エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を

杏野 いま

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第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方

25.始まらない捜査と終わらない訓練(2)

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 間違いない。安眠の間だ。

「三か月後に、グラント公爵家と隣接する医療棟を覆える結界を展開する予定です。私が夫人から依頼を受けたので間違いありません」
「なるほど、そういうことですか」

 ヒューゴと同時に、全員納得したらしい。
 グラント公爵家には、犯人を捕まえる前に守らねばならないものが多すぎる。テオドールの遺体だけでなく、医療棟で過ごす患者もその対象。
 安眠の間で確実に守りを固めた後、徹底的に犯人を追い詰めるつもりなのだろう。それがグラント公爵家の戦い方なのだ。
 
 張り詰めたその場の空気を壊したのは、当事者のテオドールだった。

「家族がそうすると決めたなら俺は文句なしだ。焦って捜査を進めたばかりに患者が傷ついたら、神の元に帰り辛いしな」
「……本当に、良いのですか?」

 少しの間の後、念を押すようにヒューゴが聞く。
 テオドールが自分の死因を知らぬまま去ることになるからだろう。ララとしても、やはりそこは気になる。

「ああ。初めから他殺だろうなと思ってたから、ララに関わらせるつもりはなかったし、真相についてはお前たちに任せる」
「……やり方に制限は」
「ない」

 テオドールの短い返事を聞いた途端、ララとテオドールを除く四人が怪しく笑った。色の違うそれぞれの瞳は、静かに己の感情を燃やしている。

 犯人は捕まった後に思い知るのだろう。――捜査官の怒りは時に、この世に地獄を生み出すのだと。








 午後になり、ララは犯人よりも先に地獄を見ていた。雲ひとつない空の下、訓練場にはララの悲鳴とララの怒声、加えてマックスの叫び声が響き渡る。
 自分の右手が握った木剣が容赦なくマックスを追い詰めており、ララは心の中で泣いた。

「ひえっ、ひええっ! グラント卿やめてください! お願い、ですからぁっ!」
「こら、舌噛むから声出すなって言っただろ。頭の中で話せ」
『そう言われましても!』
「お、上手いじゃないか」

 褒められても嬉しくない。ちょっとしか嬉しくない。だから褒めながら回し蹴りを繰り出すのは勘弁してほしい。捜査官用のスラックスを全力で締め上げて履いてはみたが、ずり落ちそうで怖いのだ。

「ララさん! 局長のこと、止めれないん、ですか⁉︎」

 ララと同じくらいヒイヒイ言っているマックスに、『無理なんですよーっ!』と声を出さずに答える。

「ははっ、無理だとさ」
「そんなぁ! 体の持ち主が制御できないって、あんたどんな魂してるんですか! 図々し過ぎるでしょ!」
「やかましい。体右に流れてんぞ」

 テオドールの魂が強靭きょうじんだからなのか、ララは口元を動かすだけで精一杯なのだ。こんなこと今まではなかったのに。
 テオドールから「体借りる。絶対に怪我はさせないが、危ないから君は動くなよ」と言われ、素直に頷いた数分前の自分を恨む。そして何より、テオドールの戦闘スタイルを恨む。

(思ってた戦い方と、全然違う!)

 騎士のような剣と剣の戦いを想像していたララは、なんでもありの捜査官の攻撃方法についていけなかった。手のひらの手首寄りの位置でマックスの顎を突き上げた時はこちらが失神するかと思った。

 土を飛ばすしすねは蹴るし、下手をしたら木剣すら投げそうな勢いである。テオドールが締め技だけはこの体でやらないと言っていたが、何か分からないので反応できなかった。縄で捕まえるのだろうか。

 マックスの話だと、テオドールは運動神経が異常に良いらしい。走るのも泳ぐのも得意だとか。剣術も強いが、「勝てば良いんだよ、勝てば」の精神なので常識は無視のようだ。
 実際、ララは自分の手足がこんなに自由に動くとは思っていなかったし、目まぐるしく動く視界も初体験だ。

(でも、マックス様も凄いわ)

 テオドールが異常ではあるが、マックスも相当強いのだろう。その証拠に追い詰められた彼を見ても、見学中の捜査官たちは心配していないようだ。
「羨ましいぞマックス。やられろ」「ララちゃんがんばれ~!」「マックスならすぐ復活するから大丈夫だ」と、誰一人止めようとしてくれない。

 周りで飛び交う声の中、しばらく指導しながらマックスと打ち合っていたテオドールが、突然後ろに身を引いた。

「……そろそろ終わりにするか。最後に、覚えておけ」

 木剣を片手で構えたテオドールが低い姿勢で飛び出し、間合いを詰める。

「勝手にサクッと死んだ俺が言えたことじゃないけどな」

 マックスが斜めに振り下ろした木剣を、テオドールが受け流す。そのまま腹をで殴ると、後ろによろめいたマックスの手首を素早く蹴り上げた。

「――お前たちは自分の大切なもん、一つでも守ってから死ねよ」

 きっとマックスだけでなく、捜査官全員に向けられた言葉だった。
 蹴りをくらってマックスの手から離れた木剣が、高い音を立てて地面に落ちた。マックスはそれを目で追った後、こちらに力強い視線を向ける。

「……はい! 強くなって、あなたの教えを必ず守ります!」

 ララは自分の顔を見えないが、表情の動きと声から、テオドールが笑っていると分かった。

「それで良い」

 流れた汗に風が当たり、ひんやりとする。

(……本当に、愛されているのですね)

 触れたことがなかった世界を、テオドールが生きた世界を、この瞬間に知れた気がした。

『グラント卿、お疲れ様でした』
「ああ。体、大丈夫か?」
『はい。戦ってる感覚は私にも伝わりますが、なんともありません』
「そうか。――じゃあ、次いくぞ」
『……へ?』

 自分の意思とは関係なく、口角が持ち上がった。嫌な予感がする笑い方だ。

「フロイド、来い」
「そうなる気ぃしてたんすわ」
『え? え? 終わりじゃないのですか?』

 困惑するララを置いてけぼりにして、フロイドがこちらに向かってくる。

「局長、締め技だけにしません?」
「お前は俺と同じ所に来たいみたいだな」
「さーせん、冗談っす」

 言ったと同時に二人とも木剣を抜いた。途端に景色が流れ、自分の体が走っていると気付く。もうダメだ、止められない。
 しかし、聞きたいことがある。

『し、締め技ってなんなのですか⁉︎ ひえぇっ! 足、閉じてください! ひょええっ、袖を捲るのは禁止です! 締め技って、ひやぁっ! なぜ教えてくれないのですか⁉︎』

 ――と、間抜けな声しか出せないまま、ララはこの後も、散々訓練に付き合う羽目になった。
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