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アンダンテ ジャンル:ミステリ
エピローグ 瞬・真紀
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俺が目覚めた時、外は既に日が暮れかけていた。
真紀の推理を聞いた後、俺達は泥のように眠った。朝食も昼食も忘れて。
きちんとしたディナーを用意するような余裕がなくて申し訳ない、と、吉川さんがカップラーメンと熱湯の入ったポットを持ってきてくれた。ようやく、ラーメンが食べられる……。湯を注ぎ、三分待って口にしたカップラーメンが、日常を取り戻したようで、やけにおいしく感じられた。
三人でラーメンをすすっていると、里見刑事が捜査状況を報告しに来た。やはり、殺害を裏付けるような証拠は発見されていない。すっぴんのままの真紀は、それを無表情で聞いていた。俺達は帰宅が許されるそうだが、もう一晩別荘で過ごし、翌日の朝、警察の車両で駅まで送ってもらう事にした。
明くる朝、俺達は別荘を後にした。袴田繁幸氏と吉川夫妻が見送りに来てくれた。心美ちゃんは未だ、死体を目撃したショックから抜け出せずに部屋に篭もっているらしい。落ち着いたらまた是非来てほしい、その時には、息子の話をもっと聞かせてほしい、と言う繁幸氏の目は、潤んでいるように見えた。
そして今、俺達は、警察の車両の後部座席に並んで収まっていた。右隣に座った小雨は窓に凭れ、左隣の真紀は俺の肩に寄りかかって眠っている。今は、しっかりと化粧をしていた。
朝から雲ひとつない青空だった。抜けるような青空。眼下に広がる海は、ここ数日の出来事が嘘であったかのように、穏やかに波打っている。窓から風景を眺めているうちに自然と、三日前、先輩が運転する車に乗ってこの道を通った事が思い起こされた。
結局のところ、先輩は殺されたのか、自殺されたのか……自分の中では、未だに結論が出せていない。捜査状況を報告しに来た際、里見刑事がぼそっと呟いていた事が思い起こされた。
「まあ……本当に自殺する人間というのは、そんな事をおくびにも出さずに、突然死ぬものですからね……」
先輩の妙に殺風景な部屋が、脳裏に浮かび上がってくる。先輩は寂しかったのかもしれない。あの夜、俺は、先輩の話に腹を立てて、さっさと部屋に引き上げてしまったのではなかったか。
「吉雄が友達を連れてくるなんて初めての事なんですよ」
という、母親の良子さんの言葉が思い出された。もし、あの夜、俺がもっと先輩の相手をしていたら、先輩が命を絶つことはなかったのかもしれない。
しかし、もし真紀の推理通り、先輩が殺害されたのだとしたら……
真紀の推理を聞いていて、一つ気付いた事があった。真紀の推理に一点だけ、間違いがあったのだ。いや、真紀もきっとそれを理解していた。その上で、話さなかったのだ。それは、離れの周囲が、ぬかるんだ地面によって密室状態になっていたため、窓を開けて外部からの犯行と見せかけることができなかった、という部分だ。
厳密には、そうではない。
俺の足跡が残っていたからだ。
犯人……心美は、おそらく、窓を開けようとした際に、俺の足跡を見て外の状況を知ったのだろう。もし、そのまま窓を開けていたら、間違いなく俺が疑われていたはずだ。先輩の悲鳴を聞いたのは俺と心美だけなのだから、嘘の証言をすることもできたかもしれない。
にも関わらず、彼女はリスクを冒して密室を作った。これを、どう受け取ったらいいのだろうか。あの夜、闇の中にぼうっと浮かび上がった細い脚と、心美の妖しい微笑みがフラッシュバックのように浮かんできた。
結局、人間は、信じたいものを信じるしかないのだ。俺が信じたいのは、どちらだろうか……。
ふと、左肩に寄りかかって眠っている真紀を見る。この小さな頭の中に、どうやって二つの人格を詰め込んでいるのか。昨日、鮮やかに密室を解いて見せた冷徹な真紀と、その直前まで明るく愛想を振りまいていた真紀とのギャップを想起した。心美に化粧を施したのは、もう一人の真紀だったらしい。もしもあの時、真紀の香りが漂わなかったら、どうなっていたのだろう。
真紀の寝顔を見つめながらそんな事を考えているうちに、俺にも猛烈な眠気が襲ってきた。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!
私は、瞬の肩に凭れて眠ったふりをしながら、昨日の事を考えていた。彼女が披露した推理を、自分の中から聞いていた。それは、誰もいない映画館の中、最前列に座って、一人きりで映画を見ている感覚に似ていた。
心美ちゃんが、瞬をかばうために密室を作ったのかもしれない。彼女は、言外にそう告げていた。あの夜、瞬の部屋で一体何があったのか……瞬に聞いてもきっと本当の事は言ってくれないだろうし、考えたくもなかった。それでも、最後までは、結ばれるところまではいかなかったのではないか。幸せな気分の中で殺人を犯すなんて、とても考えられない。何故か、それは信じられる気がした。
それでも、もし……瞬が他の誰かに心を奪われ、結ばれるような事があったら、どうしようか。例えば、もし瞬と小雨が結ばれたりしたら、私はきっと、もうここには居られないだろう。自分は、どうしようもなく脆い存在なのだ。いや、瞬のせいで、脆くなってしまった。そういう自覚があった。
だからもし、瞬と小雨が結ばれたその時は……。
私は、この体を彼女に返して、無意識の海の中へ帰っていくだろう。
そこは、暗くて冷たい、虚無の海。
その海の中に、深く深く沈んで。
氷づけになった私は、いつか虚無の一部になる。
死。
イメージの中を、その言葉が乱舞する。
ああ、いけない。急いで意識を現実に引き戻した。
私はここにいる。
瞬に触れている。
いつの間にか、瞬も寝息を立てていた。このまま抱きついてしまいたくなったが、起こしてしまいそうだから、やめておこう。
真紀の推理を聞いた後、俺達は泥のように眠った。朝食も昼食も忘れて。
きちんとしたディナーを用意するような余裕がなくて申し訳ない、と、吉川さんがカップラーメンと熱湯の入ったポットを持ってきてくれた。ようやく、ラーメンが食べられる……。湯を注ぎ、三分待って口にしたカップラーメンが、日常を取り戻したようで、やけにおいしく感じられた。
三人でラーメンをすすっていると、里見刑事が捜査状況を報告しに来た。やはり、殺害を裏付けるような証拠は発見されていない。すっぴんのままの真紀は、それを無表情で聞いていた。俺達は帰宅が許されるそうだが、もう一晩別荘で過ごし、翌日の朝、警察の車両で駅まで送ってもらう事にした。
明くる朝、俺達は別荘を後にした。袴田繁幸氏と吉川夫妻が見送りに来てくれた。心美ちゃんは未だ、死体を目撃したショックから抜け出せずに部屋に篭もっているらしい。落ち着いたらまた是非来てほしい、その時には、息子の話をもっと聞かせてほしい、と言う繁幸氏の目は、潤んでいるように見えた。
そして今、俺達は、警察の車両の後部座席に並んで収まっていた。右隣に座った小雨は窓に凭れ、左隣の真紀は俺の肩に寄りかかって眠っている。今は、しっかりと化粧をしていた。
朝から雲ひとつない青空だった。抜けるような青空。眼下に広がる海は、ここ数日の出来事が嘘であったかのように、穏やかに波打っている。窓から風景を眺めているうちに自然と、三日前、先輩が運転する車に乗ってこの道を通った事が思い起こされた。
結局のところ、先輩は殺されたのか、自殺されたのか……自分の中では、未だに結論が出せていない。捜査状況を報告しに来た際、里見刑事がぼそっと呟いていた事が思い起こされた。
「まあ……本当に自殺する人間というのは、そんな事をおくびにも出さずに、突然死ぬものですからね……」
先輩の妙に殺風景な部屋が、脳裏に浮かび上がってくる。先輩は寂しかったのかもしれない。あの夜、俺は、先輩の話に腹を立てて、さっさと部屋に引き上げてしまったのではなかったか。
「吉雄が友達を連れてくるなんて初めての事なんですよ」
という、母親の良子さんの言葉が思い出された。もし、あの夜、俺がもっと先輩の相手をしていたら、先輩が命を絶つことはなかったのかもしれない。
しかし、もし真紀の推理通り、先輩が殺害されたのだとしたら……
真紀の推理を聞いていて、一つ気付いた事があった。真紀の推理に一点だけ、間違いがあったのだ。いや、真紀もきっとそれを理解していた。その上で、話さなかったのだ。それは、離れの周囲が、ぬかるんだ地面によって密室状態になっていたため、窓を開けて外部からの犯行と見せかけることができなかった、という部分だ。
厳密には、そうではない。
俺の足跡が残っていたからだ。
犯人……心美は、おそらく、窓を開けようとした際に、俺の足跡を見て外の状況を知ったのだろう。もし、そのまま窓を開けていたら、間違いなく俺が疑われていたはずだ。先輩の悲鳴を聞いたのは俺と心美だけなのだから、嘘の証言をすることもできたかもしれない。
にも関わらず、彼女はリスクを冒して密室を作った。これを、どう受け取ったらいいのだろうか。あの夜、闇の中にぼうっと浮かび上がった細い脚と、心美の妖しい微笑みがフラッシュバックのように浮かんできた。
結局、人間は、信じたいものを信じるしかないのだ。俺が信じたいのは、どちらだろうか……。
ふと、左肩に寄りかかって眠っている真紀を見る。この小さな頭の中に、どうやって二つの人格を詰め込んでいるのか。昨日、鮮やかに密室を解いて見せた冷徹な真紀と、その直前まで明るく愛想を振りまいていた真紀とのギャップを想起した。心美に化粧を施したのは、もう一人の真紀だったらしい。もしもあの時、真紀の香りが漂わなかったら、どうなっていたのだろう。
真紀の寝顔を見つめながらそんな事を考えているうちに、俺にも猛烈な眠気が襲ってきた。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!
私は、瞬の肩に凭れて眠ったふりをしながら、昨日の事を考えていた。彼女が披露した推理を、自分の中から聞いていた。それは、誰もいない映画館の中、最前列に座って、一人きりで映画を見ている感覚に似ていた。
心美ちゃんが、瞬をかばうために密室を作ったのかもしれない。彼女は、言外にそう告げていた。あの夜、瞬の部屋で一体何があったのか……瞬に聞いてもきっと本当の事は言ってくれないだろうし、考えたくもなかった。それでも、最後までは、結ばれるところまではいかなかったのではないか。幸せな気分の中で殺人を犯すなんて、とても考えられない。何故か、それは信じられる気がした。
それでも、もし……瞬が他の誰かに心を奪われ、結ばれるような事があったら、どうしようか。例えば、もし瞬と小雨が結ばれたりしたら、私はきっと、もうここには居られないだろう。自分は、どうしようもなく脆い存在なのだ。いや、瞬のせいで、脆くなってしまった。そういう自覚があった。
だからもし、瞬と小雨が結ばれたその時は……。
私は、この体を彼女に返して、無意識の海の中へ帰っていくだろう。
そこは、暗くて冷たい、虚無の海。
その海の中に、深く深く沈んで。
氷づけになった私は、いつか虚無の一部になる。
死。
イメージの中を、その言葉が乱舞する。
ああ、いけない。急いで意識を現実に引き戻した。
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