式鬼のはくは格下を蹴散らす

森羅秋

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鬼を抱きし人の血脈

鬼さん争奪宣戦布告③

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 傾斜40度の直線階段の数は百段以上。二十段ごとに狭い踊り場が設けられているが、大人一人分ほどの幅なためか手すりはついていない。
 階段の一番上に足元を照らしている電灯が激しく点滅を繰り返していた。
 その真下に闇と同じ色の人間が――否、長い両手を支えにして上半身だけの人間が、落ちそうなほど前のめりになってこちらを覗いていた。

 墨汁でまだらに塗り潰されたような顔。真っ黒な口は開いて閉じて咀嚼しているようだ。光を吸い込むような五つの目が真っすぐに魄を見ている。
 あれが怨霊だ。自分が受けた仕打ちに恨みを持ち祟りをなす死霊や生霊を指し示すもので、妖魔の一種である。
 強大な力をもつモノは神格化されるが、あれはそこまでの力はない。出来上がって間もない赤子のようなものだ。
 通常の二倍くらいの長い腕を使い五段下野石階段の角を掴んでいたが、右肩が一段下に置かれて体が斜めになる。ジャリッと石を削る音がして、十センチに伸びた爪が石段を削り取って小さな線をつけた。手を離すと顔面から滑り降りてきそうだが、それを狙っているのかもしれない。

 他にいないかと確認するためはくは辺りを見回した。妖魔の数が増えてきている。近くに居た妖魔が食事をするために集まってきているようだ。

「なんか沢山いるぅ……」

 魄がだるそうに呻いた。

「混ざりものはあいつらの餌だからな。さてと」

 鷹尾たかおは手印を組む。

「式鬼覚醒 急急如律令」

 ざわっ。と、魄は体中の産毛が逆立つ感覚を覚える。
 空に引っ張られるように背筋を伸ばしてつま先立ちになると、数センチほど宙に浮いた。どこからともなく水が現れ彼女の全身を覆う。
 魄の右額から首筋にかけて青い模様が浮かび上がる。そのまま右肩へ、腕へ、手首へ、指へ広がる。
 パッと花が開くように水しぶきを上げて消えると魄は目を開けた。天色の右目が妖魔を捉える。

 鬼の戻った魄は、トン、とジャンプして石段上まで一気に上がり、着地の勢いで妖魔の頭を踏みつけた。ぐしゃ、とトマトのように頭部が破裂すると妖魔は塵になって消滅した。
 振り返って周囲を眺める。空から沢山の鳥がこちらに向かっていた。顔は年齢のわからない亡者で大鷲のような巨体だ。『シュ』と呼ばれる梟に似た人間の手を持つ鳥によく似ていたがあれとは別物である。

「愚痴が沢山……どこかで不平不満があったんだなぁ」

 あれは苦痛と毒をもたらす妖魔になった『愚癡ぐち』だ。素早く人から人へ飛びつき悪い不満を植え付ける。憑かれたものは些細なことで不満を爆発させ愚痴を漏らして『愚癡ぐち』を産みだす。命に別状はないが集団になると間接的に人の命を奪う存在だ。これらも混ざりものを好み進んで襲ってくる。

『ムカつくムカつくムカつく』
『シネシネシネ』

 独り言のような小さな声を発して頭から急降下。十数羽が上空から一斉に襲ってくる。
 この場を退いてから一羽ずつ片付けてもいいが、下に鷹尾がいるのでやめた。一羽ずつではあちらを標的にするモノがでてくるかもしれないと、魄は一度で倒す方法に切り替えて詠唱に入った。

「い すい い とう」

 彼女は詠唱を略ししたオリジナルの手法『記号詠唱』を用いる。威力は多少劣るが敵に対して十分効果があるため、単独で戦うときに重宝している。長い詠唱は強力だが隙を作ってしまうため、相手の不意打ちや囮がいないときはあまり使用していない。

 体から水があふれだしてくると、あっという間に魄の全身を飲み込んだ。
 これは血に受け継がれる鬼の力で、自然の力を取り込んで具現化する魄の大技だ。体力が続く限り何度でも使用可能で使い勝手がいい。
 先祖返りで度々現れる鬼の力は人間の内に秘めた力によって変化するため、人によって属性が異なる。
 魄の属性は『水』でサポートが『風』だ。水を操るために風が必要、という解釈なので、風が単独で使えるわけではない。

「ウォータージェット!」

 水の繭から高圧に圧縮された水が飛び出してくる。水の線に触れた妖魔がぱっくりと割れてきりもみしながら落下してくる。水を潜り抜けた妖魔が距離を取るように左右に大きく旋回した。残りはあと十羽ほどだ。

「い すい い とう ウォータージェット!」

 羽を切られてまだ動けるモノ、回避して飛び回るモノに狙いを定め、魄は指揮者のように素早く右腕を動かす。腕の動きに連動して数十本のサーチライトのように妖魔を通り抜ける。ばら、ばら、と羽を撒き散らしながら胴体が分かれた妖魔が落下する。

 魄は上空を見上げた。先ほどの群れよりも上空に巨大な鳥の妖獣がいる。形は同じだが大きさが4倍ほどありそうだ。足で人間の胴体を掴み歯で頭を捩じ切って食べそうである。

「あと一匹か」

 魄の耳に鷹尾の声が聞こえた。きっと小さい声なのだろうが、聴力も人以上になっているので叫んでいるように聞こえる。下を見下ろすと腕を組んで見上げている鷹尾がいた。呆れているような視線を向けている。

「遅い、腹減った。飯遅くなるじゃないか」

 魄に任せっきりで全く手を出さない鷹尾。亭主関白が浮かぶが、この程度なら魄だけで大丈夫なため不満は浮かべども口にしない。主の代わりに敵を倒すのが式鬼の役目だ。魄だけでは駄目な場合はちゃんとフォローしてくれると分かっていても、戦闘中に飯まだかと言われるのは不本意だ。

「文句があるなら妖魔にいってほしい!」

 声を上げると、鷹尾が肩をすくめた。
 魄は上空に視線を戻す。上を飛ぶ妖魔は降りる気配がない。単に観察しているだけかもしれないが、かなり大きいので仕留めておかなければいけない。
 確実に倒したいので、魄はちゃんと唱えることにした。

積水淵を成しせきすいふちをなし 水滴石を穿つすいてきいしをうがつ 水を以て火を滅すみずをもってひをめっす 光陰流水こういんりゅうすい

 滝が出現したような水流が魄の体を覆う。ぐるぐるぐると渦をまく激流は龍を彷彿とさせた。

「それを最初からすりゃ早いのに。出し惜しみしやがって」

 鷹尾が小さく毒づいたのを聞き逃せなかった魄は、額に怒りマークを浮かべる。

「別にこの辺り一帯洪水にしても全然いいのにさー。変に気を使うから戦闘長くなってるって自覚あるんだろか?」
ボソボソといっているようだが、地獄耳を甘く見てはいけない。

 一瞬、ほんの一瞬、鷹尾に術を食らわせてやろうかと邪な考えが浮かんだ。しかしすぐにかき消して、飛ぶ妖魔を見据える。軌道を読み射程範囲とおおよその高さを計ると、狙いを定めて放出する。

「アクアープレス!」
 
 ドォっと太い水柱が天に昇る。妖魔は飛行高度まで伸びると思っておらず、あっさりと水に飲まれて地面に引きずり降ろされる。洗濯機の回転のようにグルグルグルと体が高速で回転しながら水圧に小さく押しつぶされていく。
これで終了だろう。と魄と鷹尾が思った瞬間、


「火炎竜巻!」


 上空に浮かんでいた水柱を巻き取るように青白い炎が渦巻いた。激しい火力が水をかき消し周囲に大量の水蒸気を放つ。その瞬間、魄は階段から飛び降り鷹尾の傍に行くと彼の腰に手を回して確保する。これで不意を突かれても鷹尾は守ることができる。
 水蒸気によって霧が発生してしまい、何も見えなくなった。

「なんなんだ?」

 鷹尾が怪訝そうに眉をひそめた。すぐに九字を切れるように右手で印を作っている。

「でっかい炎がやってきたけど……青色って初めて見たかも!」

 魄の目がキラキラ輝き興奮する。
 水と炎が収まると、二メートル前方に巨大な鳥が地面に激突した。妖魔だ。高温の熱湯に湯がかれてしまい、全身から湯気がふすふすと沸き上がっていた。はぁはぁと荒い息の後、ビクッと痙攣してそのまま弛緩した。すぐに体が塵になっていく。
 誰が炎を出したんだろうと疑問に思う間もなく、ざりざり、と前方から足音が聞こえた。
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