雨音

宮ノ上りよ

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12 穏やかに重ねてきた年月

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 「ええ!何これ少なすぎ!」
室内に響く、甲高い声。

 「俺の、お餅ふたつしか入ってへん!」
「はあ?トモふたつでいいって自分で言うたやん!」
「言うてへんわ!」
「言うた!ふたつでええの?ってさっき訊いたらうん、って!」
「そんなん!いくつ入れる?って訊けよ!」
「訊いた!でもあんた寝惚けてて何も言わんかった!」
「だったら叩き起こしてくれよナツねえ!」
「起こした!起きんかったあんたが悪い!」
「はいはいわかったわかった、ナツもトモも正月早々から姉弟喧嘩なんていい加減にしなさい!」
「だってトモが!」
「だってナツ姉が!」

 母の一喝にもめげず言い募る孫達に、思わずくすりと笑いを誘われて。

 「じゃあおばあちゃんが焼いてきて足してあげる。トモ君はいくつ欲しいの?」
言いながら、祐子が腰を上げかけると
「あかんおばあちゃん!そうやって甘やかしたらトモ余計にワガママになるから!」
「何だよナツ姉!俺ワガママ言うてる訳ちゃうわ!」
ぴしりと止める孫に、猛然と抗議する孫。

 「お義母かあさんはお雑煮食べてて!私がやるから!」
さっと立って台所に消えた菜々美の背中を
「お母さん!お餅あとふたつね!」
「もうお母さんまで甘やかし過ぎ!」
口々に叫びながら、子ども達がばたばたと追いかけて行った。

 「菜摘なつみはだんだんななに似て来たな」
動かしていた箸を止めて、目を細める宏に
「毎日あんな調子ですよ」
苦笑しながら、有智が応える。
「俺もトモもどっちかって言うと最近は菜々美よりもナツに叱られてばかりで」
「もう小学校卒業だもんなぁ。ななもあの位の頃からだんだん口やかましくなったんだ」
「ああ、そうでしたね。中学入る前位からだったかな?よくお義父とうさんの事でぶつぶつ言ってて」
「何、有智君にもそんな事言ってたのか!ったくあいつは」
「あ、俺まずい事言っちゃったかな。今のは菜々美には黙ってて下さいね」

 あはは、と。
雑煮を食べながら舅と笑い合う息子を、微笑ましい思いで祐子は眺めていた。

 今年も、皆で賑やかに新しい年を迎えられた――と。
毎年当たり前のように繰り返される正月の光景を、今年も繰り返せたことに、感謝しながら。


 何時の頃からだろうか。
年末に大阪から帰省する息子一家と、隣家の宏と、三世代揃って元旦の朝に祐子の家で食卓を囲んで雑煮を食べるのが、毎年の恒例となっていた。
早朝から祐子と菜々美とで台所に立ち、雑煮の他におかずを一、二品程用意するのだが、数年前から孫の菜摘が早起きして手伝ってくれるようになった。まだ幼いうちから包丁を持つ手がしっかりしていて祐子は驚かされたものだった。菜々美に訊くと自発的にやりたいと言い出して家でも母と台所に立ちたがるらしい。そんな風に料理に興味を持つあたりは昔の菜々美そっくりだった。
今朝は昨夜の夜更かしが祟ってなかなか起きない弟の智希ともきに、親切のつもりでか雑煮に入れる餅の数を訊きに行ったのだが、それが仇になって元旦早々の喧嘩始めになってしまった。
おそらく毎日手を焼いているのであろう菜々美がうんざりした顔でふたりの間に割って入ったが、普段静かな明け暮れを過ごしている祐子にとっては、何時にない喧噪が何だか楽しい。

 大阪生まれ大阪育ちの孫達は、普段両親がこちらの話し方でやり取りしているせいもあってか帰省してきて一、二日もたつと抑揚も言葉もこちらに馴染むが、ふたりで口論になると関西弁で機関銃のような応酬になる。
宏が以前
『菜摘と智希の喧嘩はライブで漫才を観ているみたいなんだよなあ。ふたりとも大真面目に喧嘩してるんだろうけどエスカレートすればする程可笑しくて』
毎回笑いを堪えるのに苦労する、と、笑いながら言っていたが、祐子も全く同感だった。

 有智と菜々美と、菜摘と智希と、そして宏と、自分。
年に何度もない、三世代六人での団欒。

 数日を過ごした息子夫婦が帰った後に訪れる静けさは、とても淋しい、けれど。
二日もたつと、日常の静寂に気持ちが再び、慣れる。

 それは、多分。
ひとりじゃないから。
ふたりだから。

 次の機会を、隣同士で共に待てるひとがいるから。
だから、淋しくなかった。
ここまで、ずっと。

 そして、これからも――。


 食後の後片付けを皆で手分けして済ませた後。
「お義父さんと母さんに、折り入ってお話したい事があるんですが」
有智が、改まった調子でそう言った。
傍にいた菜々美が
「ナツとトモは二階で遊んでいてくれる?」
子ども達に言うと
「もしかしてあの話?」
菜摘が真面目な顔をした。
「うんそう」
「分かった。トモ、二階行こう?」
「うん」

 母に言われて居間を出て行く菜摘も、姉に素直に従う智希も、どうやら話の内容を知っているようだ。
だが、息子ばかりか孫娘までもが口調や表情を改めるような話とは、一体。

 訝しく思った祐子は、すぐ横にいた宏の顔をちらりと見上げた。
宏も心当たりがないのか、怪訝そうな表情を浮かべていた。

 有智と菜々美、宏と祐子がそれぞれ並んで、座卓を挟んで向かい合わせに座って。
「今から俺が話す事、とりあえず最後まで何も言わずに聞いてもらえますか」
真摯な表情でそう切り出した息子に、祐子は思わず既視感を覚えた。

 ――前にも、こんなことがあった。

 宏さんと並んで。
目の前に、ユーチとななちゃんと、ふたりで。
あれは。

 確か、ふたりが付き合い始めた、と。
将来的には結婚を考えている、と――。

 もう随分と前の、その時以来の同じ状況に、思わず息を呑む。
あの時と同様に、息子が何か、重大な決意を語るのでは、と。

 有智の言葉に
「分かった」
横の宏が、大きく頷いた。
「何かあったら最後にまとめて訊くって事でいいな?」
「はい。有難うございます」
軽く頭を下げた有智に倣って、横の菜々美もちいさく会釈した。
祐子も、黙って頷いた。

 「俺達、家族四人で、今年の春からこっちに引っ越す事に決めました」
「え?」
「え?」

 隣とほぼ同時に唇から零れた、驚き。

 ――今、何て?

 こっちに引っ越す、って。
家族四人、で――?

 「俺の方はもう転職先は決まっていて。二月いっぱいで向こうの会社を退職してすぐに新しい会社に出社する事になっています」
「……」
「菜々美はまだ情報を色々集めている所で、多分こちらに来てから就職先を探す事になると思います」

 共に一人っ子同士の有智と菜々美は、いずれ年老いる親達を関西の自分達の許に呼び寄せるのか、それとも自分達がこちらにUターンするのかを、随分前から考えていて。
ふたりで色々と話し合った末に、後者を選ぶ事にしたと、有智は語った。
菜摘がこの春小学校を卒業するので、中学校入学に合わせて春休みに転居する、と。

 「ナツの卒業式が終わり次第引っ越すつもりですが、俺の出社の方が少し早いので先に俺がこちらに来る事になると思います。引っ越しが済むまで申し訳ないけれど俺だけ実家ここに寝泊まりさせてもらえたらな、と。住む場所はこの近くでこれから探す予定です。こちらの都合で決めた事なので、お義父さんや母さんの生活に影響がないよう、どちらかの家で同居というのは当面考えないつもりです。もしお義父さんや母さんが独り暮らしが難しくなったらその時に改めてどうするか考えるって事で」
そう言った有智は
「本当は事前に相談するべきだったんでしょうが、こちらに職が見つからない可能性もあって、ちゃんと転職先が決まるまで言えませんでした。勝手に色々と決めてしまって本当に申し訳ありません」
そこでひと膝下がると、同様に下がった菜々美共々、畳に手を突いて頭を下げた。

 祐子は、横の宏の顔を見上げた。
宏もこちらに顔を向けていた。

 あまりにも突然の話に、どう応えたものか、気持ちの整理がつかない。
それは宏も同様なのか、困惑をありありと顔に浮かべている。

 『どうします?』と。
目で訴えかけると、口を結んだままの頷きが返って来た。
まずはそちらから、という意味かと、解釈して。

 「ふたりとも、頭を上げて、ね」
とりあえずそう言った。

 菜々美と共に頭を起こした有智に
「お話は、今ので全部?」
問うと、ああ、と頷いたので
「じゃあ、私達、もう話してもいいのね?」
確認を取って。

 「まず私の方からね。今のお話、私は別に謝ってもらうような事じゃないと思っているから」
おそらく先程の孫達の様子から、この件に関しては夫婦だけでなく親子の間でも既にきちんと話し合いがなされて、全員納得しているのだろう、と思いながら。
「貴方達が決めた事なら私は何も言わない。ふたりとももう大人だし親なんだから、ね」
祐子は、自らの存念を正直に語った。そして
「宏さんは?」
隣で腕組みをしたまま黙っている宏に、水を向けた。
と。
「俺も同じだ」
宏が、口を開いた。
「おまえ達ふたりで、いや、四人でか?話し合ってちゃんと段取りまでつけたんだろう?だったら俺も、何も言う事はないよ」
穏やかな口調でそう言った後
「まあ、正直な所を言えば、おまえ達が戻って来てくれるのは俺としては嬉しいけどな?」
ふっと、笑って。
「祐子さんも、だろ?」

 再びこちらに話を振って来るのに
「ええ、まあね」
笑って頷いた祐子は
「でも、貴方達はそれで、良かったの?」
と、問うと。

 有智は菜々美とふたり、顔を見合わせて。
ふたりでこちらを向いて、静かに微笑みながら、黙ってこくんと頷いた。
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