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物憂げ白露
【新兵と夢の|痕《あと》】
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ハルは、式典である男の姿を見かけでもしてしまったらという思いに憑り付かれていた。
流星群も七日間の休暇もどうでもいい。
自由な気分になど、とてもなれそうにない。
ハルの頭を占拠するある男とは、先のリオン草原での戦いで遭遇したビアンカ兵だ。その男との交戦で、初めて持った部下を二人、失った。
リオンで会った。それならあの男も前線の部隊に所属している可能性が高い。式典に参列するはずだ。ハルの気持ちはどんよりと沈む。
入隊して四年経つ。兵士には、なりたくてなったわけでは無い。もう、いよいよ、事務官にでも転属申請を出そうと思っていた矢先のことだった。
思わぬことからハルは分隊長の任に就くことになってしまった。そして、任に就いて初めての出軍がリオン草原の戦いだった。
俺のところに就いたばかりに彼らは……。
自室の窓からの晴れ渡る星空、リオンの方角を恨めしく見やり、再び寝台に転がる。目を閉じると、嫌でもあの時の光景が目の裏に鮮明に蘇ってしまうのだった。
初めての部下は二人。彼らは新兵だった。
二人共まだ幼さが残る年頃だったが、自分など到底およばないほど、優秀だった。なぜ自分に就けられたのかわからないくらい、賢く身体能力も優れている。
少し血の気が多いところがあるけれど、躍然たる、気持ちの良い少年たちだった。
彼ら二人は同郷で、士官学校では上位に名を連ねた競争相手であり、固い友情で結ばれた友人同士でもあると聞いていた。彼らは分隊での活動や訓練でもお互いを高め合い、いつも活気にあふれていた。二人がハルのもとに来てからは、ハルの評価も高くついたほどだ。
しかしそれは決して良い事だけではないと、ハルは思っていた。
周囲に注目されればされるほど、彼等の向上心に火が付く。一層厳しい訓練を課すようにねだり、早く実践に赴きたいと口々に言い合う。
「先に名のある敵将を打ち取るのはどちらだ」と、無邪気に笑い合うが、ハルにしてみれば物騒でしかない話だ。
リオン草原の戦いが彼らにとっての初陣だ。二人は、いよいよ力が出せると歓喜し、激しく興奮していたが、彼らが高揚すればするほど、ハルは嫌な感じがしていた。
二人の気は昂り過ぎていた。彼らは何も知らないのだ。
本当の戦場がどういうものなのか。
思い描いているものとは全く違うということを。
ハルは傍に付いていないと危険だと感じた。
そう簡単に主人公にはなれないのだ。
実際、自分の様な臆病者より、彼らの様な勇敢な者から真っ先に死んでいくのを何度も見た。初陣など、場馴れ目的ともいえる。生きて帰ることだけ考えていればいい。ハルは常々、二人の部下にそう教授した。
それでも二人は大きな手柄を取りたくてたまらない。その様子が伺い知れていたので、「出しゃばるのはやめろ」と、何度も強く忠告したものだ。
リオン草原は見通しの良い広い平原だ。ネロの前線に配置してある見張りやぐらから両国の布陣がすっかり見渡せる。ネロ兵に比べ、ビアンカ兵は著しく数に劣ることが一目瞭然だ。国土や国民数からして大差があるのだから当然だ。
とは言え、ネロはビアンカを決して軽んじたりはしない。ビアンカ兵は少数でも精鋭だ。ビアンカ人はネロ人に比べ体格に恵まれている。体は頑丈で力も強い民族だ。今回のような白兵戦では十分に兵の数を揃えても油断はならない。実際ネロは何度も苦い思いをしてきたのだ。
ハルの所属する隊は、布陣の後方に位置していた。ハルは自分たちをさらに後ろへつけた。二人の新兵はハルの意図を汲みながらも、
「ハルさん。俺、ヴィセンテかスーリを狙ってます。出たら自由に動きますんで」
「俺はダムレイです。とてつもなくでかいって聞いたんで。すぐ見つかるでしょ」
名立たる敵兵の名を挙げ連ね、二人は待機中も展望を口々に言い合う。
「俺から離れることは許さない。訓練通りだ。二人共ちゃんと隊列に就いて、まずは良く見るんだ」
「じゃあ、ハルさんが付いてきてくださいよ」
「剣はともかく、乗馬の技術はぴか一っすもんね」
ハルが制するも、軽口が返された。
そして初夏のリオン草原にて、日の出を合図にどこからともなく勝鬨があがる。
草原に土煙が舞った。
二人の新兵は、器から零れ落ちる水のごとく、群集の中から溢れ出た。
ハルの命令は無視。全くの無視だ。
彼らは宣言通り、まっしぐらに競い合うように突き進む。はためく濃紺の外套からのぞく真新しい白の甲冑が、今でもハルの目に焼き付いている。そして、即刻、ビアンカ軍の証である漆黒の鎧と対峙してしまった。
ハルの予感は的中した。
兜からのぞく目は深い緋色をしていた。癖のある豊かな金色の髪が襟元からのぞいている。
二人の部下が向かって行った敵には、他のビアンカ兵には見られない印がある。
両の腕の部分に金銀の細い線が光る腕章。
ハルは過去に一度だけ、その敵を遠目に見たことがあった。あれはネロでも名の通る敵将――〈白の悪鬼〉の二つ名を持つスーリだ。
兵役に着いた頃から、首と胴をくっつけておきたければスーリには近づくな、と、上司や先輩に言われていた。
ビアンカからスーリの隊が出た盤上は捨て戦だと揶揄されるほどだ。
とても新兵などが関われる相手ではない。ハルは声の限り二人の部下の名を呼んだ。戻れ、と声を張り上げた。
喧囂の中、ハルの声は彼らに届かなかった。
二人の新兵はあろうことか、不遜にも名乗りを挙げてスーリに立ち向う。そしてそれは一瞬のことだった。
剣を合わせることもなく、いとも簡単に。
スーリの、切っ先下がりから流れるような所作で、二人の新兵は続けざま首を胴体から切り離されていた。
二つの首が声もなく落ちたとき、スーリはもうすでに身を翻していた。
ハルは、ただただ身を竦ませ、あっけにとられるだけだ。全身に百足が這っているかのように怖気が走る。
ハルの方へ、頭に遅れて胴体が相次いで倒れた。
とうとうと湧き出る泉のように、血だまりが広がっていくのと同じ速さでハルの頭にも血が上る。
「あああああああ!」
湧き上がる殺意のまま、ハルはスーリの背にめがけて踏み出した。
その時、ちらっと目先が光ったかと思うと、瞬きをする間に自分の首が地に落ちるのが見えた。
今しがたの、二人の首が落ちた一瞬の光景が自分の姿に重なって見えたのだ。
あまりに鮮明だった既視体験に、切り込むのを留まることができたのが救いだった。
現実は一歩も踏み出していない。ただ無様に喚いただけだ。
しかし、叫んだ所為で立ち去りかけていたスーリが振り向いた。抜き身のままの剣の先からは鮮血が滴っている。
恐怖に支配され、頭に石がつまっているかのように思考が働かなくなってしまった。ハルは働かない頭の代わりに、今やるべきことを口の中で呟いた。
「――見てる……逃げないと」
分かっていても足に根が張ったように体が動かない。部下二人の体から湧き出る血の泉はハルの足元まで流れ、首から広がる血だまりはスーリの足先まで届くのが目に入った。
二人の兜が外れている。まだ幼さの残る少年の顔が血に汚されていく。つい先ほどまで、無邪気に生意気な口を利いていた口には血の塊が詰まっていた。
途端に悲しみがハルの喉元にせりあがってきた。
二人を連れて帰ってやらないと。
悲しみ、怒り、恐怖。目まぐるしく移り変わる感情に混乱しながら、ハルは何故だかそう思った。
だが振り向いたスーリはこちらを見ている。
ほんの一瞬だ。一瞬で鎧と兜の隙間を切り離した、その鮮やかな技を目の当たりにしたはずなのに。何を見たのか。たった今のことが思いだせない。それほど目にも止まらぬ素早さなのだ。
どう考えても、とても敵う相手ではない。だが、部下二人の印は取り戻したい。
押すにも引くにも儘ならず、スーリから目を離すことができない。ハルは緊張でどうにかなってしまいそうだった。
ハルは重く震える足を、何とか動かそうとした。
その時、どこからかハル目掛けて矢が二、三、飛んで来た。
危ういところでそれをスーリが造作もなく剣で払って退けた。
スーリが空中で払い除けた矢はハルの肩にかかり、地面に落ちる。思いのほか距離が近い。スーリの切っ先はたやすく自分に届くだろう。今、足元に転がる首が自分に重なって見える。ハルはスーリと対峙していることを改めて実感した。
「――――――――――――」
スーリが何か言った。知らない言葉だ。
ハルの緊張は限界だった。
スーリが言葉を発したのをきっかけにして、思わず身じろいでしまった。ハルの剣が動くとスーリは瞬時に構えた。隙の欠片もない。
ハルは咄嗟に柄をスーリに向け、剣を持し直す。攻撃の意思が無いことを示す所作だ。この場でこんなことが通用するとは思えないが、苦肉の策だ。
ところがスーリはすぐさまそれに倣って剣を鞘に納めたのだ。
ハルがゆっくり一歩を出すと、スーリもゆっくり一歩下がる。その間スーリは瞬きもせずにじっとハルを見つめていた。
ハルは剣を地面に置き膝をつく。
自分とスーリの間に転がる二つの首にゆっくり手をのばした。
スーリは動かない。
ごくごくゆっくりした動作で、ハルは二つの頭を掴み懐に引き寄せ、自分の外套に包むとまたゆっくり下がる。
その間もスーリはじっと動かない。
スーリはハルの一連の動作を見届けると、またハルの知らない言葉で何か言う。そしてスーリは身を翻し、今度こそ振り返らずに去って行った。
遠ざかるスーリを見てハルはやっと早鐘のような自分の鼓動を感じた。
スーリは走っていく。
立ちはだかるネロ兵の首をまた一つ落とし、それに見向きもせずに進みやがて見えなくなった。
あの時は長らく対峙していたような感覚だったが、恐らくほんの束の間だろう。
それでもハルはあの瞬刻の空気を忘れることができずにいる。腕の中の二つの頭の重みや、スーリの低い声。忘れることができなかった。
あれはビアンカの言葉だろうか。
だが何と言ったのかなど、どうでもいい。
いともあっさり、二人もの人間の首をと落とした直後だというのに。なんと落ち着きはらった静かな物言いだったことか。それ程あの男にとっては人の命など何でもないことないのだ。
夏が終わる頃、流星祭りの準備が始まる。国境のリオン草原の式典で、もしもスーリを見つけてしまったら。と、消しても消してもその事ばかりが頭に浮かぶ。ハルは注いだままにしていた水を一気に飲み干した。
顔も分からないのに、大勢の中でスーリを認識できるわけがない。何をいつまでも 馬鹿なことを。
ハルは重苦しい気持ちのまま、夜が明けるのをただ待っていた。
流星群も七日間の休暇もどうでもいい。
自由な気分になど、とてもなれそうにない。
ハルの頭を占拠するある男とは、先のリオン草原での戦いで遭遇したビアンカ兵だ。その男との交戦で、初めて持った部下を二人、失った。
リオンで会った。それならあの男も前線の部隊に所属している可能性が高い。式典に参列するはずだ。ハルの気持ちはどんよりと沈む。
入隊して四年経つ。兵士には、なりたくてなったわけでは無い。もう、いよいよ、事務官にでも転属申請を出そうと思っていた矢先のことだった。
思わぬことからハルは分隊長の任に就くことになってしまった。そして、任に就いて初めての出軍がリオン草原の戦いだった。
俺のところに就いたばかりに彼らは……。
自室の窓からの晴れ渡る星空、リオンの方角を恨めしく見やり、再び寝台に転がる。目を閉じると、嫌でもあの時の光景が目の裏に鮮明に蘇ってしまうのだった。
初めての部下は二人。彼らは新兵だった。
二人共まだ幼さが残る年頃だったが、自分など到底およばないほど、優秀だった。なぜ自分に就けられたのかわからないくらい、賢く身体能力も優れている。
少し血の気が多いところがあるけれど、躍然たる、気持ちの良い少年たちだった。
彼ら二人は同郷で、士官学校では上位に名を連ねた競争相手であり、固い友情で結ばれた友人同士でもあると聞いていた。彼らは分隊での活動や訓練でもお互いを高め合い、いつも活気にあふれていた。二人がハルのもとに来てからは、ハルの評価も高くついたほどだ。
しかしそれは決して良い事だけではないと、ハルは思っていた。
周囲に注目されればされるほど、彼等の向上心に火が付く。一層厳しい訓練を課すようにねだり、早く実践に赴きたいと口々に言い合う。
「先に名のある敵将を打ち取るのはどちらだ」と、無邪気に笑い合うが、ハルにしてみれば物騒でしかない話だ。
リオン草原の戦いが彼らにとっての初陣だ。二人は、いよいよ力が出せると歓喜し、激しく興奮していたが、彼らが高揚すればするほど、ハルは嫌な感じがしていた。
二人の気は昂り過ぎていた。彼らは何も知らないのだ。
本当の戦場がどういうものなのか。
思い描いているものとは全く違うということを。
ハルは傍に付いていないと危険だと感じた。
そう簡単に主人公にはなれないのだ。
実際、自分の様な臆病者より、彼らの様な勇敢な者から真っ先に死んでいくのを何度も見た。初陣など、場馴れ目的ともいえる。生きて帰ることだけ考えていればいい。ハルは常々、二人の部下にそう教授した。
それでも二人は大きな手柄を取りたくてたまらない。その様子が伺い知れていたので、「出しゃばるのはやめろ」と、何度も強く忠告したものだ。
リオン草原は見通しの良い広い平原だ。ネロの前線に配置してある見張りやぐらから両国の布陣がすっかり見渡せる。ネロ兵に比べ、ビアンカ兵は著しく数に劣ることが一目瞭然だ。国土や国民数からして大差があるのだから当然だ。
とは言え、ネロはビアンカを決して軽んじたりはしない。ビアンカ兵は少数でも精鋭だ。ビアンカ人はネロ人に比べ体格に恵まれている。体は頑丈で力も強い民族だ。今回のような白兵戦では十分に兵の数を揃えても油断はならない。実際ネロは何度も苦い思いをしてきたのだ。
ハルの所属する隊は、布陣の後方に位置していた。ハルは自分たちをさらに後ろへつけた。二人の新兵はハルの意図を汲みながらも、
「ハルさん。俺、ヴィセンテかスーリを狙ってます。出たら自由に動きますんで」
「俺はダムレイです。とてつもなくでかいって聞いたんで。すぐ見つかるでしょ」
名立たる敵兵の名を挙げ連ね、二人は待機中も展望を口々に言い合う。
「俺から離れることは許さない。訓練通りだ。二人共ちゃんと隊列に就いて、まずは良く見るんだ」
「じゃあ、ハルさんが付いてきてくださいよ」
「剣はともかく、乗馬の技術はぴか一っすもんね」
ハルが制するも、軽口が返された。
そして初夏のリオン草原にて、日の出を合図にどこからともなく勝鬨があがる。
草原に土煙が舞った。
二人の新兵は、器から零れ落ちる水のごとく、群集の中から溢れ出た。
ハルの命令は無視。全くの無視だ。
彼らは宣言通り、まっしぐらに競い合うように突き進む。はためく濃紺の外套からのぞく真新しい白の甲冑が、今でもハルの目に焼き付いている。そして、即刻、ビアンカ軍の証である漆黒の鎧と対峙してしまった。
ハルの予感は的中した。
兜からのぞく目は深い緋色をしていた。癖のある豊かな金色の髪が襟元からのぞいている。
二人の部下が向かって行った敵には、他のビアンカ兵には見られない印がある。
両の腕の部分に金銀の細い線が光る腕章。
ハルは過去に一度だけ、その敵を遠目に見たことがあった。あれはネロでも名の通る敵将――〈白の悪鬼〉の二つ名を持つスーリだ。
兵役に着いた頃から、首と胴をくっつけておきたければスーリには近づくな、と、上司や先輩に言われていた。
ビアンカからスーリの隊が出た盤上は捨て戦だと揶揄されるほどだ。
とても新兵などが関われる相手ではない。ハルは声の限り二人の部下の名を呼んだ。戻れ、と声を張り上げた。
喧囂の中、ハルの声は彼らに届かなかった。
二人の新兵はあろうことか、不遜にも名乗りを挙げてスーリに立ち向う。そしてそれは一瞬のことだった。
剣を合わせることもなく、いとも簡単に。
スーリの、切っ先下がりから流れるような所作で、二人の新兵は続けざま首を胴体から切り離されていた。
二つの首が声もなく落ちたとき、スーリはもうすでに身を翻していた。
ハルは、ただただ身を竦ませ、あっけにとられるだけだ。全身に百足が這っているかのように怖気が走る。
ハルの方へ、頭に遅れて胴体が相次いで倒れた。
とうとうと湧き出る泉のように、血だまりが広がっていくのと同じ速さでハルの頭にも血が上る。
「あああああああ!」
湧き上がる殺意のまま、ハルはスーリの背にめがけて踏み出した。
その時、ちらっと目先が光ったかと思うと、瞬きをする間に自分の首が地に落ちるのが見えた。
今しがたの、二人の首が落ちた一瞬の光景が自分の姿に重なって見えたのだ。
あまりに鮮明だった既視体験に、切り込むのを留まることができたのが救いだった。
現実は一歩も踏み出していない。ただ無様に喚いただけだ。
しかし、叫んだ所為で立ち去りかけていたスーリが振り向いた。抜き身のままの剣の先からは鮮血が滴っている。
恐怖に支配され、頭に石がつまっているかのように思考が働かなくなってしまった。ハルは働かない頭の代わりに、今やるべきことを口の中で呟いた。
「――見てる……逃げないと」
分かっていても足に根が張ったように体が動かない。部下二人の体から湧き出る血の泉はハルの足元まで流れ、首から広がる血だまりはスーリの足先まで届くのが目に入った。
二人の兜が外れている。まだ幼さの残る少年の顔が血に汚されていく。つい先ほどまで、無邪気に生意気な口を利いていた口には血の塊が詰まっていた。
途端に悲しみがハルの喉元にせりあがってきた。
二人を連れて帰ってやらないと。
悲しみ、怒り、恐怖。目まぐるしく移り変わる感情に混乱しながら、ハルは何故だかそう思った。
だが振り向いたスーリはこちらを見ている。
ほんの一瞬だ。一瞬で鎧と兜の隙間を切り離した、その鮮やかな技を目の当たりにしたはずなのに。何を見たのか。たった今のことが思いだせない。それほど目にも止まらぬ素早さなのだ。
どう考えても、とても敵う相手ではない。だが、部下二人の印は取り戻したい。
押すにも引くにも儘ならず、スーリから目を離すことができない。ハルは緊張でどうにかなってしまいそうだった。
ハルは重く震える足を、何とか動かそうとした。
その時、どこからかハル目掛けて矢が二、三、飛んで来た。
危ういところでそれをスーリが造作もなく剣で払って退けた。
スーリが空中で払い除けた矢はハルの肩にかかり、地面に落ちる。思いのほか距離が近い。スーリの切っ先はたやすく自分に届くだろう。今、足元に転がる首が自分に重なって見える。ハルはスーリと対峙していることを改めて実感した。
「――――――――――――」
スーリが何か言った。知らない言葉だ。
ハルの緊張は限界だった。
スーリが言葉を発したのをきっかけにして、思わず身じろいでしまった。ハルの剣が動くとスーリは瞬時に構えた。隙の欠片もない。
ハルは咄嗟に柄をスーリに向け、剣を持し直す。攻撃の意思が無いことを示す所作だ。この場でこんなことが通用するとは思えないが、苦肉の策だ。
ところがスーリはすぐさまそれに倣って剣を鞘に納めたのだ。
ハルがゆっくり一歩を出すと、スーリもゆっくり一歩下がる。その間スーリは瞬きもせずにじっとハルを見つめていた。
ハルは剣を地面に置き膝をつく。
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スーリは動かない。
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その間もスーリはじっと動かない。
スーリはハルの一連の動作を見届けると、またハルの知らない言葉で何か言う。そしてスーリは身を翻し、今度こそ振り返らずに去って行った。
遠ざかるスーリを見てハルはやっと早鐘のような自分の鼓動を感じた。
スーリは走っていく。
立ちはだかるネロ兵の首をまた一つ落とし、それに見向きもせずに進みやがて見えなくなった。
あの時は長らく対峙していたような感覚だったが、恐らくほんの束の間だろう。
それでもハルはあの瞬刻の空気を忘れることができずにいる。腕の中の二つの頭の重みや、スーリの低い声。忘れることができなかった。
あれはビアンカの言葉だろうか。
だが何と言ったのかなど、どうでもいい。
いともあっさり、二人もの人間の首をと落とした直後だというのに。なんと落ち着きはらった静かな物言いだったことか。それ程あの男にとっては人の命など何でもないことないのだ。
夏が終わる頃、流星祭りの準備が始まる。国境のリオン草原の式典で、もしもスーリを見つけてしまったら。と、消しても消してもその事ばかりが頭に浮かぶ。ハルは注いだままにしていた水を一気に飲み干した。
顔も分からないのに、大勢の中でスーリを認識できるわけがない。何をいつまでも 馬鹿なことを。
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