だったのに、身分を得たせいで足枷が付くとは面倒なことだ。新鮮な風に吹かれれば、良い案も浮かんでくるだろうか。
◆
巨大なシャンデリアが何点も天井からぶら下がる広間にいくつものドレスの花が咲く。曲に合わせて人々はステップを踏み、女性達がターンするたびに翻る柔らかなドレス。踊らぬ者達は壁際で語らいに興じ、舞踏会に華を添えていた。
そんな会場で、ゼフィールは穏便に舞踏会を乗り切れるよう心を砕いていた。
十重二十重に彼を囲む人々からの質問を曖昧にかわし、他愛もない話題に相槌を打つ。娘を連れだって挨拶に来る者も多かったが、人数が多すぎて、名を覚えるのはとうに諦めた。正直顔の記憶も曖昧で、誰と挨拶をしたかも怪しい。
穏やかな笑みという仮面を被って相手をしているが、顔の筋肉が疲れを訴えている。
慣れないことをしている。
つくづくそう思う。
それに気付いたらしきエイダが、ゼフィールの耳元で囁いた。
「殿下。少々お疲れのようですが、控室へ下がられますか?」
「下がるにはまだ早すぎるだろうな。陛下にも申し訳ないし。ああ、でも、少し座れると嬉しい」
「でしたらこちらへ。アルコールの入っていない冷たい物も何か用意させましょう」
比較的人の少ないソファへとエイダが誘導してくれる。
先に座っていた客人達が慌てて場所を譲ろうとするのを軽く手で制し、空いている席にゼフィールは腰掛けた。
舞踏会が始まって一刻も経っていないが、こう人に囲まれたままでは休まる暇がない。移動ついでに取り巻きの人数も減らないものかと期待したのだが、ほとんど効果はなかったようだ。
それでも、立ちっぱなしと比べれば身体は楽になった気がする。先にこの場に集っていた者達には申し訳ないが、そこは目を瞑ってもらうしかない。
「殿下、どうぞ」
エイダがグラスを差し出してきたので、持っていたアルコールと交換する。一口含んでみると、微かに酸味のある冷水が身体を冷やしてくれて心地良い。
身体が火照って、少し瞼が重かった。心持ち思考も鈍い。
(少し酔ってるのかもな)
なんとなくそう思うのだが、いかんせん酔ったことが無いので分からない。
男性客が挨拶にくる度にアルコールを口にしていたのが悪かったのだろうとは分かる。途中からは舐める程度に変えたのだが、切り替えが遅かったようだ。
柔らかなソファの感触に、身体は服を緩めて寝たいと要求しているが、立場上そうもいかない。主賓の一人として招かれている以上、もうしばらくは会場に留まらねば失礼に当たるだろう。
貴族達のおべっかからまだ解放されないのかと思うと、なんとも面倒臭い。
「はいはーい。ちょっとゴメンなさいね~。はい、通してね~」
先程よりまったりとゼフィールが客人達の相手をしていると、彼を囲む人垣の一カ所が割れ、そこからマルクが顔を出した。
貴族達が少しだけ遠巻きになる。
マルクはわざとらしく周囲を眺めると、茶化すように声を掛けてきた。
「アナタってば今晩の一番人気じゃない。凄いわね」
「《シレジア》人が珍しいだけだと思うが。それで、何か用か?」
「うふふ。よくぞ聞いてくれました。まぁ、見て頂戴!」
彼が身体をどかすと、その後ろに二人の人物が立っていた。
きっちりとタキシードを着込み、黒髪を軽い感じにセットしているが、瞳がやんちゃに笑っているのはリアンだ。彼の後ろに隠れながらドレスを覗かせているのはユリアだろうか。
「やっほ。君、随分とトロンとした目してるけど、眠いんじゃない?」
「言うな。これでも頑張ってるんだ。後ろにいるのはユリアか?」
「そそ。ほらユリア。隠れてないで出てきなよ」
リアンはさっとユリアの後ろに回ると、ゼフィールの方へ彼女の背を押す。
「あ、ちょっと――!」
突然押された上に慣れないドレスを着ていたユリアは見事に裾を踏んだようで、前のめりに倒れ込んできた。
ゼフィールは反射的に手を伸ばしてユリアを支えることには成功したが、いつもの彼女と違い過ぎるせいか、妙にそわそわする。
「あ、ありがと」
「……いや」
照れながら礼を言うユリアと目を合わせられず、ゼフィールはわずかに顔を背けた。
胸元が大きく開いたドレスから形の良い胸が覗き、普段は下ろしている髪を結いあげているせいで細いうなじが丸見えだ。いつもは化粧っ気の無い彼女だが、今は薄く化粧を施され、濡れた唇が艶めかしい。極近くにいるお陰で感じ取れる程の弱い香りが、甘く嗅覚をくすぐる。
「私がこんな恰好しても似合わないわよね」
恥ずかしそうにユリアが身体を離す。そんな彼女の仕草に顔が赤くなるのを感じて、ゼフィールは片手で顔を覆った。
「どう? うちのお針子達いい仕事するでしょ?」
マルクがドヤ顔でニヤニヤと様子を見ている。
彼の言うとおり、ユリアの魅力を引き出すという点では最高の仕事振りだった。ボリュームのあるシャンパンゴールドのドレスは、彼女の魅力をこれでもかというほど引きたて、男ならつい目が行ってしまう。
現に、ゼフィールから確認できる範囲でも、男達の視線の多くが彼女に向いている。それがなんだか気に入らない。
「ユリア」
「何?」
ゼフィールはネクタイを緩めると首に巻いていたスカーフを外し、ユリアの首へと回した。
小判だが男物なので、結ばずにタイピンで留めてやるといい感じに彼女の首と胸元を隠してくれる。薄い水色のスカーフなのでドレスとは色が合わないが、この際仕方あるまい。
「着替えるか俺が外すまで、そのスカーフ取るの禁止な」
「なんで!?」
ユリアから不平の声が上がるが無視する。ネクタイを直すと再びソファに腰掛けた。
ゼフィールに詰め寄ろうとする彼女をマルクが引きとめ、肩に手を置くと回れ右させる。
「大切なアナタが他の男に見られるのが嫌みたいね。あらやだ、なんか睨まれてる? 雷が落ちる前にさっさと退散しましょ」
「え、あ、ちょっと師匠!?」
「それじゃ僕達行くけど、君も頑張ってね」
騒がしく去っていく三人に軽く手を振ると、ゼフィールはソファに深く沈みこんだ。一瞬の事だったはずなのに、どっと疲れた気がする。
(なんか、らしくない行動をしたような……。駄目だ、頭が全然回らんな)
少し瞼を伏せると吐息が漏れた。
たぶん、疲労と、この会場の空気のせいだとあたりをつける。
そんなゼフィールの内心などいざ知らず、マルクがいなくなった途端に周囲の者達が近くへ群がってきた。
「お美しいお嬢さんでしたな。どういうご関係ですか?」
「特に言うほどの関係ではありません」
微笑を張りつけ直して相手をするが、この話題は貴族達の興味をそそったようで中々移り変わらない。
内心辟易しながら視線を動かすと、会場の隅でユリア達が楽しそうに喋っているのが見えた。他国の有力者とパイプを作っておくのも外交のうちだろうが、こうもくだらない話が続くと、全部投げ出して彼女らの語らいに混ざりたくなる。
「皆様がた、少し質問を控えられた方が宜しいのではなくて? そのように質問攻めでは、ゼフィール様は踊りにもいけませんことよ」
冷たい声が話題をばっさりと切り捨てる。顔を赤くした貴族が声の主を糾弾しようとしたが、相手を見て口をつぐんだ。
こんな事をしてのけるのは、やはりというか、ゾフィだ。
彼女はゼフィールの前まで来ると左手を差し出してくる。
「わたくし、次の曲は貴方と踊りたいと思っておりますの。お断りにはなりませんわよね?」
「喜んで」
ゼフィールはゾフィの手を取ると立ち上がり、人々が踊っている場所へと移動した。主賓二人に遠慮したのか、それまで踊っていた者達が端に寄り、実質二人の踊りを披露する場になってしまう。
ダンスは古い記憶頼りの付け焼刃なので、衆目の前で披露するのは正直嫌だったが、あの質問攻めから解放されるのなら文句は言っていられない。
ゆったりとしたワルツの音楽に合わせて、二人はステップを踏み始めた。
ゼフィールも頬杖を付きながら、従者――エイダの入れてくれた紅茶に口を付けた。その姿を彼女が咎めるような目で見ている。
行儀が悪いのは分かっているが、さっきのやり取りは聞いているだけで疲れた。これくらいの息抜きは見逃して欲しいところだ。
咽を潤しながら念話でぼやく。
『《ブレーメン》の王家が機能してないっぽいことしか分からなかったな』
『でも、それが分からないと動けませんわ。とりあえず、一歩前進ということろですわね』
『どうやって器を探したものかしらね。闇雲に探しても無理でしょうし』
マルクがガリガリと頭を掻く。他の三人からも溜め息が漏れた。
結局、会議を開くきっかけになった問題がそのまま残っている。
せめてブロン家が儀式を続けていたならば、じき、器が排出される可能性もあった。だが、あそこまでシステムから離れてしまっていては、その見込みも薄いだろう。
『というか、フレースヴェルグ。お前、人の頭の上で何ゴソゴソしてるんだ? 巣作りとかしてないよな?』
『違うのだ。脚に貴様の髪が絡まってだな』
『何してるんだよ……。ほら、羽根に戻れ。そうすれば外れるだろ』
ゼフィールは呆れながら頭の上に手をやる。回収した羽根を見ながら、ふと、気付いた。
『――ニーズヘッグ。器と対の力なら、継承の儀を受けていない器でも見分けがつくはずだ。力から先に見つけてしまう方が早いかもしれないな』
『そうなのか?』
『俺とフレースヴェルグがそうでした。ニーズヘッグにも当てはまるかと』
手にした羽根を前に差し出す。
ゼフィールが《シレジア》に入国して割とすぐからフレースヴェルグは近くにいた。継承の儀を受ける前だったにも関わらずだ。
それに、彼は言っていたではないか。
如何様な姿をしていようとも、魂を同じくする者同士感じる、と。
同じ理屈で考えるなら、ニーズヘッグさえ見つけられれば、器まで導いてもらえる可能性が高い。
よほどのことがない限り、力は土地に縛られるという制約がある。それを逆手にとれば捜索範囲を狭められるだろう。
運よく器も《ブレーメン》国内にいてくれれば、ニーズヘッグの近くにいると考えて間違いない。国外にいるとしても、何の指針も無しに探すよりは楽になるはずだ。
『確かに、大陸中から一人を探すより、一国から力のある蛇を見つける方が楽ですわね。あちらから接触してきてくれる可能性もありますし。問題は、誰が《ブレーメン》に行くか、ですかしら?』
『アタシ達ってば、ヨハン王子にすっごく嫌われちゃったっぽいものね。ちょっと遊びに行かせてって言っても入国嫌がられそうよねぇ。いっそ、本当のこと言っちゃう?』
『器が見つかれば、一時的とはいえそいつが正統な王になるからな。彼が地位に固執してるなら、全力で阻止してくるんじゃないか? お前が正当な王家じゃないって言った時、やたらピリッとした空気になってたしなぁ』
『あー。それもそうね。どうしたものかしら』
再び会話が止まる。今度静寂を破ったのはライナルトだった。
『はっきりとは覚えてないんだが、ゼフィール君はヨハン王子と言葉を交わさなかった気がするんだが、どうだったかな?』
『俺ですか? 確かに何か言った覚えはありませんね』
『ならば、君の印象はそう悪くなっていない可能性がある。むしろ、君しか無理だろうな』
『他に選択肢の出しようもありませんわね。折角《シレジア》にお戻りになられたところ申し訳ないのですけれど、引き受けて頂けまして?』
ライナルト、マルク、ゾフィの視線がゼフィールに集まる。三人があまりに申し訳なさそうに見るものだから、ゼフィールは逆に笑みを浮かべて頷いた。
『誰かがやらねばならない事でしょう? なるべく自然に《ブレーメン》に行けるよう努力しますよ』
『すまないな。何か手助けが必要な時は言ってくれ。後は……そうだな。我々の方でも《ブレーメン》外で器の捜索は行おう』
四人で視線を交わし合い頷く。
一段落したところで、マルクが背伸びしながら立ち上がった。
「じゃ、とりあえずはそんなところでいいかしら。なーんか疲れちゃったわね」
ダラダラと会議室の外へと向かう彼の後ろを従者が慌てて追う。残る三人も席を立った。
一番最後に部屋を出ながらゼフィールはエイダに尋ねる。
「少し庭を散歩をしたいんだが、時間はあるか?」
「問題ありません。晩餐会の前に身だしなみを整える時間を頂きますが、その時声をお掛けしますので」
「頼む」
忘れてはならない事はとりあえず彼女に頼んでおく。
護衛兼筆頭従者としてアレクシアが近衛の中から選び付けてくれただけあって、エイダは非常に優秀だ。宮廷での作法や時間の流れにも明るく、そういうものをおざなりにしがちなゼフィールの重しになってくれるのもありがたい。
(さて、何を理由に《ブレーメン》に行くかな)
庭への道を辿りながら思考を巡らす。
一詩人だった頃はどこへ行くのも自由だったのに、身分を得たせいで足枷が付くとは面倒なことだ。新鮮な風に吹かれれば、良い案も浮かんでくるだろうか。
◆
巨大なシャンデリアが何点も天井からぶら下がる広間にいくつものドレスの花が咲く。曲に合わせて人々はステップを踏み、女性達がターンするたびに翻る柔らかなドレス。踊らぬ者達は壁際で語らいに興じ、舞踏会に華を添えていた。
そんな会場で、ゼフィールは穏便に舞踏会を乗り切れるよう心を砕いていた。
十重二十重に彼を囲む人々からの質問を曖昧にかわし、他愛もない話題に相槌を打つ。娘を連れだって挨拶に来る者も多かったが、人数が多すぎて、名を覚えるのはとうに諦めた。正直顔の記憶も曖昧で、誰と挨拶をしたかも怪しい。
穏やかな笑みという仮面を被って相手をしているが、顔の筋肉が疲れを訴えている。
慣れないことをしている。
つくづくそう思う。
それに気付いたらしきエイダが、ゼフィールの耳元で囁いた。
「殿下。少々お疲れのようですが、控室へ下がられますか?」
「下がるにはまだ早すぎるだろうな。陛下にも申し訳ないし。ああ、でも、少し座れると嬉しい」
「でしたらこちらへ。アルコールの入っていない冷たい物も何か用意させましょう」
比較的人の少ないソファへとエイダが誘導してくれる。
先に座っていた客人達が慌てて場所を譲ろうとするのを軽く手で制し、空いている席にゼフィールは腰掛けた。
舞踏会が始まって一刻も経っていないが、こう人に囲まれたままでは休まる暇がない。移動ついでに取り巻きの人数も減らないものかと期待したのだが、ほとんど効果はなかったようだ。
それでも、立ちっぱなしと比べれば身体は楽になった気がする。先にこの場に集っていた者達には申し訳ないが、そこは目を瞑ってもらうしかない。
「殿下、どうぞ」
エイダがグラスを差し出してきたので、持っていたアルコールと交換する。一口含んでみると、微かに酸味のある冷水が身体を冷やしてくれて心地良い。
身体が火照って、少し瞼が重かった。心持ち思考も鈍い。
(少し酔ってるのかもな)
なんとなくそう思うのだが、いかんせん酔ったことが無いので分からない。
男性客が挨拶にくる度にアルコールを口にしていたのが悪かったのだろうとは分かる。途中からは舐める程度に変えたのだが、切り替えが遅かったようだ。
柔らかなソファの感触に、身体は服を緩めて寝たいと要求しているが、立場上そうもいかない。主賓の一人として招かれている以上、もうしばらくは会場に留まらねば失礼に当たるだろう。
貴族達のおべっかからまだ解放されないのかと思うと、なんとも面倒臭い。
「はいはーい。ちょっとゴメンなさいね~。はい、通してね~」
先程よりまったりとゼフィールが客人達の相手をしていると、彼を囲む人垣の一カ所が割れ、そこからマルクが顔を出した。
貴族達が少しだけ遠巻きになる。
マルクはわざとらしく周囲を眺めると、茶化すように声を掛けてきた。
「アナタってば今晩の一番人気じゃない。凄いわね」
「《シレジア》人が珍しいだけだと思うが。それで、何か用か?」
「うふふ。よくぞ聞いてくれました。まぁ、見て頂戴!」
彼が身体をどかすと、その後ろに二人の人物が立っていた。
きっちりとタキシードを着込み、黒髪を軽い感じにセットしているが、瞳がやんちゃに笑っているのはリアンだ。彼の後ろに隠れながらドレスを覗かせているのはユリアだろうか。
「やっほ。君、随分とトロンとした目してるけど、眠いんじゃない?」
「言うな。これでも頑張ってるんだ。後ろにいるのはユリアか?」
「そそ。ほらユリア。隠れてないで出てきなよ」
リアンはさっとユリアの後ろに回ると、ゼフィールの方へ彼女の背を押す。
「あ、ちょっと――!」
突然押された上に慣れないドレスを着ていたユリアは見事に裾を踏んだようで、前のめりに倒れ込んできた。
ゼフィールは反射的に手を伸ばしてユリアを支えることには成功したが、いつもの彼女と違い過ぎるせいか、妙にそわそわする。
「あ、ありがと」
「……いや」
照れながら礼を言うユリアと目を合わせられず、ゼフィールはわずかに顔を背けた。
胸元が大きく開いたドレスから形の良い胸が覗き、普段は下ろしている髪を結いあげているせいで細いうなじが丸見えだ。いつもは化粧っ気の無い彼女だが、今は薄く化粧を施され、濡れた唇が艶めかしい。極近くにいるお陰で感じ取れる程の弱い香りが、甘く嗅覚をくすぐる。
「私がこんな恰好しても似合わないわよね」
恥ずかしそうにユリアが身体を離す。そんな彼女の仕草に顔が赤くなるのを感じて、ゼフィールは片手で顔を覆った。
「どう? うちのお針子達いい仕事するでしょ?」
マルクがドヤ顔でニヤニヤと様子を見ている。
彼の言うとおり、ユリアの魅力を引き出すという点では最高の仕事振りだった。ボリュームのあるシャンパンゴールドのドレスは、彼女の魅力をこれでもかというほど引きたて、男ならつい目が行ってしまう。
現に、ゼフィールから確認できる範囲でも、男達の視線の多くが彼女に向いている。それがなんだか気に入らない。
「ユリア」
「何?」
ゼフィールはネクタイを緩めると首に巻いていたスカーフを外し、ユリアの首へと回した。
小判だが男物なので、結ばずにタイピンで留めてやるといい感じに彼女の首と胸元を隠してくれる。薄い水色のスカーフなのでドレスとは色が合わないが、この際仕方あるまい。
「着替えるか俺が外すまで、そのスカーフ取るの禁止な」
「なんで!?」
ユリアから不平の声が上がるが無視する。ネクタイを直すと再びソファに腰掛けた。
ゼフィールに詰め寄ろうとする彼女をマルクが引きとめ、肩に手を置くと回れ右させる。
「大切なアナタが他の男に見られるのが嫌みたいね。あらやだ、なんか睨まれてる? 雷が落ちる前にさっさと退散しましょ」
「え、あ、ちょっと師匠!?」
「それじゃ僕達行くけど、君も頑張ってね」
騒がしく去っていく三人に軽く手を振ると、ゼフィールはソファに深く沈みこんだ。一瞬の事だったはずなのに、どっと疲れた気がする。
(なんか、らしくない行動をしたような……。駄目だ、頭が全然回らんな)
少し瞼を伏せると吐息が漏れた。
たぶん、疲労と、この会場の空気のせいだとあたりをつける。
そんなゼフィールの内心などいざ知らず、マルクがいなくなった途端に周囲の者達が近くへ群がってきた。
「お美しいお嬢さんでしたな。どういうご関係ですか?」
「特に言うほどの関係ではありません」
微笑を張りつけ直して相手をするが、この話題は貴族達の興味をそそったようで中々移り変わらない。
内心辟易しながら視線を動かすと、会場の隅でユリア達が楽しそうに喋っているのが見えた。他国の有力者とパイプを作っておくのも外交のうちだろうが、こうもくだらない話が続くと、全部投げ出して彼女らの語らいに混ざりたくなる。
「皆様がた、少し質問を控えられた方が宜しいのではなくて? そのように質問攻めでは、ゼフィール様は踊りにもいけませんことよ」
冷たい声が話題をばっさりと切り捨てる。顔を赤くした貴族が声の主を糾弾しようとしたが、相手を見て口をつぐんだ。
こんな事をしてのけるのは、やはりというか、ゾフィだ。
彼女はゼフィールの前まで来ると左手を差し出してくる。
「わたくし、次の曲は貴方と踊りたいと思っておりますの。お断りにはなりませんわよね?」
「喜んで」
ゼフィールはゾフィの手を取ると立ち上がり、人々が踊っている場所へと移動した。主賓二人に遠慮したのか、それまで踊っていた者達が端に寄り、実質二人の踊りを披露する場になってしまう。
ダンスは古い記憶頼りの付け焼刃なので、衆目の前で披露するのは正直嫌だったが、あの質問攻めから解放されるのなら文句は言っていられない。
ゆったりとしたワルツの音楽に合わせて、二人はステップを踏み始めた。
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