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第一章 先祖還り
その25 マンハッタン2055
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「イリス! イリスったら、どうしたの? ぼうっとしちゃって」
突然、聞き慣れた明るい声が耳元で聞こえて、あたしの意識を引き戻した。
……あれっ?
明るい陽の光?
生命の息吹に満ちた街のざわめきが聞こえてくる。
車、通りを行き交う人々。
急いでいる様子の証券マンっぽいスーツ姿の男性やキャリアウーマン、新聞スタンドのおじさん。オープンカフェで友達同士おしゃべりしている若い女性たち。
なんてたくさんの人種。人々で賑わう。
ここは街中。マンハッタンの真ん中だ。
石畳には雪が積もっていた。
ああ、冬だったっけ。
おとといだった、親友のアイーダと仲間達でカウントダウンして、新年を迎えたのは。そのままパーティーに突入して大騒ぎ。
こんな素敵なことを忘れてたなんて。
自分でもおかしくなって笑った。
「ああ、ごめんなさいアイーダ。ちょっと……気分が悪くなって。でももう平気よ。だいじょうぶ」
「えっ! それ全然だいじょうぶじゃないから。イリス! 笑ってる場合じゃないの。見せてみな!」
アイーダはあたしの額に手をやり、首をかしげ、こんどは自分の額とあたしの額をくっつけようと顔を近づけてきた。
「近いよアイーダ」
「なによ、こうするとわかるのよ、田舎のおばあちゃんがよく熱をみてくれたんだから」
熱を測るなら腕時計型のウェアラブル端末があるのに。全世界で大ヒットしたやつ。実際あたしも持ってるし。だけどそんなこと言わない。心配してくれてるアイーダに。
アイーダは小さい頃にミネソタから両親と出て来た。
両親はもういないけど、おばあちゃんっ子だったからか、時々原始的……いや、本能的な振る舞いをして、あたしをよく驚かせるのだった。
「雪が降ってるのに暑いなんて。ドクターに診てもらおうよ」
すごく心配してくれる。
優しいアイーダ。
彼女と出会ったのは。
……出会ったのは……
いつだった?
突然、目の前の風景が、ぐらりと揺れて歪んでいった。
あたしは……イリス? なにそれ。あたしはだれなの?
アイーダ? 仲間達?
……それって、なに?
※
胸が苦しい。
心臓が、ぎゅううっと、鷲掴みにされたみたいに。
ああ、青空が見える。
仰向けに倒れているのかぁ。
いつものように、休日に、セントラルパークでジョギングしてたんだよね。
『仕事で無理をしすぎです。若いからと過信してはいけません。ストレスと睡眠不足、過労。もう少し身体をいたわらないと。同僚が過労死したと言ってたでしょう』
主治医の言葉が聞こえたような。
そらみみかな。
うん、過労死した同僚、いたよ。
ニホンからひとりで海外赴任してきた……サイジョウ・キリコ。
中年だから「おじさま」って呼んだら、なんか焦ってて、かわいかったな。
おじさんのくせに独身で。
男は四十すぎてからじゃないとダメよって、日頃から思ってたあたしのアンテナに、ぴぴっときたの。
でもアプローチしても手応えなくってさぁ。
若い頃、初恋の女の子が交通事故で死んでから、恋なんてしてないっていうのよ。
そんなの聞いたことないわよ。
融通きかなくてガンコで。
仕事バカで。
ちょっとは、いい男だって思ってたのに。
過労で死んじゃうなんて……
バカね。
「きみ! だいじょうぶか!?」
「彼女は私の少し先のほうを走ってて。急に倒れたんですよ」
「じきに救急隊がくるから、がんばって」
遠くで誰かの声がしてる。
だいじょうぶ。
あたしは、だいじょうぶ。
もう少ししたら、起き上がるから、待ってて。
待ってて、アイーダ。
あなたの舞台を観に行くって約束した。
アイーダのリサイタルを。
だって、あなたは言ってくれた。
『イリスが観に来てくれたら、いつもの何倍もパワーが出せるのよ』
さいごに、あなたの歌が……聴きたかったな。
4オクターブの声域。
あたしとアイーダだけの秘密がある。
アイーダの『声』は、武器になるのよ。
とても力があるから。
人を活かすことも。
……殺す、ことも。できるのよ。
めったに、やらないけど。
2055年の、マンハッタン。
あたし、イリス・マクギリスが、二十五歳で死んだ年。
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