白花の咲く頃に

夕立

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土の国《ブレーメン》編 命

5-8 神楽舞う娼婦

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 ◆

 蛇沼に滞在を始めて一週間が過ぎた。
 ゼフィールの居座りが功を奏しているのか、あれ以来兵はやってきていない。襲撃を受けて数日は緊張気味だった空気も、今ではすっかり緩んだ。
 これだけ襲撃がなければ大丈夫とカーラも思ったのだろう。少し出掛けてくると言って、数人の供と四日程蛇沼を空けた。

 そして、彼女が戻ってきた日の夕食時。
 目の前に置かれた器にゼフィールは首を傾げた。中に入っているのは茹で豆。それが、自分と身重の女性の前にだけ置かれている理由が分からなかった。

「これは?」
「あんたの服売ったら本当にいい額になってさ。生活費って言われたし? あんた肉食べないから買ってきたんだよ。妊娠してる子にも食べさせるけど、そこは太っ腹に頼むよ」

 肉をかじりながらカーラが言う。その傍らで、身重の女性が小さく頭を下げた。

「かえって気を使わせてすまないな」

 軽く返事をして豆をいくつか口にする。
 身体が肉を受け付けなくなって以来、豆は毎日のように食卓に上がっていた。調理場で働くリアンがゼフィールの偏食に文句を垂れ流していたのを思い出して、なんだか懐かしい。
 食べた豆からはシンプルな塩の味がした。とても粗末な料理なのに、久しぶりの違う味のお陰かご馳走に感じる。

 ただ、子供達と同じ卓にいたのが災いした。
 珍しい豆が欲しいのか、横からひっきりなしに手が伸びてくる。
 普段は食べ物に固執しないゼフィールだが、今日は譲れない気分だ。お陰で、子供達と騒がしく争奪戦を繰り広げるハメになった。

「おーい、ガキ共とゼフィール鎮まれー。ちょっと紹介したい奴がいるからさ」

 カーラがパンパンと手を叩く。そして、彼女の隣に座る女性を立たせた。

「気になってる奴も多いだろうから紹介するよ。ツェツィーリエだ。街に行った時に拾ってきた。新しい家族だから仲良くしてくれ」
「ツェツィーリエです。娼館から逃げていた所を助けて頂いて本当に助かりました。私にできることなら何でもしますから、声を掛けてくださいね」

 ツェツィーリエが肉感的な肢体を折り曲げ優雅に礼をした。下着と大差ない服の上から透ける生地の服を羽織っているのだが、身体のラインが丸見えだ。透けている分だけ蠱惑こわく的にすら見える。
 彼女は顔を上げると、胸元に流れた黒髪を背へと流した。そんな何気ない仕草なのに、艶黒子のある口元を半開きにし、垂れ目をトロンとさせて行うので無駄に艶っぽい。

 当然の如く、彼女を食い入るように見る男が続出し、女達が彼らを肘でつついた。それだけで済めば良かったのだが、中には言い合いを始めている者達までいる。
 元娼婦だというのなら艶めかしさは職業病なのだろうが、何も無いはずのカップルにまで諍いを起こさせるとは罪なことだ。

「なぁ、兄ちゃん。なんで大人達急に喧嘩してんだ?」
「なんでだろうなー」

 不思議そうな少年にゼフィールは適当に返事をし、目の前で喧嘩を始めた子供達の仲裁に入る。正直、そんなことより子供の世話の方が大問題だ。
 ゼフィールからしてみれば、新入りの顔と名前さえ分かればそれでいい。くだらない痴話喧嘩は当人達の問題だ。

 どうにか喧嘩をおさめて食事を再開しようとすると、左足首を何かに掴まれた。食事に飽きた子が遊んでくれとせがみに来たのかもしれないと思い、少し待ってくれるように頼もうと足元を見て――

「うおっ、蛇!?」

 足に絡んでいたものに叫び声を上げた。これ以上登って来られても嫌なので、慌てて蛇頭を掴み引き剥がそうとするが、足に絡んだ胴体が解けない。周囲の子供達に助けを求めてみたものの、面白がってはやし立てるばかりで何の役にも立たない。
 いっそ眠らせようかと考えていると、目の前に細い腕が伸びてきた。

「いないと思ったらこんな所にいたのね。すいません、この子、私のペットなんです。ほら、帰っていらっしゃい」

 言いながら、ツェツィーリエは蛇の顔元に手を寄せる。
 ゼフィールが手を放してやると、蛇は彼女の腕をスルスルと登り始めた。二の腕、肩、と蛇は移って行き、首元から顔を覗かせると赤い舌をチロチロ出す。
 そんな蛇をツェツィーリエは愛おしそうに撫でた。バナナ程の胴回りの蛇を妖艶な女性が身体に巻き付けている画というのは、中々にシュールだ。

「ペットだったんだな。それなのに大袈裟に驚いてすまない。その、なんだ。ここで捕まると食料にされるから、気を付けてやった方がいい、かもしれない」
「うふふ。この子賢いので、危ないと思ったら逃げると思います。でも、折角の御忠告ですし。皆さん、この子は捕まえても食べないでくださいね。この子の鱗って所々白いでしょう? 特に、眉間の白い鱗が目印です」

 ツェツィーリエはゆっくりと皆に蛇を見せると、何事も無かったかのように席に戻った。
 蛇騒動のお陰で、雰囲気はいつもと変わらぬものに戻っている。
 ゼフィールも気を取り直して食事の続きをしようとしたのだが、卓の上には何も残されていなかった。器の中の豆まで綺麗に無くなっている。
 大家族の食事は戦争と言うが、まさしくだ。

 食べ足りなかったが、物は無いし、子供達は遊ぼうとせがんでくる。諦めて席を立ちかけると、ゼフィールの腕をユリアが掴んだ。彼女は蒸しバナナを乗せた葉を押しつけて来ると、彼の横に座る。

「遊びに行くならコレ食べてから行きなさいよね」
「ユリアはちゃんと食べたのか?」
「食べたわよ。ほとんど食べてないのはあんたでしょ?」

 バナナに伸びてきた子供達の手をユリアはペシペシと叩くと、早く食べろと目で訴えてくる。
 そんな彼女の様子を微笑ましく思いながら、ゼフィールはありがたくバナナを頂いた。

 ユリアとは離れて座っていたのに、ゼフィールがほとんど食べてないのを知っているのだから、ちょくちょく様子を見られていたのかもしれない。気にしてもらえていると思うと、少し嬉しい。

 口をもごもごさせていると、思い出したようにカーラが話しかけてきた。

「あ、そーいえばさ。おーい、ゼフィール。ツェツィーリエなんだけど踊りが出来るらしいんだよ。見てみたいからさ、それ食い終わったらあんた伴奏してやってくんない?」
「弾ける曲なら構わないが。どういう踊りなんだ?」
「そんな。皆さんにお見せする程のものではないんですが……神楽かぐらを少しだけ」

 恥ずかしそうにツェツィーリエが身を小さくする。何気ない仕草なのに、彼女がやると色っぽいから不思議だ。そんな彼女が神に捧げる舞い――神楽を踊るというのだから世の中分からない。

「神楽? それなら教会音楽でいいのか? 《シレジア》の大教会で演奏されるものなら大概弾けるが」
「教会音楽はどの国でも大して変わらないので。大丈夫だと思います」
「よし、決まりだね! んじゃ、みんな食べ終わったら、卓と椅子を端に寄せておくれよ。たまにはのんびり芸術鑑賞といこうじゃないか」



 カーラの思い付きで、急遽きゅうきょ、広間に踊りのスペースが設えられた。卓は全て端に寄せられ、思い思いの場所に座った人々がツェツィーリエとゼフィールを見ている。大人達は楽しそうにしているが、暴れられない子供達は退屈そうだ。

(酒場を流してた頃と似た感覚だな)

 そんなことを思いながら弦を流し弾く。演奏を始めるという合図だ。
 最近曲を奏で聞かせることも多いからか、皆心得たもので、今の今までざわついていたのに、ピタリと静かになる。
 それを確認すると、ゼフィールは讃美歌を奏で始めた。

 ひざまずき下を向いていたツェツィーリエが曲に合わせて立ち上がり、右腕を天へと真っ直ぐに伸ばした。その指先を追うのは恍惚の表情。柔らかく腕を下ろすと、軽やかにステップを踏み始める。
 彼女が舞い回る度に柔らかな布地が翻り、腰まである長い黒髪も衣類や装飾品に負けず踊りに華を添える。

 曲を奏でながら、ゼフィールは踊るツェツィーリエを感慨深く眺めた。
 人に見せる程のものではないと謙遜していたが、彼女の舞は実に見事だ。たまに手が溜めのような動きをするので、本来なら、錫か扇でも持って舞うのだろう。

 何より、音楽的センスが凄い。一度も聴かせていないのに、音色に合わせて違和感なく踊り続けている。頼まれたのは短い讃美歌を弾きつないでくれということだけだ。曲毎に踊りがあるので、それをつないで踊るとは言っていたが、曲順も分からぬのに寸分の乱れも無いとは恐れ入る。

 踊っているうちに暑くなってきたのか、ツェツィーリエの頬が上気してきた。踊りに没頭しているのか、恍惚とした表情はさらに妖艶なものとなり、見る者の目を離させない。
 あまりの艶めかしさに、ゼフィールはゴクリと唾を飲み込んだ。次の瞬間、そんな自分に気付きハッと目を見開く。

(俺は今何を考えていた?)

 指は動かしながら軽く頭を振る。視線をツェツィーリエから周囲に向けると、男達だけが、、、、、異様に彼女に釘付けになっていた。
 ゼフィールにしても、気を抜くと頭が痺れて指が止まりそうになる。踊る彼女の熱が移ったのか、身体はやたらと熱いし、鼓動も早くなるばかりだ。

(?)

 何かが引っかかった。この状況を知っている、と、勘は告げているのだが、思考の乱れが答えに辿り着くことを阻害する。

 それでもどうにか原因に思い至った時、ゼフィールは竪琴を弾くのを止めた。踊るツェツィーリエの腕を掴むと外へ走り出す。走りながら、少し強めの風を室内に送り込んで空気を入れ替えた。
 室内は強風に遭遇すると想定して作られていない。何かと不都合も起こったのだろう。それに、主役の踊り子も連れ出してきてしまった。
 奥から罵り声が響いてきたが、仕方がない、と、耳を塞ぐ。

 外に出るとツェツィーリエの腕を放し、思いっきり息を吸い込んだ。そして、恥ずかしそうに顔を赤らめている彼女を睨む。
 しかし、ツェツィーリエには効果が無いらしい。しなを作りながらこちらへ近寄ってきた。

「こんなに強引に扱われると興奮してしまいます」
「ふざけるな! お前、麝香じゃこうを使ったな。こんな所であれを使うなんて何のつもりだ!?」

 近寄られた分だけゼフィールは離れる。
 彼女から香る匂いはヒルトルートの屋敷で嗅いだものと同じだ。男の性欲を刺激するこの香を、強く長時間嗅いでしまうと理性を飲まれてしまう。
 知っていたから良かったものの、こんな所で再び嗅ぐことになろうとは思ってもみなかった。

 避けられた事が不服なのか、ネタを知られていた事が不服なのか、ツェツィーリエは残念そうに眉尻を下げる。

「ご存知だったんですね。汗をかくと身体に塗った香が香るんです。お客の殿方には喜ばれるのですけど、貴方には不評だったようですね」
「逃げてた所を拾ってもらっておいて、恩を仇で返すつもりか?」
「そんなつもりは無かったんですが。女性達に目を付けられても困りますし、香を落とした方が良いのでしょうね。どちらで身体が洗えますか?」

 泉を探しているのか、彼女がキョロキョロと周囲を見回す。そんなツェツィーリエに、ゼフィールは居住区の方を指した。

「水は貴重だから洗うのは無理だな。女達に言えば布と水を用意してもらえるだろうから、それで拭き取ってくれ」
「あら、残念です。まぁ、こんな所では贅沢も言えませんか」

 ツェツィーリエは小さくため息を漏らすと踵を返した。
 遠ざかって行く彼女の背中にゼフィールは一言だけ声を掛ける。

「なぁ、どこかで会ってないか?」
「近寄らせてはくれないのに、離れると呼び止めるんですか? 天然だというのなら罪な方ですね。貴方をお客にした事はありません。これから深く知り合おうというのなら歓迎ですけど」

 振り返ったツェツィーリエがねっとりとした視線でゼフィールを見る。先程の事もあるし、蛇に睨まれた蛙の気分だ。

「聞いた俺が馬鹿だった。すまない、忘れてくれ」

 半分呆れながら返事をし、ゼフィールはそそくさとその場から去った。
 色んな意味で、彼女が波乱を巻き起こしそうな予感しかしない。もっとも、ここの住人達からしてみれば、ゼフィールも彼女も大差ないのだろうが。
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