式鬼のはくは格下を蹴散らす

森羅秋

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鬼の知が浮かび軽快に鬼は笑う

魄は先祖がえりをする③

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 かいは全身に炎を灯して肩まで沈んだ水中を駆け出す。火で水を蒸発させて抵抗を限りなく消しているため、水蒸気をあげながら物凄い速さで追いかける。
 はくの背中を見つめながら、この後の手順を思い出す。

 逃げだした魄を捕獲ポイントまで誘い込むことが魁の役目だ。そこに鷹尾たかおが結界を張ってスタンバっている。場所は樹齢千年と言われているケヤキの木付近、ここからだと二キロで到着する。
 あとは勘づかれないように細心の注意を払いながら、彼女の軌道調整をすればいい。

「……ん?」

 水中を全速力で走っている魁に気づいた魄は、吃驚して目を見開きながら体ごと振り返った。

「なんと!? 小童の分際で小癪な真似を」

 溺死させるかどうか迷ったが、この付近に鷹尾が潜んでいるのなら大技を出すことはできない。威力が強い分隙だらけになってしまうので、その間に捕縛される可能性があった。
 そして追ってくる魁も強くなっている。鷹尾により潜在能力が引き出されている。
 魄は苛立つ。ただでさえ調伏がなされているため本来の力の三分の一ほどしか出せない。本来なら貯水ダムほどの水がでてくるはずの無情を招く水火リバースエンドも競泳プールのレベルまで低下している。
 時間経過に従ってもっと力が低下するはずだ。縁が切れるまで逃げる方が良いと判断して、魄は崖を滑るように下る。魁もその後を追った。
 
 斜面に生える木々をかわしながら高速で降りていく魄。進路方向をみながら魁は何度か炎を飛ばして軌道修正を行うと、魄はケヤキの木付近へ誘い込まれた。ここは数百年前に倒された妖魔の体から発生した瘴気により、半径三キロ内は草が枯れて木々が立ち枯れして荒れ地になっている。

「……?」

 ピリッとした空気を感じて魄は足を止める。違和感を覚えて眉をひそめながら周囲を探る。
 魁は十二メートルほど距離を取って止まると、ケヤキの木を中心に半径一キロ内に結界が張られた。魄は頭上を見ながら焦りの色を強く浮かべる。技の封印も入っている。この中に居ると水の技が出せない。

「くっ! 罠だったか!」

「そうだ」

 魁は短く答えると、魄の元へ駆け出した。今度は一分ほど、彼女の動きを止める必要がある。鷹尾は隠形の術で周囲のどこかに隠れている。彼が近寄れる時間を作らなければならない。

「ちぃ!」

 魄は舌打ちをしながら横に逸れて、突進してくる魁を回避した。魁の右手が空を切ったところで、魄は彼の背骨めがけて回し蹴りをする。ベギっと骨が砕ける音がして魁は激痛に呻いた。しかしすぐに回復する。少しよろけただけですぐに態勢を整えた。
 魁は動きを止めるため、頭や足を狙って打撃を行ったり、組み伏そうとする。
 魄はすべて回避しながら、お返しにとばかりに骨を狙いダメージを与える。

「ぐっ」

 魁の防御はつたないが回復力が秀でている。そして痛みに対して鈍感で、骨が粉々になっても怯える仕草を見せなかった。少々じゃ壊れない相手と認識を改めながら、魄は苦笑したようにスッと目を細める。

「あはは。凄いじゃないか。感心するぞ小童」

 肉弾戦を好む魄はしぶとい相手が大好きだ。逃げなければならないという焦りが消え、相手を倒す興奮が芽生える。

「楽しませてもらうぞ」

 口に笑みを浮かべて、カチカチと牙を鳴らす。
 魁は構えながらごくりと生唾を飲んだ。

 『夜叉の魄が肉弾戦に持ち込むときは死を覚悟するように。なんでもアリになる。急所の全てに気をつけろ。ほら、猫がたまをとる時、本気になると爪を出すだろ? あれと同じ』と鷹尾からの忠告が脳裏をよぎる。
 そして『今回は俺が楽できる』と笑う顔も思い出して少しイラっとした。

「せっかくだ。すぐ死ぬでないぞ」

 嘲るように笑った瞬間、魁の目から魄の姿が消えた。目を動かして探ると、足元に魄がしゃがみ込んでいる。気づいたときには顎に指が突き刺さっていた。突き刺さったまま殴られて宙を舞う。鎌のような鋭い爪が骨と顎の肉をえぐった。続けざまに腹部に刺さるともぎ取られる。

 痛みに悲鳴を上げながら、魁はなるほどと思った。拳でなく爪になる。鈍器に鋭利な刃物が加わる攻撃に変化するということだ。それでも体術は忘れない。寝技や組技も使う。
 どこが猫だと毒づいて、再生力に頼りながら即死しないように注意した。

 魁の攻撃は殆ど空を切るが、たまに魄にヒットする。だが重さが足りないようで魄は微動だにしない。防御力が高くなっているのもあるが、後方に避けたりねじったりの動きが素早く、勢いを殺しているようだ。

「諦めんか。いいのぉ」

 体中返り血を浴びた魄は邪悪に笑う。

「……魄を人に戻す命を受けている」

 魁は血反吐を吐きながら淡々と答えた。即死攻撃連発により大きな傷を負っている。
 普段なら体力はとっくに尽きているはずだが、鷹尾からのエネルギー供給によりまだ立ち上がれていた。
 相手を見据えながら、少し思い出す。雪絵とは比べ物にならないくらいの力の恩恵を受けた瞬間、背筋がゾッとした。服従する心が生まれ彼の存在そのものに敬服したと同時に、こんな人間と常に一緒にいる魄が普通の式鬼であるはずがないとも思った。

 『とにかく魄の体力をガシガシ削れ。あいつ体力ちょっと少ないから、攻撃の手が減ったときがチャンスだ。そこまで頑張るだけでいい。楽勝だろ?』

 どこが楽勝だ、と魁は自嘲するように薄ら笑みを浮かべた。
 その笑みを自信の表れと捉えた魄は、面白くないと目を細めて髪をかき上げた。

「その自信、圧し折ってくれる」

 魄はダッと接近して魁の首の裾を握りしめる。魁が手を掴んだ瞬間、魄は一本背負いのように彼を背中に乗せて飛翔した。五メートルまで上がると、地面から岩が出ている場所に狙いを定めて滑空し、地面に当たる寸前に魁を投げ飛ばした。

「!?」

 その間わずか二秒。魁は空中に飛んだと思った瞬間、地面に叩きつけられた。しかも地面から出ていた硬い岩が後頭部を直撃する。激しい痛みがドンと頭を包むと、衝撃で視界がブレて景色が歪んだ。




――魁、走れ!

 鬼気迫った声が耳に届いた気がする。手を引っ張られて夕暮れの山道を走っていた。息を切らして顔を上げると、大きな背中が見える。大きなリュックが千切れていて中身が全部出ていた。きょろきょろ周囲をみると、おぞましい気配が後方から迫っていた。

――もうすぐだ。あの橋を越えれば誰かが気づいてくれる!

 深い谷に架けられているつり橋が見えてきた。あそこを渡った先に十拾想家の領域がある。急げと急かす男性を見合える。
橋まであと100メートルというところで、夜叉の群れに追いつかれた。混ざりものである彼を狙って一斉に襲い掛かってくる。
 
 男性が魁を庇って夜叉の攻撃を一身に受けた。ドサっと地面に倒れる男性。だがまだこと切れていない。立ちすくむ魁に顔を向けると、早く走れ! と怒鳴った。
 あれは、あの男性は父だ。と魁は涙を流した。
 防衛のためか、無意識に左手から青炎を出して、握っていた白い花が熱で燃えていく。そのままゆっくりと後ずさると、不意に、地面が消えた。
 あ、と思う間もなく、十数メートルの谷底へ落下する。夜叉が掴もうと崖を下ろうとする。魁は本能的に炎を放って追手を怯ませ、川の中に落ちた。もがくなか、優しい父と母の顔と、生まれたばかりの妹の顔が過った。




 魁は一瞬だけ、気を失った。
 しかしすぐに現実が戻ってくる。視界も音もクリアになると、魄の声が聞こえた。

「技さえ使えれば炙り出せるものを。タカオ! そろそろ高みの見物をやめてでてきたらどうだ!」

 空間を凝視しながら周囲を伺っていた。苛立ちが募り荒々しい気が立ち上っている。

「……魄」

 呼びかけられて魄は振り向き、驚く。魁がふらつきながら立ち上がった。頭が割られて流血していたが傷がゆっくりと修復されている。その目はまだ戦いを諦めていなかった。

「根性ある小童だ。感心するが目障りだ。今度は四肢をもいでそこらへんに投げてやる」

 魄はスタスタと警戒もせず魁に近づく。傷の修復がなされていても、満身創痍であり立っているのがやっとのはずだから。
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