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スキャンダラスで破滅的な恋を
二人のスキャンダルで破滅的な恋④
しおりを挟む「あの人が発狂しそうに、まくしたてそうな言葉だなあ」と幻聴に耳を傾けつつ、懐かしく思う。
彼は僕の元マネージャーで、デビューしてから高校卒業するまでの多忙な時期に世話になった人だ。
事務所社長の息子でもあり、跡継ぎとして育てるためにも、大手でない事務所きっての出世が見込める若手俳優に当てがったらしい。
事務所社長がおおらかで抜けたところがある一方で、息子のマネージャーは生真面目で心配症という対照的な性格をしていた。
基本的には穏やかで物腰が柔らかく、丁寧で細部まで詰める仕事をしてくれたけど、必要以上に自らプレッシャーをかける傾向があり、いつもノイローゼ気味でいた。
もともと、事務所の後継者として見られるプレッシャーを抱えていたのだろうし、予想外にデビューからして僕が脚光を浴びたことで、ますます重責を覚えたのだろう。
デビューしたての僕への指導を鞭打つように厳しくした。
何より教えこまれたのは、相手に何を求められているか、その人の言葉や仕草、雰囲気、あらゆるシグナルを見逃さずに察して、求められている以上の相手を感嘆させるような対応をすること。
たとえば、プロデューサーに挨拶するとき「初めまして、駆けだしの吉谷と言います。ドラマがいいものになるよう頑張るので、よろしくお願いします」と言おうものなら、マネージャーの採点は零点だ。
まず、誰でもしそうな挨拶で特徴がないのが頂けなく、丁寧なのはいいとして、その分、親しみに欠けて、プロデューサーへの関心のなさが透けて見えるのが、目も当てられない。
という指摘を受けてから、別のプロデューサーには「初めまして、友寄事務所の吉谷と言います。○○プロデューサーの手がけた作品『へっぴり腰で愛』を見ました。主人公がへっぴり腰で愛を告白するシーンなんかは、つい笑っちゃって。今回のドラマはテイストが違うかもしれませんが、同じくらい世間に注目される作品になるよう頑張りたいです」と挨拶をした。
それでもマネージャーの採点は四十点。
今から思い起こせば、褒められたことは一度もなかった。
ほんの挨拶から、いちいち至らない部分をあげつらわれ「他の人は当たり前にやっているし、もっと努力している」「周りに追いつくには普通に頑張っていても無駄」と口癖のように、けなされた。
事務所が大手でないことの劣等感を、僕に投影して、早く周りから一端として認められるよう、急き立てていたところもあるのだろう。
業界での肩身の狭い立場から抜けだしたいとの思いが、人一倍強かっただけに、成果をいくらあげても「まだまだ」と物足りなさを覚えていたようで、逆に些細なことでも、しくじろうものなら、大手でない事務所は業界からすぐに爪弾きにされるものと考え、恐れていたようだった。
そりゃあ、僕が気を抜いたり、へまをすれば「そんなんじゃあ、すぐに干される」「甘く見ていると、後の人生も狂う」と肝が冷えるような脅し文句をいくらでも浴びせてきた。
成り上がるより前に、ミスに足をすくわれて業界から追われたら、元も子もない。
生き残ることを第一にして、出しゃばるな、謙遜もしすぎるな、控えめでいろ、変に目立とうとするな、イメージが悪くなる噂を立てられるな、人には好かれすぎず嫌われすぎずにしろ、笑顔を絶やすな、下手に口出しや干渉をするな、人とはつかず離れずにいろ。
などなど数えきれないほどの戒めを受けた。
そう、慎重すぎて損はないマスコミ対策も、マネージャーの教えに習ってしていたことだ。
と、考えると、マネージャーに一から作りだされたのが今の僕といえる。
心の病を患って事務所から去った後も、僕はマネージャーの教え通りにふるまい、また常に自分の至らなさを省みつづけてもいた。
言い換えれば、その場にいないはずのマネージャーに監視され、駄目だしされる錯覚をしていたのだと思う。
証拠に、僕は絶えずに女性と交際をしていた。
このこともマネージャーのアドバイスによるものだった。
女性人気が高いと、そっぽを向かれた時のリスクも高く、男性から反感を買いやすい。
仕事でも女性とトラブルになったり、妬む男性に妨害や嫌がらせをされたりと、支障になることが多い。
大手事務所なら圧力をかけ黙らせられるところ、我が事務所には援護を望めない。
などなど考慮した上で、業界で生き永らえるには、女性人気の利を得るより、仕事優先に、それによるリスク回避に努めたほうがいい。
ということで、あえて有名な女優との交際をするよう、勧められたわけだ。
毎度、彼女にフられて、長続きしないのだけど、それにしたって「交際が長くなると、結婚の話になってややこしくなるから、そうなる前に別れなさい」とマネージャーの助言に従って、仕向けていたのかもしれない。
かもしれない、と思うのは、あくまで自分の意志で恋愛しているものと、そのころは疑っていなかったからだ。
スキャンダルが巻き起こるまで、未だにマネージャーに導かれているとの自覚がまるでなかった。
これまでを思い返せば、仕事についての仕方、考え方、振るまい方、何もかもをマネージャーの言いなりに実行して、自分で思考して行動したという覚えがなく、マネージャーの操り人形だったといっても過言ではない。
自分が操り人形なのを気づけなかったのは、言いなりになるのが苦でなかったし、おかげで、業界で二十年、さほど浮き沈みなくやってこれたからだろう。
元々、信念や拘りがない僕は、操り人形に徹するのに、他の人より抵抗や躊躇がなかったのだと思う。
にも関わらず、マンションの中庭で取材を受けたときに、頭の中の声に、突然、反旗を翻したのは、犬飼君についてだけは譲れなかったのだ。
いや、僕にだって反抗心はあって、犬飼君に興味を持ったのをきっかけに「頃合いを見て、イメージのいい女優と結婚しなさい」と命じられたのに、裏切るような行為に走ったのかもしれない。
何にしろ、犬飼君が僕の意識を変えたのには違いない。
意識を変えつつある、というのが正確だろうか。
自覚がなく操られていたころに比べたら、自分の意識から傀儡師であるマネージャーが分離して、その幻覚や幻聴に悩まされるようになったのは、前進したといえる。
ただ、二十年も支配されていたのなら、もうマネージャーは自分の一部だともいえて、それが欠けた心の中を覗いてみれば、空っぽという有様だ。
三十五歳にもなって、心が空虚なのに気づかされるのは、きついものがある。
何をしたらいいのか、何をしたいのか、これからどうやって生きていくのか。
人が二十年かけて考え歩んできたことを、三十五歳からスタートさせなければならない。
失った二十年を埋めていくのは煩わしく、途方もないようで、手をつけなくないのだろう。
一歩踏みだすより、後戻りしたほうが楽なのではないかと、思わないでもなく、だから、マネージャーの影が消え去らないのかもしれない。
芸歴二十年にしてはじめて、周りへの配慮を度外視して、身勝手に無謀に業界から跳びだしたとはいえ、四六時中つきまとうマネージャーの影にまた、取りつかれるとも限らない。
意志が弱い、というか、二十年、意志を持つのを避けていたから余計だ。
それでも、僕は犬飼君のように強く生きたかった。
部屋の前に置かれているゴミ箱から、ぱんぱんのゴミ袋を取りだし、共同玄関へ向かった。
置きっぱなしにしてある、つっかけを足にひっかけて、アパートから少し離れたゴミ捨て場まで歩いていく。
ゴミの山に置いてネットをかぶせ、戻る間にも、マネージャーの幻覚は背後に寄り添っていた。
「俳優がゴミ出ししているところなんて、人に見られたら幻滅される」と相変わらず、耳元でぶつぶつと文句を垂れている。
幻聴と自覚してから、もう慣れたもので「はいはい」と聞き流しつつも、一ヵ月以上経っても、マネージャーの幻覚が薄まることがないのに、「一生、つきまとわられるのかな」と少々、弱気にもなっていた。
朝っぱらから気が塞いだものの、気を取り直して顔を上げたところで、アパートの前を横切り、歩いてくる人が目に入った。
パーカーにジーンズとありふれた服装で、目元と頭をすっぽり隠すように目深にキャップをかぶっている。
一見、若そうとはいえ、煙草の吸い方がさまになっているあたり、渋い雰囲気をまとっていた。
今時、歩き煙草とは珍しいと思いつつ、あまり見入っては失礼かと思い、やや視線をずらして彼のほうへ歩いていった。
彼もキャップで目元を隠したまま、お互いまともに顔を見合わせることがなかったのだけど、すれ違って少しして、マネージャーの気配が揺らぎ、絶えない呟きが途切れた。
はっとして振り返った僕は、歩みを留めない背中に向かい「犬飼君?」と呼んだ。
呼んでから二歩ほど進んで留まって、振り返ったのは、果たして犬飼君だった。
が、トレードマークの縮れ毛をキャップに詰めこみ、剥き出しの額に皺を寄せ、苦々しそうに煙草を吸っている姿に、プードル系男子の面影のかけらもなかった。
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