式鬼のはくは格下を蹴散らす

森羅秋

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鬼を抱きし人の血脈

鬼さん争奪宣戦布告②

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 若い男性がフェンスに手を置くとジャンプして乗り越えて小道に着地した。
 彼は白い襟首シャツに黒いジーパン姿、灰色のカーデガンを着て黒いリュックを背負っている。左右をみて異変が残っていないか確認してから魄に歩み寄った。

「魄、首尾は?」

 魄は警戒を解く。

「上々です、鷹尾」
 
 粛々とした態度で報告すると、鷹尾はニヒルな笑みを浮かべた。

 壱拾想鷹尾じゅうそうたかおは二十一歳の男性だ。オレンジブラウン色のベリーショート。顔は端麗な部類。目の色はこげ茶色。垂れ目で鼻は小さめ。身長は百七十五センチでやせ型である。
 彼も妖魔を追って走っていたため額に汗が浮かんでいる。

「魄に出遭うなんて、運がない妖魔だ」

 鷹尾は視線を落として地面を見る。残っていた妖魔の欠片を黒い運動靴で踏みつけて消去した。
 何を白々しい。と呟きながら魄は両手を腰に当て、不満そうに唇を尖らせた。

「出遭うって……鷹尾が私の方向に妖魔を誘導したんでしょ。じゃないとここに来る前に封印鬼に戻る解けないってば。せめてメールくらいよこしてよ。人に化けながら妖魔の気配を探すって疲れるし、こんなに時間かかっちゃったじゃない」

 人の姿に化けるのは容易いが、鬼の力に惹かれて妖魔が集まってくる恐れがあった。一体倒せば終わりになるものが五体とか十体に増えてしまっては元もこうもない。
 魄はできる限り力を押させて動き回っていた。例えているなら、背中に十キロの重しを背負ったままうさぎ跳びをして、町内一周するようなものだ。
 いつも以上の疲労感が後押しとなりつらつらと恨み言を述べるが、鷹尾には全く反省の色がない。不満をぶつけても響かないとわかり、魄は落胆しながらゆっくりと口を閉じた。
 少し乱れた長い髪を手櫛で整えて不満を消化する。

 鷹尾はその様子をじっと眺める。脳裏には猫の毛づくろいが浮かんでいた。触りたいが今は我慢する。
 魄の髪が整ったところで、遅まきながらこの度の計画を伝えた。

「帰宅民が多いところで発生したから魄のとこへ誘導したんだ。退魔にしても人が少ない方が楽だろ?」

「まー……知ってる」

 魄は歯切れの悪さを前面に出しながら頷いた。鷹尾の考えは理解できる。人気のない場所で行うほうがやりやすいからだ。その点はいい。報告と連携が疎かだったことに文句を言いたいだけだ。特に報告。早めに連絡してほしいと毎回言っているが改善される気配はない。
 この先一生改善しないだろうと思っているが、ほんの少し期待をしたい魄である。

「でもなるべくなら、先にメールほしい」

 ツンとそっぽを向きながら小声で不満を言うと、鷹尾が数歩近づいて両手で魄の頭をガシっと掴んだ。
 びっくりして目を見開くと、鷹尾は満面の笑みを浮かべながら

「よくやった」

 と労い、骨ぼったい手でわしゃわしゃと乱暴に撫でまわした。
 せっかく整えた髪がぐちゃぐちゃになり魄は内心絶叫する。しかし抵抗せず、不快そうに目を細めるだけにとどめた。
 これは嫌がらせではなく鷹尾なりの褒め方である。大型犬が好きな彼は昔から魄を犬扱いしていた。主人と式鬼なので間違っていないと、魄はいつもなすがままになって終わるのをひたすら待った。

 三十秒ほど経過すると鷹尾が髪を触るのをやめた。野外のこともあって多少なりとも人目を気にしたようだ。

 魄がホッとしたのもつかの間、今度は角の付け根から先端まで鷹尾の指が這う。
 様々な感覚器官が集まっている角は触れることに大変過敏である。くすぐったくて笑いそうになり、魄の口がへの字になった。あまり撫でないでほしいが、角を覆う皮膚は皺がなくとてもツルツルで触り心地がいい。強いていうなら子供の腕のような触り心地だ。大人から子供、果ては老人までも喜んで撫でに来るほど人気である。

 三十秒くらいで鷹尾が手を離して二歩ほど後ろに下がった。満足げな笑顔を浮かべている。
 魄はすぐに乱暴に撫で回された髪を触った。大いに乱れていることが分かったが整える気分にならない。ガックリと肩を下げ「ひどい」と大げさにため息をついた。
 恨みがましい目を鷹尾に向けながら、右手で横髪をもてあそぶ。

「そろそろ私を封印してくれますかね。また『こんな場所でコスプレするな』って怒られるのは御免なので」
 
 退魔のため鬼に戻った時、何度か東京で怒られたことがあった。
 鬼で巫女服とはどのイベントから来たんだとか、鬼の仮装としては中途半端だとか、角ぐらいはずして歩けとか、ほかにも散々なことを言われた。本来のに文句を言われてショックだった苦い記憶が常に頭の片隅にある。
 
 ジト目で訴えられたが、鷹尾は上から下まで魄の姿を吟味して腕を組んだ。

「その姿のままでよくね?」

 何を言ってるんだこいつは、という言葉をゴックンと飲み込んでから、魄は首を小さく振って即座に否定した。
 東京では鬼が実在すると認知されていないため、常識正義感が大好人に出会ったら即アウト。ここでコスプレをするなとめちゃくちゃ文句を言われて常識をわきまえろと怒鳴られるという、理不尽極まりないイベントが発生する確率があがってしまうのだ。

「いやいやご勘弁を。村じゃないんだからすぐに封印許可ちょうだい!」

 魄が生まれた集落――現在は村である――では、鬼は周知の事実である。
 他にも鬼や天狗、河童、木霊、山姥、雪女など、妖怪と暮らしている場所がちらほらあるが、基本的に極秘扱いだ。妖気に耐性がない者達が人ならざる者をみると心身に悪影響を起してしまうこともあり、魔が差すことが多くなるという。悪意を持つ人間や妖怪が手を組んで日本転覆を志し災いを起していることも、歴史上何度もあったそうだ。

 なので、魄が鬼のままだと、悪人が寄って来たり面倒ごとが舞い込んでくるから、東京では任務以外は控えるようにと『天魔波旬監視局てんまはじゅんかんしきょく』から強めに言われていた。
 
 素直な魄はその意向に沿っていた。
 最初に説明してくれた妖狐の男性がイケメン兄貴属性だったことも大きい。

「仕方ないな。化けていいぞ」

 鷹尾が一瞬だけ気に入らなさそうに目を細めて、パンと手を叩いた。

 許可が出たので魄は人に変化すると、だぼっとした服を着た平凡な女性になった。
 鷹尾は半眼になり上から下までじっくりと吟味したが、何かがツボにはまって「ぶはっ!」とふき出した噴出した。


「垂れほっぺ。このお肉。まじもちもち」

 おもむろに手を伸ばして、ふにふにふに、と魄の頬を強い力で掴む。
 頬を摘ままれて流石にイラっとした魄は、すぐに鷹尾の手首を掴んで――握りつぶしたい衝動を抑えて――優しく払いのけた。主に乱暴はできないのが一番の不満である。

「やめてくれるかなぁ?」

「やっぱ。人間に化けている方が不細工だよな~」

 グサリ、と魄の心臓に矢が刺さった。
 乙女であるがゆえ容姿をけなされると地味に傷つく。

「目立たないよう平均的な姿にしたんでしょそっちが! 不細工いうな馬鹿! これでもこの容姿気に入ってんだからあまり悪く言わないで!」

「しょうがないじゃん。不細工なんだから」

 スパっと言い切った鷹尾に、カチンときた魄だったが……握りこぶしをつくるだけにとどめた。いつもの如くこの男はデリカシーに欠けていると怒りに任せて怒鳴りたいが、残念なことにそれはできない。

 魄は鬼の末裔であり先祖返りした者だ。『主』の制御下で人に化けて、人として生活する定めである。
『主』は陰陽師の末裔である鷹尾だ。誓約のため彼に危害を加えることはできない。

 ぐぬぬぬと怒りを無理やり消化させてる。胃もたれがしそうだ。
 百面相をしている魄を眺めて色々気が済んだ鷹尾は、くるっと背を向けて借りているマンションに帰るべく歩きだした。

「マンション帰ろうぜ。腹減った。今日の飯はなに?」

「うーん。肉じゃが」

 冷蔵庫にある材料でパッとできる料理を答えると、鷹尾が首を左右に振った。

「カレー」

「一昨日もカレーだったでしょ!? 今日は肉じゃが!」

「カレーにしろよ。簡単だろ?」

「カレー大好きにもほどがある。毎日食べたら塩分の取りすぎで高血圧や腎臓病のなるかもだし、脂質糖質の影響で太るし、体臭がきつくなるから駄目。そもそも家のメニューは一週間に二回までって決めたよね。それに……鷹尾はお昼とか結構カレー食べてるでしょ? 今日のお昼は?」

「カレーうどんとコロッケカレー」

「肉じゃがと酢の物にします!」

 ピシャリと言い放つと、鷹尾はちょっと不満そうに口を尖らせたが、魄が睨みながら首を左右に振ったのですぐに諦めた。

「ならそれでいいや。彼女にしたい子の第一条件はカレー好きにしよう」

「お好きなように」

 カレーを嫌いな日本人は少数派だろう。食べる頻度の合格ラインが気になったがツッコミはしなかった。

「そーだ。来週金曜日は合コンなので飯いらねー」

 現在、鷹尾は絶賛彼女募集中だ。口を開けば彼女が欲しいと呟いている。東京で伴侶をみつけるつもりだろうと魄は考えていた。

「行ってらっしゃい。あとで場所教えてよ。裏で護衛しとくから」

「大げさな」

「万が一あっては困るもの」

 不測の事態に備えて式鬼として主の護衛を行いひっそりと見守る。昼間は妖魔の動きは鈍くなるが深夜は活発になる。コップ一杯の日本酒で酔っぱらい、まともに戦えなかったことも多々あった。その記憶が鷹尾に過ると少しだけ恥ずかしそうに手で顔を隠して、わかった。と頷いた。

「酔いつぶれないようにするけど、できるだけ人目がないところで運んでくれ」

「わかってるって」

 魄は力を制限されているとはいえ鷹尾くらい片手で軽々と持ち上げられる。東京に来て人前で担いで帰るのはおかしいことだと学習したので、酔いつぶれたときは腕を肩に回して引きずっていることにしていた。

「いい子と出会えるといいね」

 運命の出会いを応援するのも魄の役目だ。
 ただ二人っきりの時に行うと、鷹尾はいつもがっかりしたように肩を落とす。

「なに?」

「べつに。可愛い子がいる確率を考えていただけ」

「今回の相手は?」

「5対5の部署違い。ムキムキゴリラが多い部署なんだよな」

 やる気なさそうな鷹尾をみて、魄は笑顔をひきつらせた。

「そんなこと言わないように。どこに耳があるかわからないでしょ?」

「いーのいーの。好みなんてそれぞれだし。俺は美人長身の引き締まったボディに、普段ツンツンしていても笑うと可愛い顔してて、楽しい会話が続いて料理上手でたまに甘やかしてくれて、しっかり俺を支えてくれる女がいーの。今回はマジではずれな予感がする」

 まだ会ってもいないのに、もうダメ出しを始めている。魄は呆れながら彼の思考を嗜める。

「思い込み禁止。それって一度付き合わないと分からない感じでは?」

「恋愛経験のないやつの指摘ってアテにならねー」

「ひっど! ひっどいぞこら! 私はまだ人間と恋愛禁止なんだからね」

「可哀そうに。俺の相手が見つかるまでは禁止だよなー」

「なんでそんなことになったのか分かんないけど。一応、恋愛漫画とか小説とかドラマとか、色々見て勉強してるんだから大丈夫」

 ドン、と胸を張ってドヤっと得意げになると、鷹尾は耳の穴に指を入れてかきながら半眼で静かに見下ろす。瞳には若干哀れみが含まれていた。

「あー。あれ夢物語だから。嘘の塊」

「夢を壊すな!」

「お子様は純粋でいいなぁ。クリスマスにサンタがいるってまだ信じてるだろ」

「馬鹿にしないでよ。クリスマスはサンタじゃなくて、天狗がプレゼントくれんだから」

 鷹尾が「ん?」と目を見開いた。すぐに目つきが鋭くなり魄に詰め寄る。

「初耳だけど、天狗の知り合いいるのか?」

「いるよ。つぐみ様の知り合いの方で毎年プレゼントくれる人」

「あー……。あそこかー……こりない」

 鷹尾が嫌そうに顔を歪ませていたが、ピタッと動きを止めて横に顔を向けた。
 崖に這うように作られている石段を見上げる。少し遅れて魄も動きを止めて石段を見上げた。


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