筆と刀の混沌戦禍

皐月やえす

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「……庄右衛門殿、庄右衛門殿!」

 名前を叫ばれ、体を揺すられた。呻き声を上げながら身を起こすと、すっかり夜になっている。泊まっていた廃寺は焦げていたが、幸いな事に崩れおちず、庄右衛門も火傷をしないで済んだようだ。
 炎の化け物の絵には、燃え盛るえんじ色が着色されている。

 庄右衛門のすぐ側には、雪丸のホッとしたような顔があった。

「よかった、炎の化け物がこの廃寺に入っていったら、庄右衛門殿が中にいたなんて奇遇だね!また封印できたんだ!化け物が絵の中に入った途端に、炎もすぐに消えたんだよ!」
「ああ、だから俺は黒焦げの死体にならずに済んだわけか……」

大きくため息をくと、いつの間にか握っていた墨を見つめた。

「俺の封印の術は、筆じゃなくてこの墨に力があるようだ」
「ええ?そうなの?この墨って何でできてるんだ?」

 雪丸が首を傾げた。
庄右衛門は、かい摘んで説明した。自分の家族のこと、裏切られて濡れ衣を着させられて殺されたこと、汚名挽回してほしいと願われ、あの世で家族に追い返されたこと。

「俺が人ならざるものを見ることができるようになったのは、生き返ってからだ。そして、何故か嫁の髪が墨になって、その墨で描いた絵の中に人ならざるものを閉じ込められるらしい」
「なるほどね、合点がいったよ。人ならざるものを見ることができる人や、攻撃したり封印することができる人は、死後の世界を体験した事があるんだって」

雪丸は顎に手を当てて考えた。

「じゃあ、庄右衛門殿はもしかして、世間的には死んでいるの?」
「そういうことになるな。だから、俺は敵に見つかる訳にはいかない。死んだはずの俺がうろついているなんて知れたら、すぐに追手を送られて殺されるだろう」

庄右衛門は眉根を寄せた。

「俺は家族の為に、相手に見つかる前に仇打ちをしないとならん……万が一見つかったら、毎日命を狙われる。お前と一緒に旅をすることができないのは、そういう理由だ」

 雪丸は、うーんと悩み始めた。

「そういうことなら、そっとしておいてあげたいんだけども、……多分、もう庄右衛門は巻き込まれてるよ」
「なんだと?」

庄右衛門が雪丸を見ると、雪丸は続ける。

「人ならざるもの達は、自分たちの脅威になるものを排除しようと躍起になっているんだ。現に、今回の炎の化け物も、庄右衛門のことを狙って来たでしょう?」

庄右衛門はウンザリしたように首を振った。

「あいつら、俺の邪魔もしようってのか?ふざけやがって!」
「うん、だからやっぱり私も一緒に行くよ」
「……話、聞いてたのか?」
「えっと……うん。庄右衛門殿の目的は理解してる。私も、手伝える事があるかどうかは怪しいし……でも、一人で夜を過ごすより、私と一緒にいた方がまだ、無事に朝を迎えられると思う……」

雪丸によると、人ならざるもの達は日の光が落ちた後から活動し始めるそうだ。

「せめて庄右衛門殿の邪魔にならないように、早く封印ができるようにあらかじめ化け物の身動きを封じることはできると思う」

 庄右衛門は、正直雪丸を巻き込んで旅をしたくはなかった。だが、確かに一理あるかもしれないと思い始めた。

 今回もなんとか上手くいったものの、完全に不意を突かれた時には対応ができるかどうか。手元に筆も墨もなかったらお手上げだ。そんな時に雪丸が斬りつけてくれたら、生き残れる確率が上がるだろうし、心強いものがある。

 雪丸は息子よりも若いから、戦いの場に投げ込んでしまうのは気が引けると思っていた。

 しかし、雪丸は真っ直ぐこちらを見つめて、答えを待っている。その目は、庄右衛門よりもずっと早くから、人とは違う戦いに備えてきた、戦士の目だった。

 庄右衛門はやがて静かに声をかけた。

「化け物の絵は描くが、基本的には隠密行動を取るつもりだ。危険な人間がたくさん襲ってくるかもしれん。それでも、大丈夫か?」

雪丸は嬉しそうに顔中を笑顔で満たした。

「ふふふ、元々、私の旅も安全じゃないからねぇ」

庄右衛門は黙って考えていたが、やがて座り直して、クッと頭を下げた。雪丸も慌てて足を組みなおし、頭を下げる。

「すまない。これからよろしく頼む」
「こ、こちらこそ!」

こうして、庄右衛門と雪丸は道中を共にすることになった。







「あ、あのさ、庄右衛門殿……」

 その後大きな木の虚を見つけたので、今夜の寝床にしよう、と整えている時に雪丸に声をかけられた。
庄右衛門が、

「堅苦しいから呼び捨てで良い」

と言うと、雪丸はモジモジしている。

「……その、一緒に旅するから、私を庄右衛門の好きにして良いよって言いたいんだけど、あの、せめて、最初は優しくしてくれないかな…?私、経験がないから、恥ずかしいし、怖くて……」

耳まで真っ赤にしている雪丸に、庄右衛門は呆気に取られていた。

「いや、あれは……」
「だ、大丈夫!私、体が柔らかいから、庄右衛門のがいくら大きくても、多分耐えられるというか、えーっと、庄右衛門のシュミにはなるべく応えてあげたいというか……、あっ、でもあんまり特殊過ぎるのとか、痛いのはいやだな……!」

じわじわと汗を描きながらも、期待が少しこめられた潤んだ瞳が庄右衛門を見つめた。
大マジだ。
庄右衛門は、昼間にあんな大芝居を打つんじゃなかった、と後悔し始めた。

「そういう用はないから安心しろ」
「えっ……、そうなんだ……」
「残念そうにするな!」
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