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真夏の夜の夢
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第一話 猫
あれは、二十年程前の雨の夜でした。そのころ私はトラックで配送の仕事をしながら、アマチュアバンドで音楽活動をつづけておりました。お恥ずかしい話なのですが、この頃の私ときたらアルコールに頼らないと、人とまともに話すことも難しいぐらい精神を病んでおりました。
その日は梅雨があけたと言うのに、しとしとと嫌な雨が降り続く日でした。
当時の私は、雨を極端に嫌っておりましたので、その日は仕事にも行かず部屋で、安もののアコースティックギターを弾いて、現実から逃げていました。十五時頃に遅い昼食として、ビールしか入っていない冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し飲んで少し頭の中がぼんやりとなり、飲んだ空き缶の数を数えてみたりしておりました。ワンルームマンションの五階に部屋を借りての一人暮らしは気楽なものでしたが、雨だけは我慢ができませんでした。
むしむしと心の中までカビさせてしまうような嫌な雨を嫌っていました。
昼間の酒というものは、よくまわるもので私はウトウトと眠ってしまいました。眠ったのは、ほんの半時間でしたが、私しかいない部屋で何者かに起こされた気がしたのです。
私は部屋をぐるりと見渡しました。部屋には私以外誰もおらず、殺風景な部屋にはギターが数本とラジカセが一台あるだけでいつもと何も変わらぬ光景でした。
ベランダを見ると相変わらず雨が、しとしとと降り続いておるばかり。
『気のせいか』と思い、私はぐっすりと深い眠りにつきました。
こんどは頭の奥の方まで入り込んで来て、誰かが私を起こすのです。さっきとは違い激しく揺さぶられる感覚に驚き、私は目を覚ましました。
随分と眠っていたようで部屋の中は真っ暗でした。部屋の灯りをつける前に、ベランダを見ると相変わらず雨がしとしとと、しつこく降り続けているのが、屋外の灯りに照らされて見えました。
部屋に灯りをつけて、部屋の中を見ましたが私を起こしたものは、おりませんでした。
時計を見ると、深夜二時近くになっていました。
私を呼ぶもの。それは声ではありません。なにとも知れぬものが私の脳に否、魂に直接語りかけているのだと感じたのです。
私はのろのろと立ち上がり、ドアの隅に埃の溜った不衛生な玄関で靴を履くと、部屋の外に出ました。
マンションの廊下の蛍光灯が切れかけてチカチカと点滅し、雨とカビ臭い廊下の匂いがまた私を不愉快な気分にさせたのですが、強く呼ばれていると感じたので、その方向に歩いて行きました。
私は普段利用しない、マンションの裏口にあるエレベーターの前で立ち止まり、私を呼ぶものの気配を探しました。それは、もっと下の方にいると感じたのです。エレベーターに乗り一階のボタンを押しました。エレベーターの中は、カビと不衛生な異臭に満ちており、吐き気がしました。一階につきドアが開くと、私は逃げるようにエレベーターから飛び出し、屋外に出ました。こんどは嫌な雨がべたべたと、私の身体を濡らしていきました。雨の日に外へ出たのは、ほぼ一年ぶりでしたでしょうか、雨は私の身体を濡らしていき、私は心を溶かされて行くような、嫌な気分に震えましたが、私を呼ぶものを探しました。
街灯に照らされたゴミ置き場が目に入りました。ゴミ収集日の前のため、ゴミ袋が山のように積み上げられておりました。私はそこで見つけたのです。そのマンションのゴミ置き場に私を呼ぶものが居りました。
それは透明のビニール袋に入れられた猫の死骸でした。私はゴミの中から、猫の死骸をビニール袋ごと引っぱり出してから、ビニールを破りました。死後数時間経過しているようで、身体は冷たく硬くなっており、生前の誰かに対する恨みのせいなのか、眼はカッと見開き空を睨んで、ポカリと空いた口から、だらしなく舌を出しておりました。
「おまえが呼んでいたのだね」私は死骸に語りかけました。可哀想な猫の死骸は只空を睨んでおりました。
私は、その猫の死骸を哀れに思い、とても悲しくなり心が震えて頬に涙が伝っているのがわかりました。
私は、この子の葬式をしようと思い死骸を抱いたままマンションの中に戻りました。猫を埋める為に穴を掘るスコップを借りようと、あちらこちらの部屋のインターフォンを押してまわりました。
「すいません。死んだ猫がゴミ捨て場に棄てられていたのです。この可哀想な猫を土に埋めてやりたいのです。スコップを貸していただけませんか?」どの部屋からも返事はありませんでした。真夜中に猫の死骸を抱いた狂人と話をしてやろうという奇特な方はいないようでした。
二階の隅にある部屋の前で、プラスチック製の猫用トイレを見つけました。その猫用トイレは、糞や砂を捨てて綺麗に掃除し、干されているようでしたので、私はこれを可哀想な猫の棺桶にしようと決めました。
猫用トイレに死骸を納めると、私はまた雨の降る屋外に出て行きました。
私は涙が、止まらなくなっていました。
私の住むマンションは田舎駅のすぐ横に建っておりました。私は墓をたてるのに、良い場所はないかと、線路沿いを歩いて行きました。
駅の近くに踏切があったので、そこから線路内に入り、線路の上を歩いておりますと、線路の横に雑草のはえた墓作りにちょうど良さそうな場所を見つけました。私はその横に棺桶代わりの猫トイレを置くと、素手で穴を掘りはじめました。
土が柔らかかったせいか、猫を埋める穴はすぐに掘れました。棺桶といっしょに埋めてやろうと、思っていたのですが、少し考えました。さて、自分が埋められる立場ならどうであろう?
プラスチックの容器に入れられて埋められるよりも直接土の中で腐敗して行く方が嬉しくはないか!このままプラスチックの上で腐敗して行くと蛆に食われても土に帰る事が出来ないのではないか!それならば清掃業者がゴミ捨て場で、見つけた方が良かった事になりはしまいか?
急に私は、とてもひどい事をしているような気持ちになって、猫のトイレを棺桶として使うのを止めることにしました。そしてそのプラスチックから、冷たく固まった猫の死体を取り出すと土に直接死骸を埋めました。
土を乗せた後で、線路から石を集めて積み上げていきました。少し墓らしいものが出来たことに満足した私は、線路の横に咲いていた花を摘み取り供えて、煙草をポケットから取り出し火をつけました。そして煙草を線香代わりに置いて、手を合わせて拝みました。私の手はドロドロに汚れて土の臭いがしました。そして来た道をゆっくりと戻っていきました。
知らぬ間に雨は止んで、空が白々と明けようとしておりました。
猫のトイレは持ち主に、返そうと持ってきたので、先ほど猫のトイレを拝借した部屋のインターフォンを押しました。
一言お礼を言いたかったので、なんどもなんどもインターフォンを押したのですが、朝方になっても、狂人と話したい人はいないようでした。
部屋に戻ると、私はシャワーを浴びて仕事に出掛ける準備をしました。伸び放題の長髪をドライヤーで乾かしてから、後ろでひとつに束ねました。
通勤に使っていた四百CCの単気筒バイクのエンジンも、キック一発で快適に始動し、私のお気に入りの直管のマフラーは爆音をたてて哀れな猫の葬送行進曲を奏でました。
私は清々しい気分で、会社までの道を制限速度の倍ぐらいの速度で走って行きました。
あのころ総てのものに価値を見いだせずに生きておりました。
あのころは、あの猫の死骸が明日の自分に見えていたのだと思います。
第二話 田舎道
近頃では、珍しく舗装されていない道を友人Kの運転で走っていた。
私が助手席でぼんやりと景色を楽しんでいると、遠方の野っ原に枝振りのいい立派な、大きな木が見えた。そして、その大きな木の下に少女が一人座っているように見えた。それは九年程前の話である。
Kとは、この後つまらないことから疎遠になり、今も近所に住んでは居るものの、顔を合わせても、お互い話をすることもなくなってしまった。
Kは私が作ったアマチュアバンドで、ドラムを叩いてくれていた。お互いの子供同士も友達で、家族ぐるみの付き合いだった。
おそらく疎遠になった理由は私に問題があったのだと思う。
ハッキリと理由が思い出せないのだが、色々な友人が、私の前から消えて行く時は、いつも私に原因があるのでKも同じだろうと思うだけのことである。私は特に人間関係に重きをおいていないので、本当は理由など、どうでもいいのだ。
Kの存在自体この話には、それほど重要な役割をしていないので、小太りで眼鏡をかけた気のいい中年男と、想像していただければいいと思う。
Kは、四輪駆動のファミリー向けの、大きなディーゼル車を軽快に操り、目的地までの長い道のりの運転を私と代わることもなく走っていた。
さすがに疲れたのか、Kの様子が少しおかしいので私は運転を代わろうかと尋ねてみた。
それでも、彼の返事は少し休めば大丈夫と言うので車を道路の脇に停めて休もうと考えていたところに、その店は現れた。
それは、時代劇に出て来る茶店のような造りの、老朽化し今にも崩れそうな店だった。店の中に人影が見えたので、私たちはおそらく営業しているであろうと思い、店の横の駐車場(といっても只の空き地である)に車を停めると、その、あばら屋のような店に入った。
中に入るとやけに細長い造りで、奥に座敷席まであったが、私はこのような造りの店を見た事がなかった。知っているもので近いものがあるとすれば、ウナギの寝床を無理矢理改装したような食堂と表現するのが妥当と思われる。
入り口の横に、家族らしい三人の写真が無造作に置かれていた。左右に父母と思われる男女と、中心には学生服を着た娘の家族写真のようだ。カラー写真ではあったが変色具合から少なくとも五年以上は経過していると推測出来た。
私たちは、入り口から一番手前のテーブル席に座る。Kは、お茶と焼き鳥を数本、私は生ビールを注文した。
この店の亭主と女房は、態度がぎこちない上に落ち着きがない。何かに脅えている風にも見受けられた。
二人は入り口で見た写真の夫婦であった。写真と見比べると数十年は経過しているようだ。おそらく娘は田舎から街へ出て、老夫婦二人が細々と、食堂を営んでいるのであろうと、ありきたりな推測をしていた。
店の造りは一番奥に厨房があり、その間に小さな座敷が右側に一つあり、入り口の近くに四人がけのテーブル席が三つ縦に並び、入り口から見て左側が通路になっており厨房までつづいており、左側は通路になっている。ちょうど私の座った席から座敷部分がよく見えた。
靴でも収納出来るようにしているのか、座敷の下が空いている。(古い木造家屋の縁側のような作り)先ほどから猫かイタチか?なんらかの生き物が、ゴソゴソと這い回るような音と、不自然な白いものが、ちらちらと見えては消えていた。不衛生な店だとは思ったが、たいして気にとめるでもなく私はチビチビとビールを飲んでいた。
Kと私とは、私が興味のない種類の音楽について少し語りあって、いくつかのつまらない話を交わしたように思う。正確には、そのとき何の話をしていたか憶えてはいないのだが、私は、Kと話しているのを思い出そうとすると、つまらない無駄な会話をしているイメージしか、出て来ないのだから間違いないだろう。
その、くだらない話を中断しなければならない事態がおこった。まず店中に断末魔の鼠の叫びとでもいえばいいのだろうか、恐ろしい鳴き声が店中にこだまし、続いてバキバキと骨が砕かれるような音と、いっしょに小さく喘ぐように、じゅるじゅると嫌らしい喘ぎ声のようなものが聞こえてくるのだった。
私は床下で、人が生きた鼠を喰らっているような気味の悪い想像をしていた。Kも後ろを振り向き座敷の下を凝視していた。亭主が慌てて厨房から飛び出し、私たちに向かって「金はいらぬ。早く帰ってくれ。急いで出て行け」というような意味のことを言う。方言なのか慌て過ぎてイントネーションおかしくなっていたのか、私たちにむかって激しく捲し立てた。
不思議なことに亭主は私たちの前まで来ずに座敷の前で叫んでいた。奥から女房も「檻から○○が逃げたのだ」と騒ぎ立てていた。
○○の部分は、何を行っているのか聞き取る事ができなかったが、何かの名前だと想像できた。
亭主は女房の声を耳にするといっそう激しく私たちに向かって、先ほどと同じように出て行けと言う意味の言葉を連呼していた。
飼っていた家畜の仕業かと、勝手に決めつけた私は、逆に安堵していた。Kも同じように感じたらしく立ち上がり主人に近付いて行った。
「自分はペットショップで働いていた経験もあるので、ちょっとした猛獣なら簡単に捕獲してみせますよ」と提案した。亭主の態度は落ち着くどころか、いっそう激しさを増した。
「お前たち食い殺されても知らぬぞ」と絶叫しはじめた。
私たちは亭主の気違いじみた態度に呆れ店を出ようとした。
そのとき床下から白い棒切れと黒い固まりがニュッと出た。よく見ると人間の腕と頭ではないか!
両腕が出て身体全身が出ると、そのものはトカゲのように這って厨房へ消えて行った。
恐ろしい速度で動いていた。伸び放題の髪に異様な動きの後ろ姿だけでは性別すら判別することは難しかったが、その異形の者が着ていたのは傷んででボロボロだったが間違いなく女性用の学生服であった。亭主は私たち二人を店の外に追い出した。
私たちは車に向かって走り出した。後ろから四つん這いで追いかけて来るものが見えた。
それは私たちを追い抜くと振り向いた。その顔の恐ろしさと言ったらこの世のモノとは思えぬ醜さであった。
傷やデキモノを長い間放置し過ぎた為腐乱しているのか、ひどい匂いも放ち、見るに堪え難いおぞましさだった。肉が腐りはてて顔の数カ所にブラックホールのような黒い穴まで空いているのだ。
異形の者は唸り声をあげてこちらを見ているようだ。この者が男性なのか女性なのかを判別することは出来なかった。
私は吐き気を堪えながら地面にあった子供の拳程の石を掴むと、異形の者の顔をめがけて投げつけた。グチュッと肉にめり込む嫌な音が聞こえた。
私たちは慌てて、Kの車に乗り込むとKは猛スピードで車を走らせた。
近頃では、珍しく舗装されていない道を友人Kの運転で走っていた。
私は脂汗を拭きながら助手席で先ほど見た夢を話した。
後から聞いた話なのだが、この辺りは、狐憑きで有名な場所なのだそうだ。何かの怨念が私に悪夢を見せたのだろうか?
それともパラレルワールドで私が実際に経験した記憶なのだろうか?
第三話 三毛猫
二〇一一年の八月の話。私は、友人のA氏と居酒屋にいた。家で飼っている三毛猫をA氏に見せる為に連れて来ていた。三毛猫の名前はニャンコと言う。私はニャンコが如何に可愛いかをA氏に自慢していた。私はA氏が動物嫌いなのを忘れていた。途中でA氏の動物嫌いを思い出したのだが、かまわず自慢話を続けた。腹も膨れ、少しアルコールも入りいい気分になった私はA氏に、気を使ってやる事にした。
A氏が急に、買い物をしたいというので、居酒屋を出て電車に乗ることにした。
私は、ニャンコをしっかりと抱いて、電車に乗った。電車に乗るとニャンコは落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回し、A氏の頬に爪を立てたりしていたので、私はA氏に詫びた。目的の駅に到着し大型電気店に入る。大きなフロアでたくさんの商品に囲まれ、大勢の客達がひしめき合っている。念入りに探してみたがA氏の探しているものはなかった。私には、A氏の探しているものが、まったく理解出来なかった。
A氏は、自分の目的の品がなかった事は、気にしていないようだった。むしろ
「当然だ。僕の探しているものが、こんな所に置いているはずがないのだよ。君もう少し考えたらどうだい?」と私を馬鹿にしているようにさえ思えた。
A氏は地方に住んでいるのに、この日は、わざわざ私に会う為にやって来てくれたのだった。A氏が田舎の自宅に帰るというので、私はこの街の一番大きな駅まで送って行く。
私はその駅に着いて驚いた。昨日訪れたときは都会的に洗練された、大勢の人々が行き来する巨大なステーションだったのに、今来たその駅は何故か、 明治時代の建築物のようで、周りの景色も畑や野原ばかりで、先ほどまであったはずの街すらなくなって木造建築駅舎に単線の線路があるのみだった。
車両が駅に入って来るのを見て、私は驚かずにはいられなかった。電車もほぼ木造で作られ、明治時代のチンチン電車ようにしか見えなかった。それでいて何か、薄気味の悪い電車だった。
A氏はその電車に乗ると車窓から顔を出して
「猫は、どうしたんですか?」A氏が言う。
私は、ハッとしてニャンコがいないことに気付く。電車はギシギシと妙な音をたてて、駅を出て行く。
私は線路に飛び降りて、ニャンコを探しに出た。電車の灯りが消えると、すべてが真っ暗になり闇に覆われた。
私は何処で、ニャンコがいなくなったのか考えた。私の大切なニャンコを探しださければと思うのだが、周りは闇だけしかなく方向もわからない。そのうちに私の周りが、無重力状態のようにグルグルと回り出し、上下すらも分からなくなって行った。
「大型電気店の近くにちがいない だが どうやってこの闇から出よう?」そして私は大きな声で叫びを助けを呼んだ。しばらくすると暖かい光が灯った。そして、耳元で妻の声が優しく言う。
「これで行けるでしょ」私の手の平には鍵があった。それは私がいつも乗っているスクーターの鍵だった。私は闇の中でスクーターを見つけるとセルモーターを回しエンジンをかけた。
とたんに闇は消え失せ、現在のいつもと変わらぬ街に戻っていた。
私は、スクーターから降りて、歩いて電気店に向かった。その途中で、猫の保護団体が行進しているのに出くわした。
彼らは、バケツのような縦長の半透明なケージに、自分の猫を入れ行進を続ける。
私は集団の中の一人に声をかけて尋ねた。
「私の、三毛猫を知りませんか?とても大切な猫なのです」
気味の悪い女性が振り向いて、僕の顔をじろじろと見て言った。
「三毛猫はしらないわ 見つかると良いわね」そして女性は、塵のようになって消えてしまった。風が吹き、先ほどまで女性だった塵もどこかへ飛んで行ってしまった。
私の足下にケージだけが転がっていた。私はそのケージを拾って走り出した。
第四話 庄吉とお妙
あれは私がゴミ箱に捨てられていた猫を線路の脇に埋葬したのと同じ頃でした。
あの田舎駅の真横にあったマンションでは何かとおかしなことが起こりました。
この話も、その中の一つの話です。
季節は夏になっていました。私は明け方頃に不思議な夢を見ました。
夢の中で私は夜道をフラフラと歩いているのでした。
マンションの近くを彷徨っていると、見たことも無い小さな赤い橋が出て来たのです。
その橋を渡ろうとすると着物姿の女性が私を引き止めて、こう言うのです。
「私は酒屋の娘で、名はお妙と申します。庄吉と言う者と会わせて頂きたいのですが、お力を貸しては頂けませんでしょうか?私と庄吉さんは結ばれるはずでした・・・・・・・この橋で私が待っていると、庄吉さんに伝えて頂きたいのです」そう言うとお妙と名乗る女性は消えてしまい赤い橋の上で私は立っていた。
そこで目覚めるのでした。
夢にしては、やけに声や映像がクッキリしていたように思ったものの、最初は、よくあるただの夢のことと気にもとめなかったのですが、同じ夢が数日続くので、さすがに何かあるのではないかと思い。私は、あの夢に出て来た橋と酒屋の娘のお妙が気になりだしました。そして同じマンションに長く住んでいる友人に相談してみたところ、古くからの酒蔵が、近所にあることがわかりました。しかし、どう考えてもお妙の衣装は今のものではないのです。少なくとも百年以上前の若者なのだと、私は決めつけていました。
お妙の存在が私の妄想でなければ彼女は死者であろうと私は思っていました。このマンションに住みはじめてから、死者に話しかけられるようになった気がします。しかし、死者に話しかけられていると考える事自体が、私の妄想に過ぎないのかも知れないのです。なにぶんこの頃の私は精神を病んでアルコール付けになっており、時々現実と妄想の区別がつかなくなり、所かまわず喚きちらしていた事もあったぐらいなのです。
それから暫くのあいだ私は、赤い橋とお妙の夢を見ませんでした。
ある日の真夜中にふと目が覚めたので、赤い橋を探してみようと思い、缶ビールを片手に外へでました。
真夜中にうろうろと私は歩き回りました。そのころの私は、百七十センチの身長に五十キロ前後の体重で、髪が腰近くまでありました。夜道でガラス窓に映る、私自身が幽霊のように見えました。普段行った事のない方向にも足を運びましたが橋はありませんでした。持って来た缶ビールがなくなると自動販売機で買って、また缶ビールを飲みながら歩きました。大きな神社の中には赤い橋があるのですが、夢に出て来た橋ではありません。
一時間程夜道を彷徨っていると、江戸時代から続いているであろうと思わしき、古い酒蔵を見つけました。私は勝手にここが、お妙の子孫に違いないと決めつけていました。そんな古い酒蔵の前にも、ビールの自動販売機があったので、また買って飲みました。だんだんとアルコールで思考がまとまらなくなっていきました。
そんな酒蔵を見つけたからといって、何がある訳でもありません。夢に出て来た赤い橋もなかったのです。私はホロ酔いで帰路につきました。
いつも通らない路地で、地蔵を見つけました。そこは私の住むマンションから、かなり近い位置にありました。何が気になったのかはわかりませんが、私は毎日さい銭を持って、この地蔵を拝みに来るようになりました。
数日たちましたが、何も変わらないアルコールびたりの日々が続くだけで、赤い橋の夢も見ませんでした。私の毎日の日課が増えました。それは庄吉とお妙と、ゴミ箱に捨てられていた猫のことを毎晩地蔵さんに話しに来る事でした。
(当時こんな私でも、クビにもせず使ってくれる会社があったのを今考えると驚きます。そのころの事はほとんど憶えていないのですが、とても優しい人達だった気がします。家族経営の小さな会社でしたが、風の便りに倒産したと聞き、その場所に行って見ると更地になっていました。それすら十年も前の事となってしまったのですが。)
そして数週間経った頃のこと、その日はひどく酔っぱらっていました。それでも私は、もう一度赤い橋を探して見ようと思い、なんとなく線路沿いに建つ民家の間の路地をふらふらと歩き、いくつもの路地を抜けて歩いていました。
三十分ほど探していると、驚いたことに私が夢で見た赤い橋がその場所にあったのです。その橋は、夢で見た橋そのものでした。私は橋の真ん中で辺りを見回しましたが、不思議な事に風景は見慣れない景色でした。何故か私は無性に嬉しくなりました。次の瞬間ふと気付くと、私は真夜中の踏切の真ん中に立っていました。
その日は酔っぱらったまま、ふらふらとマンションに帰り着いて眠りました。数日後私は友人に赤い橋を見つけた話をしましたが、
「そんな橋は知らない。お前が泥酔して、夢を見ただけだ」と言うのです。確かに、そのころの私は、現実と妄想や夢を混同してしまうことは、日常茶飯事だったので、親しい友人にそう言われると、赤い橋を見た事に自信が持てませんでした。
次の晩は仕事から戻ると、アルコールを飲まず、うろ覚えでその橋を探しに行きました。その橋は意外と私の住むマンションの近くにあったのです。やはり夢に出て来た赤い橋は間違いなくありました。
そのころ私の部屋に土日になると、必ず泊まりに来る若い女性がいました。
アルコールの量も少し減り、地蔵を拝みに行くのも毎日ではなくなりました。それでも気が向いたときにはさい銭を持って拝みに行きました。
その私の部屋に来る女性を、地蔵に紹介した事がありましたが、彼女はさぞかし不思議に感じていたと思います。
ある夜の事、お地蔵さんを拝んだ帰りにマンションの下で缶コーヒーを買おうと自動販売機に小銭を入れてました。
なにか変な気配を感じたので、後ろを振り向きました。そこには誰もいなく、閉店した薬局のシャッターがあるだけでした。
なんだ気のせいかと思いましたが、缶コーヒーを取り出すときに、自動販売機のガラス面の映り込みを見て、自分の後ろ側を確認してみました。
少しぼやけて見えるが、店のシャッターの前で着物姿の男性が立っていました。私は振り向きませんでした。恐ろしかったのではなく、現実か幻かを確かめることに興味を持てなかったからです。そして、私は缶コーヒーを二個持って部屋に戻り、その日仕事場で起こった他愛ない話を彼女にするのでした。
そして、数日が経ち朝方に赤い橋の夢を久しぶりに見ました。私が、赤い橋の真ん中にいると着物姿のお妙がやって来て言うのです。
「ありがとうございました。あなたのおかげで庄吉さんに会うことが出来ました」
そう言うと深く頭を下げてお妙は消えました。あれ以来、赤い橋もお妙も、私の夢に出て来ません。
自動販売機の影は庄吉だったのでしょうか?
ただの地縛霊?
ただの見間違い?
アルコール中毒者の妄想?
それよりも不思議なことがひとつあります。
あれからマンション下で見つけた赤い橋をいくら探しても見つけられないのです。
私が見たあの橋は何だったのでしょうか?
あの橋はこの世とあの世を繋ぐ橋だったのかも知れません。
あの頃は、私が生きていた中で、もっとも死に近かったのかもしれません。
いつ死んでも誰も不思議に思わないような生活をしていました。
あの頃私は、勝手に思っていたのです。守るものも愛するものも何もないと、そう思いながら、その実はすべてを愛して、愛される事を望んでいたのかも知れません。いろんな力が私をこの世に残してくれたのかも知れません。そのころに出会った彼女とは後に結婚し二人の子供に恵まれました。私はこの世に生かされている気がします。おそらく前世の宿題が山積みになっているのだと思います。
生かされているのなら、精一杯生きようと思います。今生にまだ命があることを感謝します。
私に今を与えてくれた総べてのものに感謝します。
今をありがとう
あれは、二十年程前の雨の夜でした。そのころ私はトラックで配送の仕事をしながら、アマチュアバンドで音楽活動をつづけておりました。お恥ずかしい話なのですが、この頃の私ときたらアルコールに頼らないと、人とまともに話すことも難しいぐらい精神を病んでおりました。
その日は梅雨があけたと言うのに、しとしとと嫌な雨が降り続く日でした。
当時の私は、雨を極端に嫌っておりましたので、その日は仕事にも行かず部屋で、安もののアコースティックギターを弾いて、現実から逃げていました。十五時頃に遅い昼食として、ビールしか入っていない冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し飲んで少し頭の中がぼんやりとなり、飲んだ空き缶の数を数えてみたりしておりました。ワンルームマンションの五階に部屋を借りての一人暮らしは気楽なものでしたが、雨だけは我慢ができませんでした。
むしむしと心の中までカビさせてしまうような嫌な雨を嫌っていました。
昼間の酒というものは、よくまわるもので私はウトウトと眠ってしまいました。眠ったのは、ほんの半時間でしたが、私しかいない部屋で何者かに起こされた気がしたのです。
私は部屋をぐるりと見渡しました。部屋には私以外誰もおらず、殺風景な部屋にはギターが数本とラジカセが一台あるだけでいつもと何も変わらぬ光景でした。
ベランダを見ると相変わらず雨が、しとしとと降り続いておるばかり。
『気のせいか』と思い、私はぐっすりと深い眠りにつきました。
こんどは頭の奥の方まで入り込んで来て、誰かが私を起こすのです。さっきとは違い激しく揺さぶられる感覚に驚き、私は目を覚ましました。
随分と眠っていたようで部屋の中は真っ暗でした。部屋の灯りをつける前に、ベランダを見ると相変わらず雨がしとしとと、しつこく降り続けているのが、屋外の灯りに照らされて見えました。
部屋に灯りをつけて、部屋の中を見ましたが私を起こしたものは、おりませんでした。
時計を見ると、深夜二時近くになっていました。
私を呼ぶもの。それは声ではありません。なにとも知れぬものが私の脳に否、魂に直接語りかけているのだと感じたのです。
私はのろのろと立ち上がり、ドアの隅に埃の溜った不衛生な玄関で靴を履くと、部屋の外に出ました。
マンションの廊下の蛍光灯が切れかけてチカチカと点滅し、雨とカビ臭い廊下の匂いがまた私を不愉快な気分にさせたのですが、強く呼ばれていると感じたので、その方向に歩いて行きました。
私は普段利用しない、マンションの裏口にあるエレベーターの前で立ち止まり、私を呼ぶものの気配を探しました。それは、もっと下の方にいると感じたのです。エレベーターに乗り一階のボタンを押しました。エレベーターの中は、カビと不衛生な異臭に満ちており、吐き気がしました。一階につきドアが開くと、私は逃げるようにエレベーターから飛び出し、屋外に出ました。こんどは嫌な雨がべたべたと、私の身体を濡らしていきました。雨の日に外へ出たのは、ほぼ一年ぶりでしたでしょうか、雨は私の身体を濡らしていき、私は心を溶かされて行くような、嫌な気分に震えましたが、私を呼ぶものを探しました。
街灯に照らされたゴミ置き場が目に入りました。ゴミ収集日の前のため、ゴミ袋が山のように積み上げられておりました。私はそこで見つけたのです。そのマンションのゴミ置き場に私を呼ぶものが居りました。
それは透明のビニール袋に入れられた猫の死骸でした。私はゴミの中から、猫の死骸をビニール袋ごと引っぱり出してから、ビニールを破りました。死後数時間経過しているようで、身体は冷たく硬くなっており、生前の誰かに対する恨みのせいなのか、眼はカッと見開き空を睨んで、ポカリと空いた口から、だらしなく舌を出しておりました。
「おまえが呼んでいたのだね」私は死骸に語りかけました。可哀想な猫の死骸は只空を睨んでおりました。
私は、その猫の死骸を哀れに思い、とても悲しくなり心が震えて頬に涙が伝っているのがわかりました。
私は、この子の葬式をしようと思い死骸を抱いたままマンションの中に戻りました。猫を埋める為に穴を掘るスコップを借りようと、あちらこちらの部屋のインターフォンを押してまわりました。
「すいません。死んだ猫がゴミ捨て場に棄てられていたのです。この可哀想な猫を土に埋めてやりたいのです。スコップを貸していただけませんか?」どの部屋からも返事はありませんでした。真夜中に猫の死骸を抱いた狂人と話をしてやろうという奇特な方はいないようでした。
二階の隅にある部屋の前で、プラスチック製の猫用トイレを見つけました。その猫用トイレは、糞や砂を捨てて綺麗に掃除し、干されているようでしたので、私はこれを可哀想な猫の棺桶にしようと決めました。
猫用トイレに死骸を納めると、私はまた雨の降る屋外に出て行きました。
私は涙が、止まらなくなっていました。
私の住むマンションは田舎駅のすぐ横に建っておりました。私は墓をたてるのに、良い場所はないかと、線路沿いを歩いて行きました。
駅の近くに踏切があったので、そこから線路内に入り、線路の上を歩いておりますと、線路の横に雑草のはえた墓作りにちょうど良さそうな場所を見つけました。私はその横に棺桶代わりの猫トイレを置くと、素手で穴を掘りはじめました。
土が柔らかかったせいか、猫を埋める穴はすぐに掘れました。棺桶といっしょに埋めてやろうと、思っていたのですが、少し考えました。さて、自分が埋められる立場ならどうであろう?
プラスチックの容器に入れられて埋められるよりも直接土の中で腐敗して行く方が嬉しくはないか!このままプラスチックの上で腐敗して行くと蛆に食われても土に帰る事が出来ないのではないか!それならば清掃業者がゴミ捨て場で、見つけた方が良かった事になりはしまいか?
急に私は、とてもひどい事をしているような気持ちになって、猫のトイレを棺桶として使うのを止めることにしました。そしてそのプラスチックから、冷たく固まった猫の死体を取り出すと土に直接死骸を埋めました。
土を乗せた後で、線路から石を集めて積み上げていきました。少し墓らしいものが出来たことに満足した私は、線路の横に咲いていた花を摘み取り供えて、煙草をポケットから取り出し火をつけました。そして煙草を線香代わりに置いて、手を合わせて拝みました。私の手はドロドロに汚れて土の臭いがしました。そして来た道をゆっくりと戻っていきました。
知らぬ間に雨は止んで、空が白々と明けようとしておりました。
猫のトイレは持ち主に、返そうと持ってきたので、先ほど猫のトイレを拝借した部屋のインターフォンを押しました。
一言お礼を言いたかったので、なんどもなんどもインターフォンを押したのですが、朝方になっても、狂人と話したい人はいないようでした。
部屋に戻ると、私はシャワーを浴びて仕事に出掛ける準備をしました。伸び放題の長髪をドライヤーで乾かしてから、後ろでひとつに束ねました。
通勤に使っていた四百CCの単気筒バイクのエンジンも、キック一発で快適に始動し、私のお気に入りの直管のマフラーは爆音をたてて哀れな猫の葬送行進曲を奏でました。
私は清々しい気分で、会社までの道を制限速度の倍ぐらいの速度で走って行きました。
あのころ総てのものに価値を見いだせずに生きておりました。
あのころは、あの猫の死骸が明日の自分に見えていたのだと思います。
第二話 田舎道
近頃では、珍しく舗装されていない道を友人Kの運転で走っていた。
私が助手席でぼんやりと景色を楽しんでいると、遠方の野っ原に枝振りのいい立派な、大きな木が見えた。そして、その大きな木の下に少女が一人座っているように見えた。それは九年程前の話である。
Kとは、この後つまらないことから疎遠になり、今も近所に住んでは居るものの、顔を合わせても、お互い話をすることもなくなってしまった。
Kは私が作ったアマチュアバンドで、ドラムを叩いてくれていた。お互いの子供同士も友達で、家族ぐるみの付き合いだった。
おそらく疎遠になった理由は私に問題があったのだと思う。
ハッキリと理由が思い出せないのだが、色々な友人が、私の前から消えて行く時は、いつも私に原因があるのでKも同じだろうと思うだけのことである。私は特に人間関係に重きをおいていないので、本当は理由など、どうでもいいのだ。
Kの存在自体この話には、それほど重要な役割をしていないので、小太りで眼鏡をかけた気のいい中年男と、想像していただければいいと思う。
Kは、四輪駆動のファミリー向けの、大きなディーゼル車を軽快に操り、目的地までの長い道のりの運転を私と代わることもなく走っていた。
さすがに疲れたのか、Kの様子が少しおかしいので私は運転を代わろうかと尋ねてみた。
それでも、彼の返事は少し休めば大丈夫と言うので車を道路の脇に停めて休もうと考えていたところに、その店は現れた。
それは、時代劇に出て来る茶店のような造りの、老朽化し今にも崩れそうな店だった。店の中に人影が見えたので、私たちはおそらく営業しているであろうと思い、店の横の駐車場(といっても只の空き地である)に車を停めると、その、あばら屋のような店に入った。
中に入るとやけに細長い造りで、奥に座敷席まであったが、私はこのような造りの店を見た事がなかった。知っているもので近いものがあるとすれば、ウナギの寝床を無理矢理改装したような食堂と表現するのが妥当と思われる。
入り口の横に、家族らしい三人の写真が無造作に置かれていた。左右に父母と思われる男女と、中心には学生服を着た娘の家族写真のようだ。カラー写真ではあったが変色具合から少なくとも五年以上は経過していると推測出来た。
私たちは、入り口から一番手前のテーブル席に座る。Kは、お茶と焼き鳥を数本、私は生ビールを注文した。
この店の亭主と女房は、態度がぎこちない上に落ち着きがない。何かに脅えている風にも見受けられた。
二人は入り口で見た写真の夫婦であった。写真と見比べると数十年は経過しているようだ。おそらく娘は田舎から街へ出て、老夫婦二人が細々と、食堂を営んでいるのであろうと、ありきたりな推測をしていた。
店の造りは一番奥に厨房があり、その間に小さな座敷が右側に一つあり、入り口の近くに四人がけのテーブル席が三つ縦に並び、入り口から見て左側が通路になっており厨房までつづいており、左側は通路になっている。ちょうど私の座った席から座敷部分がよく見えた。
靴でも収納出来るようにしているのか、座敷の下が空いている。(古い木造家屋の縁側のような作り)先ほどから猫かイタチか?なんらかの生き物が、ゴソゴソと這い回るような音と、不自然な白いものが、ちらちらと見えては消えていた。不衛生な店だとは思ったが、たいして気にとめるでもなく私はチビチビとビールを飲んでいた。
Kと私とは、私が興味のない種類の音楽について少し語りあって、いくつかのつまらない話を交わしたように思う。正確には、そのとき何の話をしていたか憶えてはいないのだが、私は、Kと話しているのを思い出そうとすると、つまらない無駄な会話をしているイメージしか、出て来ないのだから間違いないだろう。
その、くだらない話を中断しなければならない事態がおこった。まず店中に断末魔の鼠の叫びとでもいえばいいのだろうか、恐ろしい鳴き声が店中にこだまし、続いてバキバキと骨が砕かれるような音と、いっしょに小さく喘ぐように、じゅるじゅると嫌らしい喘ぎ声のようなものが聞こえてくるのだった。
私は床下で、人が生きた鼠を喰らっているような気味の悪い想像をしていた。Kも後ろを振り向き座敷の下を凝視していた。亭主が慌てて厨房から飛び出し、私たちに向かって「金はいらぬ。早く帰ってくれ。急いで出て行け」というような意味のことを言う。方言なのか慌て過ぎてイントネーションおかしくなっていたのか、私たちにむかって激しく捲し立てた。
不思議なことに亭主は私たちの前まで来ずに座敷の前で叫んでいた。奥から女房も「檻から○○が逃げたのだ」と騒ぎ立てていた。
○○の部分は、何を行っているのか聞き取る事ができなかったが、何かの名前だと想像できた。
亭主は女房の声を耳にするといっそう激しく私たちに向かって、先ほどと同じように出て行けと言う意味の言葉を連呼していた。
飼っていた家畜の仕業かと、勝手に決めつけた私は、逆に安堵していた。Kも同じように感じたらしく立ち上がり主人に近付いて行った。
「自分はペットショップで働いていた経験もあるので、ちょっとした猛獣なら簡単に捕獲してみせますよ」と提案した。亭主の態度は落ち着くどころか、いっそう激しさを増した。
「お前たち食い殺されても知らぬぞ」と絶叫しはじめた。
私たちは亭主の気違いじみた態度に呆れ店を出ようとした。
そのとき床下から白い棒切れと黒い固まりがニュッと出た。よく見ると人間の腕と頭ではないか!
両腕が出て身体全身が出ると、そのものはトカゲのように這って厨房へ消えて行った。
恐ろしい速度で動いていた。伸び放題の髪に異様な動きの後ろ姿だけでは性別すら判別することは難しかったが、その異形の者が着ていたのは傷んででボロボロだったが間違いなく女性用の学生服であった。亭主は私たち二人を店の外に追い出した。
私たちは車に向かって走り出した。後ろから四つん這いで追いかけて来るものが見えた。
それは私たちを追い抜くと振り向いた。その顔の恐ろしさと言ったらこの世のモノとは思えぬ醜さであった。
傷やデキモノを長い間放置し過ぎた為腐乱しているのか、ひどい匂いも放ち、見るに堪え難いおぞましさだった。肉が腐りはてて顔の数カ所にブラックホールのような黒い穴まで空いているのだ。
異形の者は唸り声をあげてこちらを見ているようだ。この者が男性なのか女性なのかを判別することは出来なかった。
私は吐き気を堪えながら地面にあった子供の拳程の石を掴むと、異形の者の顔をめがけて投げつけた。グチュッと肉にめり込む嫌な音が聞こえた。
私たちは慌てて、Kの車に乗り込むとKは猛スピードで車を走らせた。
近頃では、珍しく舗装されていない道を友人Kの運転で走っていた。
私は脂汗を拭きながら助手席で先ほど見た夢を話した。
後から聞いた話なのだが、この辺りは、狐憑きで有名な場所なのだそうだ。何かの怨念が私に悪夢を見せたのだろうか?
それともパラレルワールドで私が実際に経験した記憶なのだろうか?
第三話 三毛猫
二〇一一年の八月の話。私は、友人のA氏と居酒屋にいた。家で飼っている三毛猫をA氏に見せる為に連れて来ていた。三毛猫の名前はニャンコと言う。私はニャンコが如何に可愛いかをA氏に自慢していた。私はA氏が動物嫌いなのを忘れていた。途中でA氏の動物嫌いを思い出したのだが、かまわず自慢話を続けた。腹も膨れ、少しアルコールも入りいい気分になった私はA氏に、気を使ってやる事にした。
A氏が急に、買い物をしたいというので、居酒屋を出て電車に乗ることにした。
私は、ニャンコをしっかりと抱いて、電車に乗った。電車に乗るとニャンコは落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回し、A氏の頬に爪を立てたりしていたので、私はA氏に詫びた。目的の駅に到着し大型電気店に入る。大きなフロアでたくさんの商品に囲まれ、大勢の客達がひしめき合っている。念入りに探してみたがA氏の探しているものはなかった。私には、A氏の探しているものが、まったく理解出来なかった。
A氏は、自分の目的の品がなかった事は、気にしていないようだった。むしろ
「当然だ。僕の探しているものが、こんな所に置いているはずがないのだよ。君もう少し考えたらどうだい?」と私を馬鹿にしているようにさえ思えた。
A氏は地方に住んでいるのに、この日は、わざわざ私に会う為にやって来てくれたのだった。A氏が田舎の自宅に帰るというので、私はこの街の一番大きな駅まで送って行く。
私はその駅に着いて驚いた。昨日訪れたときは都会的に洗練された、大勢の人々が行き来する巨大なステーションだったのに、今来たその駅は何故か、 明治時代の建築物のようで、周りの景色も畑や野原ばかりで、先ほどまであったはずの街すらなくなって木造建築駅舎に単線の線路があるのみだった。
車両が駅に入って来るのを見て、私は驚かずにはいられなかった。電車もほぼ木造で作られ、明治時代のチンチン電車ようにしか見えなかった。それでいて何か、薄気味の悪い電車だった。
A氏はその電車に乗ると車窓から顔を出して
「猫は、どうしたんですか?」A氏が言う。
私は、ハッとしてニャンコがいないことに気付く。電車はギシギシと妙な音をたてて、駅を出て行く。
私は線路に飛び降りて、ニャンコを探しに出た。電車の灯りが消えると、すべてが真っ暗になり闇に覆われた。
私は何処で、ニャンコがいなくなったのか考えた。私の大切なニャンコを探しださければと思うのだが、周りは闇だけしかなく方向もわからない。そのうちに私の周りが、無重力状態のようにグルグルと回り出し、上下すらも分からなくなって行った。
「大型電気店の近くにちがいない だが どうやってこの闇から出よう?」そして私は大きな声で叫びを助けを呼んだ。しばらくすると暖かい光が灯った。そして、耳元で妻の声が優しく言う。
「これで行けるでしょ」私の手の平には鍵があった。それは私がいつも乗っているスクーターの鍵だった。私は闇の中でスクーターを見つけるとセルモーターを回しエンジンをかけた。
とたんに闇は消え失せ、現在のいつもと変わらぬ街に戻っていた。
私は、スクーターから降りて、歩いて電気店に向かった。その途中で、猫の保護団体が行進しているのに出くわした。
彼らは、バケツのような縦長の半透明なケージに、自分の猫を入れ行進を続ける。
私は集団の中の一人に声をかけて尋ねた。
「私の、三毛猫を知りませんか?とても大切な猫なのです」
気味の悪い女性が振り向いて、僕の顔をじろじろと見て言った。
「三毛猫はしらないわ 見つかると良いわね」そして女性は、塵のようになって消えてしまった。風が吹き、先ほどまで女性だった塵もどこかへ飛んで行ってしまった。
私の足下にケージだけが転がっていた。私はそのケージを拾って走り出した。
第四話 庄吉とお妙
あれは私がゴミ箱に捨てられていた猫を線路の脇に埋葬したのと同じ頃でした。
あの田舎駅の真横にあったマンションでは何かとおかしなことが起こりました。
この話も、その中の一つの話です。
季節は夏になっていました。私は明け方頃に不思議な夢を見ました。
夢の中で私は夜道をフラフラと歩いているのでした。
マンションの近くを彷徨っていると、見たことも無い小さな赤い橋が出て来たのです。
その橋を渡ろうとすると着物姿の女性が私を引き止めて、こう言うのです。
「私は酒屋の娘で、名はお妙と申します。庄吉と言う者と会わせて頂きたいのですが、お力を貸しては頂けませんでしょうか?私と庄吉さんは結ばれるはずでした・・・・・・・この橋で私が待っていると、庄吉さんに伝えて頂きたいのです」そう言うとお妙と名乗る女性は消えてしまい赤い橋の上で私は立っていた。
そこで目覚めるのでした。
夢にしては、やけに声や映像がクッキリしていたように思ったものの、最初は、よくあるただの夢のことと気にもとめなかったのですが、同じ夢が数日続くので、さすがに何かあるのではないかと思い。私は、あの夢に出て来た橋と酒屋の娘のお妙が気になりだしました。そして同じマンションに長く住んでいる友人に相談してみたところ、古くからの酒蔵が、近所にあることがわかりました。しかし、どう考えてもお妙の衣装は今のものではないのです。少なくとも百年以上前の若者なのだと、私は決めつけていました。
お妙の存在が私の妄想でなければ彼女は死者であろうと私は思っていました。このマンションに住みはじめてから、死者に話しかけられるようになった気がします。しかし、死者に話しかけられていると考える事自体が、私の妄想に過ぎないのかも知れないのです。なにぶんこの頃の私は精神を病んでアルコール付けになっており、時々現実と妄想の区別がつかなくなり、所かまわず喚きちらしていた事もあったぐらいなのです。
それから暫くのあいだ私は、赤い橋とお妙の夢を見ませんでした。
ある日の真夜中にふと目が覚めたので、赤い橋を探してみようと思い、缶ビールを片手に外へでました。
真夜中にうろうろと私は歩き回りました。そのころの私は、百七十センチの身長に五十キロ前後の体重で、髪が腰近くまでありました。夜道でガラス窓に映る、私自身が幽霊のように見えました。普段行った事のない方向にも足を運びましたが橋はありませんでした。持って来た缶ビールがなくなると自動販売機で買って、また缶ビールを飲みながら歩きました。大きな神社の中には赤い橋があるのですが、夢に出て来た橋ではありません。
一時間程夜道を彷徨っていると、江戸時代から続いているであろうと思わしき、古い酒蔵を見つけました。私は勝手にここが、お妙の子孫に違いないと決めつけていました。そんな古い酒蔵の前にも、ビールの自動販売機があったので、また買って飲みました。だんだんとアルコールで思考がまとまらなくなっていきました。
そんな酒蔵を見つけたからといって、何がある訳でもありません。夢に出て来た赤い橋もなかったのです。私はホロ酔いで帰路につきました。
いつも通らない路地で、地蔵を見つけました。そこは私の住むマンションから、かなり近い位置にありました。何が気になったのかはわかりませんが、私は毎日さい銭を持って、この地蔵を拝みに来るようになりました。
数日たちましたが、何も変わらないアルコールびたりの日々が続くだけで、赤い橋の夢も見ませんでした。私の毎日の日課が増えました。それは庄吉とお妙と、ゴミ箱に捨てられていた猫のことを毎晩地蔵さんに話しに来る事でした。
(当時こんな私でも、クビにもせず使ってくれる会社があったのを今考えると驚きます。そのころの事はほとんど憶えていないのですが、とても優しい人達だった気がします。家族経営の小さな会社でしたが、風の便りに倒産したと聞き、その場所に行って見ると更地になっていました。それすら十年も前の事となってしまったのですが。)
そして数週間経った頃のこと、その日はひどく酔っぱらっていました。それでも私は、もう一度赤い橋を探して見ようと思い、なんとなく線路沿いに建つ民家の間の路地をふらふらと歩き、いくつもの路地を抜けて歩いていました。
三十分ほど探していると、驚いたことに私が夢で見た赤い橋がその場所にあったのです。その橋は、夢で見た橋そのものでした。私は橋の真ん中で辺りを見回しましたが、不思議な事に風景は見慣れない景色でした。何故か私は無性に嬉しくなりました。次の瞬間ふと気付くと、私は真夜中の踏切の真ん中に立っていました。
その日は酔っぱらったまま、ふらふらとマンションに帰り着いて眠りました。数日後私は友人に赤い橋を見つけた話をしましたが、
「そんな橋は知らない。お前が泥酔して、夢を見ただけだ」と言うのです。確かに、そのころの私は、現実と妄想や夢を混同してしまうことは、日常茶飯事だったので、親しい友人にそう言われると、赤い橋を見た事に自信が持てませんでした。
次の晩は仕事から戻ると、アルコールを飲まず、うろ覚えでその橋を探しに行きました。その橋は意外と私の住むマンションの近くにあったのです。やはり夢に出て来た赤い橋は間違いなくありました。
そのころ私の部屋に土日になると、必ず泊まりに来る若い女性がいました。
アルコールの量も少し減り、地蔵を拝みに行くのも毎日ではなくなりました。それでも気が向いたときにはさい銭を持って拝みに行きました。
その私の部屋に来る女性を、地蔵に紹介した事がありましたが、彼女はさぞかし不思議に感じていたと思います。
ある夜の事、お地蔵さんを拝んだ帰りにマンションの下で缶コーヒーを買おうと自動販売機に小銭を入れてました。
なにか変な気配を感じたので、後ろを振り向きました。そこには誰もいなく、閉店した薬局のシャッターがあるだけでした。
なんだ気のせいかと思いましたが、缶コーヒーを取り出すときに、自動販売機のガラス面の映り込みを見て、自分の後ろ側を確認してみました。
少しぼやけて見えるが、店のシャッターの前で着物姿の男性が立っていました。私は振り向きませんでした。恐ろしかったのではなく、現実か幻かを確かめることに興味を持てなかったからです。そして、私は缶コーヒーを二個持って部屋に戻り、その日仕事場で起こった他愛ない話を彼女にするのでした。
そして、数日が経ち朝方に赤い橋の夢を久しぶりに見ました。私が、赤い橋の真ん中にいると着物姿のお妙がやって来て言うのです。
「ありがとうございました。あなたのおかげで庄吉さんに会うことが出来ました」
そう言うと深く頭を下げてお妙は消えました。あれ以来、赤い橋もお妙も、私の夢に出て来ません。
自動販売機の影は庄吉だったのでしょうか?
ただの地縛霊?
ただの見間違い?
アルコール中毒者の妄想?
それよりも不思議なことがひとつあります。
あれからマンション下で見つけた赤い橋をいくら探しても見つけられないのです。
私が見たあの橋は何だったのでしょうか?
あの橋はこの世とあの世を繋ぐ橋だったのかも知れません。
あの頃は、私が生きていた中で、もっとも死に近かったのかもしれません。
いつ死んでも誰も不思議に思わないような生活をしていました。
あの頃私は、勝手に思っていたのです。守るものも愛するものも何もないと、そう思いながら、その実はすべてを愛して、愛される事を望んでいたのかも知れません。いろんな力が私をこの世に残してくれたのかも知れません。そのころに出会った彼女とは後に結婚し二人の子供に恵まれました。私はこの世に生かされている気がします。おそらく前世の宿題が山積みになっているのだと思います。
生かされているのなら、精一杯生きようと思います。今生にまだ命があることを感謝します。
私に今を与えてくれた総べてのものに感謝します。
今をありがとう
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