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第三章 アイリス四歳

その5 新人メイド、サファイアとルビー

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「ぼくのアリス。今はまだ、気がつかなくてもいい。それが君のためなら、ぼくを思い出さなくてもいい。今度こそ君はぼくが、守るから。……月宮アリス……ぼくは、霧湖(キリコ)……」

 眠っているアイリスを膝に乗せて、つぶやくエステリオ・アウル。

『ちょっと、どうなのかしらシルル。エステリオ・アウルがまた壊れたんじゃないの?』

『わたしに聞かないでよイルミナ。そりゃ、わたしたちはアイリスの『魔力診』にも立ち会っていたしエステリオ・アウルとの前世からの縁も知ってるけど、精霊のお導きで、いったん『先祖還り』としての記憶を封印していることも知ってるから、同情もするけどさ』

『けど、はたから見たら』

『ただの……へんた……』

 アイリスの守護妖精シルルとイルミナが顔をつきあわせていたときだった。

「この変態!」
「いつまで抱っこしてるのよ」

 子供部屋のドアを開けて入ってきたメイドが二人。
 ひとりはプラチナブロンドのストレートヘアを背中の半ばまで伸ばしている、ルビー=ティーレ。黒いフレアスカートの丈は膝まで。ローヒールの革靴。動きやすさを最優先にした服装だ。

 もうひとりは豊かな黒髪を腰までのばし、ミルクティー色の肌をしたサファイア=リドラ。全身、黒でまとめた中、木綿レースに縁取られたエプロンだけ白い。スカート丈はくるぶしまである。

 二人のメイドはエステリオ・アウルに駆け寄り、その頭を勢いよく、はたいた。
 
 もっとも、彼がいまだに大切そうに抱きしめているアイリスが起きてびっくりしないように、少しは遠慮しながら叩いたのであったが。

「あいたたた! ひどいですよ先輩がた」

「どアホウ! おまえも十七歳にもなって、まだ精神年齢ガキかよ。成人の自覚を持て。姪っ子の部屋を夜中に訪問するとか、バカか。バカだろう? 誤解を招くような行動はつつしめ」

 師匠譲りの罵倒も堂に入っているルビー=ティーレ。元々脳筋で有名なガルガンド氏族国出身である。

「そうよぅ。アイリスちゃんはまだ四歳だけど、いいおうちの令嬢で、りっぱなレディなの。こんな大きなお屋敷だもの。使用人の中にどこかの回し者がいるかもしれないなんて、想定はしておくべき。どこに誰の目があるかわからないでしょ。家の中だからって気を抜かないのよ」

 筋が通っているように聞こえるがその実は「メイドさんの服を着てみたいのよね」という理由で、アイリスの護衛としてラゼル邸への派遣任務を喜んで受け入れたサファイア=リドラ。
 サウダージ共和国で生まれ育ち、子供の頃に亡命してきたという経緯がある。

 ふたりはもともと魔道士協会に属するフリーの魔法使いで冒険者。師匠カルナックの指示でアイリスの護衛についているのだ。

「アイリスちゃんも、お師匠様のお許しが出れば、あなたの月宮アリスちゃんとか、イリス・マクギリスとかの前世の記憶をよみがえらせることになっているんだから。もう少し待ちなさいよ」

「あなたのって」

「はぁ? いちいちうるさい。男は黙って我慢しろ!」

「それより、首飾りはちゃんと就寝時もつけさせてるの? 精霊石と黒竜のウロコが材料なんて、これ以上のものは類を見ないわよ!」

「わかってます! カルナックお師匠様に手伝っていただきましたから、いつもつけていますよ」

「魔力の流れも、整ってきたみたいだし」

「このぶんだと、……目覚めも、近いな」

「ま、困ったら、わたしたち、先輩に頼りなさいな!」

 力づけるのか怒るのか。魔道士協会の先輩魔法使い二人は、来たときと同じように、静かに部屋を出て行った。

            ※

「よかった。目が覚めたね、アイリス」
「あれっ? ここどこ」
 天井がある。ああ、現実の世界に戻ってきたの。

 妖精たちがふわふわと飛んできた。
 金髪と赤毛の、かわいい少女。2人の姿を見ると、とてもなごむ。

『アイリスアイリス! よかった気がついた!』
『死んじゃったかと思ってこわかったわ! そしたらこのエステリオ叔父さんをただじゃおかなかったけどね!』

「はははは。守護妖精の力は強大だからな。わたしなんか一撃必殺だよ」

『あたりまえだわ!』
『ですわ!』

 気がついたら、エステリオ叔父さまに抱っこされていた。
 膝の上にちょこんと乗っかってた。
 だって四歳の幼女だもんね。
 身体はまだ、すごく小さいんだなぁ。

「魔法もすぐに使えるようになるよ。これから学んでいこう」
 エステリオ叔父さんが、優しく笑う。

「わたしも学院で学び始めたばかりだから、授業のおさらいをかねて」

「魔法を教えてくれるの? うわぁ、やった!」

 うん、身体に引きずられる?
 小さい身体に意識が影響されるって、あるのかも。

 窓の外は、白みはじめていた。

「あ、ちょっとだけ残念。精霊火(スーリーファ)の光の河、もう少し眺めていたかったな。ひるまには、ないんだもの」

「いつでも見られるよ。今朝みたいに」
 エステリオ叔父さまの優しい微笑み。魂の姿のときとは違う余裕があるって、気がついた。大人っぽい感じで、なんか、くやしい。

「あたしもすぐに大きくなって魔法もすごいの使えるようになるんだからねっ!」

 誰に宣言しているのでしょうか。あたし。

 四歳になってまもないですが、体の中を流れる魔力を感じ取れるようになりました。

           ※

「じゃ、後で」
 片手を上げ、背中を向ける、エステリオ叔父さま。

「…あ…」
 あたしは叔父さまの後ろ姿に目を凝らす。

 身体全体を、うっすらと、光のもやが包んでいるように見て取れたのだ。
 熱もなく燃えあがる銀色の炎のようにも思えた。

 あれが、魔力なのかな?
 
 学院で学び始めたばかり?
 そんなことないでしょ?

 謙遜も行きすぎると思う。
 感じるもの。
 エステリオ叔父さまの中には、すごい力がある。きっと公国立学院とかっていう場所に行くまでに、魔法も勉学もかなり励んできたのに違いない。

 ベッドに座って、あたしは、手を握ったり、開いたりしてみた。

 現実の、確かな、からだ。
 あたし……生きてる。

 さっき、おじさまと一緒に魂の底まで潜っていったとき。
 前世の記憶のかけらが、浮かんできたの。

 あたしは、地球末期の、ワシントンにいた。
 執政官(コンスル)システム・イリス。
 この名前もことばも、目覚めたいまでは、よくわからないけど。

 その頃の地球はゆっくりと滅びかけていた。地上はとても人が住めるところではなくなっていて、人間達は魂をデータに変換して仮想空間で暮らしている夢を見て、眠りつづけていた。
 あたしは死者の都市を管理していた。

 ……と、思うんだけど。

 でも、おかしい。
 別の時代、別の人間だったことも、あったような気がしてならないのだ。

 脈絡もなく、浮かんでくる風景。

 たとえばニューヨークの街並み。東京。きちじょうじ? という名前の駅、あったかしら。
 叔父さまは知ってるかな。

 いけない、考え事をしている時間の余裕は、あんまり、ないわ。

 また、ベッドに入らなくちゃ。
 ローサが起こしにきてくれるまで。

 もうちょっとだけ、あと少しだけ。

 眠るんだから……。

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