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俺と間男と間男
②
しおりを挟む居酒屋のカウンターで、優男と酒を飲んでいた最中に途切れた意識が戻ったのは、見慣れない天井の部屋でだった。
肌触りのいい素材のソファもタオルケットも覚えのないもので、寝そべったまま見渡したモデルルームのような室内にしろ、同棲している恋人に散らからされている俺のアパートの部屋とはまるで違う。
家賃からして、及ばなさそうだし。
こんな部屋に住むハイスペックな人種は、知り合いにいなかったはずだけど。
と怪訝に思っていると、扉の開く音がして見やれば、居酒屋で一緒に飲んでいた優男がペットボトルを片手に部屋に入ってきた。
「まさか」と俺が言う前に「急に、あなたが意識を失ったものだから驚いたよ」と笑いかけペットボトルを差しだした。
「救急車を呼んだほうがいいかと思ったけど、店主に『それくらいなら、大丈夫』って言われてね。
あなたとは初対面で家がどこかなんて分からなかったから、僕の家に連れてきたんだ。
ごめんね。他にどうしたらいいか分からなくて・・・」
「そ、そんな、俺のほうが謝るべきで・・・!
あ、その、謝らないでください!」
ペットボトルを受け取ってお辞儀をしたなら、俺はそのまま顔を俯けた。
とてつもなく恥ずかしく、酔いはかなり醒めたはずが、顔が沸騰しそうに熱くなったからだ。
初対面の優男に迷惑をかけ、ここまで手を煩わせたことが申し訳なく居たたまれないのもある。
ただ、それ以上に酒屋で話していた内容が思い出されて、意識せざるを得なかった。
優男をセックスの対象として見そうになる。
恋人を「子猫ちゃん」と言っていたからに、優男の性愛の対象は異性だろう。
だとしたら、意識するだけ馬鹿らしいとはいえ、そう、馬鹿らしい上に俺はとても困る。
居酒屋でこぼしたように俺は優しくされるのが苦手だった。
日常の浅い人付き合いならやり過ごせても、踏みこんだ関係になったり、こういう二人きりの状況に置かれると、優しくされるのに、どうにも耐えられない。
今だって、気まずく逃げたくて仕方がなかった。
早く逃げだしたいのなら、きちんと顔を見て礼を述べ、別れの挨拶に、二、三言葉を交わすくらいしなければならないところ。
ただ、迷惑そうにするどころか「ごめんね」とまで言った、さっきの優男の顔を思い浮かべるに、心拍数が鰻上りで顔を上げられなくなる。
俯いて黙りこむのが長引くほど気まずさも増して、頬を熱くしたまま途方に暮れていたら、くく、と笑い声が漏れたのが聞こえた。
「居酒屋ではあんなに、くだを巻いていたのに。
ほんと、優しくされるの苦手なんですね」
言葉だけ聞くと微笑ましそうに言っているようで、声の響きには棘がある。
居酒屋で優男が言葉責めを得意とすると言っていたのを思い出し、さらに体を火照らせながらも寒気を覚えた。
真っ赤だろう耳やうなじが相手には丸見えで、勘違いされてもおかしくなかった。
やばいやばいと思っているうちに顎に指を添えられて、顔を上向かされる。
優男が艶っぽく笑うのに目をくらませながら、顎に添えた指で頬を撫でられそうになったのを、その手首をつかんで止めた。
目を見開いた優男は、でも、俺の顔に手を添えたまま「気に入りました」とむしろ笑みを深める。
「あなたが好きになりました。
浮気が駄目なら、僕は子猫ちゃんと別れます」
そういう雰囲気になりかけたとはいえ、まさか突然、真っ向から告白されるとは思ってもみなく、真面目にとらえることができなかった。
そもそもが、だ。
「そんなこと言う奴と付き合えるわけがない」と俺は呆れながらも、苦言をする。
「なんでです?
ちゃんと恋人とは別れて、あなたと付き合いたいと言っているのに」
「その別れるっていう子猫ちゃんのこと、誰よりも暴き甲斐があるって言っていたじゃないか」
「あなたとこうなるまでは、ね。
それに言ったじゃないですが。
子猫ちゃん以上の逸材が現れれば、話は違うって」
「で、結局、俺より暴き甲斐のある奴を見つけたら、浮気をしたり別れたりするってことだろ?
そんな信用できない奴、俺はごめんだ」
はっきりきっぱりとNOを突きつけたはずが、優男の微笑は崩れることがない。
なんなら前より余裕綽々のようで「ああ、なるほど」なんて、もったいつけて言う。
「あなた、優しくされるのが苦手なんじゃなくて、裏切られるのが怖いんですか」
「はあ?」と言いたいところ、声が出なかった。
図星をつかれたような形になったのが不本意なものの、薄く開けたままの口が硬直して動てくれない。
声を出せない代わりに頬を歪めれば、優男は目を細めてつづける。
「前に優しくしてれた相手に裏切られて、トラウマのようになってしまったとか?
それで、裏切られて辛く苦しい思いをするより、優しくされないほうがいいと考えてしまった。
はじめから優しくない人間なら、裏切られても、もともと、そういう奴だからと思ってショックは受けないですからね」
残念ながら身に覚えがあったので、つい唇を噛む。
知ったような口を叩く優男に苛立ちつつも、居酒屋で人の心を見抜くのに長けているようなことを言っていたのを思い出し、本当だったのかと、すこし感心をした。
なんて、気を抜いたところで「でも、人を裏切らない人はいませんよ」と厳しい言葉が耳に刺さる。
「あなたは決して裏切られないことを望んでいる。
それは、ないものねだりだ」
優男の言葉に心臓が握りつぶされるような痛みを覚えた。
深く傷つけられた俺を、優男は嘲笑うでも諭すでもなく、興味津々といったように見てくる。
なんと悪趣味なと、睨みつけると「いいですね」となぜか、うっとりするように言う優男。
「ないものねだりをするあなたの願いを叶えてあげたい」
「はあ!?」と今度は声が出た。
我ながら鼓膜が痛くなるような声量だったけど、どこ吹く風で「ほら、居酒屋で言ったでしょ」と優男は嬉々として語る。
「僕は人の心を暴いて、秘めた願望や欲求を満たしてあげるのが楽しいんです。
あなたの心はこれ以上なく暴き甲斐があるし、その望みが無理難題だからこそ、叶えてやれるのは僕だけなんだと燃えるんですよ」
言っていることは無茶苦茶で理解しがたかったものの、俺をからかってはいなさそうで変に説得力もあった。
「ちょ、調子のいいこと言うなよ・・・」とたじろぎつつ、飲まれそうになっている俺に優男は念を押す。
「前にも言ったように僕はサドというわけではない。
セックス以外では恋人に優しくしたいと思いますし。
セックスだって、これまで言葉責めを求められたことしかないから、そうしていたに過ぎなくて、本当は優しくするほうが性に合っているのかも。
だったら、尽きない優しさを求めるあなたとは相性が抜群なんじゃないですか?」
頬を撫でようとした手を掴んだままでいる俺の手を、もう片手で包みこんでまっすぐ見つめてくる。
頭の螺子が五つくらい飛んだような、やばい奴に思えたけど、中々どうして心が揺らいでいた。
この男なら決して俺を裏切らないかもしれない。
そう思ったからではない。
俺が人に裏切られることを恐れていると知っても、馬鹿にしたり笑ったりせずに優男なりに受け止めてくれた。
そのことだけで、結構、胸にくるものがあったのだ。
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