1 / 1
化けネズミ
しおりを挟む
—蝉の声(ミーンミーン)—
夏も終わりに近付いているというのに、蝉の声はいっそう強まるようだった。
梶井はこの時期が来ると思い出したように両親の墓参りに来るのであった。
七年前になる。母が事故死して一年後、父は母を追いかけるように亡くなったのだった。お墓は梶井が子供の頃育った土地に立てられた。
今も昔も、何にも無い田舎であった。
子供の頃の友人らもみんな都会へと移り住み、知り合いもほとんどいなくなった。
梶井は自宅からここまで二時間ほど高速道路を飛ばして来た。墓の最寄り駅の近くの駐車場に車を停めて数十分、山道を登らねばならない。ここは車が入れない田舎道で、歩いて登るしかないのだった。子供の頃歩き慣れた道も、運動不足がたたって、ハアハアと言いながらなんとか登りきった。そこには見晴らしの良い景色が広がる。
「久しぶりだなあ。しかし俺も歳をとったもんだ」墓の横に生えた、雑草を抜きながら梶井はまだ、息切れが治まらない。
「相変わらず、草が生い茂ってやがる。まあ、誰も手入れしてくれるわけじゃないけどな」と一人ごちた。
ふと、蝉の声にまぎれて、弱々しい声が遠くから聞こえて来た。
—ミョオー、ミョー—(猫の鳴き声BGM)
気になった梶井は、鳴き声のするほうへ移動した。(バサッ、ガサッ踏みしめる音)少し上のほうへ登って行くと大木が見え、その根元にはなんと、三毛猫が縛り付けられていた。
「可哀想に、なんて事だ・・・」
子供の悪戯だろうか。猫は紐で首をくくりつけられていた。よく見ると後ろ足に傷を負っている。梶井はそっと近付き、紐を解いてやり、ポケットに入っていた赤いバンダナを取り出して裂き、猫の傷口に巻いてやった。
「腹、減ってんだろう?食うか?」カバンの中からスナック菓子の袋を取り出し、手のひらに載せて与えた。猫はガツガツとむさぼり食った。
梶井はふと思った。
—よし、こいつを連れて帰ろう—
足も痛めている事だし、このままおいていくと、カラスや野鼠にやられてしまうかもしれない。梶井の車まで、猫を抱きかかえて山を下りた。猫は大人しく、梶井の顔を見つめていた。車の助手席にそっと乗せ、エンジンをかけた。猫は車のスピードにも、振動にも驚く様子もなく、落ち着いた様子で揺られていた。もうすぐ高速道路の入り口に近付いてきたと思った時、梶井は日頃の仕事の疲れのせいか、うとうとと眠くなって来た。曲がりくねったカーブが続き、何度も何度も同じ道を走っているかのようだった。終わりが見えない、起伏なくずっと続いている道。(車のエンジン音、BGM)対向車も来ない一本道で、眼下には梶井の育った街並が広がっていた。崖っぷちのガードレール、そのいくつかには明らかに車のぶつかった跡があったが、梶井には、それさえ見えなくなっていた。ブレーキとアクセル、どっちを踏んでいるのかも分からない。そこから、プッツリと意識がなくなった。
(ガタン、ガタン 電車のBGM)
梶井は、見知らぬ駅へ向かう電車に乗って居眠りをしていた。
「お客さん終点ですよ」と言って乗務員に起こされた。見渡すと乗客は梶井の他に誰もいなかった。座席のクッションはがたついており、木製の内装に分厚いガラス窓の車内から外を見ると、薄暗い街灯がぽつりぽつりと見え随分と遅い時間に思えた。プラットフォームに降り立つと、草の香りがただよっており、涼しい風が吹いていた。梶井はぼんやりしながら改札へ向かった。駅の時刻表を見ると、どうやら最終電車だったようだ。
—困ったぞ。家に帰れないじゃないか—
駅の構内は意外に広い。天井も高く、装飾的ではないものの、緩やかなアーチを描いた鉄柵はどことなく異国の感じがした。
だが照明はとても暗い。おまけに夏だというのに薄ら寒くさえ思えた。
薄気味の悪い駅を歩きながらタクシー乗り場はどこだろうと思い、キョロキョロしていたら、駅員の女に呼び止められた。
「あんた、タクシーを探してんのかい?こんなとこにタクシーなんか、来ねえよ。歩いて帰るんだな」突然無作法に話しかけてきた駅員を快くは思わなかったが、あえて低姿勢で話す事にした。
「それじゃあ駅員さんは、どうやってお帰りになるんですか?」
「あたしはすぐ近くに住んでるんでね。車も持っちゃいねえよ。」駅員はにやりとした。梶井は、駅員が車を持っているなら便乗してやろうという魂胆を見透かされたようで、ドキリとした。
「そうか、それじゃ仕方ないなあ。ここのベンチで始発まで待たせてもらうしかないな」梶井がふらりと、待合室に戻ろうとすると、
「時々、あんたみたいな客がいるんだよ。ここらへんは終電が早いんでね。都会から来たヤツは、どこでもタクシーがあるって思い込んでるから始末に負えんよ。なんなら、あたしん家に泊めてやってもいいけどよ、どうだい」勝ち誇ったように言った。駅員は大柄で制服がはち切れんばかりの肉付きの良い中年女で、たとえようのない嫌な匂いがした。
「本当ですか?それは助かります。良かった、親切な方に出会えて—」
梶井は内心乗り気ではなかったが、一晩のことだと割り切って考える事にした。駅員は付け加えるように言った。
「無料とは言わんよ。二千円でどうだい、高いかね」
「いやあ、タクシー代に比べたら、なんて事ないですよ」駅員が親切ないい人であるかは別として、屋根のあるところで眠れるなら何でもいい、だが、この駅員の悪臭は何とかならないものかとも思った。
駅員は、ついて来な、と言いながら線路沿いの砂利道を歩きはじめた。(ジャッ、ジャッ砂音のBGM)
こんな、舗装されていない道がまだあるのだと言う事にも驚かされた。一体ここはどこなんだ?電柱には、紙の広告がたくさん貼られており、剥がれたところから木肌がのぞいていた。街灯のはだか電球には羽虫がぶんぶんと集まって来ては、ジリッ、と音をたてて落ちていった。道沿いにひしめく看板はあちこち錆びた鉄製のものだった。梶井が産まれた頃はこんな風だったのだろうか。いや、もっと昔、両親が子供の頃か—。あれこれ考えているうちに、駅員の家にたどり着いた。
「あたしん家は、あたしと息子がいるだけだから、遠慮はいらないよ。とりあえず、先に二千円もらえんかね。」そう言われ梶井は、ポケットから札を取り出し渡した。駅員の家の玄関は今どきもうすっかり見なくなった、木製の引き戸であった。
(—ガラガラ—サザエさん家の扉開けるBGM)
「おっかあ、お帰り~腹あ減った~」気味の悪い大男が玄関に出迎えた。梶井はその男の風貌にびくりとした。
「おっかあ、今日の晩ご飯はそいつかあ?おいら全部ぅ喰うてええんかぁ?」
「ええよう、寝ちまってからなあ」さらりと駅員が言った。
梶井は顔が引きつったまま、後ずさりしようとしていた。
「冗談だよう、こいつは頭が悪いんで、なにもわかりゃしないんだよ。さあさ、奥の部屋で休んでいいよ」奥の部屋は既に布団が敷かれており、薄暗く、ひどい悪臭がした。今まで泊まったどんな部屋よりも居心地が悪く、落ち着かなかったが、とにかく眠る事にした。
ようやく睡魔が訪れたと思った梶井の耳に、二人の会話が聞こえて来た。
「なああ、おっかあ。もう食ってもエエかあ?」
「まあだ。完全に眠っちまうまではだめだぁ。ゆっくり頂くんだよ」
まさかと思いながら耳をそば立てると、包丁を研ぐ音が聞こえてくるのだった。(シャキーン、シャキーンBGM)
なんだこれは!まるで昔話にあるシチュエーションじゃあないか。疲れた旅人が泊めてもらった家にはヤマンバがいて・・・・嘘だろう?
もしかして、と思って恐る恐る押し入れを開けてみると・・・思った通りだった。中には人骨の山があった。人骨には干涸びた肉がこびり付いているものもあり異臭を放っていた。ひいっ、と声を出しそうになったがこらえて口を押さえた。その、人骨の山の中からスーッと白い手が見えたかと思うと、がさがさと骨を払いのけながら着物姿の女が現れた。
「びっくりしなくていいのよ。私はあなたを食べたりはしないから・・・」
大きな瞳と耳をした女は、細い身体をくねらせながら近付いて来て、梶井の足下にスッと寄り添い、座り込んだ。梶井は恐怖におののきながらも、女の美しさに見とれていた。
「あいつらに食われたくなけりゃ、あたしに付いておいでなさい」女は床下にある穴を指差し、そこから潜ると外へ出られるという事を教えてくれた。
「あんたは何ものだい?助けてくれるのかい?」
「さあね、とにかく逃げるのよ」女は珍しい、黒と茶と白の三色の柄の着物を着ており、足首には赤い布切れを巻いていた。
家の外へ出ると、また砂利道だった。来る時歩いて来たところとは違う、別の線路沿いの道を女は歩いて行った。女は草履を履いているのに早足で、梶井はついて行くのがやっとであった。どうやらこの線路は廃線になっているものらしい。錆びて、周りは雑草が生い茂っていた。その先にやがてトンネルが見えてきた。赤茶色の煉瓦で出来た、今にも崩れ落ちそうなものであった。
「さあ、あのトンネルの向こうにあなたの帰るところがあるから、真っ直ぐお行きなさい」女は梶井の手を引いて、中へと誘導した。
トンネルの中に入ると、はじめは全く何も見えなかった。内部は涼しいというより薄ら寒く、時折ポタリポタリとてっぺんから雨水が滴り落ちてきた。だんだん眼が慣れてくると、やっと周りが見えてきたので梶井は恐る恐る進んだ。やがて、向こうの方にぼんやりと灯りが見えた。出口だ、と思ったその瞬間であった。
「待てぇ~~こらァ~~」駅員と息子の声がこだまし、二人は恐ろしい速さで追いかけて来た。(逃走シーンのBGM)
二人をみて梶井は自分の目を疑った。全身毛むくじゃらで口が耳まで裂け、恐ろしく大きな化け鼠の正体をあらわしたのだった。着物の女はそれを見るや否や自分も化け猫の姿をあらわし、化け鼠に襲いかかった。暗闇の中で、蘭々と化け物たちの目が光り、トンネル内に三つの叫び声が響きわたった。爪が振り下ろされ肉の裂ける鈍い音とともに、血の匂いがトンネルの中に広がる。化け猫の唸り声は大きくなり、鼠たちの断末魔の悲鳴のような甲高い鳴き声の後、静寂が訪れた。梶井は命からがら逃げ出すと、トンネルの外には見覚えのある一本の大木があった。その根元に倒れ込み眠ってしまった。
目覚めると、梶井は病院のベッドの上にいた。
「ここはどこなんだ?そうだ、俺は猫を乗せたまま車を・・・いや、それからどうなったんだっけ?」頭をかかえていると、年老いた医者がやって来て言った。
「いやあ、君は命拾いしたねえ。よく意識が戻ったもんだ」
「何ですって?俺は一体?」梶井はなんの事だかわからなかった。
「君の車はガードレールの壊れた崖から真っ逆さまに落ちてしまったんだ。発見された時には意識が無く、ここへ運ばれてからも二日間意識が戻らないので、もう駄目かと思ったよ」
「そう言えば、ね、猫は?」梶井は急に思い出したように言った。あいつも一緒に落ちたはずだ。
「君の足下にいるよ。その三毛猫は君のペットかい?その子のお陰で、谷底の野鼠に食われずに助かったようなもんだよ。救助隊が見つけた時には、君の横で有り得ないぐらい大きな野鼠が死んでいたそうだよ。あんな意識の無い状態なら、かじられて食い殺されていただろうからねえ・・・」医者は感心したように言った。
三毛猫は、ベッドの下で優雅に毛づくろいをしていた。ぴんと伸ばした足の先には、赤いバンダナが巻かれていたままだった。右耳は、鼠と争った時にやられたのか、半分かじられていた。
命を助けてやったつもりだったが、自分が助けられる事になるとは。
人生は皮肉に満ちている。
—終—
夏も終わりに近付いているというのに、蝉の声はいっそう強まるようだった。
梶井はこの時期が来ると思い出したように両親の墓参りに来るのであった。
七年前になる。母が事故死して一年後、父は母を追いかけるように亡くなったのだった。お墓は梶井が子供の頃育った土地に立てられた。
今も昔も、何にも無い田舎であった。
子供の頃の友人らもみんな都会へと移り住み、知り合いもほとんどいなくなった。
梶井は自宅からここまで二時間ほど高速道路を飛ばして来た。墓の最寄り駅の近くの駐車場に車を停めて数十分、山道を登らねばならない。ここは車が入れない田舎道で、歩いて登るしかないのだった。子供の頃歩き慣れた道も、運動不足がたたって、ハアハアと言いながらなんとか登りきった。そこには見晴らしの良い景色が広がる。
「久しぶりだなあ。しかし俺も歳をとったもんだ」墓の横に生えた、雑草を抜きながら梶井はまだ、息切れが治まらない。
「相変わらず、草が生い茂ってやがる。まあ、誰も手入れしてくれるわけじゃないけどな」と一人ごちた。
ふと、蝉の声にまぎれて、弱々しい声が遠くから聞こえて来た。
—ミョオー、ミョー—(猫の鳴き声BGM)
気になった梶井は、鳴き声のするほうへ移動した。(バサッ、ガサッ踏みしめる音)少し上のほうへ登って行くと大木が見え、その根元にはなんと、三毛猫が縛り付けられていた。
「可哀想に、なんて事だ・・・」
子供の悪戯だろうか。猫は紐で首をくくりつけられていた。よく見ると後ろ足に傷を負っている。梶井はそっと近付き、紐を解いてやり、ポケットに入っていた赤いバンダナを取り出して裂き、猫の傷口に巻いてやった。
「腹、減ってんだろう?食うか?」カバンの中からスナック菓子の袋を取り出し、手のひらに載せて与えた。猫はガツガツとむさぼり食った。
梶井はふと思った。
—よし、こいつを連れて帰ろう—
足も痛めている事だし、このままおいていくと、カラスや野鼠にやられてしまうかもしれない。梶井の車まで、猫を抱きかかえて山を下りた。猫は大人しく、梶井の顔を見つめていた。車の助手席にそっと乗せ、エンジンをかけた。猫は車のスピードにも、振動にも驚く様子もなく、落ち着いた様子で揺られていた。もうすぐ高速道路の入り口に近付いてきたと思った時、梶井は日頃の仕事の疲れのせいか、うとうとと眠くなって来た。曲がりくねったカーブが続き、何度も何度も同じ道を走っているかのようだった。終わりが見えない、起伏なくずっと続いている道。(車のエンジン音、BGM)対向車も来ない一本道で、眼下には梶井の育った街並が広がっていた。崖っぷちのガードレール、そのいくつかには明らかに車のぶつかった跡があったが、梶井には、それさえ見えなくなっていた。ブレーキとアクセル、どっちを踏んでいるのかも分からない。そこから、プッツリと意識がなくなった。
(ガタン、ガタン 電車のBGM)
梶井は、見知らぬ駅へ向かう電車に乗って居眠りをしていた。
「お客さん終点ですよ」と言って乗務員に起こされた。見渡すと乗客は梶井の他に誰もいなかった。座席のクッションはがたついており、木製の内装に分厚いガラス窓の車内から外を見ると、薄暗い街灯がぽつりぽつりと見え随分と遅い時間に思えた。プラットフォームに降り立つと、草の香りがただよっており、涼しい風が吹いていた。梶井はぼんやりしながら改札へ向かった。駅の時刻表を見ると、どうやら最終電車だったようだ。
—困ったぞ。家に帰れないじゃないか—
駅の構内は意外に広い。天井も高く、装飾的ではないものの、緩やかなアーチを描いた鉄柵はどことなく異国の感じがした。
だが照明はとても暗い。おまけに夏だというのに薄ら寒くさえ思えた。
薄気味の悪い駅を歩きながらタクシー乗り場はどこだろうと思い、キョロキョロしていたら、駅員の女に呼び止められた。
「あんた、タクシーを探してんのかい?こんなとこにタクシーなんか、来ねえよ。歩いて帰るんだな」突然無作法に話しかけてきた駅員を快くは思わなかったが、あえて低姿勢で話す事にした。
「それじゃあ駅員さんは、どうやってお帰りになるんですか?」
「あたしはすぐ近くに住んでるんでね。車も持っちゃいねえよ。」駅員はにやりとした。梶井は、駅員が車を持っているなら便乗してやろうという魂胆を見透かされたようで、ドキリとした。
「そうか、それじゃ仕方ないなあ。ここのベンチで始発まで待たせてもらうしかないな」梶井がふらりと、待合室に戻ろうとすると、
「時々、あんたみたいな客がいるんだよ。ここらへんは終電が早いんでね。都会から来たヤツは、どこでもタクシーがあるって思い込んでるから始末に負えんよ。なんなら、あたしん家に泊めてやってもいいけどよ、どうだい」勝ち誇ったように言った。駅員は大柄で制服がはち切れんばかりの肉付きの良い中年女で、たとえようのない嫌な匂いがした。
「本当ですか?それは助かります。良かった、親切な方に出会えて—」
梶井は内心乗り気ではなかったが、一晩のことだと割り切って考える事にした。駅員は付け加えるように言った。
「無料とは言わんよ。二千円でどうだい、高いかね」
「いやあ、タクシー代に比べたら、なんて事ないですよ」駅員が親切ないい人であるかは別として、屋根のあるところで眠れるなら何でもいい、だが、この駅員の悪臭は何とかならないものかとも思った。
駅員は、ついて来な、と言いながら線路沿いの砂利道を歩きはじめた。(ジャッ、ジャッ砂音のBGM)
こんな、舗装されていない道がまだあるのだと言う事にも驚かされた。一体ここはどこなんだ?電柱には、紙の広告がたくさん貼られており、剥がれたところから木肌がのぞいていた。街灯のはだか電球には羽虫がぶんぶんと集まって来ては、ジリッ、と音をたてて落ちていった。道沿いにひしめく看板はあちこち錆びた鉄製のものだった。梶井が産まれた頃はこんな風だったのだろうか。いや、もっと昔、両親が子供の頃か—。あれこれ考えているうちに、駅員の家にたどり着いた。
「あたしん家は、あたしと息子がいるだけだから、遠慮はいらないよ。とりあえず、先に二千円もらえんかね。」そう言われ梶井は、ポケットから札を取り出し渡した。駅員の家の玄関は今どきもうすっかり見なくなった、木製の引き戸であった。
(—ガラガラ—サザエさん家の扉開けるBGM)
「おっかあ、お帰り~腹あ減った~」気味の悪い大男が玄関に出迎えた。梶井はその男の風貌にびくりとした。
「おっかあ、今日の晩ご飯はそいつかあ?おいら全部ぅ喰うてええんかぁ?」
「ええよう、寝ちまってからなあ」さらりと駅員が言った。
梶井は顔が引きつったまま、後ずさりしようとしていた。
「冗談だよう、こいつは頭が悪いんで、なにもわかりゃしないんだよ。さあさ、奥の部屋で休んでいいよ」奥の部屋は既に布団が敷かれており、薄暗く、ひどい悪臭がした。今まで泊まったどんな部屋よりも居心地が悪く、落ち着かなかったが、とにかく眠る事にした。
ようやく睡魔が訪れたと思った梶井の耳に、二人の会話が聞こえて来た。
「なああ、おっかあ。もう食ってもエエかあ?」
「まあだ。完全に眠っちまうまではだめだぁ。ゆっくり頂くんだよ」
まさかと思いながら耳をそば立てると、包丁を研ぐ音が聞こえてくるのだった。(シャキーン、シャキーンBGM)
なんだこれは!まるで昔話にあるシチュエーションじゃあないか。疲れた旅人が泊めてもらった家にはヤマンバがいて・・・・嘘だろう?
もしかして、と思って恐る恐る押し入れを開けてみると・・・思った通りだった。中には人骨の山があった。人骨には干涸びた肉がこびり付いているものもあり異臭を放っていた。ひいっ、と声を出しそうになったがこらえて口を押さえた。その、人骨の山の中からスーッと白い手が見えたかと思うと、がさがさと骨を払いのけながら着物姿の女が現れた。
「びっくりしなくていいのよ。私はあなたを食べたりはしないから・・・」
大きな瞳と耳をした女は、細い身体をくねらせながら近付いて来て、梶井の足下にスッと寄り添い、座り込んだ。梶井は恐怖におののきながらも、女の美しさに見とれていた。
「あいつらに食われたくなけりゃ、あたしに付いておいでなさい」女は床下にある穴を指差し、そこから潜ると外へ出られるという事を教えてくれた。
「あんたは何ものだい?助けてくれるのかい?」
「さあね、とにかく逃げるのよ」女は珍しい、黒と茶と白の三色の柄の着物を着ており、足首には赤い布切れを巻いていた。
家の外へ出ると、また砂利道だった。来る時歩いて来たところとは違う、別の線路沿いの道を女は歩いて行った。女は草履を履いているのに早足で、梶井はついて行くのがやっとであった。どうやらこの線路は廃線になっているものらしい。錆びて、周りは雑草が生い茂っていた。その先にやがてトンネルが見えてきた。赤茶色の煉瓦で出来た、今にも崩れ落ちそうなものであった。
「さあ、あのトンネルの向こうにあなたの帰るところがあるから、真っ直ぐお行きなさい」女は梶井の手を引いて、中へと誘導した。
トンネルの中に入ると、はじめは全く何も見えなかった。内部は涼しいというより薄ら寒く、時折ポタリポタリとてっぺんから雨水が滴り落ちてきた。だんだん眼が慣れてくると、やっと周りが見えてきたので梶井は恐る恐る進んだ。やがて、向こうの方にぼんやりと灯りが見えた。出口だ、と思ったその瞬間であった。
「待てぇ~~こらァ~~」駅員と息子の声がこだまし、二人は恐ろしい速さで追いかけて来た。(逃走シーンのBGM)
二人をみて梶井は自分の目を疑った。全身毛むくじゃらで口が耳まで裂け、恐ろしく大きな化け鼠の正体をあらわしたのだった。着物の女はそれを見るや否や自分も化け猫の姿をあらわし、化け鼠に襲いかかった。暗闇の中で、蘭々と化け物たちの目が光り、トンネル内に三つの叫び声が響きわたった。爪が振り下ろされ肉の裂ける鈍い音とともに、血の匂いがトンネルの中に広がる。化け猫の唸り声は大きくなり、鼠たちの断末魔の悲鳴のような甲高い鳴き声の後、静寂が訪れた。梶井は命からがら逃げ出すと、トンネルの外には見覚えのある一本の大木があった。その根元に倒れ込み眠ってしまった。
目覚めると、梶井は病院のベッドの上にいた。
「ここはどこなんだ?そうだ、俺は猫を乗せたまま車を・・・いや、それからどうなったんだっけ?」頭をかかえていると、年老いた医者がやって来て言った。
「いやあ、君は命拾いしたねえ。よく意識が戻ったもんだ」
「何ですって?俺は一体?」梶井はなんの事だかわからなかった。
「君の車はガードレールの壊れた崖から真っ逆さまに落ちてしまったんだ。発見された時には意識が無く、ここへ運ばれてからも二日間意識が戻らないので、もう駄目かと思ったよ」
「そう言えば、ね、猫は?」梶井は急に思い出したように言った。あいつも一緒に落ちたはずだ。
「君の足下にいるよ。その三毛猫は君のペットかい?その子のお陰で、谷底の野鼠に食われずに助かったようなもんだよ。救助隊が見つけた時には、君の横で有り得ないぐらい大きな野鼠が死んでいたそうだよ。あんな意識の無い状態なら、かじられて食い殺されていただろうからねえ・・・」医者は感心したように言った。
三毛猫は、ベッドの下で優雅に毛づくろいをしていた。ぴんと伸ばした足の先には、赤いバンダナが巻かれていたままだった。右耳は、鼠と争った時にやられたのか、半分かじられていた。
命を助けてやったつもりだったが、自分が助けられる事になるとは。
人生は皮肉に満ちている。
—終—
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる