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背水の陣
三
しおりを挟む翡翠も庄右衛門も暗い顔になり、気まずい沈黙が流れる。
と、襖が静かに開いた。その先には、雪丸が歳を取ったらこんな姿だろう、というような年増の女が立っている。豊かな黒髪を和紙と水引で結って垂らし、女だが神主が身につける紫色に白紋の袴を履いている美形だ。女は襖を閉め、音一つ立てず座り、美しい所作で庄右衛門に頭を下げた。
「翡翠とお雪の母、牡丹と申します。庄右衛門殿、お加減は如何でしょうか」
雪丸に似た切長の目でじっと見つめられ、庄右衛門は居心地が悪くなったが、
「おかげでだいぶ良くなった。長いこと眠りこけてしまったようで申し訳ない」
と返事をする。牡丹はそれはそれは、と言い、
「翡翠が側で面倒を見ると聞かなくて……あまり無理をするものではありませんよ」
と翡翠に優しく声をかけた。先程とは打って変わって柔らかい表情だ。翡翠は、
「せめてお雪の代わりに僕が看ていてあげたかったんだ。庄右衛門殿はお雪の大切な人のようだし」
といくらか悪戯っぽい笑みで庄右衛門の顔を覗き込む。あらぬ誤解を招いたようで、庄右衛門は思わず顔をしかめた。
「翡翠、私は庄右衛門殿とお話したいことがあるの。少し席を外しておくれ」
「でも……」
「先生が探しておりましたよ。お薬の時間だと仰ってました。先生をこれ以上困らせないよう、早く行ってやりなさい」
牡丹が翡翠を促すと、翡翠は申し訳無さそうに庄右衛門に頭を下げ、部屋から出て行った。
襖が閉まったところで、牡丹が庄右衛門を見据えた。
「庄右衛門殿、お雪から話を聞きました。未熟なお雪と共に人ならざるものを討伐してくださったようで。あなたは不思議な力を持っておられるのですね」
「……俺一人の力だけでは無理だった。二人で力を合わせたからこそ封印できただけで、雪丸に助けてもらえなかったら俺は死んでいた」
庄右衛門はなんとか雪丸の罰をやめて欲しくて雪丸が旅で成し遂げたことを述べるも、
「あの子が持ち出した我が御神体と、庄右衛門殿の力のおかげです」
と取り付く島もない様子で牡丹は返事をした。
「俺は、すぐにでもここを出立するつもりだ。せめて、出る前に雪丸と話がしたい。少しの間だけでも部屋から出して顔を見ることはできないだろうか」
「そうなのですか」
牡丹は少し考え込み、
「それならば余計に、あの子を外へ出さないように致しましょう」
と言う。庄右衛門は眉をひそめた。
「何がしたいんだあんたは……?まさか雪丸を閉じ込めて、俺を足止めさせるつもりか?」
冗談めいて言うが、警戒し始める。何を企んでいるのか検討が付かない上に、まだ体が痛むしうまく動けない。相手にとって危害を加えることも拘束することも容易い状況だ。
と、牡丹が庄右衛門の目をジッと見つめた。何やら訴えかけるような目だ。
「庄右衛門殿、手前勝手な頼みとは承知の上でございます……でも、私たち、特にお雪と翡翠のために、庄右衛門殿のお力を貸してはいただけないでしょうか?」
突然の申し出に庄右衛門が返事をできないでいると、牡丹は手をつき、頭を深く下げた。お頼み申します、と小さく背中を丸めている。先程までの凛とした態度が嘘のようだ。
庄右衛門は拍子抜けしたようにぽかんと牡丹の頭を見ていたが、その様子に何かこん詰めた事情がありそうだったので、
「とりあえず、話を聞こう」
と座り直した。が、まだ警戒を解かないでおく。
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