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戸惑い2
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「急に冬らしくなっちまって、雪とか超勘弁」
「そうか? 俺は雪って好きだけどな」
ヒューヒューと鳴る北風に、白い粉が混ざる。
水分を含んだそれがペチャと顔に張り付く度に、嫌そうにジャージの袖で拭うソイツに、なんだか頬が緩む。
「うわー、本格的に降ってきた! もう揚がっちまおう」
「あと一周だろ? 我慢しろ」
大会が行われる街に来ている陸上部は、会場近くの練習場を借りて試合前の調整をしている。
俺達は今、ランニング中だ。
視界を塞ぐ程の白い粉が、ちょうど風下を走っている俺達に向かって降り注いでくる。
冷てぇ、と文句を言いながらもノルマを消化させるべく足を動かすソイツとは逆に、俺はこの冬景色に胸を弾ませていた。なんだか、非日常的な気がして。
「ふー、やっと終わった」
ちゃんと与えられたノルマを消化し、膝に手を置いて大きく息を吐いたソイツが、ゆっくりと顔をあげて背伸びをする。
その頬は桜色に染まり、鉛色の雲で覆われて全てのものに霞がかかってるような景色の中、そこだけ一足先に春が訪れたようだ。
「俺は、もう少し雪を見ているから先に戻っていいぞ」
「マジ!? じゃ、風邪ひかないようにな」
一秒でも早く暖をとりたがってるそソイツは俺の発言が信じられなかったようで、目を丸くして俺の顔を見るもすぐに踵を返し、軽くあげた右手のジャージの袖から申し訳程度に指先を出して二、三度ヒラヒラさせながら、たった数分の間に白く染まった地面を駆けていった。
何かが変わってしまった、あの夏の終わりの日。
あの時は理解出来なかった気持ちも、日を追う毎に何となく分かるようになった。
アイツに対する憧れ、嫉妬心。詰まるところ、それはライバル心なのだと。
悔しいけれど、アイツの実力は俺より遥かに上だ。
俺は今まで自分自身と向き合うばかりで、誰かを意識したり誰かに対抗心を燃やすといった経験がなかったから、初めての心の変化に戸惑ってしまったのだろう。
ずっと続いているこのモヤモヤ感も、いつかは消えるはず。
風はやがて止み、静寂の中をハラリハラリと舞い落ちる雪が、良いことも悪いことも全てをリセットするように世界を純白で覆っていく。
『無』になれるんだという期待感が、こんなにも胸を弾ませるのだろうか。
「戻るか」
体の表面を包んでいた汗が全て氷の結晶に変わったようで、寒さを越えて痛さ、そしてその痛さも越えて痺れを感じ始めたので、宿舎へ戻ることにする。
既にソイツの足跡は消えていて、未開の地を思わせる道をサクサクと進んでいく。
シャワーを浴びて着替えてから、ロビーに向かった。
窓の外は、再び現れた北風により吹雪いている。
窓際のソファーに座り、そんな気まぐれな冬の使者の姿を眺める。
ガンガンに暖房が効いてるはずなのに、境界線のここはピンと空気が張りつめていて、足元からツンと冷えてくる。
「どうした青年、悩みでも抱えてるのかな? ほら、これ飲みな」
急に視界に現れた、温かな湯気がのぼっているマグカップに、一瞬固まってしまうと、柔らかな笑顔をもう一段階崩したコーチが、ほらっと手元までマグカップを下げて渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
「どーいたしまして」
更にもう一段階笑顔を崩したコーチは正面のソファーに深く腰をおろし、左手に持っていたもう一つのマグカップを口に運ぶ。
湯気の奥の瞳が、どうぞ、というように一度大きく開いたので、軽く頭を下げて掌をじわっと温かくしてくれているそれを啜る。
「俺はブラックだけど、君はお子ちゃまだから砂糖もミルクもいっぱいのにしてあげたよ」
「子供扱いしないで下さいよ。確かにブラックは飲めないですけど」
「でしょ? 旨けりゃいいの、ね?」
「はい……」
コーチの穏やかな空気が、ちょっと感傷的になっている俺を、その笑顔のように優しく包んでくれる。
「君さ、好きな子できたの?」
「へっ!?」
急に真顔になったコーチに思いもしなかった質問を投げ掛けられて、まだ二、三口しか飲んでいないコーヒーを落としそうになってしまう。
「おっと、大丈夫?」
「はぁ……まぁ……」
なんとか一滴もこぼさずに済んだそれを、テーブルに置く。
そんな俺の顔を覗き込んでくるコーチの表情は、心配してるようで面白がってるようで、とっさに目を逸らして天井を見上げる。
普段眩しいなんて感じたことのない照明なのに、眩暈を起こしそうだ。
「好きな子なんて……いません」
そう、第一『好き』という感情が、いまいち分からない。
なのに、何故こんなにも心臓がバクバクいっているのだろう?
「そう? 年長者の勘でそう思ったんだけどな。君は内にしまい込んじゃって、自分で自分の想いの中に落ちてっちゃって、その底なし沼から這い上がってこれなくなっちゃう感じがして心配なんだよね」
「何ですか、それは?」
冗談言わない下さいよ、と軽い感じで笑いながら返そうと思うのに、引きつった顔から出たのは震えた声だった。
コーチは何も言わずに優しい眼差しで俺を見つめながら、ゆっくり腰をあげた。
「俺の初恋って、こんな味だったなぁ」
ほらっ、とテーブルに置いたままのマグカップを手渡してきたコーチは、ポンポンと幼子をあやすように俺の頭に触れて二階へあがっていってしまった。
いつの間にか北風は止み、また静かにハラハラと雪が舞い落ちている。
もう生温くなってしまったコーヒーを啜る。
甘くて、ほろ苦い……。これが、初恋の味!?
すうっと脳裏に、人影が浮かび上がってくる。
ぼやけてユラユラと揺れていたそれが、段々と鮮明に形作られていく。
「あっ……」
見てはいけないものを見てしまった動揺と焦りから手が震え、まだ半分以上残っているコーヒーをズボンにぶちまけてしまった。
茶色の染みが、どんどん広がっていく。気付かぬ間に、否、わざと目を逸らしていた間に広がってしまった想いのように。
「どうしろっていうんだ……」
誰もいないロビーで頭を抱えて項垂れる俺の脳裏では、いつまでもアイツが微笑んでいた。
「リナってば、酷いんだよ」
「……」
「何があったか聞きたくないのかよ?」
「……」
「ちぇっ、お前は冷たいな。もう寝る!」
数分なのか、数十分なのか、数時間なのかさえ分からない。
無音を避ける為だけに持っていた携帯型ゲーム機を床に置き、ゴソゴソと動いていた気配の消えたベッドを振り返る。
合宿先でも同室になったソイツは、胎児のように布団に包まり、幸せそうに寝息を立てている。
俺の心を乱す、照明の光で艶やかに光る栗色の髪を見つめていたら、ふと小学生の頃のことを思い出した。
残暑厳しい夏休みの終わり、白いTシャツから真っ黒に日焼けした腕を覗かせた友達が、旅行のお土産だとくれたビードロ。
初めて見る、淡い色で彩られていて独特の形をしているそれに戸惑う俺の前で、こうやるんだよ、と聞かせてくれた不思議な音。
細い吹き口を何度も口に咥えるも、結局音を響かせることは出来なかった。
ガラスが粉々に砕け散ってしまいそうで怖かったのだ。
眩しい夏の日差しでキラキラと輝くそれを眺めるのが好きだったから。
「リナ……」
無防備な寝顔の切ない呟き。
激しさを増す胸の痛みと息苦しさで、喉が焼けたようにヒリヒリしてきた。
たまらず、水を求めて食堂へと向かう。
なみなみと注いだグラス一杯の水でもこの熱は収まらず、三杯を一気飲みしてやっと落ち着いた。
間接照明だけが灯されたこの空間は、少し不気味でもあるがとても落ち着く。
誰が置いたのか分からないが、朝からテーブルの中央に飾られているヒマワリの造花。
桜の季節もまだだというのに、どういうセンスをしているんだか。
だが、パッと周りを明るくしてくれる強烈な黄色に、誰もそれを動かす者はいなかった。
「うわっ! ビックリしたぁ。何してんの?」
「え!?」
突然響いた叫び声に振り返ると、目をぱちくりさせて立ち尽くしている先輩がいた。
「口が乾いたので。先輩こそ何してるんですか?」
「いやぁ……部屋で同室の部長とゲームしてたんだけど、俺が三連勝したら部長が怒って俺を部屋から追い出して鍵かけちゃったんだ。どんだけ頼んでも入れてくれないから、仕方なくここに来たんだ」
「大変ですね」
向かい合ってテーブルに座った先輩と苦笑しあう。
「ヒマワリって元気でノー天気な感じがするけど、実は悲恋の花だって知ってたか?」
「はい?」
暫しの沈黙の後、先輩の口から発せられたのは思いもしなかった内容で声が裏返る。
「どんなに恋焦がれても振り向いてくれない人を遠くからじっと見続けているうちに、ヒマワリになっちゃったんだってさ」
図々しいイメージのあったそれをもう一度じっくり見ると、何だか儚く見えてきた。
「先輩は意外と乙女チックなんですね」
「違うよ、コーチが教えてくれたんだ」
目を伏せ、愛しそうに花びらに触れる先輩。
「先輩なら、どうします?」
特に深い意味はなかった。
話の流れで、軽く投げかけただけの質問だった。
「俺? んー、好きな子に愛する人がいて、その人もその子を愛してて……。楽しそうに笑うその子を見てたいから、ヒマワリになるまで自分の中に想いを閉じ込めちゃうかな。だって、自分の愛する子が愛してる人なんだから、その人は絶対嫌な奴じゃないだろうし、その子を幸せにしてくれるはずだから。うわー、何言ってんだろう、恥ずかしくなってきた。もう部長の怒りも収まっただろうし、部屋に戻るな。お前も早く寝ろよ」
「え……あぁ、はい」
ガタガタと騒がしく椅子を戻した先輩は、足早に食堂を出ていった。
落ち着いた苦痛が、また動き始める。
俺が恋したのは、寂しがり屋で泣き虫で、恥ずかしがり屋で気が強くて……。
恋人を愛していて、幸せそうに笑うソイツ。恋人が冷たいと言って、へそを曲げているソイツ。
勇気を振り絞って息を吹き込めば、ビードロはあの音を響かせるのだろうか? 繊細で美しいガラスが粉々に砕け散り、二度と元に戻らなくなってしまうのだろうか?
アイツにとって『今』が幸せであるならば、ビードロを吹くのはよそう。
キラキラと輝く美しいビードロをずっと見つめていられるのならば、苦痛に胸が張り裂けても、ヒマワリになっても構わない。
「そうか? 俺は雪って好きだけどな」
ヒューヒューと鳴る北風に、白い粉が混ざる。
水分を含んだそれがペチャと顔に張り付く度に、嫌そうにジャージの袖で拭うソイツに、なんだか頬が緩む。
「うわー、本格的に降ってきた! もう揚がっちまおう」
「あと一周だろ? 我慢しろ」
大会が行われる街に来ている陸上部は、会場近くの練習場を借りて試合前の調整をしている。
俺達は今、ランニング中だ。
視界を塞ぐ程の白い粉が、ちょうど風下を走っている俺達に向かって降り注いでくる。
冷てぇ、と文句を言いながらもノルマを消化させるべく足を動かすソイツとは逆に、俺はこの冬景色に胸を弾ませていた。なんだか、非日常的な気がして。
「ふー、やっと終わった」
ちゃんと与えられたノルマを消化し、膝に手を置いて大きく息を吐いたソイツが、ゆっくりと顔をあげて背伸びをする。
その頬は桜色に染まり、鉛色の雲で覆われて全てのものに霞がかかってるような景色の中、そこだけ一足先に春が訪れたようだ。
「俺は、もう少し雪を見ているから先に戻っていいぞ」
「マジ!? じゃ、風邪ひかないようにな」
一秒でも早く暖をとりたがってるそソイツは俺の発言が信じられなかったようで、目を丸くして俺の顔を見るもすぐに踵を返し、軽くあげた右手のジャージの袖から申し訳程度に指先を出して二、三度ヒラヒラさせながら、たった数分の間に白く染まった地面を駆けていった。
何かが変わってしまった、あの夏の終わりの日。
あの時は理解出来なかった気持ちも、日を追う毎に何となく分かるようになった。
アイツに対する憧れ、嫉妬心。詰まるところ、それはライバル心なのだと。
悔しいけれど、アイツの実力は俺より遥かに上だ。
俺は今まで自分自身と向き合うばかりで、誰かを意識したり誰かに対抗心を燃やすといった経験がなかったから、初めての心の変化に戸惑ってしまったのだろう。
ずっと続いているこのモヤモヤ感も、いつかは消えるはず。
風はやがて止み、静寂の中をハラリハラリと舞い落ちる雪が、良いことも悪いことも全てをリセットするように世界を純白で覆っていく。
『無』になれるんだという期待感が、こんなにも胸を弾ませるのだろうか。
「戻るか」
体の表面を包んでいた汗が全て氷の結晶に変わったようで、寒さを越えて痛さ、そしてその痛さも越えて痺れを感じ始めたので、宿舎へ戻ることにする。
既にソイツの足跡は消えていて、未開の地を思わせる道をサクサクと進んでいく。
シャワーを浴びて着替えてから、ロビーに向かった。
窓の外は、再び現れた北風により吹雪いている。
窓際のソファーに座り、そんな気まぐれな冬の使者の姿を眺める。
ガンガンに暖房が効いてるはずなのに、境界線のここはピンと空気が張りつめていて、足元からツンと冷えてくる。
「どうした青年、悩みでも抱えてるのかな? ほら、これ飲みな」
急に視界に現れた、温かな湯気がのぼっているマグカップに、一瞬固まってしまうと、柔らかな笑顔をもう一段階崩したコーチが、ほらっと手元までマグカップを下げて渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
「どーいたしまして」
更にもう一段階笑顔を崩したコーチは正面のソファーに深く腰をおろし、左手に持っていたもう一つのマグカップを口に運ぶ。
湯気の奥の瞳が、どうぞ、というように一度大きく開いたので、軽く頭を下げて掌をじわっと温かくしてくれているそれを啜る。
「俺はブラックだけど、君はお子ちゃまだから砂糖もミルクもいっぱいのにしてあげたよ」
「子供扱いしないで下さいよ。確かにブラックは飲めないですけど」
「でしょ? 旨けりゃいいの、ね?」
「はい……」
コーチの穏やかな空気が、ちょっと感傷的になっている俺を、その笑顔のように優しく包んでくれる。
「君さ、好きな子できたの?」
「へっ!?」
急に真顔になったコーチに思いもしなかった質問を投げ掛けられて、まだ二、三口しか飲んでいないコーヒーを落としそうになってしまう。
「おっと、大丈夫?」
「はぁ……まぁ……」
なんとか一滴もこぼさずに済んだそれを、テーブルに置く。
そんな俺の顔を覗き込んでくるコーチの表情は、心配してるようで面白がってるようで、とっさに目を逸らして天井を見上げる。
普段眩しいなんて感じたことのない照明なのに、眩暈を起こしそうだ。
「好きな子なんて……いません」
そう、第一『好き』という感情が、いまいち分からない。
なのに、何故こんなにも心臓がバクバクいっているのだろう?
「そう? 年長者の勘でそう思ったんだけどな。君は内にしまい込んじゃって、自分で自分の想いの中に落ちてっちゃって、その底なし沼から這い上がってこれなくなっちゃう感じがして心配なんだよね」
「何ですか、それは?」
冗談言わない下さいよ、と軽い感じで笑いながら返そうと思うのに、引きつった顔から出たのは震えた声だった。
コーチは何も言わずに優しい眼差しで俺を見つめながら、ゆっくり腰をあげた。
「俺の初恋って、こんな味だったなぁ」
ほらっ、とテーブルに置いたままのマグカップを手渡してきたコーチは、ポンポンと幼子をあやすように俺の頭に触れて二階へあがっていってしまった。
いつの間にか北風は止み、また静かにハラハラと雪が舞い落ちている。
もう生温くなってしまったコーヒーを啜る。
甘くて、ほろ苦い……。これが、初恋の味!?
すうっと脳裏に、人影が浮かび上がってくる。
ぼやけてユラユラと揺れていたそれが、段々と鮮明に形作られていく。
「あっ……」
見てはいけないものを見てしまった動揺と焦りから手が震え、まだ半分以上残っているコーヒーをズボンにぶちまけてしまった。
茶色の染みが、どんどん広がっていく。気付かぬ間に、否、わざと目を逸らしていた間に広がってしまった想いのように。
「どうしろっていうんだ……」
誰もいないロビーで頭を抱えて項垂れる俺の脳裏では、いつまでもアイツが微笑んでいた。
「リナってば、酷いんだよ」
「……」
「何があったか聞きたくないのかよ?」
「……」
「ちぇっ、お前は冷たいな。もう寝る!」
数分なのか、数十分なのか、数時間なのかさえ分からない。
無音を避ける為だけに持っていた携帯型ゲーム機を床に置き、ゴソゴソと動いていた気配の消えたベッドを振り返る。
合宿先でも同室になったソイツは、胎児のように布団に包まり、幸せそうに寝息を立てている。
俺の心を乱す、照明の光で艶やかに光る栗色の髪を見つめていたら、ふと小学生の頃のことを思い出した。
残暑厳しい夏休みの終わり、白いTシャツから真っ黒に日焼けした腕を覗かせた友達が、旅行のお土産だとくれたビードロ。
初めて見る、淡い色で彩られていて独特の形をしているそれに戸惑う俺の前で、こうやるんだよ、と聞かせてくれた不思議な音。
細い吹き口を何度も口に咥えるも、結局音を響かせることは出来なかった。
ガラスが粉々に砕け散ってしまいそうで怖かったのだ。
眩しい夏の日差しでキラキラと輝くそれを眺めるのが好きだったから。
「リナ……」
無防備な寝顔の切ない呟き。
激しさを増す胸の痛みと息苦しさで、喉が焼けたようにヒリヒリしてきた。
たまらず、水を求めて食堂へと向かう。
なみなみと注いだグラス一杯の水でもこの熱は収まらず、三杯を一気飲みしてやっと落ち着いた。
間接照明だけが灯されたこの空間は、少し不気味でもあるがとても落ち着く。
誰が置いたのか分からないが、朝からテーブルの中央に飾られているヒマワリの造花。
桜の季節もまだだというのに、どういうセンスをしているんだか。
だが、パッと周りを明るくしてくれる強烈な黄色に、誰もそれを動かす者はいなかった。
「うわっ! ビックリしたぁ。何してんの?」
「え!?」
突然響いた叫び声に振り返ると、目をぱちくりさせて立ち尽くしている先輩がいた。
「口が乾いたので。先輩こそ何してるんですか?」
「いやぁ……部屋で同室の部長とゲームしてたんだけど、俺が三連勝したら部長が怒って俺を部屋から追い出して鍵かけちゃったんだ。どんだけ頼んでも入れてくれないから、仕方なくここに来たんだ」
「大変ですね」
向かい合ってテーブルに座った先輩と苦笑しあう。
「ヒマワリって元気でノー天気な感じがするけど、実は悲恋の花だって知ってたか?」
「はい?」
暫しの沈黙の後、先輩の口から発せられたのは思いもしなかった内容で声が裏返る。
「どんなに恋焦がれても振り向いてくれない人を遠くからじっと見続けているうちに、ヒマワリになっちゃったんだってさ」
図々しいイメージのあったそれをもう一度じっくり見ると、何だか儚く見えてきた。
「先輩は意外と乙女チックなんですね」
「違うよ、コーチが教えてくれたんだ」
目を伏せ、愛しそうに花びらに触れる先輩。
「先輩なら、どうします?」
特に深い意味はなかった。
話の流れで、軽く投げかけただけの質問だった。
「俺? んー、好きな子に愛する人がいて、その人もその子を愛してて……。楽しそうに笑うその子を見てたいから、ヒマワリになるまで自分の中に想いを閉じ込めちゃうかな。だって、自分の愛する子が愛してる人なんだから、その人は絶対嫌な奴じゃないだろうし、その子を幸せにしてくれるはずだから。うわー、何言ってんだろう、恥ずかしくなってきた。もう部長の怒りも収まっただろうし、部屋に戻るな。お前も早く寝ろよ」
「え……あぁ、はい」
ガタガタと騒がしく椅子を戻した先輩は、足早に食堂を出ていった。
落ち着いた苦痛が、また動き始める。
俺が恋したのは、寂しがり屋で泣き虫で、恥ずかしがり屋で気が強くて……。
恋人を愛していて、幸せそうに笑うソイツ。恋人が冷たいと言って、へそを曲げているソイツ。
勇気を振り絞って息を吹き込めば、ビードロはあの音を響かせるのだろうか? 繊細で美しいガラスが粉々に砕け散り、二度と元に戻らなくなってしまうのだろうか?
アイツにとって『今』が幸せであるならば、ビードロを吹くのはよそう。
キラキラと輝く美しいビードロをずっと見つめていられるのならば、苦痛に胸が張り裂けても、ヒマワリになっても構わない。
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