筆と刀の混沌戦禍

皐月やえす

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「いやあ、お前と旅をして正解だったな!」

 昼ごろを過ぎたあたり。

 庄右衛門はとても上機嫌だった。仏頂面が珍しく笑みを浮かべている。その原因は、掌にある大量の銭だった。

 先程、庄右衛門と雪丸は軍の野営に出会した。
 庄右衛門はいつもの通りに春画を売ろうとするが、雪丸を見て思いつき、嫌がる雪丸に春画を持たせて売り子をさせてみたのだ。
雪丸は凛々しい顔つきではあるが、中性的な線の細い美しい若者だったので、いつもより男達の食いつきが良かったのである。
庄右衛門一人が売っている時と、雪丸と一緒に売っている時では売り上げが雲泥の差だ。

「毎回こうだといいんだが……そうだ!これからも売り子をしてくれないか?」
「嫌だよ!」

 雪丸はかなりぶすくれていた。

 それもそうだ。雪丸自身は春画への耐性も殆どなく、男性達から好奇の目で見られ、性的な嫌がらせが込められた言葉を投げつけられ、散々である。
中には、庄右衛門と雪丸には爛れた関係性があると思った輩に、夜の生活の様子などを事細かく質問される。
そういった時は庄右衛門が一睨みするか、一蹴してしまうのだが、雪丸にはまだそういう技量がない。
赤面して俯く様を面白がって、揶揄からかう輩が実に多い。

「絶対次はやらないから!庄右衛門だけで売ってよ!」
「そう怒るなって。これで今夜は宿を取れるから。久しぶりに風呂にも入れるぞ……」

 プリプリと怒っていた雪丸の顔が少し明るくなった。その様子を見ると、庄右衛門同様雪丸も、何日も何日も野宿だったのだろう。

「一番風呂は私が入るからね。それで許してあげる!」
「わかった、わかった」

 雪丸の足取りが軽くなった。庄右衛門は苦笑しながら、その後をノソノソと歩いていく。

 炎の化け物を封印してから、二~三日は過ぎていた。
 人ならざるもの達はその間も休みなく襲ってきた。だが、雪丸が咄嗟に対応してくれる上に、庄右衛門も封印の術をキチンと使えるようになっていたので、あっという間に倒してしまう。
 化け物絵はもう少しで十枚になる。

雪丸がすぐに人ならざるものの気配を察知してくれるので、寝首を掻かれずにすんでいる。
 しかも、雪丸はある程度の人ならざるものに関する知識があるので、庄右衛門に教えてくれる。
 雪丸に出会わなかったら、何もわからないまま死んでいた可能性がある。

(本当に、雪丸と旅をして正解だった)

 雪丸は今のところ、あまり自身の出自について語らない。
なので、何故人ならざるものの気配がわかるのか、その刀は一体何なのか、何故このような旅を続けているのか、わからない。

(話したくないのだろうか…)

 いつか話してくれるとありがたいのだが、今はとにかく毎日を生き延びることが大切だ。立ち回り方がもっと良くわかってから、雪丸に尋ねてみていいだろう。

 宿を目指して田舎道を歩いていると、道の真ん中に男が立っていた。
一見ただの農民のようだが、庄右衛門は気付く。

 懐に片手を突っ込んで何かを握る姿勢、手に持った農具用の鎌。
更にサッと目だけで当たりを見渡せば、三~四人は茂みに隠れて、そのうち二人は吹き矢を構えている。

 忍びの者たちだ。

(もう俺のことがバレたのか……!)

 庄右衛門は冷や汗をかきながら、雪丸の腕を引いて止めた。
突然のことで飲み込めていない雪丸を側に引き寄せ、庄右衛門も見えないように小刀の柄を掴む。

 すると、相手の男が声をかけてきた。

「閏間雪丸だな?一緒に来てもらう」

 庄右衛門はキョトンとした。
そして雪丸を見ると、雪丸は徐々に青ざめて、叫んだ。

「私はまだ帰らない!」
「ああ、お前の意思は関係ないと、お母様からの依頼だよ」

 男が雪丸を指さした。

「盗んだ御神体『イワトワケの刀』を持ち逃げした娘を連れて帰れと。……まさか、男の格好をするだけで逃げ切れると思ったのか?お雪」

 庄右衛門は信じられないと言った様子で横目で見ると、雪丸は悔しそうに唇を噛んで震えていた。
 目の前の男が鎌を持ち直し、構えた。
庄右衛門と雪丸の背後に、隠れていた二人が出てきて、にじり寄ってきた。

 庄右衛門は色々と問い詰めたいことがあったがぐっと堪えて、雪丸に囁いた。

「お前、どうしたいんだ?逃げたいのか?捕まるのか?」

 雪丸はチラリと庄右衛門を見た。冷たい汗が頬を伝っていく。

「私はまだ、捕まるわけにはいかない」
「……わかった」

 庄右衛門が雪丸を抱き寄せると、足元に煙幕を叩きつけた。
破裂し、勢いよく濃い煙幕と砂が立つと、茂みから吹き矢が追い討ちをかける。
 ところが、庄右衛門と雪丸は煙と共に何処かへ消えてしまった。吹き矢も当たらず、地面に突き刺さっている。

「クソ、よりによって忍びを護衛としてつけていたか……!」

 男は辺りをくまなく探せと指示を出して、悪態をつく。
「あの風貌に、鮮やかな技…何処かで見たような気がする……」




 庄右衛門は担いでいた雪丸を下ろし、隠れやすい森を目指してひたすら走った。
田畑だらけの開けた場所より、見つかりにくく不意打ちの飛び道具にも対応できるからだ。

 森に入ってしばらくして、二人は一旦足を止めた。

「ここまで来れば、追手はしばらく俺たちを見つけられないだろう。今のうちに、行けるところまで遠く離れないとな」

 雪丸が付いてこないので、庄右衛門は立ち止まった。

「どうした。怪我でもしたのか?」
「庄右衛門……」

 雪丸は泣きそうな顔をしていた。

「私、あの、庄右衛門に隠し事をしてた……。
まさかこんなに早く、見つかってしまうなんて思ってなかったから、追々話そうと…ごめんなさい……」
「その話は後だ」

庄右衛門が蛾を追い払いながら前を向いた。

「キチンと事情を聞かせてもらうが、今はその体力も全部、早く走り抜くことに使え。良いな?」

 雪丸の返事が無い。庄右衛門がイラつきながら振り向くと、雪丸の姿がなかった。

「おい!……どこ行った⁉︎」

 庄右衛門が怒鳴っても、返ってくるのは木霊、木々のざわめきだけ。
本当に忽然と姿を消してしまったようだ。

 日が沈んでいる―庄右衛門は夜の森に取り残されてしまった。


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