筆と刀の混沌戦禍

皐月やえす

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「‼︎」

 庄右衛門の得体の知れない睨めっこが続く中、突然森中の木々を強い風が駆け巡った。
飛ばされないよう、庄右衛門は低い姿勢をとりつつ、様子を見た。
木々に生い茂る葉まで、根こそぎ奪っていくような、あまりに強い風だ。

 やがて、風が収まり、元の森に戻った。

(……いや、待て。本当に元の通りか?)

 庄右衛門は妙な違和感に包まれ、また目を凝らしてみる。
月や星、地面と一番下の枝の距離や、木々の数など、思いつく限り全て、比べてみた。

(やはりだ)

 木々は移動していた。
 庄右衛門が見ている箇所から明らかに根を動かし、葉の位置を変えている。
まさか、森全体も幻というのか?
風が吹いていないのに、ザワザワと音がするのが気味が悪い。

(まるでヒソヒソ話のような……)

 庄右衛門が横を見ると、誰かと目が合った。
大きな黒い瞳がこちらを見ている。

「おい、お前‼︎」

 庄右衛門はすかさず後を追うが、まるで姿がない。
あんなにハッキリとした目だったのに、本体が見つからない。

(くそ……、このままだと雪丸が心配だ)

 朝日が登るまで、雪丸がうまく逃げ回ってくれるなら明日会えるのだが、どんな目に遭っているかわからない。
 庄右衛門はもう一度神経を張り巡らせた。その背後でも、人ならざるものはモゾモゾと蠢いている……。






「僕より元気が有り余ってるからって、やんちゃはダメだよ。
刀を持ち出すなんて、ビックリしちゃった」

 病弱な兄は、色白を通り越して青い顔で呆れ果てたように言う。

「翡翠、私は、違うんだ!」

 雪丸が汗をかきながら翡翠の痩せこけた手を取った。

「『イワトワケの刀』を持ち出したのは、私が当主になるに値する人間であることを証明したくて……でも、ただの私利私欲のためじゃない!
体の弱い翡翠の負担を少しでも軽くしたくて……!」
「違うんでしょ?」

雪丸と似た翡翠の顔が、悲しく沈んだ。

「小さい頃から、母さんは僕ばかり可愛がってきたから、母さんに認められたくてやってるだけでしょ?
僕に仕返しがしたいからやっているだけでしょ?」
「違う!違う‼︎」
「僕なんて、死んでしまえばいいと思ってるんだよね?
僕さえいなければ、後継の座も、母の愛も、生まれたことへの肯定も、全部お雪のものだって……」

翡翠が首を傾げる。

「僕と母さんだけじゃなく、庄右衛門にまで嘘をついてるもんね?」

 雪丸は、ヒッと息が止まった。
 翡翠の背後に、牡丹、そして、酷く怒ったような顔をした庄右衛門まで現れたのだ。

「よくそんなお粗末な嘘で騙し通せると思ったな。
この嘘つき野郎……」

 庄右衛門が吐き捨てるように言った。
違う、違う、と泣きながら首を振る雪丸に、

「嘘つきな子は要らないわ……
私には翡翠ちゃんがいるもの」

と、翡翠の背中を優しく撫でる。

「嘘つき」
『嘘つき』
「嘘つきな雪丸は」
『要らない子』
「要らない子は」
『死んでしまえ』
『死ね』
「しね……」
「死ね」
『しね……』
 


 ザワザワと鳴る森の音に混じり、沢山の声が死ね、死ねと呟く。
 雪丸は膝をついて泣きじゃくってしまった。
それでも慰めてくれる者は誰もいない。
ここにいるのは、皆雪丸を傷付けるだけの存在だけだ。

 ずっと、そうだった。

 生まれた時から今までずっと、雪丸は要らない忌み子だった。

「こんなに頑張っても、わかってもらえないなら……」

雪丸の切長の目から光が消えた。

「死んでしまった方が、楽かもしれないね……」

 やがて雪丸は、背中の刀を抜き、そっと首に当てた。

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